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シャムイ・ジャハーン(ペルシア語: شمعِ جهان, Sham‘-i Jahān、? - 1407年もしくは1408年)は、14世紀後半以降のチャガタイ・ウルスにおける、いわゆるモグーリスタン・ハン国の第5代君主(在位1403年? - 1407年もしくは1408年)。漢語史料では沙迷査干と表記される。
ヒズル・ホージャの子。即位前はティムールの宮廷に留まっていたが、1397年にモグーリスタンに帰国する[1]。
ハミの忠順王アク・テムル(安克帖木児)が北元のオルク・テムルによって毒殺されると、報復としてオルク・テムルを攻めた[2]。明に対して数度朝貢し、ティムールが死去した1405年に祖先の故地であるサマルカンドを奪還するため、ティムール朝への出兵を計画した[2]。明に支援を要請するが、把太ら明からの使者に出兵を思いとどまるよう説得され、攻撃を中止した[2]。跡を弟のムハンマドが継いだ。
- ^ 加藤和秀『ティームール朝成立史の研究』(北海道大学図書刊行会, 1999年2月)、300頁
- ^ a b c 『明史』列伝第220、別失八里
- 『中央ユーラシアを知る事典』(平凡社, 2005年4月)、556-557頁収録の系図
- 『明史』列伝第220、別失八里