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ショショーニぞく

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
1900ねんごろ、ワイオミングのショショーニぞくインディアンがつくったビーズかざりのモカシン

ショショーニぞく(ショショーニぞく)、またはショーショーニーぞく(ショーショーニーぞく、えい: Shoshone, Shoshoni)は、アメリカインディアン部族ぶぞくである。文化ぶんかてき言語げんごてきに、つぎの4つの支族しぞくけられる。

かれらは伝統でんとうてきユト・アステカ語族ごぞくのヌミックぐん一部いちぶ分類ぶんるいされるショショーニ[1]はなす。ショショーニぞく周辺しゅうへん部族ぶぞく初期しょきのヨーロッパけいアメリカじんからはスネーク・インディアンとばれていた[2]

部族ぶぞくめい由来ゆらい

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「ショショーニ」という名前なまえはソソニ(Sosoni)からきており、ショショーニながびたくさ意味いみする。ショショーニぞく伝統でんとうてきいえくさつくられていたことから、周辺しゅうへん部族ぶぞくではかれらを「くさいえひと(Grass House People)」とものもいた。ショショーニぞくでの自称じしょうは「人々ひとびと」を意味いみする「Newe」である[2]

メリウェザー・ルイスは1805ねん、ショショーニぞくのことを「Sosoneesあるいはスネーク・インディアン」と記録きろくした[2]

言語げんご

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ショショーニは、現在げんざいやく1,000にん話者わしゃがいる[1]ユト・アステカ語族ごぞく中央ちゅうおうヌミックぐんぞくしている。話者わしゃはネバダしゅう中央ちゅうおうからワイオミングしゅう中央ちゅうおうまでらばっている。もっとおおくの話者わしゃどももふくむ)が存在そんざいするのは、ダックバレーとゴシュート保留ほりゅうである。アイダホ州立しゅうりつ大学だいがくにはショショーニ授業じゅぎょうもある[1]

歴史れきし

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ショショーニぞくなつ野営やえいよう住居じゅうきょティーピー
1870ねん、W・H・ジャクソンがウィンドリバー山脈さんみゃく撮影さつえい

ショショーニぞくグレートベースン西側にしがわ起源きげんつネイティブアメリカンの部族ぶぞくで、そこからアイダホしゅう、ワイオミングしゅうなどきたひがしひろがっていった。西暦せいれき1500ねんまでに、ひがしショショーニぞく一部いちぶロッキー山脈さんみゃくえ、グレートプレーンズへとたっした。そのブラックフットぞくクロウぞくラコタ(スーぞくシャイアンぞくアラパホぞくなどの部族ぶぞくから圧力あつりょくけ、交戦こうせん状態じょうたいとなり、ひがしショショーニぞくみなみ西にし移動いどうした。はるかみなみのテキサスしゅうまで移動いどうした一団いちだんは1700ねんまでにコマンチェぞく形成けいせいした[2]

おおくのヨーロッパけいアメリカじん入植にゅうしょくしゃ西部せいぶへと進出しんしゅつし、先住民せんじゅうみんとの緊張きんちょうたかまった。19世紀せいき後半こうはんは、いたところ戦闘せんとう発生はっせいした。ポカテッロ酋長しゅうちょうひきいられたきたショショーニぞくは、1860年代ねんだいにアイダホしゅう開拓かいたくしゃたたかった。アイダホしゅう都市としポカテッロめいかれちなんでいる。よりおおくの入植にゅうしょくしゃがショショーニぞくりをおこな領域りょういき侵入しんにゅうし、先住民せんじゅうみんらは食料しょくりょうるために農場のうじょう牧場ぼくじょう襲撃しゅうげきし、開拓かいたくしゃ攻撃こうげきした。1863ねん、アメリカ陸軍りくぐんが410にん北西ほくせいショショーニぞく無差別むさべつ虐殺ぎゃくさつしたとされるベアかわ虐殺ぎゃくさつ最後さいご戦闘せんとう終結しゅうけつした。この軍事ぐんじ行動こうどうは、ショショーニぞくがアメリカ陸軍りくぐんけられ、もっとおおくの犠牲ぎせいしゃした出来事できごとであった。

ラビット・テイル

ショショーニぞく同盟どうめい関係かんけいにあったバノックぞくは、1864ねんから1868ねんスネーク戦争せんそう、1878ねんバノック戦争せんそうともにアメリカ陸軍りくぐんたたかった。1876ねんローズバッドのたたかでは、ショショーニぞくはアメリカ陸軍りくぐんがわにつき、宿敵しゅくてきであったラコタぞくシャイアンぞくたたかった。

1879ねんやく300にんひがしショショーニぞく一団いちだん(シープイーターズとしてられる)はシープイーター・インディアン戦争せんそうまれた。このたたかいは現在げんざい太平洋たいへいようがん北西ほくせい地域ちいきにおいては最後さいごインディアン戦争せんそうとなった。

1911ねん、ショショーニ・マイクとしてもられるマイク・ダゲットにひきいられたちいさなバノックぞく集団しゅうだんは、ネバダしゅうワショ―ぐんで4にん牧場ぼくじょうぬし殺害さつがいした[3]自警じけいだん組織そしきされ、1911ねん2がつ26にちにはそのインディアンの集団しゅうだんいつき、そのうち8にんころした。このとき自警じけいだんのエド・ホーグルもころされた[4]。この戦闘せんとうのこった3にん子供こども1人ひとり女性じょせいとらえられた。牧場ぼくじょうぬしは、集団しゅうだんのこり(成人せいじん男性だんせい3にん成人せいじん女性じょせい2にん青年せいねん男子だんし2にんども3にん)をスミソニアン協会きょうかい研究けんきゅうのために寄贈きぞうした。1994ねんかれらはアイダホしゅうのフォートホール・インディアン居留きょりゅう送還そうかんされた[5]

2008ねん北西ほくせいショショーニぞくはベアかわ虐殺ぎゃくさつ史跡しせきとその周辺しゅうへん土地とち獲得かくとくした。かれらは神聖しんせい土地とちまもり、犠牲ぎせいしゃ追悼ついとうする記念きねん建立こんりゅうすることをのぞんでいた[6]

人口じんこう

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1845ねんきたショショーニぞく西にしショショーニぞく人口じんこう合計ごうけいやく4,500にん推計すいけいされるが、感染かんせんせい病気びょうき流行りゅうこう戦闘せんとうによりそのかずおおきくらした。大陸たいりく横断おうだん鉄道てつどう完成かんせいした1869ねん以降いこう過去かこれいない人数にんずうのヨーロッパけいアメリカじん移民いみんかれらの領域りょういきはいんだ。

1937ねんインディアン事務じむきょく調査ちょうさではきたショショーニぞくが3,650にん西にしショショーニぞくが1,201にん人口じんこうであった。2000ねん国勢調査こくせいちょうさでは、ショショーニぞく人口じんこうやく12,000にんであった。

ショショーニの人々ひとびと活動かつどう地域ちいきおも食料しょくりょうげんから以下いか伝統でんとうてきなバンドに分類ぶんるいされる。

  • ひがしショショーニぞく
    • Kuccuntikka(Guchundeka、バッファロー・イーターズ)[2][7]
    • Tukkutikka(Tukudeka、マウンテン・シープ・イーターズ) - のちきたショショーニぞくくわわった[7]
    • Boho'inee'(Pohoini、Pohogwe、Sage Grass people、Sagebrush Butte People)[2][7][8]
  • きたショショーニぞく
    • レムヒ(Akaitikka、Agaideka、サーモン・イーターズ) - スネーク川上かわかみりゅう、レムヒがわバレー[8][8][9]
    • Doyahinee(マウンテンぞく[2]
    • Kammedeka、Kammitikka(ジャック・ラビット・イーターズ) - スネークがわ、グレート・ソルト[8]
    • Hukundüka,(Porcupine Grass Seed Eaters, ワイルド・ウィート・イーターズ)[8][10]
    • Tukudeka(Dukundeka'、シープ・イーターズ) - アイダホしゅうソートゥース山脈さんみゃく[8][9]
    • Yahandeka(Yakandika、グラウンドホッグ・イーターズ)[8][9]
  • 西にしショショーニぞく
    • ゴシュート (Kusiutta) - グレートソルト砂漠さばく、グレートソルト[10]
    • Kuyatikka(Kuyudikka、ビタールート・イーターズ) - ネバダしゅうハレック、メアリーズがわ、クローバー・バレー、スミスクリーク・バレー[10]
    • Mahaguadüka(Mentzelia、シード・イーターズ) - ネバダしゅうルビーバレー[10]
    • Painkwitikka,(Penkwitikka、フィッシュ・イーターズ) - アイダホしゅう、ユタしゅうキャッシュバレー[10]
    • Pasiatikka(レッドトップ・グラス・イーターズ、ディープ・クリーク・ゴシュート) - ディープクリーク・バレー、アンテロープ・バレー[10]
    • Tipatikka(パインナッツ・イーターズ) - もっときた位置いちするバンド[10]
    • Tsaiduka(Tule Eaters) - ネバダしゅうレイルロード・バレー[10]
    • Tsogwiyuyugi - ネバダしゅうエルコ[10]
    • Waitikka(ライスグラス・イーターズ) - ネバダしゅうアイオンバレー[10]
    • Watatikka(ライグラス・イーターズ) - ネバダしゅうルビーバレー[10]
    • Wiyimpihtikka(バッファロー・ベリー・イーターズ)[10]

居留きょりゅう

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ワイオミングしゅう1892ねん、フォート・ワシャキー居留きょりゅうのショショーニぞく写真しゃしん左側ひだりがわ右手みぎてひろげているのがワシャキー酋長しゅうちょう中央ちゅうおうおどっているすうにん戦士せんしだとかんがえられる。
  • バトルマウンテン居留きょりゅう - ネバダしゅうランダーぐん
  • ビッグ・パイン居留きょりゅう - カリフォルニアしゅうインヨーぐんオーウェンズ・バレー中央ちゅうおう
  • ビショップ居留きょりゅう - カリフォルニアしゅうインヨーぐん、オーウェンズ・バレー北部ほくぶ
  • デスバレー・インディアン居留きょりゅう - カリフォルニアしゅうデスヴァレー国立こくりつ公園こうえん、ティンビシャ・ショショーニ
  • ダックバレー・インディアン居留きょりゅう - アイダホしゅう南部なんぶ・ネバダしゅう北部ほくぶ西にしショショーニぞく、パイユートぞく
  • ダックウォーター・インディアン居留きょりゅう - ネバダしゅうダックウォーター、イーリーからは121kmはなれている
  • エルコ・インディアン居留きょりゅう - ネバダしゅうエルコぐん
  • イーリー・ショショーニ・インディアン居留きょりゅう - ネバダしゅうイーリー面積めんせきは0.45 km2やく500にんらしている
  • ファロン・パイユート・ショショーニ居留きょりゅう - ネバダしゅうファロン近郊きんこう面積めんせきは33km2、991にん西にしショショーニぞく、パイユートぞくらしている
  • フォート・ホール・インディアン居留きょりゅう - アイダホしゅう面積めんせき2,201 km2、レムヒ・ショショーニ、バノックぞく、パイユートぞく
  • フォート・マクダーミット・インディアン居留きょりゅう - ネバダしゅう・オレゴンしゅう、パイユートぞく、ショショーニぞく
  • ゴシュート・インディアン居留きょりゅう - ネバダしゅう・ユタしゅう面積めんせき449km2西にしショショーニぞく
  • レムヒ・インディアン居留きょりゅう - アイダホしゅう、レムヒ・ショショーニ、フォート・ホール居留きょりゅうから移動いどうしてきた
  • ローン・パイン居留きょりゅう - カリフォルニアしゅうインヨーぐん、オーウェンズ・バレー下流かりゅう
  • 北西ほくせいショショーニ・インディアン居留きょりゅう - ユタしゅう北西ほくせいショショーニぞく
  • リノ・スパークス・インディアン居留きょりゅう - ネバダしゅう面積めんせき8km2、481にんのショショーニぞく、パイユートぞくワショ―ぞくらす
  • スカルバレー・インディアン居留きょりゅう - ユタしゅう面積めんせき73km2西にしショショーニぞく
  • サウス・フォーク、オジャーズ・ランチ・インディアン居留きょりゅう - ネバダしゅうエルコぐん
  • ウェルズ・インディアン居留きょりゅう - ネバダしゅうエルコぐん
  • ウィンド・リバー居留きょりゅう - ワイオミングしゅう面積めんせき9,178 km2、2,650にんひがしショショーニぞくらす。アラパホぞく共有きょうゆうしている

著名ちょめいなショショーニぞく人物じんぶつ

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c "Shoshoni." Ethnologue. Retrieved 20 Oct 2013.
  2. ^ a b c d e f g Loether, Christopher. "Shoshones." Encyclopedia of the Great Plains. Retrieved 20 Oct 2013.
  3. ^ America's Last Indian Battle[リンク]
  4. ^ Ed Hogle memorial
  5. ^ NMNH - Repatriation Office - Reports - Great Basin - Nevada
  6. ^ "Tribe remembers nation's largest massacre", Indian Country Times, 10 Mar 2008, accessed 6 Mar 2010 There Leader Was Bob BlockemSclocem BOB BLOCKOMSLOCUM
  7. ^ a b c Shimkin 335
  8. ^ a b c d e f g Murphy and Murphy 306
  9. ^ a b c Murphy and Murphy 287
  10. ^ a b c d e f g h i j k l Thomas, Pendleton, and Cappannari 280–283

参考さんこう資料しりょう

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  • ロバート・A・マーフィー、ヨランダ・マーフィー 『Northern Shoshone and Bannock』 Handbook of North American Indians: Great Basin, Volume 11. Washington, DC: Smithsonian Institution, 1986: 284–307. ISBN 978-0-16-004581-3
  • Shimkin, Demitri B 『Eastern Shoshone.』 Warren L. d'Azevedo, volume editor. Handbook of North American Indians: Great Basin, Volume 11. Washington, DC: Smithsonian Institution, 1986: 308–335. ISBN 978-0-16-004581-3
  • デイビッド・H・トーマス、ロラン・S・A・ペンドルトン、Stephen C. Cappannari 『Western Shoshone.』 Warren L. d'Azevedo, volume editor. Handbook of North American Indians: Great Basin, Volume 11. Washington, DC: Smithsonian Institution, 1986: 262–283. ISBN 978-0-16-004581-3

外部がいぶリンク

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