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ゼロックス

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ゼロックス
Xerox Corporation
本社ほんしゃ
種類しゅるい 株式会社かぶしきがいしゃ
市場いちば情報じょうほう NYSEXRX
本社ほんしゃ所在地しょざいち アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく
コネチカットしゅうノーウォーク
設立せつりつ 1906ねん
業種ぎょうしゅ 電気でんき機器きき
事業じぎょう内容ないよう 複写ふくしゃなど印刷いんさつ機器きき製造せいぞう販売はんばい
代表だいひょうしゃ ジェフ・ジェイコブソンCEO
売上うりあげだか 増加 176おくドル(2008ねん
従業じゅうぎょう員数いんずう 57,400にん(2007ねん
主要しゅよう子会社こがいしゃ イギリスの旗 ゼロックス・リミテッド
関係かんけいする人物じんぶつ チェスター・カールソン
外部がいぶリンク https://www.xerox.com/en-us
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ゼロックス英語えいご: Xerox Corporation)は、印刷いんさつ機器きき製造せいぞう販売はんばいおこなアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく会社かいしゃフォーチュン500はいっている。プリンターふくごう複写ふくしゃ、デジタル印刷いんさつ、および関連かんれんサービスを提供ていきょうしている。創業そうぎょうニューヨークしゅうロチェスター現在げんざい本社ほんしゃコネチカットしゅうノーウォーク(2007ねん10がつニューヨークきた東郊とうこうコネチカットしゅうスタンフォードから移転いてん[1])だが、主要しゅよう施設しせついまもロチェスター周辺しゅうへんにある。ゼロックスはエリザベス2せいチャールズ3せい御用達ごようたしでもある。

歴史れきし

[編集へんしゅう]

1906ねんロチェスターで「The Haloid Photographic Company(ハロイド)」として創業そうぎょう[1]当初とうしょ印画いんが関連かんれん機器きき製造せいぞうしていた。1958ねんに「ハロイド・ゼロックス (Haloid Xerox)」、1961ねんに「ゼロックス (Xerox)」と改称かいしょうした[2]。Xeroxの名称めいしょうおなじロチェスターで創業そうぎょうされたコダック(Kodak)ならって、最初さいしょ最後さいごおな文字もじ力強ちからづよひびきの単語たんごとして考案こうあんされたもので、そのかたりそのものに特別とくべつ意味いみはない[3]

1959ねんチェスター・カールソン開発かいはつした電子でんし写真しゃしん技術ぎじゅつのちゼログラフィ改称かいしょう)を使つかった世界せかいはつ普通ふつう複写ふくしゃゼロックス914英語えいごばん発売はつばいし、一躍いちやく注目ちゅうもくあつめた[4]。914は大人気だいにんきとなり、1961ねんまつまでにゼロックスのげはやく6000まんドルにまでびた。同社どうしゃは1960年代ねんだいきゅう成長せいちょうげ、1965ねんまでに売上うりあげだかは5おくドルをえた。これにより、それまで長期ちょうきわたって同社どうしゃ研究けんきゅう開発かいはつささつづけた投資とうしおくまん長者ちょうじゃとなった。1960ねん、ゼログラフィの研究けんきゅう施設しせつ「Wilson Center for Research and Technology」をニューヨークしゅうウェブスターに開設かいせつした。1961ねんニューヨーク証券しょうけん取引とりひきしょ、1990ねんにはシカゴ証券しょうけん取引とりひきしょ上場じょうじょうした。

914をリリースする以前いぜん、ゼロックスは市場いちば調査ちょうさねてプロトタイプの手動しゅどう複写ふくしゃ "Flatplate 1385" を発売はつばいしていた。それにつづいてゼログラフィしきプリンター "Copyflo" を1955ねん発売はつばいしている。Copyflo はマイクロフィルムをロール拡大かくだい印刷いんさつする大型おおがたプリンターであった。つぎにCopyfloを小型こがたした 1824 マイクロフィルムプリンターを発売はつばいおおきさとおもさがやく半分はんぶんになり(それでもかなりのおおきさである)、でカットシートを「グリッパーバー」とばれる部分ぶぶん供給きょうきゅうすると、そこにかみまれて印刷いんさつおこなわれる仕組しくみだった。このきゅう方式ほうしきの813デスクトップ複写ふくしゃにも採用さいようされた。

1963ねんはつのデスクトップ普通ふつう複写ふくしゃ Xerox 813 を発売はつばい。これでついにオフィスのつくえうえける複写ふくしゃ実現じつげんするというカールソンのゆめ現実げんじつとなった。10ねんの1973ねん、914をベースとしたアナログしきカラー複写ふくしゃ登場とうじょうした。914の系統けいとう高速こうそく目指めざし、420、720 とつづいた。813の系統けいとう同様どうように 330、660 とつづき、デスクトップがたマイクロフィルム(マイクロフィッシュ)プリンター 740 も登場とうじょうした。

チェスター・カールソンが最初さいしょ開発かいはつした機器ききをそのまま製品せいひんした 1385 Flatplate は、複写ふくしゃ時間じかんがかかり実用じつようてきではなかった。しかし、当時とうじ市販しはんされていた製版せいはんようカメラよりもこう品質ひんしつはんつくれたため、オフセット印刷いんさつ市場いちば製版せいはんとしてれた。ただし、印刷いんさつばんとして使つかうため素材そざいはガラスばんからセレンをコーティングしたアルミニウムばん見直みなおされた。その製版せいはんようフィルムのさい利用りよう可能かのう代替だいたいひんとして急速きゅうそく発展はってんし、熟練じゅくれんしたユーザーならほかのどんな技法ぎほうよりもこう品質ひんしつ版下はんした素早すばや作成さくせいできるようになった。オフセット印刷いんさつよう製版せいはん市場いちばからはじまって、ゼロックスはいまではオフセット印刷いんさつ市場いちばである程度ていどのシェアをめるまでになった。

たんなるコピーえた複写ふくしゃへの最初さいしょ挑戦ちょうせんが Xerox 2400 だった。2400という数字すうじは1あいだ印刷いんさつできる枚数まいすうあらわしている。オフセット印刷いんさつよりはおそいものの、業界ぎょうかいはつ自動じどうきゅう機構きこう、スリッタ/せんこう装置そうちちょうごう(ソータ)を導入どうにゅうした機械きかいだった。直後ちょくご印刷いんさつ速度そくどを1.5ばいにした Xerox 3600 Duplicator を発売はつばいしている。

そのころ、ちいさな研究けんきゅうチームが複写ふくしゃりて、それを改造かいぞうしていた。LDX (Long Distance Xerography) とばれたプロジェクトで、2つの複写ふくしゃ公衆こうしゅう電話でんわもう接続せつぞくし、ある複写ふくしゃでスキャンした文書ぶんしょ遠隔えんかくにあるべつ複写ふくしゃ出力しゅつりょくする実験じっけんである。プロジェクトはなんねんもかけ、Xerox Telecopier として結実けつじつした。今日きょう家庭かていようファクシミリ原型げんけいである。付随ふずいてきに、現代げんだいのデジタルふくごうおおくはファクシミリとしても使つかえるようになっている。

1969ねん、ゼロックスは Scientific Data Systems (SDS) を買収ばいしゅうし、32ビットメインフレームコンピュータ Sigma シリーズを1960年代ねんだいから1970年代ねんだいにかけて製造せいぞう販売はんばいしていた。

レーザープリンターは1969ねん、ゼロックスの研究けんきゅうしゃゲイリー・スタークウェザーがゼロックスの複写ふくしゃをベースに発明はつめいした。1977ねん最初さいしょ製品せいひん Xerox 9700 を発売はつばい。レーザープリンターはゼロックスのおおきなはしらひとつとなった。1971ねんArchie McCardell社長しゃちょうとなった[5]かれ在任ざいにん期間きかんちゅう、ゼロックスはカラー複写ふくしゃ製品せいひんしている[6]。そのあいだの1973ねんと1974ねんと1975ねん、ゼロックスはげや収益しゅうえきしん記録きろく達成たっせいしている[7]

3ねん連続れんぞく記録きろく更新こうしんしたのちの1975ねんに、当時とうじ Frederic M. Schererひきいていたアメリカ連邦れんぽう取引とりひき委員いいんかい (FTC) とのあいだ独占どくせん禁止きんしほう違反いはん訴訟そしょう解決かいけつした。判決はんけつにより、ゼロックスは競合きょうごう他社たしゃおも日本にっぽん)に特許とっきょをライセンス供与きょうよしなければならなくなった。その4ねん、ゼロックスしゃのアメリカでの複写ふくしゃのシェアは100%から14%に低下ていかした。

1970ねんパロアルト研究所けんきゅうじょ (Xerox Palo Alto Research Center) を開設かいせつ。1973ねんアラン・ケイらがった研究けんきゅう使つかチャック・サッカーAlto開発かいはつ。この試作しさくは、当時とうじミニコンピュータ同等どうとうかそれ以上いじょう速度そくど動作どうさしながらもそれより安価あんかで、ブラウン管ぶらうんかん使つかったビットマップディスプレイ、マウス、キーボードをそなえていた。ケイらはこのマシンを使つかって暫定ざんていてきDynabook環境かんきょうSmalltalkシステム)を構築こうちくのち主流しゅりゅうとなる WIMP(ウィンドウ、アイコン、メニュー、ポインティングデバイス)スタイルのグラフィカルユーザインターフェース (GUI) を1977ねんごろまでに段階だんかいてき整備せいびした。ゼロックスしゃがその市場いちば価値かち見抜みぬけなかったためケイらの想定そうていしていたパーソナルコンピュータとしてのAltoは結局けっきょく製品せいひんされることはなかったが、Altoのハードウエア技術ぎじゅつ後述こうじゅつXerox Starシステムに転用てんようされ、べつ部門ぶもん開発かいはつされたGUI OSを搭載とうさいしたワークステーション、あるいはSmalltalkをプロフェッショナル開発かいはつしゃけの統合とうごう開発かいはつ環境かんきょうとして位置いちづけなおしたエンジニアリングワークステーションとして販売はんばいされることになる。Altoは試作しさくながら最終さいしゅうてきには1500だいほど生産せいさん世界中せかいじゅうのゼロックスのオフィスやアメリカ政府せいふべいぐん設置せっちされおおくのひとがその能力のうりょくにする機会きかいた。それらはゼロックスの開発かいはつしたLANであるイーサネット相互そうご接続せつぞくされていた。そしてデータはパケットされて転送てんそうされた。あいだもなくゼロックスの技術ぎじゅつしゃらがサイトあいだ接続せつぞくするシステム 'Inter Network Routing' を開発かいはつした。当初とうしょ世界せかいてきネットワークはゼロックス社内しゃないのものと、おな技術ぎじゅつ使つかったアメリカ政府せいふのものだった。にアドビシステムズ(げん:アドビ創設そうせつしゃジョン・ワーノック開発かいはつしたインタープレスや、AltoをLISPマシンにするInterlisp-Dシステムなどがある。

1979ねん、ゼロックスは、同社どうしゃ開発かいはつ興味きょうみった業界ぎょうかい関係かんけいしゃにも報道ほうどう関係かんけいしゃにも門戸もんこひらいていた。たいていは無難ぶなんなデモをおこなったが、Apple従業じゅうぎょういんすうめいともないパロアルト研究所けんきゅうじょおとずれたスティーブ・ジョブズ本格ほんかくてきなデモンストレーションを要求ようきゅう。SmalltalkによるWIMPスタイルのGUIをたりにすることになる。その価値かち見抜みぬいたジョブズは仕様しよう策定さくていちゅうLisa開発かいはつでそれらをれるよう方針ほうしん転換てんかんした。ジョブズはのちに「かれらは自分じぶんたちがなにっているのかわかっていなかった」とかたっている。1980ねん、ジョブズはパロアルト研究所けんきゅうじょすうめい主要しゅよう研究けんきゅうしゃをアップルにいた。マイクロソフトビル・ゲイツもパロアルト研究所けんきゅうじょおとずれたことがあり、同様どうよう感想かんそういたという。

パロアルト研究所けんきゅうじょ開発かいはつされた Xerox Alto ワークステーション

1981ねん、ゼロックスはAltoによくたシステム Xerox Star発売はつばいした。のパーソナルコンピュータで一般いっぱんてきとなるこう解像度かいぞうどビットマップディスプレイウィンドウシステムベースのGUI、マウス、イーサネットによるネットワーク機能きのうファイルサーバ機能きのうプリントサーバ機能きのう電子でんしメール機能きのうなどをそなえていた。Xerox Star は技術ぎじゅつてきにはすぐれていたが、価格かかくたかすぎてあまりれなかった。典型てんけいてきなオフィスで Star すうだいとプリンターとネットワークを設置せっちするのに10まんドルもかかった。

1980年代ねんだいちゅうごろ、アップルはゼロックスの買収ばいしゅう検討けんとうしたことがある。これは合意ごういにはいたらなかったが、わりにアップルはAltoのGUIの使用しようけん購入こうにゅうし、より安価あんかなパーソナルコンピュータに採用さいようした。1984ねんMacintosh発売はつばいされ、GUIとマウスを採用さいようしたはつのパーソナルコンピュータとなった。

2代目だいめXEROXロゴ

ゼロックスは製品せいひん品質ひんしつ設計せっけい製品せいひん体系たいけい見直みなおしをはかり、1980年代ねんだいから1990年代ねんだい復興ふっこうげた。1990年代ねんだいにデジタル複写ふくしゃ開発かいはつして製品せいひん体系たいけい見直みなおし、ハイエンドのレーザープリンターにスキャナーを装備そうびしてふくごうとし、コンピュータネットワークに接続せつぞく可能かのうにし、競合きょうごう他社たしゃたいして技術ぎじゅつてき優位ゆういった。また、ハードウェアからサービスに主軸しゅじくうつし、供給きょうきゅう保守ほしゅ設定せってい、ユーザーサポートをふくめた総合そうごう「ドキュメントサービス」の提供ていきょう目指めざした。そのイメージを定着ていちゃくさせるため、「THE DOCUMENT COMPANY」を標榜ひょうぼうし、ロゴデザインも一新いっしんした。

2000ねんテクトロニクスのカラープリンターおよびイメージング部門ぶもんを9おく2500まんドルで買収ばいしゅう。これにより、現行げんこうXerox Phaser シリーズとゼロックス独自どくじソリッドインク技術ぎじゅつまれた。

2004ねん9がつ、ゼロックスは Xerox 914 の発売はつばい45周年しゅうねんむかえた。914は1959ねんから1976ねん販売はんばい終了しゅうりょうまでに20まんだい以上いじょう製造せいぞうされた。914はアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく歴史れきし一部いちぶとされ、スミソニアン博物館はくぶつかん所蔵しょぞうされている。

2008ねんやく13ねんぶりにコーポレートロゴを変更へんこうし、「XEROX」から「xerox」へと文字もじデザインをあらためてXをモチーフとしたシンボルを一体化いったいかしたものにした。

2018ねん1がつ31にち富士ふじフイルムホールディングスは、ゼロックスを買収ばいしゅうして子会社こがいしゃすることを発表はっぴょう。まずゼロックスが富士ふじフイルムから富士ふじゼロックスのかぶもどすことで富士ふじフイルムホールディングスのぶん減資げんしする。これにより富士ふじゼロックスのかぶはゼロックス出資しゅっしぶんのみとなり、ゼロックスの完全かんぜん子会社こがいしゃとなる。そのうえで、富士ふじフイルムホールディングスが富士ふじゼロックスかぶ売却ばいきゃく資金しきんでゼロックスが発行はっこうする新株しんかぶって連結れんけつ子会社こがいしゃし、(しん富士ふじゼロックスとする方針ほうしん。コピー代表だいひょうされるOA機器きき需要じゅようが、インターネットの普及ふきゅうによるペーパーレスにより減少げんしょうしている局面きょくめんであった[8]当初とうしょはゼロックス経営けいえいじん経営けいえい統合とうごう合意ごういしていたが、新株しんかぶ価格かかくかんして株主かぶぬしからのつよ反発はんぱつけて同年どうねん6がつ統合とうごう合意ごうい一方いっぽうてき破棄はきしたため、富士ふじフイルムがゼロックスを相手取あいてどって損害そんがい賠償ばいしょう請求せいきゅう訴訟そしょうこす事態じたいとなった[9]結局けっきょく、2019ねん11月に富士ふじフイルムがゼロックスから富士ふじゼロックスの株式かぶしき完全かんぜん子会社こがいしゃすることで合弁ごうべん解消かいしょうする合意ごういむすばれ、損害そんがい賠償ばいしょう請求せいきゅう訴訟そしょうげられることになった[10]

一方いっぽう、ゼロックスはその発表はっぴょうあい前後ぜんごしてヒューレット・パッカード (HP) への買収ばいしゅう提案ていあんおこなった。買収ばいしゅう原資げんしには富士ふじゼロックスかぶ売却ばいきゃくえきてるが、hpの時価じか総額そうがくはゼロックスの3ばいにものぼり、これだけでは不足ふそくするため金融きんゆう機関きかんから資金しきん融通ゆうずう了解りょうかいけたという[11]。 この提案ていあんたいして、HPは「自社じしゃ価値かちいちじるしく過小かしょう評価ひょうかしている」として拒否きょひし、ぎゃく買収ばいしゅう可能かのうせい示唆しさする発表はっぴょうおこなった[12]

関係かんけい会社かいしゃ

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  • イギリスの旗 ゼロックス・リミテッド - イギリス法人ほうじん元々もともとランク・ゼロックスとしてアジアやアフリカまで営業えいぎょう地域ちいきとしていた。1997ねんにゼロックスの完全かんぜん子会社こがいしゃとなった。
  • インドの旗 Xerox India - インド法人ほうじん。Dr. Bhupendra Kumar Modi とランク・ゼロックスの合弁ごうべん会社かいしゃとして1983ねん Modi Xerox として創業そうぎょう。1999ねんにゼロックスが株式かぶしきだい部分ぶぶんった。

かつての関係かんけい会社かいしゃ

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商標しょうひょう

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「ゼロックス」というかたりは、かつては同社どうしゃ隆盛りゅうせいとともに「複写ふくしゃ」と同義どうぎ使つかわれていた。しかし、その凋落ちょうらく呼応こおうするかのように、時代じだいとともにその意味いみうしなわれた。とく動詞どうしまとにも使つかわれているてんについて、ゼロックスしゃ商標しょうひょう普通ふつう名称めいしょう判断はんだんされて商標しょうひょうとして使つかえなくなることを危惧きぐしていた。そこで "xerox" を動詞どうしとして使つかうべきでないという宣伝せんでんキャンペーンを展開てんかいした[13]。しかし、オックスフォード英語えいご辞典じてんにも "xerox" が動詞どうしとして掲載けいさいされつづけている。

脚注きゃくちゅう出典しゅってん

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  1. ^ a b Online Fact Book: Xerox at a Glance, xerox.com. Article retrieved 2006-12-13.
  2. ^ Xerox Hopes Its New Logo Doesn’t Say ‘Copier’, NYT.com. Article retrieved 2008-01-07.
  3. ^ トム・ピーターズ/ロバート・ウォーターマンちょ『エクセレント・カンパニー』
  4. ^ Xerox 914 Plain Paper Copier at americanhistory.si.edu
  5. ^ "Xerox Appoints Chairman and President," New York Times, December 14, 1971.
  6. ^ Smith, Gene. "Xerox Planning to Market Color Copier Next Year." New York Times. May 19, 1972.
  7. ^ Smith, Gene. "Xerox Foresees Profit Record in 1973." New York Times. May 25, 1973; Reckert, Claire M. "Xerox Earnings Set Record." New York Times. July 17, 1974; Reckert, Claire M. "Xerox Earnings Up 5.4% to Record." New York Times. April 16, 1975.
  8. ^ 富士ふじフイルム、べいゼロックスを買収ばいしゅう コピー需要じゅようげん背景はいけい 朝日新聞あさひしんぶんDIGITAL(2018ねん1がつ31にち)2018ねん1がつ31にち閲覧えつらん
  9. ^ 富士ふじフイルムがべいゼロックス提訴ていそ統合とうごう解消かいしょうめぐり10おくドルちょう賠償ばいしょう請求せいきゅう”. ロイター (2018ねん6がつ19にち). 2019ねん11月7にち閲覧えつらん
  10. ^ 富士ふじフイルムがべいゼロックスとの合弁ごうべん解消かいしょう富士ふじゼロを完全かんぜん子会社こがいしゃ”. ロイター (2019ねん11月5にち). 2019ねん11月7にち閲覧えつらん
  11. ^ べいゼロックス、HP買収ばいしゅう提案ていあん 総額そうがく330おくドルの可能かのうせい関係かんけいすじ”. ロイター (2019ねん11月6にち). 2019ねん11月7にち閲覧えつらん
  12. ^ べいHP、ゼロックスによる買収ばいしゅうあん拒否きょひ ぎゃく買収ばいしゅうによる統合とうごうふく”. ロイター (2019ねん11月17にち). 2019ねん11月18にち閲覧えつらん
  13. ^ Stim, Richard (2006). Patent, Copyright & Trademark. Nolo. pp. 388. ISBN 1413301967 

参考さんこう文献ぶんけん

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  • David Owen, Copies in Seconds: How a Lone Inventor and an Unknown Company Created the Biggest Communication Breakthrough Since Gutenberg—Chester Carlson and the Birth of the Xerox Machine, Simon & Schuster, 2004, ISBN 978-0-7432-5117-4
  • Charles D. Ellis, Joe Wilson and the Creation of Xerox, Wiley, 2006, ISBN 978-0-4719-9835-8

外部がいぶリンク

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