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ソフトベンダーTAKERU

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ブラザーミュージアム展示てんじされている3代目だいめTAKERU

ソフトベンダーTAKERU(ソフトベンダー・タケル)は、1986ねん日本にっぽんブラザぶらざ工業こうぎょうあん友雄ともおいち中心ちゅうしんとなって開発かいはつした、世界せかいはつパソコンソフト自動じどう販売はんばいほんサービスは、自動じどう販売はんばいつうじてフロッピーディスクにゲームのデータをむという仕組しくみでられている。サービスの運営うんえいは、当初とうしょブラザぶらざ工業こうぎょうTAKERU事務じむきょくおこない、自動じどう販売はんばいのほか郵便ゆうびんでの通信つうしん販売はんばいおこなっていたが、1994ねん5月21にちにJOYSOUNDを運営うんえいしている子会社こがいしゃエクシング 通信つうしんシステム事業じぎょう業務ぎょうむ移管いかんされ[1]1997ねん2がつぜんサービス終了しゅうりょう[2]

1985ねんにテストSV-2000[ちゅう 1]15だいでスタートし、1986ねん4がつ21にちソフトベンダーたけたかしとして正式せいしきにサービスを開始かいしした。1986ねんに2代目だいめのSV-2100が導入どうにゅうされ16ビットパソコンに対応たいおう、3代目だいめは NEW TAKERU という名称めいしょうのSV-2300が1991ねんはるからなつにかけて導入どうにゅうされた。

稼動かどう開始かいしした当時とうじはまだ8ビット御三家ごさんけなど8ビットパソコン全盛ぜんせい時代じだいであり、パッケージソフトウェア販売はんばいパソコンゲームふくむソフトウェア全般ぜんぱん販売はんばい経路けいろ主流しゅりゅうだった。そのころにいちはやく「自動じどう販売はんばい」というかたちオンライン販売はんばい開始かいししたTAKERUは、パソコン通信つうしんですら「趣味しゅみじんマニア)の特殊とくしゅ行為こうい」だった時代じだいに、まったあたらしい流通りゅうつう形態けいたいきずこうとした先駆せんくてき業態ぎょうたいである。

その一方いっぽうで、サービス展開てんかい当初とうしょから高額こうがく通信つうしんやラインナップの貧弱ひんじゃくさといった課題かだいなやまされてきており、2000だい設置せっち目標もくひょうとしていたものの、設置せっち台数だいすう最盛さいせいでも300だいだった[3]

それでも、通信つうしんカラオケJOYSOUNDなど、ほんサービスのネットワークを応用おうようしてまれたサービスも存在そんざいする[3]

2016ねん11月26にちには、ブラザぶらざ工業こうぎょうにより公式こうしきの30周年しゅうねん記念きねんイベントが開催かいさいされた[4]

前史ぜんし

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1983ねんブラザぶらざ工業こうぎょうがアンテナショップ「コムロード」をげたさい商品しょうひんひとつであるパソコンようのソフトのきがソフトによってばらつきがあり、なかには不良ふりょう在庫ざいこになってしまうものもあった[5]。また、ブラザーは電気でんき通信つうしん事業じぎょう自由じゆう(1985ねん以前いぜんから、情報じょうほうネットワークサービスキャプテンシステム参加さんかするなど、NTTとも接点せってんがあった[6]。そこで、若手わかて社員しゃいんだったあん友雄ともおいち通信つうしんもちいた「ニューメディア」によって在庫ざいこ解消かいしょうすることをおもいついた[5][6]やすともは2016ねんのアスキーとのインタビューのなかで、速度そくどおそさや高額こうがく通信つうしんという課題かだいかかえる「ニューメディア」によるサービスは実現じつげんせいうすいものの、大変たいへんだけどやってみようという気持きもちで企画きかくげたとかえっている[5]

動作どうさ

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利用りようしゃ画面がめん指示しじしたがって購入こうにゅうソフトウェアを選択せんたく指定してい金額きんがく支払しはらうとブランクメディアがてきて、これをフロッピーディスクドライブやROMライタとう装置そうちにセットしてソフトウェアをませ、フロッピーディスクケースやプリントアウトされたマニュアルともにソフトウェアを入手にゅうしゅする。

CPUボードは自社じしゃせいで、初代しょだいと2代目だいめのメインCPUはNEC V30であった。3代目だいめは、おおきさは1565×1220×570mm。メインCPUはIntel 80386SXに、ROMカセット・VAN回線かいせん廃止はいし、TAKERU CLUBようカードリーダー・CD-ROM・フロッピーディスク(5インチ・3.5インチ)・INSネット回線かいせん・ハードディスクの容量ようりょう増量ぞうりょうかんあつしきタッチパネル(ブラウン管ぶらうんかんモニタ)・せんえんさついちまんえんさつ入金にゅうきんとう対応たいおう[7][8]筐体きょうたいいろは、初代しょだい白色はくしょく筐体きょうたい青色あおいろせん筐体きょうたい上部じょうぶ右側みぎがわ灰色はいいろ塗装とそう、2代目だいめ赤色あかいろ灰色はいいろけでモニターのした黄色おうしょくのロゴ、3代目だいめ灰色はいいろ黄色おうしょくけである。本体ほんたいないにはパッケージにおさめられたなに記録きろくされていない各種かくしゅブランクメディア(記憶きおく媒体ばいたい)がたくわえられている。

CD-ROMドライブを内蔵ないぞうし、ここからしたデータを各種かくしゅメディアにんだほか、コンピュータネットワークVAN回線かいせんインテック Ace Telenet・Tri-P)・ISDN回線かいせん経由けいゆでソフトウェアをダウンロードしてせることができた。サービス開始かいし当初とうしょはCD-ROMドライブが一般いっぱん利用りようされておらず、コンシューマーゲームなどもふくめCD-ROMドライブの利用りようはじまったのは、2ねんの1988ねんPCエンジンCD-ROM²発売はつばいされたのが最初さいしょである。

機能きのう

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FM TOWNSFM-7FM77AVダイナブック(東芝とうしばClassic Mac OSMSXX1PC-88(mkII・SR以降いこう)・PC-98EPSON_PCシリーズ対応たいおう)・Windows3.195)・X68000のソフトと、各社かくしゃワープロのテンプレート・クリップアートを販売はんばいしていた。初期しょきにはFM-7X1のカセットテープメディアの販売はんばいおこなっていた。また末期まっきにはCD-ROM写真しゃしんしゅう・パッケージソフトの通信つうしん販売はんばいおこなっていた。

説明せつめいしょおよび領収りょうしゅうしょ内蔵ないぞうプリンター印刷いんさつされるが、ドットインパクトプリンターであり、すうページぶんのマニュアルでは少々しょうしょう印字いんじ時間じかんがかかった。3代目だいめのNEW TAKERUではレーザープリンターになり印刷いんさつ時間じかんは1ページたり15びょうとなった。くわえてメディアみも3.5インチ2DDの場合ばあいやく70びょう多少たしょうたなければならなかった。マニュアルが10ページをえる場合ばあい別送べっそうとなるため、TAKERU CLUB会員かいいん以外いがい印刷いんさつされた引換ひきかえけん郵送ゆうそうでTAKERU事務じむきょくおく必要ひつようがあった。

フロッピーディスクケースは5インチ・3.5インチフロッピーディスク共用きょうようで、かみせいみどりあお黄色おうしょく→プラスチックせいみどり黒色こくしょく変遷へんせんした。後期こうきには有無うむえらべるようになり、その廃止はいしされた。

筐体きょうたいには、タッチパネル方式ほうしきCRTディスプレイおもユーザーインターフェイスとしてまれ、5インチ・3.5インチフロッピーディスクドライブ、MSXようROMカートリッジこう初代しょだい・2代目だいめのみ)、説明せつめいしょ印刷いんさつようプリンター、フロッピーディスク・フロッピーディスクケースこう内蔵ないぞうされている。

内部ないぶには、データキャッシュようハードディスクドライブ(2代目だいめまでは20MB)、メニュー画面がめんデータ格納かくのうようのCD-ROMドライブが内蔵ないぞうされている。自動じどう販売はんばいとしての金銭きんせん識別しきべつや、媒体ばいたいのストックもたくわえられていた。試作しさくではPC-9800シリーズ制御せいぎょしていたことから、CPUは2代目だいめまではIntel 8086互換ごかんV30(μみゅーPD70116)を、3代目だいめIntel 80386SXを、OSDR-DOSもちいていた。

内蔵ないぞうされたCD-ROMやキャッシュないにデータのいソフトウェアはVAN回線かいせん(2代目だいめまで)・ISDN回線かいせん(3代目だいめのみ)でダウンロードし、フロッピーディスクや専用せんようのROMカートリッジにんで販売はんばいすることにより、店頭てんとう在庫ざいこがなくても販売はんばい可能かのうとしていた。

なお、流通りゅうつうコストの抑制よくせいならびにパッケージやマニュアルの省略しょうりゃくにより、TAKERUで販売はんばいされるソフトは、パッケージ販売はんばいされているソフトよりも販売はんばい価格かかくひくおさえることができた[9][ちゅう 2]

展開てんかい

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企画きかく・テスト運用うんよう

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1983ねん8がつ15にちあんとも電気でんき通信つうしん事業じぎょうしゃのインテックのネットワーク責任せきにんしゃ相談そうだんし、企画きかく始動しどうした[5]

まず、プロトタイプ4だいFRPもちいてつくったものの、静電気せいでんきとノイズ特性とくせいよわさがりとなったほか、高額こうがく通信つうしん課題かだいとなった。また、制御せいぎょもちいたPC-98詳細しょうさい資料しりょうがなく、内部ないぶ資料しりょうもとめに製造元せいぞうもとのNECにくこともあった[5]苦労くろうすえ、1985ねん完成かんせいし、同年どうねん3がつに「パソコンソフト自動じどう販売はんばいシステム発表はっぴょうかい」をひらき、「SV-2000」という名前なまえでプロトタイプの4だい展示てんじした[ちゅう 1][5]

そして、コムロードをはじめ、J&P(上新電機じょうしんでんき)をはじめとする家電かでん量販りょうはんてん15店舗てんぽ協力きょうりょくて、同年どうねんまつまでに東京とうきょう大阪おおさか名古屋なごや試験しけん運用うんようおこなった[5]

正式せいしき運用うんよう

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1986ねん4がつ正式せいしき運用うんようにあたり、サービスめいを「ソフトベンダーTAKERU」に変更へんこうした[5]。「TAKERU」の名称めいしょう古代こだい大和やまと朝廷ちょうてい発展はってんにおいてひがし西にしせい事業じぎょうおこなった英雄えいゆう日本にっぽんたけ尊命そんめい由来ゆらいしている[5]

やすともはアスキーとのインタビューのなかで、当初とうしょはテスト運用うんようおなじく「SV-2000」でそうとしたが、当時とうじ流行りゅうこうって製品せいひんめい漢字かんじもちいた「ソフトベンダーたけたかし」にしたところ、漢字かんじめないどもから「ブソン」と間違まちがえられたことをかえっている[5]

高額こうがく通信つうしん費用ひようにより赤字あかじとなったことから撤退てったいまり、1987ねん昭和しょうわ62ねん)にそのための費用ひようとして5,000まんえん予算よさんまれたが、あんとも撤退てったいではなく事業じぎょう継続けいぞくもちいた[10]回線かいせん高額こうがく専用せんよう回線かいせんからアナログの一般いっぱん回線かいせん変更へんこうし、かつデータの送信そうしん時間じかんたい電話でんわだい安価あんか夜間やかんおこなうなどの工夫くふうほどこしたことでわずかながら黒字くろじてんじ、撤退てったいしに成功せいこうした[10]

販売はんばいタイトル

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後述こうじゅつとおりラインナップの貧弱ひんじゃくさが課題かだいとなっていたため、ロングテールのこ作戦さくせんがとられた[11]販売はんばいソフトはすでにパッケージ販売はんばいされた商品しょうひん廉価れんかばん復刻ふっこくばん中心ちゅうしんだったが、TAKERUでしかえないオリジナル作品さくひんや、自社じしゃ開発かいはつのパッケージソフト(郵送ゆうそうとなる)もあった[11]。また、有名ゆうめい作品さくひん追加ついかシナリオしゅうや、雑誌ざっし企画きかく連動れんどうした作品さくひん販売はんばいされた[11]

さらに、在庫ざいこたなくてよいという利点りてんから、実用じつようてきなソフトも多数たすう存在そんざいしており、年賀状ねんがじょう素材そざいしゅう音楽おんがくMIDIデータなども発売はつばいされた[12]

1993ねんごろには同人どうじんソフトあつかいを開始かいしし、アイマジックのように一般いっぱん企業きぎょう転身てんしんしたサークルもてきた[2]。また、アイマジックはデジタルカタログソフト『おうちでTAKERU』の開発かいはつにもかかわっている[2]店頭てんとうでの時間じかんらすためにつくられたこのソフトは、TAKERUじょうPC-9801X68000けに販売はんばいされたほか、1995ねんごろ発売はつばいされた『マイコンBASICマガジン』、『TECH Win』などのパソコン雑誌ざっし付録ふろくCD-ROMなどにWindows 3.1はん収録しゅうろくされた[2]

1991ねんに『TAKERU CLUB』とばれる会員かいいん組織そしき導入どうにゅう入会にゅうかいきん500えん年会ねんかい500えん前回ぜんかい購入こうにゅう履歴りれき住所じゅうしょ氏名しめい記録きろくされた磁気じきカードが発行はっこうされた。会員かいいん特典とくてんとして、マニュアルが別送べっそうとなるソフトを購入こうにゅうするさい住所じゅうしょ氏名しめい入力にゅうりょく不要ふよう会員かいいん価格かかく購入こうにゅうできる、会員かいいん『TAKERUわあるど』(『TAKERU PRESS』を会員かいいんけに編集へんしゅうしたもの)が毎月まいつきおくられてくる、購入こうにゅうにクーポンがき(のち廃止はいし)それをしいソフトの金額きんがくぶんあつめると購入こうにゅうできるとうがあった。会員かいいんやく4まんにん(1992ねん3がつ時点じてん)。とく若年じゃくねんそうおおく、10代が58%、20だいが33%、合計ごうけい91%をめていた[13]

システムへの応用おうよう

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1990年代ねんだいはいり、カラオケひろ普及ふきゅうするが、この当時とうじのカラオケはレーザーディスク主体しゅたいであり、30きょく程度ていどしかはいらないじょう最新さいしんきょく導入どうにゅうまですうげつかかっていた[3]。そこで中谷なかたにらはTAKERUのネットワークをもちいて楽曲がっきょくデータの配信はいしんおもいつき[ちゅう 3]通信つうしんカラオケJOYSOUND(JS-1シリーズ 初代しょだいJOYSOUND)が誕生たんじょうした[3][10]。また、TAKERUのソフトウェア配信はいしんサーバとJOYSOUNDの楽曲がっきょくデータ配信はいしんサーバは当時とうじ同一どういつのシステムで稼動かどうしており、ひるはTAKERUを主体しゅたいよるはJOYSOUNDを主体しゅたい稼働かどうしていたため、システム稼働かどうりつたかたもてた。また、TAKERUの技術ぎじゅつかして証明しょうめいしょ自動じどう発行はっこうまれた。

サービス終了しゅうりょう

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サービス開始かいしから10ねんの1997ねん2がつほんサービスは終了しゅうりょうした[2]やすともは2016ねんの「日経にっけいTRENDY」とのインタビューのなかで、当時とうじ黒字くろじになっていたとしつつも、インターネットの環境かんきょうがパソコンの処理しょり能力のうりょくいついておらず、将来しょうらいせい観点かんてんからサービスを終了しゅうりょうしたとかたっている[6]

反響はんきょう

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当初とうしょ革新かくしんせい注目ちゅうもくされたものの、通信つうしん契約けいやくしたがえりょうせいだったうえ、データ送信そうしん時間じかんがかかってしまった結果けっか売上うりあげ上回うわまわるほどの通信つうしん請求せいきゅうされ、赤字あかじおちいっていた[ちゅう 4]通信つうしん費用ひよう問題もんだい専用せんようせんから加入かにゅう電話でんわ変更へんこうすることで解決かいけつできたものの[5]げの低迷ていめいつづき、社内しゃないでは撤退てったいこえがっていた[3]。その原因げんいんひとつがラインナップの貧弱ひんじゃくさであった[11]。このことについて、アスキーの2016ねん記事きじでは、多少たしょうやす配信はいしんしてもれる本数ほんすうはパッケージタイトルにはおよばないとおもわれていたとされている[11]一方いっぽう、2022ねん放送ほうそうされたNHKのテレビ番組ばんぐみ神田かんだはくやまのこれがわがしゃくろ歴史れきし』では、ソフトメーカーがサービス展開てんかい当時とうじ人気にんきはくしていたファミリーコンピュータながれてしまったことが指摘してきされている[3]。また、ファミリーコンピュータようソフトなどははなやかなパッケージや取扱とりあつかい説明せつめいしょなどできゃくけていたのにたいし、TAKERUようのフロッピーディスクは無地むじのラベルであり自分じぶんでタイトルをまなければいけないため[ちゅう 5]取扱とりあつかい説明せつめいしょ文字もじ中心ちゅうしん質素しっそなものだった[3][11]テコ入てこいれに参加さんかしたブラザーの市場いちば調査ちょうさ部門ぶもんであるライフ・リサーチ・センターの中谷なかたに幸夫ゆきお[ちゅう 6]はNHKのテレビ番組ばんぐみ神田かんだはくやまのこれがわがしゃくろ歴史れきし』のなかで、きゃくがTAKERUでコピーしたフロッピーディスクを偽造ぎぞうひん(コピーひん)だと認識にんしきしていたことが印象いんしょうてきだったとかえっている[3]

ブラザーは自社じしゃソフトの開発かいはつすも、もともとゲームソフトの開発かいはつ経験けいけんがなかったため、うまくいかなかった[3]。そこで、ブラザーは同人どうじんゲームソフトやマニア作品さくひん、さらにはアダルトゲーム配信はいしんおこなってきたが、げの増大ぞうだいにはつながらなかった[3]

その一方いっぽう、ユーザーとソフト開発かいはつしゃ両面りょうめんからTAKERUにせっしてきたD4エンタープライズ丸山まるやま武志たけしは、パッケージソフトをつくるだけの体力たいりょくがないちいさな会社かいしゃにとって、会社かいしゃ設立せつりつからソフトの販売はんばいができるTAKERUはおおきな存在そんざいだったとみている[14]。また、MSXの衰退すいたいによってソフトの購入こうにゅう困難こんなんになり、パッケージソフトの発売はつばい中止ちゅうし相次あいつなか、MSXのマニアたちはTAKERUをつうじて新作しんさくソフトを購入こうにゅうしていた[15]

NPO法人ほうじんゲーム保存ほぞん協会きょうかい理事りじちょうつとめるルドン・ジョゼフは、来日らいにちして秋葉原あきはばらおとずれたさいに、TAKERUの実機じっき衝撃しょうげきけたと2016ねんのアスキーとのインタビューのなかかえっており、もしサービスを継続けいぞくしていれば、Steamかたならべる存在そんざいになっていただろうとかたっている[16]

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ a b SVとはソフトベンダーのりゃくであり、「2000」は「2000ねんまでに2000だい設置せっちし、2000おくえんげを達成たっせいする」という目標もくひょうめてつけられた[5]
  2. ^ たとえば、『A列車れっしゃこう』の通常つうじょうばん(パッケージ販売はんばい)は7,800えんであるのにたいし、TAKERUでの販売はんばい価格かかくは6,600えんである[9]
  3. ^ カラオケにきつくまでの経緯けいい媒体ばいたいによってことなっており、同志社大学どうししゃだいがく小林こばやしあきらこころざしによる論文ろんぶん「カラオケのマーケティング : パイオニアの事例じれい中心ちゅうしんに」[10]と、アスキーによるあん友雄ともおいちへのインタビュー(2016)[2]では、音楽おんがくけい教育きょういく機関きかんからパソコン音楽おんがく普及ふきゅうのためにMIDIをTAKERUで販売はんばいするようけられたことがきっかけだった一方いっぽう、NHKのテレビ番組ばんぐみ神田かんだはくやまのこれがわがしゃくろ歴史れきし』での再現さいげんVTRでは、ブラザーの社員しゃいん偶然ぐうぜんったカラオケバーでうたいたいきょくがないことにづいたという描写びょうしゃがなされている[3]
  4. ^ 具体ぐたいてきには、サービス開始かいし1かげつ時点じてん売上うりあげ1000まんえんたいし1300まんえん通信つうしんがかかっていた[3]
  5. ^ このため、ラベルを自作じさくするものおおかった[14]。その一方いっぽう、『セレクテッドソーサリアン』(TAKERU配信はいしんさくソーサリアン』の追加ついかシナリオしゅう)のように、特典とくてんというかたちでケースやラベルがユーザーにおくられる場合ばあいもあった[14]
  6. ^ のちのテイチクエンタテインメント会長かいちょう(2022ねん8がつ時点じてん[3]

出典しゅってん

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  1. ^ 『BCN This Week』1994ねん6がつ6にち vol.552「タケル 「エクシング」に業務ぎょうむ移管いかんBCN
  2. ^ a b c d e f いまだからはなせる!? 「なかひと」がかたるTAKERUの軌跡きせき (4/4)”. ASCII.jp (2016ねん11月1にち). 2022ねん8がつ11にち閲覧えつらん
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m "(3)「ブラザぶらざ工業こうぎょうはやすぎた配信はいしんビジネス」". 神田かんだはくやまのこれがわがしゃくろ歴史れきし. シーズン1. 9 August 2022. 日本にっぽん放送ほうそう協会きょうかい. 2022ねん8がつ11にち閲覧えつらん
  4. ^ ブラザー ブラザーブランドコンテンツ「いまよみがえるソフトベンダーTAKERU伝説でんせつ
  5. ^ a b c d e f g h i j k l いまだからはなせる!? 「なかひと」がかたるTAKERUの軌跡きせき (1/4)”. ASCII.jp (2016ねん11月1にち). 2022ねん8がつ11にち閲覧えつらん
  6. ^ a b c はやすぎたソフト自販機じはんき「TAKERU」のなぞく|MONO TRENDY|NIKKEI STYLE”. NIKKEI STYLE. 日本経済新聞社にほんけいざいしんぶんしゃ日経にっけいBPしゃ (2016ねん12月7にち). 2022ねん8がつ11にち閲覧えつらん
  7. ^ 情報じょうほうおもちゃばこFFB 『ソフトの自動じどう販売はんばい一新いっしん NEW TAKERU』」、『MSX・FAN 1991ねん5がつごう徳間書店とくましょてんインターメディア
  8. ^ 30ねんまえ一世いっせい風靡ふうびした『TAKERU』はこんなにスゴかった! |ソフトベンダーTAKERU 30周年しゅうねん レトロPC/ゲームをかえ」『ASCII.jp』、KADOKAWA、2016ねん10がつ25にち
  9. ^ a b ゲームソフトの自動じどう販売はんばい「ソフトベンダーTAKERU」 ~永久えいきゅう保存ほぞんばん レジェンドパソコンゲーム80年代ねんだい”. AKIBA PC Hotline!. 株式会社かぶしきがいしゃインプレス (2022ねん8がつ9にち). 2022ねん9がつ11にち閲覧えつらん
  10. ^ a b c d 小林こばやし, p. 80.
  11. ^ a b c d e f いまだからはなせる!? 「なかひと」がかたるTAKERUの軌跡きせき (3/4)”. ASCII.jp (2016ねん11月1にち). 2022ねん8がつ11にち閲覧えつらん
  12. ^ いまだからはなせる!? 「なかひと」がかたるTAKERUの軌跡きせき (2/4)”. ASCII.jp (2016ねん11月1にち). 2022ねん8がつ11にち閲覧えつらん
  13. ^ BCN This Week 1992ねん1がつ27にち vol.437「ブラザーが調査ちょうさ タケルクラブ会員かいいんにアンケート」BCN
  14. ^ a b c レトロゲームの“プロ”たちにとっての『TAKERU』 (1/4)”. ASCII.jp (2016ねん11月8にち). 2022ねん9がつ4にち閲覧えつらん
  15. ^ レトロゲームの“プロ”たちにとっての『TAKERU』 (3/4)”. ASCII.jp (2016ねん11月8にち). 2022ねん9がつ4にち閲覧えつらん
  16. ^ ASCII. “『TAKERU』はSteamの始祖しそ!? “同人どうじんソフト”の天国てんごくだった (1/4)”. ASCII.jp. 2022ねん8がつ11にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん

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  • BCN This Week 1986ねん3がつ31にち vol.157「ブラザぶらざ販売はんばい 「ソフト自販じはんシステム」本格ほんかく販売はんばいへ」BCN
  • BCN This Week 1990ねん4がつ9にち vol.350「ブラザぶらざ工業こうぎょう タケル 今後こんご1ねん倍増ばいぞうへ」BCN
  • BCN This Week 1991ねん4がつ8にち vol.398「ブラザぶらざ工業こうぎょう タケルをバージョンアップ」BCN
  • BCN This Week 1991ねん7がつ22にち vol.412「ブラザぶらざ工業こうぎょう NEW TAKERUを〝実戦じっせん配備はいび〟」BCN
  • 小林こばやしあきらこころざしカラオケのマーケティング : パイオニアの事例じれい中心ちゅうしん」『同志社どうししゃ商学しょうがくだい61かんだい6ごう、2010ねん3がつ15にち、56–81ぺーじISSN 03872858 

外部がいぶリンク

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