チャイナエアライン676便びん墜落ついらく事故じこ

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チャイナエアライン 676便びん
1997ねん撮影さつえいされた事故じこ
出来事できごと概要がいよう
日付ひづけ 1998ねん2がつ16にち
概要がいよう 自動じどう操縦そうじゅう解除かいじょ異常いじょう飛行ひこう
現場げんば 中華民国の旗 台湾たいわん中正ちゅうせい国際こくさい空港くうこう付近ふきん
乗客じょうきゃくすう 182
乗員じょういんすう 14
負傷ふしょうしゃすう 0
死者ししゃすう 203(全員ぜんいん地上ちじょう7)
生存せいぞんしゃすう 0
機種きしゅ エアバスA300-600R
運用うんようしゃ 中華民国の旗 チャイナエアライン
機体きたい記号きごう B-1814
出発しゅっぱつ インドネシアの旗 デンパサール空港くうこう
目的もくてき 中華民国の旗 中正ちゅうせい国際こくさい空港くうこう
地上ちじょうでの死傷ししょうしゃ
地上ちじょうでの死者ししゃすう 7
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チャイナエアライン676便びん墜落ついらく事故じこ(チャイナエアライン676びんついらくじこ、中国ちゅうごく繁体字はんたいじ表記ひょうき中華航空ちゅうかこうくう676ごうはん英語えいご:China Airlines Flight 676)は、1998ねん発生はっせいした航空こうくう事故じこ中国ちゅうごくでの通称つうしょうには「はなわたる大園おおぞのそらなん」などがある。

この事故じこ1994ねん名古屋なごや空港くうこう当時とうじ)で発生はっせいした中華航空ちゅうかこうくう140便びん墜落ついらく事故じこおな旅客機りょかくき機種きしゅおな航空こうくう会社かいしゃおな着陸ちゃくりく態勢たいせい、という酷似こくじした状況じょうきょうきた事故じこであったため、日本にっぽんでもおおきく報道ほうどうされた。

概要がいよう[編集へんしゅう]

1998ねん2がつ16にちチャイナエアライン676便びんエアバスA300-600R1990ねん製造せいぞう機体きたい記号きごうB-1814)はインドネシアデンパサールバリ島ばりとう)を出発しゅっぱつ台湾たいわん中正ちゅうせい国際こくさい空港くうこうげん台湾たいわん桃園ももぞの国際こくさい空港くうこう)にかった。676便びん中正ちゅうせい国際こくさい空港くうこうへの着陸ちゃくりくのため、しょうあめきりなか滑走かっそう進入しんにゅうちゅうであった。

676便びん滑走かっそう05Lへの着陸ちゃくりく準備じゅんびをしている最中さいちゅうの2004ふんに、操縦そうじゅう高度こうどたかすぎるという理由りゆう管制かんせい着陸ちゃくりくふくぎょう要求ようきゅうした。中華航空ちゅうかこうくう140便びん墜落ついらく事故じこ悲劇ひげきのち、エアバスは操縦そうじゅう桿に33ポンド (15 kg)をえるちからくわわると強制きょうせいてき自動じどう操縦そうじゅうるように操縦そうじゅうシステムを修正しゅうせいしていた。空港くうこうへの進入しんにゅうに、空港くうこうからわずか6海里かいり (11 km; 6.9 mi)手前てまえ地点ちてん高度こうど通常つうじょうよりも1,000フィート (300 m)たかすぎたため、エンジンをアイドルにしてオープンディセント(open descent)モードにしても降下こうかかく3グライドスロープることができなかった。したがって高度こうど1,000フィートになるまでに着陸ちゃくりく要件ようけんたすことはできなかった。着陸ちゃくりくチェックリストは1,000フィート以下いか実行じっこうされる。

着陸ちゃくりくチェックリストの実行じっこうちゅう操縦そうじゅう一人ひとり無意識むいしき操縦そうじゅう桿をして自動じどう操縦そうじゅう解除かいじょし、解除かいじょ通知つうちおんった。操縦そうじゅうはそのことに注意ちゅういはらわず、一人ひとりがボタンをして通知つうちおんしたのち二人ふたりでチェックリストを継続けいぞくした。あいだもなく、まだ3のグライドスロープを上回うわまわっていたので滑走かっそうはしえてから19びょう地上ちじょうから1,475フィート (450 m)で機長きちょうは、さけんで着陸ちゃくりくふくぎょう開始かいしした。しかしにん自動じどう操縦そうじゅう解除かいじょされていることにづいておらず、自動じどう操縦そうじゅう装置そうち機体きたい制御せいぎょするとかんがえていた。そのため航空機こうくうきは11秒間びょうかんだれにも操縦そうじゅうされなかった。着陸ちゃくりくふくぎょうのためにエンジンがこう出力しゅつりょくになったため、機体きたいむかいかくきゅうおおきくなりたい速度そくど急激きゅうげき低下ていかした。機体きたい着陸ちゃくりく装置そうちげ、フラップは20設定せっていされ、35のピッチアップで1,723フィート (525 m)をえて上昇じょうしょうした。機体きたいが2,751フィート (839 m)にたっしたときには42.7のピッチアップで45ノット (83 km/h; 52 mph)のたい速度そくどになり、機体きたい失速しっそくした。二人ふたりのパイロットはまもなく状況じょうきょう把握はあくし、自動じどう操縦そうじゅう有効ゆうこうにしようとしたが、ピッチとたい速度そくど自動じどう操縦そうじゅう限度げんど(envelope)をえていたためできなかった。つづいて操縦そうじゅう桿をして機体きたいなおそうとしたが、たい速度そくどおそすぎるためかじかなかった。

展示てんじされている残骸ざんがい

676便びん滑走かっそうから200フィート (61 m)はなれた位置いち墜落ついらくした。機体きたい電柱でんちゅうなどに衝突しょうとつし、横滑よこすべりしながら付近ふきん民家みんか養魚ようぎょじょう工場こうじょう倉庫そうこ次々つぎつぎきこみ、爆発ばくはつ炎上えんじょうした。

この事故じこで、乗員じょういん14めい乗客じょうきゃく182めいわせて196めい全員ぜんいん近隣きんりん住民じゅうみん7めいわせて203めい死亡しぼうした。搭乗とうじょうしゃには東南とうなんアジア諸国しょこく連合れんごう (ASEAN) 中央ちゅうおう銀行ぎんこう総裁そうさい会議かいぎ出席しゅっせきし、帰路きろについていた中央ちゅうおう銀行ぎんこう総裁そうさいもと遠東とおひがし夫妻ふさいおよ幹部かんぶ4めいがいた。

この事故じこ状況じょうきょうは1994ねん名古屋なごや空港くうこう発生はっせいした同社どうしゃ同型どうけい(B-1816、ほん事故じこやく2ヶ月かげつ納入のうにゅう)による事故じこ中華航空ちゅうかこうくう140便びん墜落ついらく事故じこ)に酷似こくじしており、中華航空ちゅうかこうくう過去かこ事故じこ教訓きょうくんかすことができなかったとして社会しゃかいてき批判ひはんけた。

国籍こくせき 旅客りょかく 乗員じょういん 地上ちじょう 合計ごうけい人数にんずう
中華民国の旗 台湾たいわん 175 14 7 196
アメリカ合衆国の旗 アメリカ 5 0 0 5
フランスの旗 フランス 1 0 0 1
インドネシアの旗 インドネシア 1 0 0 1
合計ごうけい人数にんずう 182 14 7 203

はなこうよんねんだいげん[編集へんしゅう]

日付ひづけ 便びんめい 機種きしゅ 事故じこ発生はっせい場所ばしょ 事故じこ概要がいよう 死傷ししょうしゃすう
1994ねん4がつ26にち 140便びん A300B4-622R 名古屋なごや空港くうこう 着陸ちゃくりく進入しんにゅう失速しっそく墜落ついらく 264にん死亡しぼう,7にん負傷ふしょう
1998ねん2がつ16にち 676便びん A300B4-622R 中正ちゅうせい国際こくさい空港くうこう 着陸ちゃくりく進入しんにゅう失速しっそく墜落ついらく地上ちじょう民家みんかなどを 機内きないで196にん全員ぜんいん死亡しぼう地上ちじょうで7にん死亡しぼう
2002ねん5がつ25にち 611便びん B747-209B 澎湖諸島しょとう北東ほくとうやく18kmの海上かいじょう しりもち事故じこ胴体どうたい後部こうぶ修理しゅうりミスによる空中くうちゅう分解ぶんかい 225にん全員ぜんいん死亡しぼう

チャイナエアラインは4ねんごとに200めい犠牲ぎせいしゃだい事故じここすというジンクスはなこうよんねんだいげん)があるといわれていた。そのだい事故じことは中華航空ちゅうかこうくう140便びん墜落ついらく事故じこ(1994ねん)、この事故じこ(1998ねん大園おおぞのそらなん)、そしてチャイナエアライン611便びん空中くうちゅう分解ぶんかい事故じこ(2002ねん)である。2002ねんからかぞえて4ねんとなる2006ねんには事故じここさなかった。よく2007ねんには沖縄おきなわ那覇空港なはくうこう着陸ちゃくりくしてちゅうちゅうだったボーイング737かた炎上えんじょうする事故じここした(チャイナエアライン120便びん炎上えんじょう事故じこ死者ししゃなし)が、2002ねんから2023ねんまで、チャイナエアラインでの死亡しぼう事故じこは1けんきていない。

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]