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ツール・ド・フランス1986

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
だい73かい ツール・ド・フランス 1986
ぜん行程こうてい 23区間くかん, 4094 km
総合そうごう優勝ゆうしょう グレッグ・レモン 110あいだ35ふん19びょう
2 ベルナール・イノー +3ふん10びょう
3 ウース・ツィンマーマン +10ふん54びょう
4 アンドリュー・ハンプステン +18ふん44びょう
5 クロード・クリケリオン +24ふん36びょう
ポイントしょう エリック・バンデレールデン 277ポイント
2 ヨセフ・リーケンス 232ポイント
3 ベルナール・イノー 210ポイント
山岳さんがくしょう ベルナール・イノー 351ポイント
2 ルイス・エレラ 270ポイント
3 グレッグ・レモン 265ポイント
新人しんじんしょう アンドリュー・ハンプステン 110あいだ54ふん3びょう
チーム優勝ゆうしょう ラ・ヴィ・クレール

ツール・ド・フランス1986は、ツール・ド・フランスとしては73かい大会たいかい1986ねん7がつ4にちから7がつ27にちまで、ぜん23ステージでおこなわれた。

みどころ[編集へんしゅう]

前年ぜんねんとう大会たいかいにおいて、鼻骨びこつ骨折こっせつ見舞みまわれながらもグレッグ・レモン献身けんしんてきなアシストをけ、史上しじょう3にんの5かい総合そうごう優勝ゆうしょうたしたベルナール・イノーが、その恩義おんぎむくいるべく、こん大会たいかいはレモンを総合そうごう優勝ゆうしょうさせると言明げんめい。しかしイノーのこの発言はつげんについては、やすやすとアメリカじんにマイヨ・ジョーヌをゆずってしまっていいものなのか?として、地元じもとフランスのマスコミから批判ひはんつづけたこともあり、ついにはこん大会たいかい途中とちゅう発言はつげんひるがえ事態じたいにまでおよんだ。また、このとしかぎりですで現役げんえき引退いんたいをほのめかしていたイノーにとって、最後さいごのツール・ド・フランス出場しゅつじょうとなった。

一方いっぽう昨年さくねんとう大会たいかい欠場けつじょうし、たたかわずして総合そうごう3連覇れんぱゆめついえたローラン・フィニョンは、チームが解散かいさんしたルノーからシステムU移籍いせきして、打倒だとう、イノー、レモンに名乗なのりをげることになった。さらに「山岳さんがくおう」の異名いみょうるまでに有名ゆうめいとなったルイス・エレラ虎視眈々こしたんたんとマイヨ・ジョーヌりをねらっていた。

また、こん大会たいかいではセブンイレブンはつ参加さんかしたが、史上しじょうはつのアメリカのチームであった。そしてそのなかに、1980ねんおこなわれたレークプラシッドオリンピックスピードスケートぜん5種目しゅもく制覇せいはたした、エリック・ハイデンがいた。

こん大会たいかい概要がいよう[編集へんしゅう]

こん大会たいかい注目ちゅうもく一心いっしんびたイノー、レモンのラ・ヴィ・クレール序盤じょばん不振ふしんおちいり、ひいては後述こうじゅつするとおり、イノーとレモンのあいだ軋轢あつれきしょうじているのではないかといううわさった。ぎゃくに3度目どめ総合そうごう制覇せいはねらうフィニョンは絶好調ぜっこうちょうで、だい2ステージのチームタイムトライアルでは完璧かんぺきにチームメイトをコントロールして完勝かんしょうだい8ステージまでをえた時点じてんでフィニョンはトップと49びょうの5につけたが、イノー、レモンはこの時点じてんにおいては圏外けんがい地元じもとフランスじん興味きょうみはフィニョンの復活ふっかつ優勝ゆうしょう興味きょうみがいっていたといっても過言かごんではなかった。

しかしだい9ステージの個人こじんタイムトライアルにおいて、イノーが区間くかん優勝ゆうしょう。レモンも区間くかん2はいると形勢けいせい逆転ぎゃくてん。フィニョンはぎゃくにこのステージでイノーに3ふん42びょうをつけられ、総合そうごう順位じゅんいもイノーが3、レモンも9浮上ふじょうする一方いっぽうで、フィニョンは12後退こうたいしてしまった。

さらにピレネーステージ緒戦しょせんだい12ステージにおいて、イノーが区間くかん優勝ゆうしょうたしたペドロ・デルガドとほぼどうタイムのゴールをたし、レモンも4ふん37びょうつづいたのにたいし、フィニョンはイノーからおくれること11ふん1びょう区間くかん20惨敗ざんぱい。この区間くかんえてイノーがマイヨをうばい、レモンが5ふん25びょうの2たいしてフィニョンは12ふん43びょうの15とまたまた順位じゅんいとしてしまった。

そしてよく13ステージ開始かいしまえに、フィニョンの棄権きけんつたえられ、フィニョンはこん大会たいかい舞台ぶたいから姿すがたした。最大さいだいてきされたフィニョンが早々そうそうとピレネーの緒戦しょせんったことから、ラ・ヴィ・クレールの2人ふたりにとって、あとはエレラなどのクライマーをつぶすだけとなったが、レモンがそのクライマーたちのちからしてだい13ステージを優勝ゆうしょう。そしてイノーとのタイムも40びょうにまでちぢまった。

この時点じてんでレモンのマイヨ移動いどうはほぼ確実かくじつ情勢じょうせいとなったが、一方いっぽうでイノーがそう簡単かんたんにマイヨはゆずらないとマスコミにらしたことから2にんあいだ軋轢あつれきがあったことは明白めいはくとなった。ひいては苛立いらだつレモンがマスコミにってかったり、はたまたインタビューで公然こうぜんとイノーを批判ひはんするシーンもられたことでみなるところとなる。

しかし、だい16ステージからはじまったアルプスステージにはいると、2人ふたり関係かんけい一転いってんすることになる。それは、だい17ステージにおいてレモンがエレラらのクライマーをみずからのつぶし、ついにこのステージにおいてイノーからマイヨをうばったことに起因きいんする。この時点じてんでイノーはレモンにはてないとさとり、ついにマイヨ・ジョーヌをレモンに「禅譲ぜんじょう」することを決意けついする。そしてだい18ステージのラルプ・デュエズのゴールにおいて、レモンとイノーがをつないでおたがいをたたえあうというゴールシーンがられた。ちなみにこのだい18ステージにおいて、エリック・ハイデンが棄権きけんした。

そのはレモンがマイヨをまもりきり、ツール・ド・フランス史上しじょうはつのアメリカじん優勝ゆうしょうしゃとなった。

総合そうごう成績せいせき[編集へんしゅう]

順位じゅんい 選手せんしゅめい 国籍こくせき チーム 時間じかん
1 グレッグ・レモン アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく ラ・ヴィ・クレール 110h 35' 19"
2 ベルナール・イノー フランスの旗 フランス ラ・ヴィ・クレール 3' 10"
3 ウース・ツィンマーマン スイスの旗 スイス 10' 54"
4 アンドリュー・ハンプステン アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく ラ・ヴィ・クレール 18' 44"
5 クロード・クリケリオン ベルギーの旗 ベルギー 24' 36"
6 ロナン・パンセ フランスの旗 フランス 25' 59"
7 ニキ・ルティマン スイスの旗 スイス 30' 52"
8 アルバロ・ピノ スペインの旗 スペイン 33' 00"
9 スティーブン・ルークス オランダの旗 オランダ PDM 33' 22"
10 イボン・マディオ フランスの旗 フランス 33' 27"

マイヨ・ジョーヌ保持ほじしゃ[編集へんしゅう]

選手せんしゅめい 国籍こくせき 首位しゅい区間くかん
ティエリー・マリー フランスの旗 フランス プロローグ、だい2-だい3
アレックス・スティーダ カナダの旗 カナダ だい1
ドミニク・ガーニュ フランスの旗 フランス だい4
ヨハン・バンデベルデ オランダの旗 オランダ だい5-だい6
ヨルゲン・バンペデルセン  デンマーク だい7-だい11
ベルナール・イノー フランスの旗 フランス だい12-だい16
グレッグ・レモン アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく だい17-最終さいしゅう

その[編集へんしゅう]

  • 長年ながねんわたり、ツール・ド・フランスで活躍かつやくつづけてきたヨープ・ズートメルクにとって、この大会たいかい最後さいごのツール出場しゅつじょう総合そうごう24)となり、翌年よくねん引退いんたいした。

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]