テペ・シアルク

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座標ざひょう: 北緯ほくい3358ふん08びょう 東経とうけい5124ふん17びょう / 北緯ほくい33.968915 東経とうけい51.404738 / 33.968915; 51.404738 (Sialk)

Tepe Sialk
Tepe Sialkの位置(イラン内)
Tepe Sialk
Tepe Sialk
イラン国内こくないにおける位置いち
北緯ほくい3358ふん08びょう 東経とうけい5124ふん17びょう / 北緯ほくい33.96889 東経とうけい51.40472 / 33.96889; 51.40472
くに イランの旗 イラン

テペ・シアルクペルシア: تپه سیلک‎、えい: Tepe Sialk)は、イラン中央ちゅうおうエスファハーンしゅうカーシャーン郊外こうがい存在そんざいするだい規模きぼ遺跡いせきである。ちかくにはフィン庭園ていえんがある。「テペ」はペルシアで「おか」または「づか」を意味いみする。このエリアに存在そんざいした文化ぶんかは、ザーヤンデがわ文化ぶんか英語えいごばんとの関係かんけいみとめられている[1]

歴史れきし[編集へんしゅう]

シアルクのジッグラトは、紀元前きげんぜん3000ねんころ建造けんぞうされた。イラン文化ぶんか遺産いさん団体だんたい英語えいごばんルーヴル美術館びじゅつかんフランス・イラン研究所けんきゅうじょ英語えいごばん共同きょうどう研究けんきゅうにより、シアルク最古さいこ集落しゅうらく紀元前きげんぜん5500–6000ねんまでさかのぼることが確認かくにんされている。

当時とうじシアルク(およびその周辺しゅうへん地域ちいき全体ぜんたい)が発展はってんしたのは、ちかくに清潔せいけつ豊富ほうふ水源すいげん存在そんざいしていたことが原因げんいんだったとかんがえられている。「ソロモンのいずみ」とばれる水源すいげんは、周囲しゅうい山々やまやまからもたらされるみずを、現在げんざいいたるまですうせんねんにわたりこの地域ちいき供給きょうきゅうつづけている。17世紀せいき現在げんざい形態けいたいになったフィン庭園ていえんは、この地域ちいき人気にんきのある観光かんこうスポットである。サファヴィーあさおうたちが首都しゅとはな休暇きゅうかごすために滞在たいざいしていたのも、この地域ちいきだった。だい2だい正統せいとうカリフウマル・イブン・ハッターブ暗殺あんさつしたアブー・ルウルウ英語えいごばんほうむられているのもこの地域ちいきである。

考古学こうこがくてき調査ちょうさ[編集へんしゅう]

テペ・シアルクは、ロマン・ギルシュマン英語えいごばんによって1933ねん1934ねん1937ねんけい3シーズンにわたり発掘はっくつされた[2][3]。この遺跡いせきかんする研究けんきゅうは、D・E・マカウン(D.E. McCown)、Y・マジザデ(Y. Majidzadeh)、P・アミエ(P. Amieh)の3にん指揮しきおこなわれた[4][5]

1999ねんから2004ねんにかけてのすうシーズンには、ペンシルベニア大学だいがくイラン文化ぶんか遺産いさん団体だんたい英語えいごばんのメンバーからる「シアルク再考さいこうプロジェクト」(Sialk Reconsideration Project)と名付なづけられたチームによって、ふたた発掘はっくつ実施じっしされた[6][7][8][9]

最初さいしょ発掘はっくつ出土しゅつどした遺物いぶつのほとんどは最終さいしゅうてきルーヴル美術館びじゅつかん収蔵しゅうぞうされ、一部いちぶだいえい博物館はくぶつかん、ニューヨークのメトロポリタン美術館びじゅつかん、およびイラン国立こくりつ博物館はくぶつかん収蔵しゅうぞうされた。また、一部いちぶ個人こじんのコレクターのわたった。

これらの遺物いぶつは、非常ひじょう精巧せいこうないくつかの陶器とうきるいから[10]

画像がぞう[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ Cultural Heritage Organization of Iran (CHN) report: "Zayandeh Rood Civilization Linked to Marvdasht and Sialk". Accessed January 30, 2007. Link: Chnpress.com
  2. ^ Roman Ghirshman, Fouilles de Sialk près de Kashan, 1933, 1934, 1937, vol. 1, Paul Geuthner, 1938
  3. ^ Ghirshman, Fouilles de Sialk, vol. 2, Paul Geuthner, 1939
  4. ^ D. E. McCown, The Comparative Stratigraphy of Early Iran, Studies in Ancient Oriental Civilization no. 23, Oriental Institute of Chicago, 1942
  5. ^ Yousef Majidzadeh, Correction of the Internal Chronology for the Sialk III Period on the Basis of the Pottery Sequence at Tepe Ghabristan, Iran, vol. 16, pp. 93-101, 1978
  6. ^ S.M. Shahmirzadi, The Ziggurat of Sialk, Sialk Reconsideration Project Report No. 1, Archaeological Research Center. Iranian Cultural Heritage Organization, 2002, (Persian)
  7. ^ S.M. Shahmirzadi, The Silversmiths of Sialk, Sialk Reconsideration Project Report No. 2, Archaeological Research Center. Iranian Cultural Heritage Organization, 2003, (Persian)
  8. ^ S.M. Shahmirzadi, The Potters of Sialk, Sialk Reconsideration Project Report No. 3, Archaeological Research Center. Iranian Cultural Heritage Organization, 2004, (Persian)
  9. ^ S.M. Shahmirzadi, The Smelters of Sialk, Sialk Reconsideration Project Report No. 4, Archaeological Research Center. Iranian Cultural Heritage Organization, 2005, (Persian)
  10. ^ Langer, William L., ed (1972). An Encyclopedia of World History (5th ed.). Boston, MA: Houghton Mifflin Company. pp. 17. ISBN 0-395-13592-3 

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • Les recherches archéologiques françaises en Iran. November 2001, Téhéran. Institut Français de Recherche en Iran, Musée du Louvre, ICHO.
  • Yousef Majidzadeh, Sialk III and the Pottery Sequence at Tepe Ghabristan: The Coherence of the Cultures of the Central Iranian Plateau, Iran, vol. 19, 1981