ヒッチコック・マガジン
ヒッチコック・マガジン | |
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Alfred Hitchcock's Mystery Magazine | |
1959 | |
ジャンル |
ミステリ |
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100 | |
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1959 |
『ヒッチコック・マガジン』[
概要 ・沿革
[1958
その
ヌーヴェルヴァーグがなぜできたかというのはいろいろあるけれども、やっぱり若 い人 が自分 で勝手 なことをして自分 でいいものをつくりたい。自分 の意図 を映画 によって表現 したい、というのが本質 的 な問題 ね。
もう一 つ、そうでない外部 的 理由 っていうのもあるわけよ、必 ず。というのは古 い監督 とか巨匠 というのはお金 がかかる。ギャラばかりとられて映画 は当 たらないということになると、安 くて勝手 にこき使 える人 たちというのをプロデューサーなんか要求 していたわけよ。ちょうどフランスは政治 的 にも経済 的 にもだめになって[注 4]、それが勿論 、映画 界 に影響 して来 た。そういうときからヌーヴェルヴァーグという兆 しはあったわけよ。だからわりあいに、金持 ちの子 が多 いですよ。ルイ・マルだってシャブロールだって。じゃなきゃどっかから金主 を探 してくるのね。オッセンなんか、金主 を探 してくる才能 がある。 — 『ヒッチコック・マガジン』1959年 10月 号 、宝石 社 、70頁 。
11月
1960
1963
ギャラリー
[-
1959
年 8月 号 。編集 後記 、奥付 、広告 。 -
1961
年 5月 増刊 号 。通常 号 とは別 で発売 された。
脚注
[注釈
[- ^
表紙 のタイトルの表記 は中黒 のない「ヒッチコックマガジン」である。創刊 号 の奥付 ならびに「死体 置場 の片隅 から」と題 された編集 後記 には「ヒッチコック・マガジン」と記 されている[1]。国立 国会図書館 の所蔵 目録 の表記 も「ヒッチコック・マガジン」である[2]。編集 長 を務 めた小林 信彦 も自著 で「ヒッチコック・マガジン」と書 いている[3][4]。 - ^ 21
日 に発売 する予定 だったが、日曜日 に重 なったため22日 になった[5]。しばらく22日 発売 が続 き、1960年 1月 号 から21日 発売 になった[11]。 - ^ 1959
年 6月 8日 から13日 にかけて東京 の読売 ホールで第 2回 「フランス映画 祭 」が開催 された。この催 しでクロード・シャブロルの『いとこ同志 』のほか『レ・ミゼラブル』『自殺 への契約 書 』『燃 える大地 』『二 十 四 時 間 の情事 』『アルピニスト岩 壁 に登 る』など6本 の新作 映画 と短編 映画 『セーヌの詩 』が特別 上映 された[13][14]。 - ^ 1954
年 7月 、フランスは8年 にわたるインドシナ戦争 を終結 させるが、植民 地 であったフランス領 インドシナを失 った[16]。そして同年 11月 に勃発 したアルジェリア戦争 は泥沼 の様相 を呈 していた。
出典
[- ^ a b 『ヒッチコック・マガジン』1959
年 8月 号 、宝石 社 、134頁 。 - ^ “ヒッチコック・マガジン |
書誌 詳細 ”.国立 国会図書館 . 2023年 7月 12日 閲覧 。 - ^
小林 信彦 『東京 のロビンソン・クルーソー』晶文社 、1974年 6月 30日 、144-147頁 。 - ^ a b c
道化師 のためのレッスン 1984, pp. 24–27. - ^ a b
小林 信彦 60年代 日記 1985, pp. 16–17. - ^ 『ヒッチコック・マガジン』1959
年 8月 号 、宝石 社 、4頁 。 - ^
亀 和田 武 「作家 の<秘密 の日記 >」 『小林 信彦 の仕事 』弓立 社 、1988年 7月 15日 、284頁 。 - ^
道化師 のためのレッスン 1984, pp. 162–163. - ^ a b
回想 の江戸川 乱歩 1994, pp. 8–12, 68–70. - ^
小林 信彦 60年代 日記 1985, pp. 11–13. - ^ 『ヒッチコック・マガジン』1959
年 12月 号 、宝石 社 、132頁 (新年 特大 号 予告 )。 - ^
秦 早 穂 子 、森田 和雄 、中原 弓彦 「第 一 回 パリへの道 (上 )」 『ヒッチコック・マガジン』1959年 9月 号 、宝石 社 、70頁 。 - ^ 『
キネマ旬報 』1959年 7月 夏 の特別 号 。 - ^ 『
映画 評論 』1959年 7月 号 。 - ^
秦 早 穂 子 、森田 和雄 、中原 弓彦 「第 二 回 パリへの道 (下 )」 『ヒッチコック・マガジン』1959年 10月 号 、宝石 社 、70頁 。 - ^ Logevall, Fredrik (2012). Embers of War: The Fall of an Empire and the Making of America's Vietnam. random House. ISBN 978-0-679-64519-1
- ^
秦 早 穂 子 、双葉 十三郎 、中原 弓彦 「ヒッチコックの新作 『北 北西 に進路 を取 れ』をめぐって」 『ヒッチコック・マガジン』1959年 11月 号 、宝石 社 、71頁 。 - ^
秦 早 穂 子 、荻 昌弘 、中原 弓彦 「秋 の話題 作 をめぐって」 『ヒッチコック・マガジン』1959年 12月 号 、宝石 社 、68-76頁 。 - ^
道化師 のためのレッスン 1984, p. 37. - ^ 『ヒッチコック・マガジン』1960
年 5月 号 、宝石 社 、165-166頁 。 - ^ 『ヒッチコック・マガジン』1960
年 11月 号 、宝石 社 、166頁 。 - ^ 『ヒッチコック・マガジン』1960
年 12月 号 、宝石 社 、165-166頁 。 - ^ 『ヒッチコック・マガジン』1961
年 2月 号 、宝石 社 、165頁 。 - ^ a b “ヒッチコックマガジン
目次 細目 第 2巻 (1960年 )”. MISDAS. 2023年 7月 12日 閲覧 。 - ^ a b “ヒッチコックマガジン
目次 細目 第 3巻 (1961年 )”. MISDAS. 2023年 7月 12日 閲覧 。 - ^ 「
直木賞 のすべて」受賞 作 ・候補 作 一覧 (非公式 サイト) - ウェイバックマシン(2023年 3月 26日 アーカイブ分 ) - ^ 「
小林 信彦 自筆 年譜 」 『小林 信彦 の仕事 』弓立 社 、1988年 7月 15日 、307-308頁 。 - ^
小林 信彦 60年代 日記 1985, p. 93.
関連 項目
[- ヒッチコック・スリラーシリーズ(勁文
社 ジーンズ・ブックスのアンソロジー)
参考 文献
[小林 信彦 『道化師 のためのレッスン』白夜書房 、1984年 12月1日 。ISBN 978-4938256746。小林 信彦 『小林 信彦 60年代 日記 1959~1970』白夜書房 、1985年 9月 20日 。ISBN 978-4938256968。小林 信彦 『回想 の江戸川 乱歩 』メタローグ、1994年 10月 。ISBN 978-4839820039。