ピピロッティ・リスト

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Pipilotti Rist
ピピロッティ・リスト
本名ほんみょう エリザベス・リスト
誕生たんじょう (1962-06-21) 1962ねん6月21にち(61さい
出生しゅっしょう スイスの旗 スイス グラブス英語えいごばん
国籍こくせき スイスの旗 スイス
運動うんどう動向どうこう フェミニズム
芸術げいじゅつ分野ぶんや ビデオアート
ウェブサイト www.pipilottirist.net
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ピピロッティ・リストPipilotti Rist本名ほんみょうElisabeth Charlotte Rist, 1962ねん6月21にち - )は、スイス出身しゅっしんビデオ・アーティストチューリッヒロサンゼルスらし、かつ作品さくひん制作せいさくしている。

経歴けいれき[編集へんしゅう]

リストはザンクト・ガレンしゅうグラブス(Grabs)でまれた。おさなころから「ピピロッティ」とばれていた。アストリッド・リンドグレーン小説しょうせつちょうくつしたのピッピ』からつけられた愛称あいしょうだった。ウィーン応用おうよう芸術げいじゅつ大学だいがく1986ねんまでまなび、それから1年間ねんかん、バーゼル造形ぞうけい学校がっこうでビデオをまなんだ。

学生がくせいだったときに、リストはスーパー8フィルムSuper 8 mm film)で映画えいがりだした。大抵たいてい作品さくひんは2、3ふんみじかく、いろ速度そくどおと変調へんちょうされていた。あつかうテーマはおもに、ジェンダーせい人体じんたいだった。

1997ねんヴェネツィア・ビエンナーレでリストの作品さくひんはじめて公開こうかいされ、そこでプレミオ2000しょう受賞じゅしょうした。

1988ねんから1994ねんまでリストはミュージック・バンド&パフォーマンス・グループ「Les Reines Prochaines」のメンバーでもあった。

2002ねんから2003ねんまで、ポール・マッカーシー(Paul McCarthy教授きょうじゅ客員きゃくいん教授きょうじゅとしてカリフォルニア大学だいがくロサンゼルスこう(UCLA)にまねかれた。

2009ねん はつ劇場げきじょう映画えいが『ポパーミンタ』が一般いっぱん公開こうかい

リストは配偶はいぐうしゃのBalz Rothとらしていて、二人ふたりあいだにはHimalayaという名前なまえ息子むすこがいる。

2021ねん京都きょうと国立こくりつ近代きんだい美術館びじゅつかん日本にっぽんでははじめての個展こてんとなる「Your Eye Is My Island -あなたのはわたしのしま-」を開催かいさい

作品さくひん[編集へんしゅう]

おおくのコンセプチュアル・アーティスト対照たいしょうてきに、リストのカラフルかつ音楽おんがくてき作品さくひん幸福こうふく単純たんじゅんさの感覚かんかくつたえる。リストの作品さくひんフェミニズムなす美術びじゅつ評論ひょうろんもいる。リストの作品さくひんてん世界中せかいじゅう主要しゅよう美術館びじゅつかん開催かいさいされている。

『I'm Not The Girl Who Misses Much』(1986ねん)のなかで、くろいドレスをたリストはカメラのまえむねあらわにしておどる。画像がぞうはほとんどモノクロームかつファジーである。それからリストはジョン・レノンきょくハッピネス・イズ・ア・ウォーム・ガン』の最初さいしょの1ぎょうかえうたう。画像がぞう徐々じょじょあおく、ますますファジーになり、そして音楽おんがくむ。

『Pickelporno』(1992ねん)でリストは悪評あくひょうる。この映画えいが女性じょせい肉体にくたい性的せいてき励起れいきについての映画えいがだった。魚眼ぎょがんレンズ男女だんじょからだまわるようにうごく。画像がぞうはどぎつい色彩しきさいたされ、同時どうじ奇妙きみょうで、官能かんのうてきで、曖昧あいまいである。

『Ever is Over All』(1997ねん)では、わか女性じょせいはな(クニフォフィア)のかたちをした巨大きょだいなハンマーで駐車ちゅうしゃちゅうくるままどはたりながら、スローモーションとおりをあるく。途中とちゅう警官けいかん彼女かのじょ挨拶あいさつする。このクリップはニューヨークニューヨーク近代きんだい美術館びじゅつかん、また京都きょうと国立こくりつ近代きんだい美術館びじゅつかん購入こうにゅうされ収蔵しゅうぞうされている。

『Open My Glade』というタイトルをつけられた16のビデオ・セグメンツは、1980ねん創設そうせつされた「Messages to the Public」プログラムのプロジェクトとして、ニューヨークのタイムズスクエアのスクリーンに毎時まいじきっかりに上映じょうえいされた。

作品さくひんリスト[編集へんしゅう]

スーパー8、ビデオ、video installations。

  • St. Marxer Friedhof(1984ねん、4ふん
  • Das Gute(1986ねん、9ふん
  • I'm Not The Girl Who Misses Much(1986ねん、7ふん45びょう
  • Sexy Sad I(1987ねん、4ふん36びょうLink
  • (Entlastungen) Pipilottis Fehler(1988ねん、11ふん10びょうLink
  • Japsen(1988ねん、12ふん。Muda Mathisと共同きょうどう
  • Die Tempodrosslerin saust(1989ねん、14ふん。Muda Mathisと共同きょうどう
  • You Called Me Jacky(1990ねん、4ふんLink
  • Pickelporno(1992ねん、12ふんLink Link 2
  • Als der Bruder meiner Mutter geboren wurde, duftete es nach wilden Birnenblüten vor dem braungebrannten Sims(1992ねん、4ふんLink
  • Blue Bodily Lettre(1992ねん
  • Blutclip(1993ねん、2ふん50びょうLink
  • Selbstlos im Lavabad(1994ねん
  • I'm a Victim Of This Song(1995ねん、5ふん
  • Sip My Ocean(1996ねん、8ふん
  • Ever Is Over All(1997ねん
  • Remake of the Weekend(1998ねんLink
  • Regenfrau(1999ねん
  • Extremities(1999ねん
  • Vorstadthirn(1999ねん
  • Open My Glade(2000ねん、1ふんLink
  • Himalaya's Sister's Living Room(2000ねん
  • Closet Circuit(2000ねん
  • The Belly Button Like a Village Square(2001ねん
  • Fliederstrudel (Fünf Uhr)(2001ねん
  • Related Legs(2001ねんLink
  • Herbstzeitlose(2004ねん
  • Homo sapiens sapiens(2005ねんGry Bay homepage with clip

出版しゅっぱんぶつ[編集へんしゅう]

  • Himalaya, Pipilotti Rist 50 kg(1998ねん)CD『we can't』を収録しゅうろく。Oktagon Verlag: Cologne. ISBN 3-89611-072-1
  • Remake of the Weekend(1998ねん)CDを収録しゅうろく。. Oktagon: Cologne. ISBN 3-89611-046-2
  • Pipilotti Rist(2001ねん)With contributions by Peggy Phelan, Hans Ulrich Obrist, Elisabeth Bronfen. Phaidon: London. ISBN 0-7148-3965-5
  • Apricots Along The Street(2001ねん)Scalo: Zurich/Berlin/New York, ISBN 3-908247-50-0
  • Jestem swoja wlasna obca swinia (Ich bin mein eigenes fremdes Schwein/I am my own foreign pig).(2004ねん)with Birgit Kempker. Centre for Contemporary Art/Centrum Sztuki Współczesnej: Warsaw. ISBN 83-88277-13-8

受賞じゅしょうれき[編集へんしゅう]

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]

ビデオ[編集へんしゅう]

インタビュー[編集へんしゅう]