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フランチェスコ・レディ (画 が )ジェイコブ・フェルディナンド・フート (イタリア語 ご 版 ばん )
著書 ちょしょ の図版 ずはん
フランチェスコ・レディ (Francesco Redi、1626年 ねん 2月 がつ 18日 にち - 1697年 ねん 3月1日 にち )は、イタリア の内科 ないか 医 い 、博物 はくぶつ 学者 がくしゃ 、生物 せいぶつ 学者 がくしゃ 、詩人 しじん 。
アレッツォ 生 う まれ。寄生虫 きせいちゅう 学 がく に関 かん して、一連 いちれん の実験 じっけん (レディの実験 じっけん )を行 おこな ったことでよく知 し られており、1668年 ねん に発表 はっぴょう した『Esperienze Intorno alla Generazione degl'Insetti(昆虫 こんちゅう の世代 せだい についての実験 じっけん )』は、自然 しぜん 発生 はっせい 説 せつ と呼 よ ばれる学説 がくせつ への反駁 はんばく の第一歩 だいいっぽ となった。当時 とうじ 優勢 ゆうせい だった自然 しぜん 発生 はっせい 説 せつ では、肉 にく を腐敗 ふはい させるとそこから自然 しぜん に蛆 うじ がわくとしていた。
その実験 じっけん でレディは、6つのびんを用意 ようい し、それを3つずつ2グループに分 わ けた。それぞれのグループの1つめのびんには未知 みち の物体 ぶったい を入 い れ、2つめには魚 さかな の死骸 しがい 、3つめには生 なま の子 こ 牛肉 ぎゅうにく の塊 かたまり を入 い れた。そして一方 いっぽう のグループはびんの口 くち に目 め の細 こま かいガーゼ をつけて空気 くうき しか出入 でい りしないようにし、もう一方 いっぽう には何 なに もつけないでそのままにしておいた。数日 すうじつ 後 ご 、びんの口 くち に何 なに もつけなかった方 ほう はハエが自由 じゆう に出入 でい りできたため蛆 うじ がわき、ガーゼで覆 おお った方 ほう には蛆 うじ はわかなかった[1] 。次 つぎ に彼 かれ は、蛆 うじ を捕 と らえてそれが変態 へんたい するのを待 ま つ実験 じっけん を行 おこな った。蛆 うじ はハエになった。さらに死 し んだ蛆 うじ やハエを動物 どうぶつ の死体 したい や生肉 せいにく と一緒 いっしょ にガーゼをかけたびんに入 い れておいたが、蛆 うじ はわかなかった。レディはこれによって、ハエのたからない魚 さかな にはウジが発生 はっせい しないことを証明 しょうめい した。もっとも、彼 かれ が証明 しょうめい しようとしたのは「蛆 うじ はハエが卵 たまご を産 う むことによって生 う まれている」ということであって、生命 せいめい の起源 きげん については、単純 たんじゅん に「卵 たまご から生 しょう じる」と考 かんが えていたともされる。また、寄生虫 きせいちゅう については自然 しぜん 発生 はっせい するとしていた。しかし、彼 かれ が行 おこな った「異 こと なる条件 じょうけん を複数 ふくすう 用意 ようい する」という実験 じっけん 方法 ほうほう は対照 たいしょう 実験 じっけん と呼 よ ばれ、実証 じっしょう 科学 かがく の端緒 たんしょ となる画期的 かっきてき なものであった。
レディは詩人 しじん でもあり、『トスカナのバッカス』[2] という詩 し で知 し られている。
レディはアルカディア学会 がっかい (イタリア語 ご 版 ばん ) とクルスカ学会 がっかい に所属 しょぞく し、『クルスカ学会 がっかい 辞典 じてん (イタリア語 ご 版 ばん ) 』の編纂 へんさん に携 たずさ わった[3] 。
吸虫類 るい の幼生 ようせい の形態 けいたい のひとつであるレディア は、1837年 ねん に動物 どうぶつ 学者 がくしゃ フィリッポ・デ・フィリッピ (イタリア語 ご 版 ばん ) によりレディにちなんで名付 なづ けられた。
レディはピサ で亡 な くなった。
火星 かせい にはレディの名 な を冠 かん したクレーター がある[4] 。
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