フリッツル事件じけん

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フリッツル事件じけん(Fritzl case)とは、2008ねん4がつに42さい女性じょせいエリーザベト・フリッツル(1966ねん4がつ6にちせい)がオーストリアアムシュテッテン警察けいさつたいし、彼女かのじょが24年間ねんかんわたって自宅じたく地下ちかしつめられ、ちちのヨーゼフ・フリッツル(1935ねん4がつ9にちせい)から肉体にくたいてき暴力ぼうりょく性的せいてき暴力ぼうりょくけ、なん強姦ごうかんされたとうったえたことから発覚はっかくした事件じけんである。父親ちちおやからの性的せいてき虐待ぎゃくたいによって、彼女かのじょは7にん子供こどもみ、1流産りゅうざんした。日本にっぽんでは、「オーストリアのじつむすめ監禁かんきん事件じけん[1]また「恐怖きょうふいえ事件じけんとうとしてほうじられた。

エリーザベト・フリッツルの監禁かんきん[編集へんしゅう]

19さいむすめケルスティン、18さいと5さい息子むすこシュテファンとフェリックスははは一緒いっしょ監禁かんきんされていた。またミヒャエルと名付なづけられたもう1人ひとり息子むすこは、呼吸こきゅう疾患しっかんのため医療いりょうけられないまま生後せいご3にち死亡しぼうし、ヨーゼフによって敷地しきちない焼却しょうきゃくされた。また、のこりの3にん子供こどもは、階上かいじょうでヨーゼフとそのつまロゼマリアにそだてられた。ヨーゼフは、3にん子供こども行方ゆくえ不明ふめいむすめが「そだてられないのでおねがいします」という手紙てがみ父親ちちおやくようにわれたという)とともにドアのまえいてったとよそおった。リザは1993ねんに9かげつで、モニカは1994ねんに10かげつで、アレクサンダーは1997ねんに15かげつひろったことにされた。長女ちょうじょのケルスティンがおも病気びょうきかかったときには、ヨーゼフはエリーザベトの懇願こんがんれて病院びょういんれてき、これが一連いちれん事件じけんあかるみに契機けいきとなった。

ヨーゼフ・フリッツルの逮捕たいほ[編集へんしゅう]

73さいのヨーゼフ・フリッツルは、家族かぞくたいする重罪じゅうざいうたがいで2008ねん4がつ26にち逮捕たいほされ、2009ねん3月16にちザンクト・ペルテン裁判さいばんけた[2][3]かれ近親きんしん相姦そうかん強姦ごうかん強要きょうよう不法ふほう監禁かんきん奴隷どれい、ミヒャエルにたいする過失かしつ致死ちしうたがいで訴追そついされた[4][5]公衆こうしゅうやメディアをはいした4日間にちかん非公開ひこうかい審理しんりて、ヨーゼフには終身しゅうしんけい判決はんけつくだった[6]

事件じけん概要がいよう[編集へんしゅう]

ヨーゼフ・フリッツルは1935ねん4がつ9にちにアムシュテッテンでまれた。1956ねん、21さいときに17さいだったロゼマリアと結婚けっこんし、2なん5じょのエリーザベトをふくむ7にん子供こどももうけた。エリーザベトは1966ねんまれ、11さいだった1977ねん虐待ぎゃくたいはじまったとつたえられている[7]

15さい義務ぎむ教育きょういくわると、エリーザベトはウェイトレスになるための訓練くんれんはじめた。1983ねん1がつ彼女かのじょいえからし、仕事しごと仲間なかまとともにウィーンかくんだ。3週間しゅうかん以内いない彼女かのじょ警官けいかん発見はっけんされ、両親りょうしんもとされた。彼女かのじょ訓練くんれん再開さいかいして1984ねん中旬ちゅうじゅん終了しゅうりょうし、リンツ近郊きんこう都市とし仕事しごとた。

監禁かんきん[編集へんしゅう]

1984ねん8がつ29にち、エリーザベトのちちはドアをはこたすけが必要ひつようなふりをして彼女かのじょ自宅じたく地下ちかしつさそした。このドアは地下ちかしつ密閉みっぺいするための最後さいご部品ぶひんであった。ヨーゼフがわくながさをはかっているあいだ、エリーザベトはドアをささえていた。ドアがはまると、ヨーゼフは彼女かのじょかおめがけてエーテルをませたタオルをげ、エリーザベトが意識いしきうしなうまでかおしつけた。かれはその彼女かのじょ地下ちかしつれ、ドアにかぎめた[8]

エリーザベトがいなくなると、はは失踪しっそうとどけいた。やく1かげつちちはエリーザベトに地下ちかしつ無理矢理むりやりかせたはじめての手紙てがみ警察けいさつとどけた。この手紙てがみにはブラウナウ・アム・イン消印けしいんされており、彼女かのじょ家族かぞくきして友達ともだち一緒いっしょにいること、両親りょうしん自分じぶんさがすようなことがあれば出国しゅっこくすることがかれていた。ヨーゼフは警察官けいさつかんたいし、彼女かのじょ狂信きょうしんてきカルト宗教しゅうきょうはいった可能かのうせいたかいとべた[9]

エリーザベトは、最初さいしょ数日すうじつかべ体当たいあたりし、天井てんじょうき、いたみにうめき、たすけをもとめて苦悶くもんしていたことをあきらかにしている。彼女かのじょつめがれ、うでれるまでゆび皮膚ひふつづけた。数日すうじつつと、彼女かのじょ休日きゅうじつハイキングにいっているとおももうとした。かつてたことのあるとおくのやまえらんで、しんなかでそこに辿たどくまでの計画けいかくて、出発しゅっぱつした。彼女かのじょ地下ちかしつ階段かいだん段数だんすうっていたために電気でんきし、2時間じかんつと夜明よあけの雰囲気ふんいきすために電気でんきけた。ねむりにつくときには、オーストリアのふる賛美さんび"Still, Still, Still."をくちずさんだ[8]

24ねんあいだ、フリッツルは平均へいきんして3にちに1彼女かのじょおとずれ、食糧しょくりょうにち用品ようひんあたえた。逮捕たいほかれむすめ意志いしはんしてかえ近親きんしん相姦そうかんしていたことをみとめている。

エリーザベトは監禁かんきんされているあいだに7にん子供こどもんだ[9]1人ひとり生後せいごすぐにに、リザ、モニカ、アレクサンダーの3にん幼児ようじころげられ、ヨーゼフとそのつまらした。夫妻ふさい地元じもと社会しゃかい福祉ふくし事務所じむしょ許可きょかて、3にん養子ようしとしてそだてた。当局とうきょくは、ヨーゼフが3にんいえのドアのまえかれていた状況じょうきょうを「非常ひじょうにもっともらしく」説明せつめいしたとべている。家族かぞくもとにはなんもソーシャルワーカーがおとずれたが、不満ふまんかず、おかしいとかんじることもなかった[10]

1994ねんに4にん子供こどもまれたのち、ヨーゼフはエリーザベトと子供こどもたちのために、地下ちかしつをそれまでの35m2から55m2拡張かくちょうした。またテレビやラジオ、ビデオとうあたえられた。食糧しょくりょう冷蔵庫れいぞうこ保存ほぞんでき、ホットプレートで調理ちょうりすることもできた[11]。エリーザベトは子供こどもたちきをおしえた。かれらをばっするときには、ヨーゼフはすう日間にちかん地下ちかしつ電気でんきすか、食糧しょくりょう供給きょうきゅうめた.[12]

ヨーゼフは、エリーザベトと3にん子供こども脱出だっしゅつくわだてたときにはガスでころすつもりだったと供述きょうじゅつしたが、地下ちかしつにはガスかんがなかったため、捜査そうさかんはこれはたんなるおどしであると結論けつろんけた[13]。ヨーゼフは逮捕たいほに、もしドアにちかづくと電気でんきショック死亡しぼうするとおどしておくだけで十分じゅうぶんだったとべた[14]

かれ義妹ぎまいのクリスティンによると、ヨーゼフは毎朝まいあさ9に、表向おもてむきにはかれ農家のうかっていた機械きかい図面ずめんえがくために地下ちかしつっていた。かれはしばしばよるまでそこにとどまったが、つまはコーヒーをってくこともゆるされていなかった。また、いえの1かい部分ぶぶんを12年間ねんかんりていた店子たなこは、地下ちかからこえいたが、ヨーゼフはガス暖房だんぼうおとだとこたえたとべた[15]

発見はっけん[編集へんしゅう]

2008ねん4がつ19にち長女ちょうじょのケルスティンが意識いしきうしない、ヨーゼフは病院びょういんれてくことを了承りょうしょうした。エリーザベトはヨーゼフがケルスティンを地下ちかしつからはこすのを手伝てつだい、24ねんぶりにそと景色けしきながめた。エリーザベトはその地下ちかしつもどされた[9]。ケルスティンは救急きゅうきゅうしゃ地元じもと病院びょういん(Landesklinikum Amstetten)にはこばれ、いのちかかわるおもあつ腎不全じんふぜん診断しんだんされた。ヨーゼフはおくれて病院びょういん到着とうちゃくし、ケルスティンのははいたノートがつかったと主張しゅちょうした。ヨーゼフは医師いしのアルベルト・ライターとケルスティンの病状びょうじょうやノートのことについて議論ぎろんしたが[16]病院びょういんのスタッフがその説明せつめい矛盾むじゅんかんじ、4がつ21にち警察けいさつ通報つうほうした。またかれ公共こうきょうメディアをとおして、行方ゆくえ不明ふめい母親ははおやかんする情報じょうほう提供ていきょうするようにびかけ、またケルスティンの病歴びょうれきかんする追加ついか情報じょうほう提供ていきょうした[17][18]警察けいさつはエリーザベトの失踪しっそうかんする捜査そうさ再開さいかいした。ヨーゼフは、彼女かのじょはカルト宗教しゅうきょう入信にゅうしんし、直近ちょっきん彼女かのじょからの手紙てがみは2008ねん1がつ日付ひづけでケマテンから投函とうかんされたものだと主張しゅちょうした[9]

警察けいさつは、教会きょうかいでカルト宗教しゅうきょうかんする情報じょうほうあつめているマンフレート・ヴォルハールトと接触せっしょくし、ヴォルハールトはヨーゼフの主張しゅちょうするカルト宗教しゅうきょう実在じつざい否定ひていし、またエリーザベトの手紙てがみわれたことをかされたような奇妙きみょうなものにえると指摘してきした。ニュースはこの事件じけんについてほうじ、エリーザベトは地下ちかしつのテレビでることになった[9]彼女かのじょちち病院びょういんかせてもらうようにたのみ、4がつ26にち、ヨーゼフは、息子むすこのシュテファンとフェリックスとともにエリーザベトを解放かいほうした。ケルスティンが病院びょういんはこばれてから1週間しゅうかんのことであった[9]。ヨーゼフはつまには、エリーザベトが24ねんぶりにかえってることを決意けついしたとはなした[17]知事ちじのレンツは、オーストリア放送ほうそう協会きょうかいたいし、ヨーゼフがかれ電話でんわをかけてきて、孫娘まごむすめのケルスティンが病気びょうきあいだ家族かぞく世話せわをしたことに感謝かんしゃしたとかたった[10]。ヨーゼフとエリーザベトは、ケルスティンが4がつ26にちから治療ちりょうけている病院びょういんかった。ヨーゼフとエリーザベトが病院びょういんにいるという連絡れんらくをアルベルト・ライター医師いしからけ、警察けいさつ病院びょういん敷地しきちないかれらを拘束こうそくし、尋問じんもんのため警察けいさつしょ連行れんこうした。

警察けいさつがエリーザベトにたいし、2父親ちちおや必要ひつようはないと約束やくそくするまで、彼女かのじょ詳細しょうさいかたろうとしなかった。そのの2あいだで、彼女かのじょは24年間ねんかんおよとらわれの生活せいかつについてかたった[9]深夜しんやぎたころ警察官けいさつかんは3ページの調書ちょうしょをまとめた。ヨーゼフは家族かぞくたいする不法ふほう監禁かんきん強姦ごうかん過失かしつ致死ちし近親きんしん相姦そうかんとう重罪じゅうざいうたがいで逮捕たいほされた。4月27にちよるに、エリーザベトとその子供こどもははのロゼマリアは警察けいさつ保護ほごされた。

4がつ28にちになって、ヨーゼフはむすめを24年間ねんかんわたって監禁かんきんし、7にん子供こどもませたことをみとめた。警察けいさつは、ヨーゼフは地下ちかしつはいとき遠隔えんかくキーの秘密ひみつのドアをとおっていたとあきらかにした。また、つまのロゼマリアはエリーザベトになにこっていたかまったらなかったとべた。

2008ねん4がつ29にちDNA鑑定かんていによって、ヨーゼフがむすめ子供こども生物せいぶつがくてきちちであることが証明しょうめいされた[19]

ヨーゼフの弁護士べんごしルードルフ・マイヤーは、「強姦ごうかん監禁かんきんについてはいま証明しょうめいされていない。これまでになされた証言しょうげんについてさい評価ひょうかする必要ひつようがある」とべ、DNA鑑定かんていによって近親きんしん相姦そうかん証明しょうめいされても、主張しゅちょうたいしてはさらに証拠しょうこ必要ひつようだと弁護べんご方針ほうしんあきらかにした[20]

2008ねん5がつ1にち恒例こうれい記者きしゃ会見かいけんにおいて、オーストリア警察けいさつは、ヨーゼフが前年ぜんねん提示ていじしたエリーザベトからの手紙てがみ無理矢理むりやりかせたものだったとかたった。その手紙てがみには、いえかえりたいがいまいま無理むりだとかれていた[21]警察けいさつは、ヨーゼフがむすめをカルト宗教しゅうきょうからすくしたようによそおうとしたと推測すいそくした[22]。またおな記者きしゃ会見かいけんで、警察けいさつ報道ほうどうかんのフランツ・ポルツァーは、捜査そうさおそらくあとすうげつつづき、過去かこ24年間ねんかんにフリッツル間借まがりしていたすくなくとも100にん以上いじょう人々ひとびと聴取ちょうしゅする予定よていだとかたった[23]

地下ちかろう[編集へんしゅう]

アムシュテッテンにあるフリッツルの自宅じたくは、1890ねんころてられ、1978ねん以降いこうにヨーゼフによって増築ぞうちくされたものである。1983ねん土地とち家屋かおく調査ちょうさおとずれ、拡張かくちょう部分ぶぶん建築けんちく許可きょか適合てきごうしていることを確認かくにんした。しかしヨーゼフは地下ちか過剰かじょう掘削くっさくし、違法いほう部屋へや追加ついかおこなっていた。ヨーゼフの主張しゅちょうによると1981ねんから1982ねんごろ[14]かれ地下ちか秘密ひみつ部屋へや地下ちかろう改造かいぞうし、洗面せんめんだいやトイレ、ベッド、ホットプレート、冷蔵庫れいぞうこ設置せっちした。1993ねんにはさらに自分じぶんだけがっている秘密ひみつ廊下ろうか設置せっちした。

かく地下ちかしつには、5mの回廊かいろう貯蔵庫ちょぞうこ、3つのしょう部屋へやもうけられ、せま廊下ろうかつながれた。台所だいどころ風呂ふろつづいて2つの寝室しんしつつくられ、それぞれに2つずつのベッドがそなえられた。ひろさはやく55m2で、たかさは1.70mだった。

かく地下ちかしつには2つの出入でいぐちがあった。ひらおもさが500kgで、そのおもさから長年ながねん使つかわれていないとかんがえられた。コンクリートで補強ほきょうされた金属きんぞくのドアは、おもさ300kgでたかさ1m、はば60cmだった。ヨーゼフの地下ちか仕事場しごとば戸棚とだなうらかくされ、遠隔えんかく操作そうさ電気でんきコードでまもられていた。このドアに辿たどくためには、5つのかぎのかかった部屋へやとお必要ひつようがあった。エリーザベトや子供こどもたちがいる部屋へやまでは、合計ごうけい8つのドアをかいじょうする必要ひつようがあり、そのうち2つのドアはさらに電子でんしじょうまもられていた[24][25][26]

おも出来事できごと[編集へんしゅう]

この事件じけんおも出来事できごと以下いかのとおりである[9][17][27][28][29]

日付ひづけ 出来事できごと
1977ねん ヨーゼフが11さいむすめエリーザベトにたい性的せいてき虐待ぎゃくたいはじめる。
1981ねん - 1982ねん ヨーゼフが地下ちかしつ改造かいぞうはじめる。
1984ねん8がつ29にち ヨーゼフが18さいになっていたむすめエリーザベトを地下ちかしつめる。
1986ねん11月 エリーザベトが妊娠にんしん10しゅう流産りゅうざんする。
1989ねん 長女ちょうじょケルスティンがまれ、2008ねんまで地下ちかしつごす。
1990ねん シュテファンがまれ、2008ねんまで地下ちかしつごす。
1992ねん リザがまれる。1993ねん5がつ、9かげつときいえそとでダンボールにはいっているのが発見はっけんされ、としてそだてられる。
1994ねん2がつ 4にん子供こどもモニカがまれる。
1994ねん ヨーゼフが地下ちかしつを35 m²から55 m²に拡張かくちょうする。
1994ねん10がつ 10かげつのモニカがいえそとつかる。直後ちょくごおそらくエリーザベトからロゼマリアに電話でんわがかかり、子供こどもそだてるようにたのむ。しかしこれはヨーゼフがエリーザベトのこえ録音ろくおんしておいたものだとかんがえられている。ロゼマリアは、エリーザベトがあたらしい電話でんわ番号ばんごうっていたことにおどろき、警察けいさつ通報つうほうする。
1996ねん5がつ エリーザベトが双子ふたご出産しゅっさんする。1人ひとりは3にち死亡しぼうし、ヨーゼフが火葬かそうした。のこったアレクサンダーは15かげつときから階上かいじょうそだてられる。かれ2人ふたりあねおなじような状況じょうきょうで「発見はっけん」された。
2002ねん12月 フェリックスがまれる。ヨーゼフによると、ロゼマリアがこれ以上いじょう子供こども面倒めんどうられなかったため、地下ちかしつのこされた。
2008ねん4がつ19にち ヨーゼフがおも病気びょうきかかったケルスティンを病院びょういんれてく。
2008ねん4がつ26にち 夕方ゆうがた、ヨーゼフがエリーザベトと2人ふたり息子むすこ地下ちかしつから解放かいほうし、ロゼマリアにたいし、エリーザベトが24ねんぶりにかえ決意けついをしたとかたる。そのゆうおそく、匿名とくめい情報じょうほう病院びょういんからあり、ヨーゼフとエリーザベトは警察けいさつ連行れんこうされ、そこで彼女かのじょは24年間ねんかん監禁かんきん生活せいかつける。
2009ねん3がつ14にち 4日間にちかん裁判さいばんて、ヨーゼフは終身しゅうしんけい判決はんけつける。

事件じけんのその[編集へんしゅう]

エリーザベト・フリッツルとその家族かぞく[編集へんしゅう]

警察けいさつ保護ほごされたのち、エリーザベトとその6にん子供こども母親ははおやのロゼマリアは地元じもと病院びょういん入院にゅういんして外部がいぶ環境かんきょうからまもられ、医療いりょうてき精神せいしんてき治療ちりょうけた。地元じもと当局とうきょくはフリッツルにはあたらしいアイデンティティが必要ひつようだとかんがえたが、これは家族かぞく選択せんたくするべきことであると強調きょうちょうした[23]

監禁かんきんされていた4にんはほとんど日光にっこうたっていなかったため、非常ひじょう青白あおじろく、自然しぜんこうにはえられなかった。彼女かのじょらは、ビタミンD欠乏症けつぼうしょう貧血ひんけつだったとほうじられている。また免疫めんえきけい発達はったつであることがうたがわれた。病院びょういんちょうのベルトールト・ケッペルリンゲルは、家族かぞくすうげつ入院にゅういん必要ひつようで、エリーザベトと2人ふたり子供こどもひかりれるためにさらに治療ちりょう必要ひつようであるとの見通みとおしをかたった[30]

2008ねん5がつ入院にゅういんちゅうのエリーザベトと子供こども母親ははおやによってつくられたポスターがまち役場やくば掲示けいじされた。そのメッセージでは、「わたしたち家族かぞく全員ぜんいんは、わたしたちの運命うんめいへのあなたたちの同情どうじょうたいして感謝かんしゃをしたいです」と地元じもと人々ひとびとへの感謝かんしゃべられていた。さらに「あなたたちの慈悲じひわたしたちがむずかしい状況じょうきょう克服こくふくするのにおおきなちからになっています。そして、ここにはわたしたちのことを本当ほんとう心配しんぱいしてくれる親切しんせつ正直しょうじきひとがたくさんいることがかりました。わたしたちは、わたしたちがすぐに通常つうじょう生活せいかつもどれるみちつかることをねがっています」とつづけた[30]

ケルスティンは2008ねん6がつ8にち家族かぞく合流ごうりゅうし、そこで昏睡こんすい状態じょうたいから目覚めざめた。医者いしゃは、彼女かのじょ完全かんぜん回復かいふくしたとかたった[31]

2009ねん3がつ、エリーザベトと子供こどもたち家族かぞくかくからいやられ、精神せいしん病院びょういんもどって治療ちりょう再開さいかいされた。イギリスのパパラッチが台所だいどころ侵入しんにゅうし、写真しゃしんはじめたときには、みだしたとわれている[32]

2009ねん3がつ18にち、エリーザベトは自伝じでん執筆しっぴつ準備じゅんびのため、ちちヨーゼフにたいする裁判さいばんの2にち審理しんり傍聴ぼうちょうした[33]

裁判さいばん、エリーザベトと6にん子供こどもはオーストリア北部ほくぶ無名むめいむら移住いじゅうし、そこでとりでのようないえんだ[34]。6にん子供こども通院つういんでの治療ちりょう必要ひつようだった。「階上かいじょう」だった子供こどもは、かれらがだったというのはつくばなしだったこと、子供こどもころにはちちであり祖父そふのヨーゼフから虐待ぎゃくたいけていたこと、兄弟きょうだい地下ちか監禁かんきんされていたこととうはじめてった。また全員ぜんいん子供こどもたちが、近親きんしん相姦そうかんまれた子供こども共通きょうつうする遺伝いでんてき問題もんだいかかえていた[35]。エリーザベト自身じしんはロゼマリアから疎遠そえんにされていたとかたっていたものの、階上かいじょうそだった3にん子供こどもがロゼマリアのいえ定期ていきてきおとずれることはみとめていた。ロゼマリアはちいさなアパートに1人ひとりんでいた[35]

2009ねん6がつ、オーストリアの新聞しんぶんは、エリーザベトがトーマス・Wとのみばれるボディガードの1人ひとり交際こうさい開始かいしし、一緒いっしょんでいるとほうじた[36]

ヨーゼフ・フリッツル[編集へんしゅう]

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ヨーゼフ・フリッツルは1935ねん4がつ9にちにアムシュテッテンでヨーゼフ・フリッツル・シニアとマリア・フリッツルのあいだまれ、仕事しごとはは1人ひとりとしてそだてられた。ちちは、ヨーゼフが4さいとき家族かぞくて、二度にど連絡れんらくってくることはなかった。ちちのちだい世界せかい大戦たいせんでドイツ国防こくぼうぐんとしてたたかい、1944ねん戦死せんししたため、かれ名前なまえはアムシュテッテンの記念きねんきざまれている[37]

HTL工科こうか大学だいがく電子でんし工学こうがくおさめたのちかれはリンツの鉄鋼てっこう会社かいしゃヴォーストアルピナはたらはじめた。1956ねんに21さい当時とうじ17さいだったロゼマリアと結婚けっこんし、2人ふたり息子むすこと5にんむすめもうけた。

1967ねんかれ既婚きこん看護かんごいえり(彼女かのじょおっと留守るすあいだに)、のどにナイフをてて強姦ごうかんした。また同年どうねんに21さい女性じょせい強姦ごうかんしようとしたが、これは未遂みすいわった。ヨーゼフは逮捕たいほされ、懲役ちょうえき18かげつ判決はんけつけた[38]釈放しゃくほうされると、かれはアムシュテッテンの建築けんちく資材しざい工場こうじょうしょく、1969ねんから1971ねんまではたらいた。その営業えいぎょうしょくとなり、オーストリアちゅうたびした。

1972ねんかれモンド宿泊しゅくはく施設しせつ隣接りんせつするキャンプじょう購入こうにゅうし、つまとともに1996ねんまで経営けいえいした。

1995ねんに60さいとなって仕事しごとから引退いんたいしたが、その商売しょうばいつづけた。

自分じぶんんでいたアムシュテッテンのほかに、ヨーゼフはなんカ所かしょかに不動産ふどうさんち、していた[10][25][39][40]

犯罪はんざいれき[編集へんしゅう]

ヨーゼフ・フリッツルはリンツで24さい女性じょせい強姦ごうかんし、18かげつあいだ服役ふくえきした。1967ねん年次ねんじ報告ほうこく当時とうじ広報こうほう資料しりょうでは、かれほかにも強姦ごうかん未遂みすい公然こうぜんわいせつの被疑ひぎしゃとなっている。

それから25ねん以上いじょうかれはエリーザベトのんだ1人ひとり子供こども養子ようし縁組えんぐみし、さらに2人ふたり里親さとおやとなることを申請しんせいしたときには、オーストリアの法律ほうりつもとづいてこの記録きろく破棄はきされていたため、地元じもと当局とうきょく過去かこ犯罪はんざいれき気付きづくことができなかった[41]

オーストリアの評判ひょうばん[編集へんしゅう]

連邦れんぽう首相しゅしょうアルフレート・グーゼンバウアーは、この事件じけんによって海外かいがい低下ていかしたオーストリアの信用しんようもどすため、イメージキャンペーンを開始かいしする計画けいかくがあるとかたった[42]

ヨーゼフ・フリッツルの裁判さいばん[編集へんしゅう]

ヨーゼフの裁判さいばん傍聴ぼうちょうあつまる報道陣ほうどうじん

ヨーゼフ・フリッツルの裁判さいばんは、2009ねん3がつ16にちにザンクト・ペルテンでアンドレア・ハマーを裁判さいばんちょうとしてはじまった。

1にち、ヨーゼフはオーストリアの法律ほうりつもとづいて、あおいバインダーのうしろにカメラからかおかくしながら法廷ほうていはいった。開廷かいてい宣言せんげんされると、すべてのジャーナリストや傍聴ぼうちょうじん法廷ほうていから退出たいしゅつするようにうながされ、すぐにヨーゼフはバインダーをろした。ヨーゼフは殺人さつじん脅迫きょうはくのぞすべてのつみについて弁明べんめいした[43]

弁護士べんごしのルードルフ・マイヤーは開廷かいてい挨拶あいさつ陪審ばいしんいんたいし、客観きゃっかんてき判断はんだんし、感情かんじょうながされないよう要請ようせいした。かれは、ヨーゼフは「モンスターではなく」、クリスマス休日きゅうじつには、地下ちかろうクリスマスツリーかざったことをあきらかにした。

検察官けんさつかんのクリスティアナ・ブルクハイマーはこの事件じけん主任しゅにん検察官けんさつかんとして最初さいしょ担当たんとうする事件じけんだった。彼女かのじょ陪審ばいしんいんたいし、1m74cmの法廷ほうていのドアをしめして天井てんじょうがいかにひくかったかをうったえ、被害ひがいしゃ精神せいしんてき圧迫あっぱくされていたことをうったえた。またじめじめした地下ちかしつから採取さいしゅしたカビくさ物体ぶったい法廷ほうていんで環境かんきょう劣悪れつあくさを実証じっしょうし、ヨーゼフにたいする終身しゅうしんけいうったえた[44]

この陪審ばいしんいんは2008ねん7がつにエリーザベトが警察官けいさつかん精神せいしんわした11あいだおよ会話かいわ記録きろくた。このテープは非常ひじょうに「いたましい」もので、8にん陪審ばいしんいんいちに2時間じかん以上いじょうることができなかったとわれている。陪審ばいしんいん審理しんりえられなくなった場合ばあいそなえ、4にん補充ほじゅう陪審ばいしんいんひかえていた[32]

ビデオの検討けんとうほかに、新生児しんせいじ精神せいしんであったエリーザベトのあにハラルトの証言しょうげんおこなわれた[45]。ロゼマリアやエリーザベトの子供こどもたち証言しょうげん拒否きょひした[44]

弁護士べんごしのルードルフ・マイヤーは、審理しんり2にちにビデオによる証言しょうげんおこなわれていたさい変装へんそうしたエリーザベトが傍聴ぼうちょうせきすわっていることを確認かくにんし、「ヨーゼフはエリーザベトが法廷ほうていにいることに気付きづき、あおざめてくずちた。これはヨーゼフのしんわった証拠しょうこだ」とうったえた[46]翌日よくじつ、ヨーゼフは裁判官さいばんかんあゆり、すべてのつみたいする弁明べんめい撤回てっかいした[47]

2009ねん3がつ19にち、ヨーゼフに15年間ねんかん仮釈放かりしゃくほうみとめない終身しゅうしんけい判決はんけつくだった[48]かれ判決はんけつれ、控訴こうそしない意向いこうしめした[49]。ヨーゼフは現在げんざい、かつて修道院しゅうどういんだったオーバーエスターライヒしゅうにあるガルステン刑務所けいむしょ精神せいしん疾患しっかん犯罪はんざいしゃのための特別とくべつ区画くかく収監しゅうかんされている[50]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ “オーストリアのじつむすめ監禁かんきん事件じけん容疑ようぎしゃ自供じきょう. AFPBB News. (2008ねん4がつ29にち). https://www.afpbb.com/articles/-/2384776?pid=2879573 2011ねん5がつ29にち閲覧えつらん 
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関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]