ベルンハルト・シュミット
ベルンハルト・シュミット(Bernhard Schmidt, 1879
経歴 [編集 ]
- 1879
年 3月30日 - エストニアのインゼル・ナルゲンで産 まれた。エストニアの北岸 のタリンに面 するナッサール島 で育 った。この島 の島民 はスウェーデン語 を使 うが、シュミットの家 ではドイツ語 を話 した。子供 の頃 に海岸 で海 の砂 を使 い2枚 の平面 ガラスを海 砂 で摺 り合 わせ凹面を作 って遊 んでいた。15歳 の時 、火薬 を使 った実験 に失敗 して右手 を失 った。 - 1895
年 - タリンに移 り、写真 技師 として働 いた。 - 1896
年 - 1901年 までの間 写真 家 として暮 らした。 - 1900
年 - ドイツ、ザクセン王国 のミットヴァイダに自分 の工場 を建設 し、口径 20cmくらいまでの望遠鏡 を製作 。 - 1901
年 - ミットヴァイダに移 り、機械 工学 の教育 を受 けた。 - 1904
年 - ミットヴァイダで光学 機器 の販売 を始 めた。おもに天文台 で使 われる望遠鏡 のレンズやミラーなどを扱 った。 - 1905
年 - ポツダム天体 物理 天文台 のため直径 44cm、有効 口径 41cm、F2.26球面 主 鏡 と、高次 双 曲面 副 鏡 によるカセグレン式 望遠鏡 を製作 した。この鏡 は天文台 長 だったH.C.フォーゲルが「これは現存 する世界 最良 の鏡 である」と絶賛 している。 - 1909
年 -口径 40cm、焦点 距離 11mのシーロスタットを製作 。 - 1914
年 -第 一 次 世界 大戦 勃発 に伴 い、当時 ロシア領 だったエストニア出身 のシュミットは敵性 外国 人 として半年 抑留 された。その後 も警察 の監視 下 に置 かれ、機材 の一部 を没収 されるなど苦 しんだ。終戦 後 もドイツの経済 難 により仕事 が減 ったこともあり、経済 的 な危機 に立 たされる。 - 1920
年 - リヒャルト・ショールの招聘 によりベルゲドルフ天文台 のため口径 55cm・焦点 距離 11m、口径 60cm・焦点 距離 30mの放 物 面 鏡 を製作 した。その後 も、経済 的 理由 から亡 くなるまで同 天文台 のために勤務 することとなる。 - 1927
年 - ミットヴァイダから天文台 に近 いハンブルクに移 った。 - 1928
年 -自作 の観測 装置 で木星 、土星 、月 の写真 撮影 を始 めた。 - 1930
年 - シュミット式 望遠鏡 を開発 した。最初 のシュミット式 望遠鏡 はハンブルク天文台 の博物館 に展示 されている。 - 1935
年 12月1日 -仕事 先 のオランダから帰国 した直後 、ハンブルクで肺炎 により病死 した。ハンブルク天文台 の近 くに埋葬 された。現在 、同 天文台 にはシュミット博物館 がある。
関連 項目 [編集 ]
参考 文献 [編集 ]
- 「
天文 アマチュアのための望遠鏡 光学 ・反射 編 」吉田 正太郎 著 誠 文 堂 新光 社 ISBN 4-416-28813-1 C0044 1988年 11月30日 発行
脚注 [編集 ]