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ベルンハルト・シュミット

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テューリンゲンしゅうタウテンブルクカール・シュヴァルツシルト天文台てんもんだいにある2mシュミットしき望遠鏡ぼうえんきょう
ベルゲドルフ天文台てんもんだいにあるシュミット博物館はくぶつかん

ベルンハルト・シュミット(Bernhard Schmidt, 1879ねん3月30にち - 1935ねん12月1にち)は、エストニアまれの光学こうがく技術ぎじゅつしゃである。ドイツ活動かつどうした。1931ねんこう視野しや望遠鏡ぼうえんきょうシュミットしき望遠鏡ぼうえんきょう発明はつめいした。ドイツけい

小惑星しょうわくせい (1740) シュミットかれにちなみ命名めいめいされた。

経歴けいれき[編集へんしゅう]

  • 1879ねん3月30にち - エストニアのインゼル・ナルゲンでまれた。エストニアの北岸ほくがんタリンめんするナッサールとうそだった。このしま島民とうみんスウェーデン使つかうが、シュミットのいえではドイツはなした。子供こどもころ海岸かいがんうみすな使つかい2まい平面へいめんガラスをうみすなわせ凹面をつくってあそんでいた。15さいとき火薬かやく使つかった実験じっけん失敗しっぱいして右手みぎてうしなった。
  • 1895ねん - タリンにうつり、写真しゃしん技師ぎしとしてはたらいた。
  • 1896ねん - 1901ねんまでのあいだ写真しゃしんとしてらした。
  • 1900ねん - ドイツ、ザクセン王国おうこくミットヴァイダ自分じぶん工場こうじょう建設けんせつし、口径こうけい20cmくらいまでの望遠鏡ぼうえんきょう製作せいさく
  • 1901ねん - ミットヴァイダにうつり、機械きかい工学こうがく教育きょういくけた。
  • 1904ねん - ミットヴァイダで光学こうがく機器きき販売はんばいはじめた。おもに天文台てんもんだい使つかわれる望遠鏡ぼうえんきょうのレンズやミラーなどをあつかった。
  • 1905ねん - ポツダム天体てんたい物理ぶつり天文台てんもんだいのため直径ちょっけい44cm、有効ゆうこう口径こうけい41cm、F2.26球面きゅうめんぬしきょうと、高次こうじそう曲面きょくめんふくかがみによるカセグレンしき望遠鏡ぼうえんきょう製作せいさくした。このかがみ天文台てんもんだいちょうだったH.C.フォーゲルが「これは現存げんそんする世界せかい最良さいりょうかがみである」と絶賛ぜっさんしている。
  • 1909ねん - 口径こうけい40cm、焦点しょうてん距離きょり11mのシーロスタット製作せいさく
  • 1914ねん - だいいち世界せかい大戦たいせん勃発ぼっぱつともない、当時とうじロシアりょうだったエストニア出身しゅっしんのシュミットは敵性てきせい外国がいこくじんとして半年はんとし抑留よくりゅうされた。その警察けいさつ監視かんしかれ、機材きざい一部いちぶ没収ぼっしゅうされるなどくるしんだ。終戦しゅうせんもドイツの経済けいざいなんにより仕事しごとったこともあり、経済けいざいてき危機ききたされる。
  • 1920ねん - リヒャルト・ショール招聘しょうへいによりベルゲドルフ天文台てんもんだいのため口径こうけい55cm・焦点しょうてん距離きょり11m、口径こうけい60cm・焦点しょうてん距離きょり30mのものめんきょう製作せいさくした。そのも、経済けいざいてき理由りゆうからくなるまでどう天文台てんもんだいのために勤務きんむすることとなる。
  • 1927ねん - ミットヴァイダから天文台てんもんだいちかハンブルクうつった。
  • 1928ねん - 自作じさく観測かんそく装置そうち木星もくせい土星どせいつき写真しゃしん撮影さつえいはじめた。
  • 1930ねん - シュミットしき望遠鏡ぼうえんきょう開発かいはつした。最初さいしょのシュミットしき望遠鏡ぼうえんきょうハンブルク天文台てんもんだい博物館はくぶつかん展示てんじされている。
  • 1935ねん12月1にち - 仕事しごとさきオランダから帰国きこくした直後ちょくご、ハンブルクで肺炎はいえんにより病死びょうしした。ハンブルク天文台てんもんだいちかくに埋葬まいそうされた。現在げんざいどう天文台てんもんだいにはシュミット博物館はくぶつかんがある。

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]


外部がいぶリンク[編集へんしゅう]