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ペラギウス主義しゅぎ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

ペラギウス主義しゅぎとは、5世紀せいきキリスト教きりすときょう神学しんがく歴史れきしじょうあらわれたきょうせつで、ひろ支持しじしゃったが、正統せいとうキリスト教きりすときょうから異端いたんとされた。

ローマ修道しゅうどうペラギウス(350?-425ねん?)が提唱ていしょうしたことからこのく。実際じっさいに、このきょうせつひろめたのは、弟子でしケレスティウスである。

ペラギウスにかんしてはほとんどのことかってはいない。修道しゅうどうであったとしばしば言及げんきゅうされるが、本当ほんとうにそうだったかもさだかではない。アウグスティヌスによれば、かれブリタンニアあるいはカレドニア出自しゅつじでローマにながあいだんでいたとう。かれはその禁欲きんよく苦行くぎょう過激かげきさと演説えんぜつ雄弁ゆうべんさですでにローマのぞくしゅうではよくられており、かれきょうせつ本質ほんしつあかるみにるまでキリスト教きりすときょう重鎮じゅうちんアウグスティヌスでさえも、かれ行動こうどう聖人せいじんのようにきよらかなひととらえていた。

きょうせつ

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実際じっさいのペラギウスがいたおしえはどのようなものかはかってはいない。かれおしえは弟子でしケレスティウスによってつたえられたものである。

それによると、ペラギウスのせつとはかみ人間にんげんぜんなるものとして創造そうぞうしたのであり、人間にんげん原罪げんざいかみぜんのものとしてつくりたもうた人間にんげん本質ほんしつけがすものではないとする。ゆえかみからのせいちょう必要ひつようとはせず、自分じぶん自由じゆう意志いしによって功徳くどくむことですくいれいいたることが可能かのうであるとするものとかんがえた。その人間にんげんすくいれいいたるまでのみちとしてアダムしきれいとし、イエズス・キリストをよきれいとした。また人間にんげん個人こじんみずかすくいれいかみすくいを必要ひつようとしないので、イエズスの受難じゅなん人間にんげん全般ぜんぱんつみをあがなったものではないとかんがえた。 また幼児ようじ洗礼せんれい否定ひていしていたとされる。

かれせつは、そのおおくが、ケルトじんであるかれ出自しゅつじないしかれまなんだギリシアからギリシア哲学てつがく影響えいきょうけている。すなわち人間にんげん各人かくじんおのれ責任せきにんって行動こうどうおこなうという人間にんげん独立どくりつせいかかげ、また人間にんげん意志いしとはちょう自然しぜんてき存在そんざいかれはそれを原罪げんざいんだのかもしれないが−に対峙たいじしてつものとして強調きょうちょうした。このようにペラギウス主義しゅぎにはギリシア哲学てつがく、とくにストア影響えいきょう見受みうけられたが、かれせつ当時とうじ教父きょうふたちがおしえとはおおきくことなっていた。

経緯けいい

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このように人間にんげん意志いしかみすくいを必要ひつようとしないというペラギウス主義しゅぎは、人間にんげん選択せんたく自由じゆうはあるが究極きゅうきょくてきにはすくいはかみ栄光えいこうからいたるというアウグスティヌス主張しゅちょうとは対立たいりつした。またアウグスティヌスは人間にんげん選択せんたく自由じゆうなかにもじつ神意しんい采配さいはい宿やどっているとしており、人間にんげん単身たんしん選択せんたくではすくいのみちけず、かみ恩寵おんちょうむすびついた選択せんたくによりみちけるとしていた。

このてんアウグスティヌスヒエロニムスはペラギウス主義しゅぎ批判ひはんし、418ねんカルタゴ会議かいぎ英語えいごばんなどで異端いたんとして排斥はいせきされ、さほどな重要じゅうよう問題もんだいとはおもわれてはいなかったが431ねんエフェソスこう会議かいぎ異端いたんであることさい確認かくにんされた。

関連かんれん項目こうもく

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