ポン=ラベ (Pont-l'Abbé 、ブルトン語 ご :Pont-'n-Abad)は、フランス 、ブルターニュ地域 ちいき 圏 けん 、フィニステール県 けん のコミューン 。ビグダン地方 ちほう の中心 ちゅうしん 地 ち である。
ポン=ラベ。左 ひだり はサン・ローラン埠頭 ふとう
ポン=ラベ川 がわ 右岸 うがん にある、水 みず につかったメンヒル
ポン=ラベは、ポン=ラベ川 がわ (Rivière de Pont-l'Abbé)と呼 よ ばれる、三角州 さんかくす というよりむしろリアス式海岸 りあすしきかいがん の奥 おく に位置 いち する。ブルターニュのランデルノー 、シャトーラン 、カンペール 、カンペルレ と同 おな じように、沿岸 えんがん 河川 かせん の最 もっと も下流 かりゅう にある橋 はし の場所 ばしょ で誕生 たんじょう した町 まち である。潮 しお の影響 えいきょう を受 う ける限界 げんかい にあり、満潮 まんちょう 時 じ に港 みなと や埠頭 ふとう まで航行 こうこう できる限界 げんかい と一致 いっち する。1385年 ねん 、ローマ教皇 きょうこう クレメンス7世 せい は、Ponte Abbatiの海 うみ の港 みなと について言及 げんきゅう した[ 1] 。この地 ち はポン=ラベ城 じょう で防衛 ぼうえい されており、ポン=ラベ川 がわ を堰 せき 止 と める水車 みずぐるま が、川 かわ の上流 じょうりゅう 部 ぶ を示 しめ していた。下流 かりゅう の一部 いちぶ は海 うみ からの影響 えいきょう を受 う けた。
ポン=ラベ川 がわ はケリフォレ近郊 きんこう で生 う まれる。そこは町 まち の西南 せいなん 西 にし 、ランデュデック とプロガステル=サン=ジェルマン との境界 きょうかい にあたるところである。当初 とうしょ は南東 なんとう に向 む かって流 なが れ、西 にし のプメリとプロネウール=ランヴェルン、そして東 ひがし のトレメオックの間 あいだ を通過 つうか したら、その後 ご 南 みなみ 向 む きになる。この流 なが れはプラン・デュ・ムーラン・ヌフ(Plan du Moulin Neuf)というダムでせき止 と められる。下流 かりゅう の海岸 かいがん 沿 ぞ いの小 ちい さな川 かわ が南 みなみ へ流 なが れてポン=ラベ川 がわ となる。かつては流 なが れに沿 そ って多 おお くの水車 みずぐるま が並 なら んでいた。
海上 かいじょう におけるポン=ラベ川 がわ は、左岸 さがん にあるポン=ラベのランブール地区 ちく と右岸 うがん のロクテュディ を分離 ぶんり するリアス式海岸 りあすしきかいがん である。右岸 うがん にはコンブリ=サント=マリーヌ とイル=テュディ がある。河口 かこう には小島 こじま が点在 てんざい する。左岸 さがん のボディヨ半島 はんとう は自然 しぜん 保護 ほご 区 く となっている。
ポン=ラベとはラテン語 らてんご 名 めい Ponte Abbatiに由来 ゆらい する。これは1224年 ねん にロクテュディのサン・テュディ修道 しゅうどう 院長 いんちょう が建設 けんせつ させた橋 はし から派生 はせい している。修道院 しゅうどういん 長 ちょう は橋 はし の所有 しょゆう 者 しゃ でもあった。
廃墟 はいきょ のままであるランブールのサン・ジャック教会 きょうかい
古 ふる い絵葉書 えはがき に描 えが かれたポン=ラベの刺繍 ししゅう 職人 しょくにん 11世紀 せいき 、ポンの最初 さいしょ の領主 りょうしゅ は、ポン=ラベ川 がわ を横断 おうだん する橋 はし の先頭 せんとう に封建 ほうけん 時代 じだい のモット を建設 けんせつ した。その場所 ばしょ はロクテュディ修道院 しゅうどういん の敷地 しきち 内 ない であったが、9世紀 せいき のノルマン人 じん 襲来 しゅうらい 以降 いこう 放棄 ほうき されていた。
何人 なんにん かの歴史 れきし 家 か は、最初 さいしょ の領主 りょうしゅ はジュエル・デュ・ポンであったとみている。彼 かれ はドル 包囲 ほうい 戦 せん の際 さい にイングランド王 おう の捕虜 ほりょ となった。ヘンリー2世 せい との間 あいだ に結 むす んだ条約 じょうやく による身代金 みのしろきん を支払 しはら って、1174年 ねん に保釈 ほしゃく された。しかし彼 かれ がポン=ラベの家門 かもん に属 ぞく していたとは考 かんが えにくい。
初 はじ めて名 な が記 しる されたのは、1220年代 ねんだい に書 か かれたカンペール大 だい 聖堂 せいどう の特許 とっきょ 状 じょう 台帳 だいちょう においてである。この時 とき の名称 めいしょう はエルヴェ(Hervé)であった。それは、ラテン語 らてんご で『サン=テュディ修道 しゅうどう 院長 いんちょう 』を意味 いみ するAbbas Tudiとして、世俗 せぞく 的 てき な世襲 せしゅう として続 つづ いた可能 かのう 性 せい がある。このAbbas Tudiは、12世紀 せいき のランデヴェネック修道院 しゅうどういん やカンペルレ修道院 しゅうどういん の特許 とっきょ 状 じょう 台帳 だいちょう において、公的 こうてき 行為 こうい を行 おこな う世俗 せぞく 的 てき な証 あかし であったと言及 げんきゅう されている。
16世紀 せいき 、ポン=ラベ男爵 だんしゃく 家 か の一部 いちぶ の者 もの たちはユグノー であったため、彼 かれ らの一部 いちぶ は1572年 ねん にパリで発生 はっせい した聖 せい バルテルミーの虐殺 ぎゃくさつ において、建物 たてもの の窓 まど から外 そと へ投 な げ落 お とされた。
ランブールの小 しょう 教 きょう 区民 くみん たちは、1675年 ねん に起 お きたビグダン地方 ちほう での印紙 いんし 税 ぜい 一揆 いっき に積極 せっきょく 的 てき に参加 さんか した。ルイ14世 せい の名 な においてショルヌ公爵 こうしゃく が指揮 しき した弾圧 だんあつ により、暴動 ぼうどう を起 お こすため人々 ひとびと に鐘 かね を鳴 な らして知 し らせたからという理由 りゆう で、ランブールのサン・ジャック教会 きょうかい の塔 とう が低 ひく くされ、再建 さいけん されることはなかった。教会 きょうかい は13世紀 せいき 後半 こうはん に建 た てられ、16世紀 せいき に再建 さいけん されている。19世紀 せいき 後半 こうはん にはもはや建物 たてもの は維持 いじ されておらず、保存 ほぞん 修復 しゅうふく に取 と り組 く んだものの、教会 きょうかい は1983年 ねん 以降 いこう 廃墟 はいきょ となっている。
ランブールの小 しょう 教区 きょうく はコンブリト教区 きょうく に依存 いぞん しており、かつてはシュヴァリエ島 とう にサン・ジルダス礼拝 れいはい 堂 どう が存在 そんざい した。サン・セルヴェ礼拝 れいはい 堂 どう は同 おな じ名 めい の村 むら にあり、ジュスティス礼拝 れいはい 堂 どう と呼 よ ばれていたが、フランス革命 かくめい 中 なか に国民 こくみん 資産 しさん として売却 ばいきゃく された。ランブールは1790年 ねん の一時期 いちじき に教区 きょうく であったが、ポン=ラベに併合 へいごう された。革命 かくめい の間 あいだ 、町 まち はポン=マラー(Pont-Marat)と改名 かいめい させられていた。
1937年 ねん 、ポン=ラベの夏 なつ の観光 かんこう 客数 きゃくすう は、ホテル宿泊 しゅくはく 者 しゃ や滞在 たいざい 者 しゃ を含 ふく め概算 がいさん で1000人 にん に達 たっ していた[ 2] 。
1962年 ねん
1968年 ねん
1975年 ねん
1982年 ねん
1990年 ねん
1999年 ねん
2006年 ねん
2010年 ねん
6396
6791
7325
7266
7374
7849
8132
8322
参照 さんしょう 元 もと :1999年 ねん までEHESS[ 3] 、2000年 ねん 以降 いこう INSEE [ 4] [ 5]
2008年 ねん 、コミューン議会 ぎかい はYa d'ar brezhoneg 憲章 けんしょう の批准 ひじゅん を可決 かけつ した。2007年 ねん の新 しん 学期 がっき において、コミューンの児童 じどう 5.2%が二 に 言語 げんご 教育 きょういく を行 おこな う学校 がっこう に在籍 ざいせき していた[ 6] 。
刺繍 ししゅう と籠 かご 編 あ みが伝統 でんとう 工芸 こうげい として伝 つた わる。7月 がつ 第 だい 2週 しゅう の週末 しゅうまつ には刺繍 ししゅう 祭 まつ りが開 ひら かれ、ブルトン音楽 おんがく の楽団 がくだん であるバガドが練 ね り歩 ある く。豊富 ほうふ な刺繍 ししゅう の施 ほどこ された衣服 いふく を注文 ちゅうもん を受 う けて作 つく る刺繍 ししゅう 職人 しょくにん は、職人 しょくにん の兄弟 きょうだい 会 かい 組織 そしき をつくっていた。9月の第 だい 4日曜日 にちようび にはトレミウのパルドン祭 まつ り 、7月 がつ 最後 さいご の日曜日 にちようび にはランブールのパルドン祭 まつ りが行 おこな われる。