マイショップ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

マイショップは、日本にっぽんにかつて存在そんざいしたコンビニエンスストアチェーン。日本にっぽんのコンビニエンスストアの草分くさわけのひとつ。西日本にしにほん中心ちゅうしん店舗てんぽ展開てんかいしていた。

ボランタリーチェーン方式ほうしき採用さいようしていたが、一方いっぽうではフランチャイズシステムを採用さいようしたグループを組織そしきしていた[1]

沿革えんかく[編集へんしゅう]

  • 1966ねん12月 - 兵庫ひょうごけんで43てんがメンバーとなり協同きょうどう組合くみあいマイショップチェーンを設立せつりつ
  • 1969ねん3月 - 大阪おおさか豊中とよなかだいいちごうてんとなる「マミイ」がオープン。
  • 1972ねん4がつ - コンビニエンスストア運営うんえいべつ会社かいしゃ、コンビニエントマイショップ株式会社かぶしきがいしゃ設立せつりつ
  • 1973ねん6がつ - 米国べいこくショートストップしゃ提携ていけい
  • 1974ねん4がつ - 地区ちく本部ほんぶせい採用さいよう
  • 1976ねん - 店舗てんぽすう100てん達成たっせい[2]
  • 1978ねん6がつ - 首都しゅとけん進出しんしゅつ
  • 1980ねん9月 - Kマート提携ていけい[3]
  • 1982ねん
    • 店舗てんぽすう500てん達成たっせい
    • 商品しょうひん仕入しい業務ぎょうむ代金だいきん決済けっさい業務ぎょうむ本部ほんぶから、かく地区ちく本部ほんぶうつ[4]
  • 1983ねん6がつ - 地区ちく本部ほんぶ会社かいしゃ宮城みやぎマイショップ(本部ほんぶ仙台せんだい)が倒産とうさん[5]
  • 1984ねん - スーパーバイザー研修けんしゅう担当たんとう本部ほんぶからかく地区ちく本部ほんぶうつ[4]
  • 1985ねん
    • 3月 - オンラインシステム導入どうにゅうをめぐり、協同きょうどう組合くみあい一部いちぶ地区ちく本部ほんぶ対立たいりつ表面ひょうめんする[6]
    • 8がつ - 大阪おおさか地区ちく地区ちく本部ほんぶであったコンビニエントマイショップ(社長しゃちょう稲垣いながきゆうあきら)が不動産ふどうさん投機とうき失敗しっぱいしたことなどから倒産とうさん
  • 1986ねん
    • 7がつ - 協同きょうどう組合くみあいマイショップチェーン理事りじちょう稲垣いながきゆうあきら逝去せいきょ
    • 9月 - 加盟かめいてん半数はんすうとなる200てんがマイショップチェーン連盟れんめい結成けっせい本部ほんぶ京都きょうと)。日本にっぽんボランタリーチェーン協会きょうかい加盟かめい申請しんせい[7]
    • 11月 - 協同きょうどう組合くみあいマイショップチェーンが解散かいさん。12地域ちいき本部ほんぶにより、競合きょうごう他社たしゃ情報じょうほう交換こうかんとうおこな任意にんい団体だんたいマイショップチェーン連盟れんめい結成けっせい。その1989ねんさい結集けっしゅうはなしもあったが、結局けっきょく実現じつげんしなかった[8]

特色とくしょく[編集へんしゅう]

地区ちく本部ほんぶせい[編集へんしゅう]

地方ちほう有力ゆうりょく企業きぎょう提携ていけいして地区ちく本部ほんぶ会社かいしゃ設立せつりつするという独特どくとく方式ほうしきでチェーン展開てんかいしていた。

中央ちゅうおう本部ほんぶ過大かだい比重ひじゅうかるのをけ、あわせて地域ちいき密着みっちゃく姿勢しせいねらおうというもので、地区ちく本部ほんぶ法人ほうじんがその地域ちいきのチェーンすすめ、本部ほんぶ商品しょうひん開発かいはつ販売はんばい企画きかく経営けいえい指導しどう人材じんざい教育きょういく商品しょうひん提供ていきょうなどのノウハウを提供ていきょうする仕組しくみとなっている[9]提携ていけいさきは、店舗てんぽ改装かいそう業者ぎょうしゃ食品しょくひん菓子かし問屋とんや労働ろうどうしゃ住宅じゅうたく協会きょうかいなどじつ多彩たさいであった。

地区ちく本部ほんぶ地元じもと加盟かめい希望きぼうてん調査ちょうさ加盟かめいてんたいする経営けいえい指導しどうおも業務ぎょうむ調査ちょうさ経営けいえい指導しどう地区ちく本部ほんぶまかせれば、それだけ本部ほんぶ負担ふたんかるくなり、効率こうりつ経営けいえい可能かのうになるとかんがえていた。 また、セブン-イレブンローソンけんがい資本しほんとして、地元じもと小売こうりてんなどから敵対てきたいされていたが、マイショップは商品しょうひん納入のうにゅう地元じもと業者ぎょうしゃ起用きようしていたため、こうした批判ひはんなかった[10]

地区ちく本部ほんぶ法人ほうじん一覧いちらん[1]

(1981ねん時点じてん)

  • (かぶ)東日本ひがしにっぽんマイショップ
  • (かぶ)マイショップ東京とうきょうジャパン(1979ねん8がつ設立せつりつ[11]。1987ねん1がつ、1982ねん設立せつりつされたマイショップ北関東きたかんとう統合とうごう[12]
  • (かぶ)宮城みやぎマイショップ(1979ねん7がつ設立せつりつ高松たかまつてん(ニコマートが営業えいぎょうけんぎ)を本店ほんてんとし宮城みやぎ県内けんない最大さいだい9店舗てんぽ展開てんかい。1983ねん宮城みやぎマイショップ倒産とうさん[5]
  • (かぶ)神奈川かながわマイショップ(1979ねん設立せつりつ[13]
  • (かぶ)京都きょうとマイショップ(1980ねん4がつ設立せつりつ[11]
  • (かぶ)姫路ひめじマイショップ
  • (かぶ)日本海にほんかいマイショップ
  • 広島ひろしまマイショップ(かぶ)(1977ねん10がつ設立せつりつ[14]
  • (かぶ)山陰さんいんマイショップ
  • 山陽さんようマイショップ(かぶ)
  • きた近畿きんきマイショップ(かぶ)
  • 滋賀しがマイショップ(かぶ)
  • (かぶ)奈良ならマイショップ
  • きたりくマイショップ(かぶ)(1976ねん設立せつりつ[15]
  • 山口やまぐちマイショップ(かぶ)
  • みなみ大阪おおさかマイショップ(かぶ)
  • (かぶ)和歌山わかやまマイショップ
  • 愛知あいちマイショップ(かぶ)
  • (かぶ)岡山おかやまマイショップ
  • 瀬戸内せとうち商事しょうじ(かぶ)
  • みなみ四国しこくマイショップ(かぶ)
  • 高知こうちマイショップ(かぶ)
  • (かぶ)九州きゅうしゅうマイショップ
  • (かぶ)みなみ日本にっぽんマイショップ
  • (かぶ)西日本にしにほんマイショップ
  • (かぶ)沖縄おきなわマイショップ
  • (かぶ)熊本くまもとマイショップ
  • 宮崎みやざきマイショップ

VCとFCのふたつのかお[編集へんしゅう]

さい上位じょういに、小売こうり主宰しゅさいのボランタリーチェーン(VC)・協同きょうどう組合くみあいマイショップチェーンが存在そんざいし、協同きょうどう組合くみあいはコンビニエント・マイショップにたいし、指導しどうめんでの業務ぎょうむ委託いたくしている。

コンビニエント・マイショップは、中央ちゅうおう本部ほんぶともばれるフランチャイザー会社かいしゃで、京阪神けいはんしん地方ちほうでは小売こうり店舗てんぽ直接ちょくせつ契約けいやくちつつ、中央ちゅうおう本部ほんぶとして各地かくち地区ちく本部ほんぶ指導しどうになっている。このよう複雑ふくざつ組織そしき構造こうぞうとなっているのは、拡大かくだい過程かてい地区ちく本部ほんぶせい導入どうにゅうったことによる影響えいきょうである。

なお、フランチャイズシステムに移行いこうしたのは、VCという曖昧あいまい活動かつどうでは加盟かめいてん生産せいさんせいがあがらないという事情じじょうがあったからとされている[16]

商品しょうひん構成こうせい[編集へんしゅう]

1979ねん時点じてんで、店舗てんぽすう売上うりあげだかとも業界ぎょうかい1のぼりつめていたセブン-イレブンは、一般いっぱん食品しょくひん61%、雑貨ざっかるい21%、生鮮せいせん食品しょくひん6%となっているのにたいして、マイショップでは一般いっぱん食品しょくひん46%、生鮮せいせん食品しょくひん45%、雑貨ざっかるい9% と生鮮せいせん食品しょくひん割合わりあいたかいのが特徴とくちょうであった。

標準ひょうじゅんてん取扱とりあつかい品目ひんもくすうは、セブンイレブンが平均へいきん3,500品目ひんもくたいし、マイショップは2,000品目ひんもくであった[1]

問題もんだいてん[編集へんしゅう]

  • 店舗てんぽ展開てんかい地区ちく本部ほんぶ会社かいしゃまかせのため中央ちゅうおう本部ほんぶのイキのかった統一とういつてきなチェーン展開てんかいができるのか、当時とうじから疑問ぎもんとなっていた[1]
  • どういちてんないにミニスーパーてき要素ようそとアメリカがたCVSてき要素ようそ同居どうきょしていて、違和感いわかんがある店構みせがまえであった。
  • マイショップの加盟かめいはすべて稲垣いながき理事りじちょう最終さいしゅうてき決断けつだんくだしていた(1979ねん時点じてん[17]。システムとしてうごかなくてはならないチェーンでありながら、システム不十分ふじゅうぶんであった。
  • しょうりゅう物流ぶつりゅう菱食りょうしょくまかせのため、「VCというよりも経営けいえいコンサルタント会社かいしゃんだほうが相応ふさわしい」と関係かんけいしゃから皮肉ひにくられていた[18]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d よしみね友三郎ともさぶろう総合そうごう食品しょくひん」、総合そうごう食品しょくひん研究所けんきゅうじょ、1981ねん2がつ 
  2. ^ かご憲二けんじ産業さんぎょう能率のうりつ Industrial efficiency」、大阪おおさか能率のうりつ協会きょうかい、1979ねん7がつ 
  3. ^ 「Kマートとマイショップ,コンビニエンス・ストア部門ぶもん提携ていけい―1156店舗てんぽとセブンイレブン く」『日本経済新聞にほんけいざいしんぶん夕刊ゆうかん)』1980ねん9がつ29にち
  4. ^ a b 滝山たきやま記者きしゃ (1986ねん11月24にち). “マイショップチェーン-指導しどうしゃうしな実質じっしつ解散かいさん(岐路きろつVC)”. 日経にっけい流通りゅうつう新聞しんぶん: p. 15 
  5. ^ a b 「コンビニてん淘汰とうた時代じだい宮城みやぎマイショップ倒産とうさん――負債ふさいがくは1おくえんちかくに。」『日本経済新聞にほんけいざいしんぶん』、1983ねん7がつ9にち地方ちほう経済けいざいめん 東北とうほくA。
  6. ^ 情報じょうほうシステム導入どうにゅう本部ほんぶ地区ちくてん対立たいりつ”. 日経にっけい流通りゅうつう新聞しんぶん: p. 12. (1985ねん3がつ11にち) 
  7. ^ “マイショップチェーン 運営うんえい方式ほうしきめぐり分裂ぶんれつ”. 日経にっけい流通りゅうつう新聞しんぶん: p. 15. (1986ねん10がつ6にち) 
  8. ^ “マイショップチェーン連盟れんめい来春らいしゅんをメドに法人ほうじん本格ほんかくてき事業じぎょう活動かつどう始動しどう。”. 日経にっけい流通りゅうつう新聞しんぶん: p. 12. (1988ねん8がつ9にち) 
  9. ^ 流通りゅうつう経済けいざい手引てびき 1976年版ねんばん日本経済新聞社にほんけいざいしんぶんしゃ、295ぺーじ 
  10. ^ 流通りゅうつう経済けいざい手引てびき 1978年版ねんばん日本経済新聞社にほんけいざいしんぶんしゃ、356-357ぺーじ 
  11. ^ a b 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2024ねん2がつ19にち閲覧えつらん
  12. ^ 流通りゅうつう社長しゃちょう工藤くどう道雄みちお――東京とうきょう長野ながの中心ちゅうしんとし20てん出店しゅってんを(話題わだいWho’sWho)」『日経にっけい流通りゅうつう新聞しんぶん』、1987ねん10がつ17にち
  13. ^ 「コンビニのマイショップ、神奈川かながわ進出しんしゅつへチェーンてん管理かんり会社かいしゃ神奈川かながわマイショップを設立せつりつ。」『日経にっけい流通りゅうつう新聞しんぶん』、1979ねん11月26にち
  14. ^ 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2024ねん2がつ17にち閲覧えつらん
  15. ^ 「マイショップ、北陸ほくりく地方ちほう進出しんしゅつ――まず高岡たかおかにコンビニてん。」『日本経済新聞にほんけいざいしんぶん』、1976ねん4がつ24にち夕刊ゆうかん
  16. ^ 流通りゅうつう経済けいざい手引てびき 1980年版ねんばん日本経済新聞社にほんけいざいしんぶんしゃ、83ぺーじ 
  17. ^ 総合そうごう食品しょくひん」、総合そうごう食品しょくひん研究所けんきゅうじょ、1979ねん7がつ 
  18. ^ 総合そうごう食品しょくひん」、総合そうごう食品しょくひん研究所けんきゅうじょ、1980ねん6がつ 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

  • オレンジハート - 前身ぜんしん株式会社かぶしきがいしゃマイショップ北関東きたかんとう
  • マイ・マート - 前身ぜんしん淡路あわじマイショップ株式会社かぶしきがいしゃ