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マスクラット・ランブル

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

マスクラット・ランブル (Muskrat Ramble)」は、1926ねんキッド・オリー作曲さっきょくしたジャズ楽曲がっきょく1926ねん2がつ26にちルイ・アームストロングとホット・ファイヴ(Louis Armstrong and his Hot Five)によって最初さいしょ録音ろくおんされ、以降いこう、このグループにとってもっと数多かずおお録音ろくおんかえ楽曲がっきょくとなった[1]。1930年代ねんだいかあ1940年代ねんだいにかけてのディキシーランド・リバイバル時期じきには、もっと重要じゅうようなレパートリーとなり、そのボブ・クロスビー(Bob Crosby)、ロイ・エルドリッジ(Roy Eldridge)、ライオネル・ハンプトンウディ・ハーマンマグシー・スパニア(Muggsy Spanier)、チェット・アトキンスルー・ワターズ(Lu Watters)など、様々さまざまなミュージシャンがこのきょく録音ろくおんした[1]今日きょうでは、ジャズ・スタンダードきょくのひとつとなされている[2][3]曲名きょくめいの「マスクラット・ランブル」は、「マスクラット散歩さんぽ」といった意味いみであるが、最初さいしょのリリースのさいには、あやまって曲名きょくめいが「マスカット・ランブル (Muskat Ramble)」と印刷いんさつされたという逸話いつわもある[1]

オリーはもともと、このきょく1921ねん作曲さっきょくしたとつたえられており、曲名きょくめい最初さいしょ録音ろくおんセッションのさいリル・ハーディン・アームストロング(Lil Hardin Armstrong)がけたものとされている。一方いっぽう、アームストロングは、このきょく自分じぶん作曲さっきょくしたとインタビューで主張しゅちょうし、名前なまえけただけなのはオリーのほうだとべている[1]シドニー・ベチェット(Sidney Bechet)は、このきょくはもともと「The Old Cow Died and the Old Man Cried」というバディ・ボールデンふるきょくであるとべている[4]。キッド・オリーの権利けんり継承けいしょうしゃは、ウッドストック・フェスティバル有名ゆうめいになった「Feel Like I'm Fixin to Die Rag」がオリーの「マスクラット・ランブル」の旋律せんりつ使つかっているとして、2001ねんカントリー・ジョー・アンド・ザ・フィッシュカントリー・ジョー・マクドナルド著作ちょさくけん侵害しんがいうったえた。このうったえは、うったるのがおそすぎたとして却下きゃっかされた。

レイ・ギルバート(Ray Gilbert)は、1950ねんに、もともとインストゥルメンタル演奏えんそうようであったこのきょく歌詞かしせた。1956ねんASCAPくだした裁定さいていによって、ギルバートは、ボーカルきかインストゥルメンタルかをわず、このきょくのあらゆる演奏えんそうたいして1/3の権利けんりみとめられた[5]。 ギルバートがつけた歌詞かしうたわれるバージョンは、1950ねん2がつ24にちハリウッドで、フィル・ハリスかれのディキシーランド・シンコペーター(Phil Harris and His Dixieland Syncompators)によって(フィル・ハリスのボーカルで)録音ろくおんされた。この録音ろくおんは、米国べいこくではRCAビクター・レコードから、カタログ番号ばんごう20-3273 で、英国えいこくではEMIHis Master's Voice レーベルから、カタログ番号ばんごうB 9927で発売はつばいされた。

ビッグ・チーフ・ジャズバンド(Big Chief Jazzband)による演奏えんそうは、1954ねん1がつ8にちノルウェーオスロおこなわれ、SPばんHis Master's Voice レーベルから、カタログ番号ばんごう A.L. 3371 で発売はつばいされた。

この楽曲がっきょくは、冒頭ぼうとうに32小節しょうせつのアンサンブル(合奏がっそう)のセクションがあり、つづく16小節しょうせつトロンボーンコルネットクラリネットのソロのためのセクションになっている。ソロののちふたたび32小節しょうせつのアンサンブルがかなでられ、2小節しょうせつぶんのトロンボーンによるタグ(tag)がけられる[1]終結しゅうけつのオリーのタグは、ほとんどの演奏えんそうでそのままコピーされる[6]。アンサンブルのセクションでは、クラリネット、コルネット、トロンボーンが、1920年代ねんだいのニューオリンズのバンドに典型てんけいてきな3こえ対位法たいいほうてき旋律せんりつかなでる[7]

はつ録音ろくおんのパーソネル[編集へんしゅう]

1926ねんのオリジナル録音ろくおんおこなったパーソネルは以下いかとおりである[8]

出典しゅってん脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d e Anderson & Budds 2007, p. 74
  2. ^ Giddins 2004, p. 531
  3. ^ Bayles 1996, p. 227
  4. ^ Wintz & Finkelman 2004, p. 940
  5. ^ “'Muskrat' Decision May Spark Hassle”, Billboard (Nielsen Business Media, Inc.), (_/1956-12-15), ISSN 0006-2510 
  6. ^ Anderson & Budds 2007, p. 77
  7. ^ Scott 2003, p. 187
  8. ^ Kernfeld 1995, p. 22

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • Anderson, Gene Henry; Budds, Michael J. (2007), The Original Hot Five Recordings of Louis Armstrong, Pendragon Press, ISBN 1576471209 
  • Bayles, Martha (1996), Hole in Our Soul: The Loss of Beauty and Meaning in American Popular Music, University of Chicago Press, ISBN 0226039595 
  • Giddins, Gary (2004), Weather Bird: Jazz at the Dawn of Its Second Century, Oxford University Press US, ISBN 0195156072 
  • Kernfeld, Barry Dean (1995), The Blackwell Guide to Recorded Jazz, Wiley-Blackwell, ISBN 0631195521 
  • Scott, Derek B. (2003), From the Erotic to the Demonic: On Critical Musicology, Oxford University Press US, ISBN 019515195X 
  • Wintz, Cary D.; Finkelman, Paul (2004), Encyclopedia of the Harlem Renaissance, Taylor & Francis, ISBN 1579584586 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]