マックス・エルンスト
マックス・エルンスト Max Ernst ![]() | |
---|---|
![]() | |
1891 | |
![]() | |
1976 | |
![]() | |
![]() | |
ダダイスム、 | |
|
マックス・エルンスト(Max Ernst, 1891
ドイツのケルン
生涯 [編集 ]
誕生 [編集 ]
1891
ドイツ時代 開花 期 [編集 ]
1909
1912
1914
1917
1918
1919
1920
パリ時代 芸術 的 冒険 の日々 [編集 ]
1921
1922
1924
1925
1926
1927
1929
1930
1931
1934
1935
1936
1937
1938
1939
1940
アメリカ時代 迫害 と亡命 [編集 ]
1941
1942
1943
1946
1948
ふたたびパリ時代 晩年 [編集 ]
1949
1950
1954
1955
1956
1959
1964
1968
1972
1975
1976
2005
代表 作 [編集 ]
- セレベスの
象 (1921年 )(ロンドン、テート・ギャラリー) - ユビュ
王 (1923年 )(ポンピドゥー・センター) - ナイチンゲールに
脅 かされるふたりの子供 (1924年 )(ニューヨーク近代 美術館 ) 美 しき女 庭師 (1924年 )(現在 消失 )博物 誌 (1926年 )百 頭 女 (1929年 )- ロプロプがロプロプを
指 し示 す(1930年 )(ヒューストン、メニル・コレクション) 都市 の全景 (1935年 )(チューリヒ美術館 )花嫁 衣装 (1940年 )(グッゲンハイム美術館 )- ユークリッド(1943
年 )(ヒューストン、メニル・コレクション) 沈黙 の目 (1944年 )(ワシントン大学 )大 アルベルトゥス(1957年 )(ヒューストン、メニル・コレクション)美 しき女 庭師 の帰還 (1967年 )(ヒューストン、メニル・コレクション)
日本 所蔵 の作品 [編集 ]
白鳥 はとてもおだやか…(1920年 )(横浜 美術館 )森 と太陽 (1927年 )(富山 県立 近代 美術館 )石 化 した森 (1927年 )(国立 西洋 美術館 )海 と太陽 (1933年 )(筑波大学 )- ニンフ・エコー(1936
年 )(新潟 市 美術館 ) - ポーランドの
騎士 (1954年 )(愛知 県 美術館 ) 暗黒 の神 々(1955年 )(諸橋 近代 美術館 )夢 創 りの達人 (1959年 )(笠間 日動 美術館 )青 い背景 の旭日 (1962年 )(東京富士 美術館 )
ロマン・コラージュ(コラージュ小説 )[編集 ]
- 『
百 頭 女 』(La Femme 100 têtes)巌谷 国士 訳 、河出書房新社 (河出 文庫 )1996年 - 『カルメル
修道 会 に入 ろうとしたある少女 の夢 』(Rêve d'une petite fille qui voulut entrer au Carmel)巌谷 国士 訳 、河出書房新社 (河出 文庫 )1996年 - 『
慈善 週間 または七 大 元素 』(Une semaine de bonté)巌谷 国士 訳 、河出書房新社 (河出 文庫 )1997年
評論 [編集 ]
絵画 の彼岸 (1937年 )
逸話 [編集 ]
幼少 時 、はしかにかかって熱 に浮 かされているとき、天井 のマホガニーの羽目板 の木目 が目玉 になったり鼻 や鳥 の頭 になるなどの幻覚 にとらわれ、それ以降 もしばしば壁 などを凝視 していて幻覚 を引 きおこすようになる。その後 、1925年 に突如 として海辺 の宿屋 で同 じ体験 をしたマックスは、紙 を木目 上 に置 いて鉛筆 で擦 り、注意深 く眺 めて絵画 の着想 を得 ることを覚 えた。フロッタージュの技法 への到達 であった[2]。高校生 時代 (1906年 )、愛鳥 であるインコのホルネボムが死 んだ次 の朝 に、母親 が妹 ロニを出産 した。少年 マックスは衝撃 を受 け、妹 が鳥 の精気 を吸収 してこの世 に生 を受 けたと信 じ、それ以後 鳥 のイメージが彼 の重要 なモチーフとなった。特 に鳥類 の王者 ・怪 鳥 ロプロプを中心 に配 したシリーズは彼 の好 むところの作品 である[2]。彼 の代表 作 のひとつに、裸婦 の全身 を描 く『美 しき女 庭師 』(1924年 )があるが、台頭 してきたナチスに接収 され、「ドイツ女性 への侮辱 」との侮蔑 的 評価 とともに「退廃 芸術 展 」に出品 され、そのまま消失 している。エルンストは懐旧 の念 をもって、リメイク作 『美 しき女 庭師 の帰還 』を1967年 に発表 している[5]。恋 多 き男 であったエルンストだが、例 えばサルバドール・ダリやパブロ・ピカソらのように対象 となる女性 にミューズ的 性格 を求 めるのではなく、相手 とともに創作 し高 めあう関係 を好 んでいた。それはマリー・ベルト・オーランシュ、レオノーラ・キャリントン、ドロテア・タニング、レオノール・フィニやメレット・オッペンハイムというような女性 シュルレアリスム画家 を相手 にし続 けたことに顕著 である。彼女 らはエルンストの中 に男性 を見 るのみならず、圧倒的 な魅力 をもつ作家 としての才能 をも捉 えていたのだろう[4]。
脚注 [編集 ]
- ^
訃報 欄 『朝日新聞 』1976年 (昭和 51年 )4月 2日 、3版 、11面 - ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai 「エルンスト
展 図録 」(1977)マックス・エルンスト自伝 メモ 21~27p.西武 美術館 、朝日新聞社 - ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac アート・ライブラリー「エルンスト」
略 年譜 イアン・ターピン(新関 公子 ・訳 )26p.西村書店 - ^ a b c d e f g h i j k l m n o p ファブリ
世界 名 画集 「マックス・エルンスト」マックス・エルンスト澁澤 龍彦 4p.平凡社 - ^ a b c d e f g
現代 世界 美術 全集 「エルンスト/ミロ」東野 芳明 144~147p.集英社 - ^ シュルレアリスムと
女 たち工作 舎 - ^ “Camp des Milles : «Parti sans laisser d’adresse»” (
フランス語 ). Libération.fr (2012年 7月 10日 ). 2019年 10月 12日 閲覧 。 - ^
松岡 佳世 「ハンス・ベルメール作品 における〈交換 可能 性 interchangeabilité〉をめぐって : ミル収容 所 でのマックス・エルンストとの共同 制作 から」『美学 』第 65巻 第 2号 、2014年 、129頁 。 - ^ Amanda Prahl (2019
年 7月 3日 ). “How Artist Leonora Carrington Transformed Art into Activism” (英語 ). ThoughtCo. 2019年 10月 6日 閲覧 。 - ^ シュルレアリスム
人名 事典 戦時 下 1940-1945年 日本 アートのブログ - ^ 「なぜか
気 になる人間像 徳島 県立 近代 美術館 名品 展 」図録 (1992)埼玉 県立 近代 美術館 - ^ マックス・エルンスト1891~1976
日本 アートのブログ
関連 項目 [編集 ]
- ドロテア・タニング
- ラファエロ・サンティ…エルンストの
同 題 作 のイメージ・ソースとなった『美 しき女 庭師 』の作者 。 - ジョージ・アンタイル…
作曲 家 。『百 頭 女 』を手 がけた。
外部 リンク[編集 ]
- Max Ernst MasterPiece: "Immortel" Maxernstmasterpiece.com
- Max-Ernst Museum Brühl
横浜 美術館 マックス・エルンスト国立 西洋 美術館 二 羽 の鳥