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オリヴィエ・メシアン

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オリヴィエ・メシアン
Olivier Messiaen
基本きほん情報じょうほう
出生しゅっしょうめい Olivier Eugène Charles Prosper Messiaen
生誕せいたん 1908ねん12月10にち
フランスの旗 フランス共和きょうわこくアヴィニョン
死没しぼつ (1992-04-27) 1992ねん4がつ27にち(83さいぼつ
フランスの旗 フランスクリシー
ジャンル 現代げんだい音楽おんがく
みぎじょうにオリヴィエ・メシアンの署名しょめいきざまれている。

オリヴィエ=ウジェーヌ=プロスペール=シャルル・メシアン(Olivier-Eugène-Prosper-Charles Messiaen, 1908ねん12月10にち - 1992ねん4がつ27にち)は、フランスアヴィニョンまれの現代げんだい音楽おんがく作曲さっきょくオルガン奏者そうしゃピアニスト音楽おんがく教育きょういくしゃである。

概要がいよう

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20世紀せいき前半ぜんはんから後半こうはんにかけてヨーロッパ現代げんだい音楽おんがくかい牽引けんいんした作曲さっきょくのひとりであり、くわえて、おおくの著名ちょめい子弟していそだてた音楽おんがく教師きょうしとしてられる。オルガニスト、ピアニストとしても長年ながねん演奏えんそう活動かつどうつづけ、録音ろくおん数多かずおおのこしている。本人ほんにん作曲さっきょくとしての肩書かたがきにくわえて、かれ見地けんちから「リズムの創作そうさく」を名乗なのっており、また神学しんがくしゃとしてもまれにみる博学はくがくさをわせていたとされる。そして鳥類ちょうるい学者がくしゃとしては、世界中せかいじゅうとりこえ採譜さいふした貴重きちょう偉業いぎょうげた。おと色彩しきさいについての言及げんきゅうおおく、おとくと色彩しきさい模様もようなどを連想れんそうするというきょう感覚かんかくぬしであるとされ、その詳細しょうさい記述きじゅつ世界せかい人々ひとびと驚愕きょうがくさせたが、その連想れんそう楽譜がくふむこともおおかった。

経歴けいれき

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1929ねんポール・デュカス作曲さっきょくクラス写真しゃしん。ピアノにちかほうからひだりよりみぎに、ピエール・メイヤール=ヴェルジェエルザ・バレーヌイヴォンヌ・デポルトトニー・オーバンピエール・レヴェルジョルジュ・ファヴルポール・デュカスルネ・デュクロジョルジュ・ユゴンクロード・アリューモーリス・デュリュフレオリヴィエ・メシアン

フランス南部なんぶアヴィニョンまれた。父親ちちおやのピエール・メシアンはリセ英語えいご教師きょうしで、シェイクスピアなどの翻訳ほんやく出版しゅっぱんした[1]母親ははおや詩人しじんセシル・ソヴァージュだが、メシアンが在学ざいがくちゅうの1927ねんぼっし、おおきな衝撃しょうげきをメシアンにあたえた[2]。1930ねんの『3つの歌曲かきょく』のだい2きょくはは歌詞かし使用しようしている[3]。メシアンは母親ははおやとその作品さくひん影響えいきょうつよけたことをしばしばかたっている[4]

だいいち世界せかい大戦たいせんなかちちへいとして動員どういんされ、のこ家族かぞく母方ははかた叔父おじのいるグルノーブル疎開そかい、メシアンはここで5年間ねんかんごした。メシアンはグルノーブルからえるフランス・アルプスの自然しぜんつよ印象いんしょうづけられた。、1936ねんにグルノーブルにちかイゼールけんプティシェの山荘さんそう購入こうにゅうして、生涯しょうがいそこでおも作曲さっきょく活動かつどうおこなうことになる[5]。イゼールけんはまたベルリオーズ出身しゅっしんでもあった。わかときのメシアンにとって重要じゅうようだったべつ場所ばしょ父方ちちかた叔母おばオーブけんフュリニー (Fulignyで、メシアンは青年せいねん時代じだいによくここで休暇きゅうかごし、本人ほんにんによるとここではじめてとりうたおこなった[6][7]

ちち復員ふくいん1年間ねんかんナントみ、ここで専門せんもんてき音楽おんがくまなぶようになった。当時とうじ音楽おんがく教師きょうしのひとりであるジャン・ド・ジボンからおくられたドビュッシーペレアスとメリザンド』のスコアによって開眼かいがんしたとメシアンはのちかたっている[8]

1919ねん、11さいとき一家いっかパリうつ[9]、メシアンはピアノとパーカッションをまなぶためにパリ国立こくりつ高等こうとう音楽おんがくいん入学にゅうがくした。音楽おんがくいん時代じだいにはかがやかしい業績ぎょうせきのこしており、1924ねん、15さいときにはまず和声わせいにて2でプリを取得しゅとく1926ねん、フーガおよび対位法たいいほうにてプルミエプリを取得しゅとくよく1927ねん伴奏ばんそうにてプルミエプリを取得しゅとくしている。 1928ねんモーリス・エマニュエル講義こうぎて、音楽おんがくのプルミエプリを取得しゅとく。このとき、エマニュエルより古代こだいギリシャのリズムおよび民族みんぞく音楽おんがく旋法せんぽうへの知見ちけんている[10]。そして、マルセル・デュプレのもとで、フランスのオルガニストの伝統でんとう遺産いさんぎ、オルガンおよびオルガン即興そっきょうのプルミエプリを取得しゅとく並行へいこうして1927ねんより作曲さっきょく主任しゅにんであったポール・デュカスもと管弦楽かんげんがくほうまなび、1929ねんシャルル=マリー・ヴィドールもと作曲さっきょく勉強べんきょうつづけ、11年間ねんかんわた音楽おんがくいんでの研究けんきゅう集大成しゅうたいせいとして、よく1930ねん作曲さっきょくにてプルミエプリを取得しゅとくし、卒業そつぎょうした。

初期しょき音楽おんがく活動かつどう

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在学ざいがくちゅうよりおおくの作品さくひんのこし、デュカスの推薦すいせんて1930ねんにオルガンきょくまいおり』、ピアノきょく前奏ぜんそうきょくしゅう』、『3つの歌曲かきょく』をデュランしゃから出版しゅっぱんしている[11]翌年よくねんには最初さいしょ管弦楽かんげんがくきょくである『わすれられたささげもの』が初演しょえんされた[12]。1930ねん翌年よくねんにはローマしょう応募おうぼしたが落選らくせんした[13]

1931ねん、22さいわかさでパリのサントトリニテ教会きょうかいのオルガニストに就任しゅうにん[14]かれはこのしょくをその最期さいごまで、60ねん以上いじょうつとめることとなった。そこでの即興そっきょう演奏えんそう世界中せかいじゅう評判ひょうばんとなった。サントリニテ教会きょうかいにてかれ即興そっきょう演奏えんそうとしての地位ちい確立かくりつするとともに、おおくの宗教しゅうきょう音楽おんがく作曲さっきょくした。

1930年代ねんだいにはまたエコールノルマル音楽おんがくいん教師きょうしをつとめていた[15]スコラ・カントルムでもオルガン即興そっきょう演奏えんそう講座こうざっていた[16]。1932ねんには国民こくみん音楽おんがく協会きょうかい委員いいん選出せんしゅつされた[17]

1932ねんにはヴァイオリニストのクレール・デルボス結婚けっこんした[18]。ヴァイオリンとピアノのための『主題しゅだい変奏へんそう』が彼女かのじょささげられているほか[19]、『ミのための』(ミはクレールの愛称あいしょう)および『てんうた』はクレールおよび息子むすこのパスカルとのあいうたった自伝じでんてき歌曲かきょくしゅうである[20]。1936ねんイゼールけんペティシェ(Pétichet)に山荘さんそうて、メシアンとクレールはなつ休暇きゅうかをそこでごした[21]

1933ねんあきから翌年よくねんにかけて兵役へいえきについた[22]。1935ねんには『キリストの昇天しょうてん』が初演しょえん[23]翌年よくねんには『おも降誕こうたん』が初演しょえんされ、メシアンはこの作品さくひんではじめてインドのリズムに由来ゆらいする語法ごほう導入どうにゅうした[24]。メシアンはアンドレ・ジョリヴェジャン・イヴ・ダニエル=ルシュールイヴ・ボードリエ英語えいごばんとともにわかきフランス結成けっせいした[25]

メシアンはまた電子でんし楽器がっきオンド・マルトノ使用しようしたことでもられるが、その最初さいしょきょく1937ねんのパリ万国博覧会ばんこくはくらんかいのためにいた『うつくしいみず祭典さいてん』だった[26]

だい世界せかい大戦たいせんがはじまると徴兵ちょうへいされるが、1940ねん6がつドイツの侵攻しんこうによって捕虜ほりょとなった[27]。『わりのための四重奏しじゅうそうきょく』はゲルリッツ捕虜ほりょ収容しゅうよう所内しょない作曲さっきょく初演しょえんされた[28]。1941ねん3がつには解放かいほうされて占領せんりょうのパリ音楽おんがくいん和声わせい教師きょうしとなった。このときかれ学生がくせいなかに、のちかれ作品さくひん演奏えんそうもっと理解りかいしゃであり、2番目ばんめつまとなるイヴォンヌ・ロリオがいた[29]占領せんりょうのパリでは『わりのための四重奏しじゅうそうきょく』のフランス初演しょえんのほか、2だいピアノのための『アーメンの幻影げんえい』がロリオとメシアンによって初演しょえんされた[30]。1944ねんはじめに自分じぶん音楽おんがく理論りろんをまとめた『わが音楽おんがく語法ごほう』を出版しゅっぱんした[31]

戦後せんご音楽おんがく活動かつどう

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1944ねん8がつパリ解放かいほうのち、ロリオによって『幼子おさなごイエスにそそぐ20の眼差まなざ』が初演しょえんされたが批評ひひょうによるはげしい論争ろんそうんだ[32]。『かみ現存げんそんについての3つのしょう典礼てんれい』が初演しょえんされるとさらにはげしいスキャンダルがきた[33]

戦後せんごのメシアンのきょくはそれまでのキリスト教きりすときょうてき主題しゅだいはなれ、「トリスタンさんさく」とばれる『ハラウィ』、『トゥランガリーラ交響曲こうきょうきょく』、『5つのルシャン』が次々つぎつぎ作曲さっきょくされることになる[34]。その1949ねんから1952ねんにかけて独奏どくそう楽器がっきによる実験じっけんてき作品さくひん時代じだいにはいり、『カンテヨジャヤー』、『4つのリズム・エチュード』、『音色ねいろ持続じぞく』、『オルガンのしょ』などが作曲さっきょくされた[35]。しかしこの時期じきながつづかなかった。

メシアンの音楽おんがくではそれまでもとりうた重要じゅうよう要素ようそとして使用しようされていたが、1952ねん鳥類ちょうるい学者がくしゃジャック・ドラマン (Jacques Delamainから指導しどうけたのちとりうた体系たいけいてき収集しゅうしゅうをはじめ、これをもと音楽おんがくつくるようになっていく[36]とりうたをもとにした主要しゅようきょくには『とりたちの目覚めざ』(1953ねん)、『異国いこくとりたち』(1956ねん)、巨大きょだいな『とりのカタログ』(1959ねん)、初演しょえんだいスキャンダルになった『クロノクロミー』(1961ねん)がある。

再婚さいこん

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ヒルとシメオネによると、つまのクレールはすでに1943ねんかそれ以前いぜん精神せいしん障害しょうがい兆候ちょうこうしめしていたが[37]戦後せんごになると容態ようだい悪化あっかした[35]。1953ねんには養護ようご施設しせつ入所にゅうしょ[38]、1959ねん4がつ19にちぼっした[39]1961ねんにメシアンはイヴォンヌ・ロリオと再婚さいこんした[40]

教育きょういく活動かつどう

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上記じょうきのようにメシアンはすでに戦時せんじちゅうにパリ音楽おんがくいん和声わせいおしえていた。また音楽おんがくいんそとでも私的してき講義こうぎおこない、この講義こうぎあつまる人々ひとびとのちに「レ・フレーシュ()」とばれるようになった[41][42]

戦後せんご1947ねん音楽おんがくいん楽曲がっきょく分析ぶんせき教師きょうし、1966ねん作曲さっきょく教授きょうじゅとなった[43]。メシアンが退官たいかんするまでのあいだった学生がくせいには、ピエール・ブーレーズカールハインツ・シュトックハウゼンヤニス・クセナキストリスタン・ミュライユジェラール・グリゼーフセイン・セルメットジョージ・ベンジャミンナジ・ハキム英語えいごばんなど、日本人にっぽんじんでは別宮べつみや貞雄さだお矢代やしろ秋雄あきお丹波たんばあきらたいら義久よしひさ宍戸ししど睦郎むつお篠原しのはらしん加古かこたかし福士ふくし則夫のりお仲俣なかまたさる喜男よしお二橋ふたはし潤一じゅんいち藤井ふじい一興かずおき安田やすだただしあきらなどがいた。

最初さいしょ弟子でしだったブーレーズとの地下鉄ちかてつないでの会話かいわでは「このさきだれ現代げんだい音楽おんがく牽引けんいんしてったらいのか」となやむブーレーズにたいし、メシアンは「なにっているんだ、ブーレーズくん。それはきみだよ」とさとした。またブーレーズがちちから作曲さっきょくになることを反対はんたいされ数学すうがくしゃになれとわれたときは、メシアンは音楽おんがくいんかえりにメトロにってブーレーズのいえまでついてき、ブーレーズのちち説得せっとくしたという[44]。そのブーレーズはメシアンの『おと強度きょうどのモード』をもとに『構造こうぞうI, II』を作曲さっきょくし、おなじくシュトックハウゼンもまた『おと強度きょうどのモード』の楽譜がくふなんかえしたという。数学すうがく建築けんちくまなんでから作曲さっきょく転向てんこうしたクセナキスには「きみ数学すうがくっている。なぜそれを作曲さっきょく応用おうようしないのか」という名言めいげんのこ[45]初期しょき習作しゅうさくでは出身しゅっしんこくギリシャの民族みんぞく音楽おんがくてきだったかれ作風さくふうまったちがうものへと転換てんかんさせ、数学すうがくてきなグラフにもとづく出世しゅっせさく『メタスタシス』を作曲さっきょくさせるにいたった。早世そうせいしたグリゼーの遺稿いこうしゅうにはインタビュアーの「影響えいきょうけた作曲さっきょくだれですか?」という質問しつもんたいし「わたしはいつもこうこたえています。ちちなるかみなるキリスト、聖霊せいれいと。(三位一体さんみいったい参照さんしょうちちなるかみはオリヴィエ・メシアンで、音楽おんがく色彩しきさいへの知見ちけんあいおそわりました。」とこたえている。(後略こうりゃくはシュトックハウゼン、聖霊せいれいリゲティげている)[46]

後期こうき音楽おんがく活動かつどう

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メシアンの音楽おんがくかんしては批判ひはんおおきかったが、徐々じょじょひろみとめられるようになった。1959ねんにはレジオン・ドヌール勲章くんしょうオフィシエを受賞じゅしょう[47]、1987ねんにはグラン・クロワを受賞じゅしょうしている[48]。1967ねんまつにはフランス学士がくしいん芸術げいじゅつアカデミー会員かいいんえらばれた[49][50]文化ぶんかしょうアンドレ・マルロー首相しゅしょう大統領だいとうりょう就任しゅうにんするポンピドゥーシラクはメシアンの支持しじしゃだった[47]

1962ねんには日本にっぽん訪問ほうもんしてだい歓迎かんげいされ、日本にっぽんとりうた印象いんしょうをもとに『7つの俳諧はいかい』を作曲さっきょくした[51]。『てん都市とし色彩しきさい』ではひさしぶりにキリスト教きりすときょうてき主題しゅだいもど[52]、そのの『われ死者ししゃ復活ふっかつのぞ』と『われらのしゅイエス・キリストの変容へんよう』という大作たいさくがこれにつづいた。またオルガンきょくせいなる三位一体さんみいったい神秘しんぴへの瞑想めいそう』、『とりのカタログ』の続編ぞくへんにあたるピアノきょくニワムシクイ』も作曲さっきょくされたが、このころのメシアンの作品さくひん巨大きょだい作品さくひんになることが常態じょうたいし、作曲さっきょくにかかる期間きかんながくなっていった。

1970年代ねんだいにはユタしゅう自然しぜん題材だいざいにした『峡谷きょうこくからほしたちへ…』と、唯一ゆいいつのオペラ作品さくひんである『アッシジのせいフランチェスコ』の2つの大曲おおまがりかれたが、後者こうしゃ作曲さっきょくには1983ねんまでかかった。1978ねん、70さいになったメシアンはパリ音楽おんがくいん退官たいかんした[53]

1984ねん以降いこう作曲さっきょくいきおいはちて小曲しょうきょくえ、過去かこさく回顧かいこてき性格せいかく増大ぞうだいするが、ぼっするまでにオルガンきょくしゅう聖体せいたい秘蹟ひせきしょ』、ピアノきょくとりしょうスケッチ』、管弦楽かんげんがく小曲しょうきょくステンドグラスととりたち』・『てんよりたりし』・『ほほえみ』を作曲さっきょく初演しょえんしている。1985ねんには京都きょうとしょう受賞じゅしょうした[54]がんのため1992ねん4がつ27にちぼっし、ペティシェの別荘べっそうちかサン・テオフレ英語えいごばん埋葬まいそうされた。墓石はかいしとりかたちをしていて、『ハラウィ』の楽譜がくふきざまれている[55][56]。1991ねん7がつ27にち完成かんせいした『彼方かなた閃光せんこう』は没後ぼつご初演しょえんされた。『四重奏しじゅうそう管弦楽かんげんがくのためのコンセール』は4つの楽章がくしょう完成かんせいのこされ、補作ほさくうえで1994ねん初演しょえんされた。

作風さくふう

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メシアンは幼少ようしょうからおといろきょう感覚かんかく[57]っているとべており、しかもそれが音階おんかいいちおといちおとごとにことなるいろ対応たいおうし、それらを複雑ふくざつわせることによってステンドグラスのようないろのモザイクの感覚かんかくられると主張しゅちょうしている。また「とりうた」にもはやくから興味きょうみしめし、そのリズムや平均へいきんりつされていない音程おんてい興味きょうみっていた。[58]

おなじく少年しょうねんころからドビュッシー傾倒けいとうし、クリスマスプレゼントにもらった『ペレアスとメリザンド』の楽譜がくふをぼろぼろになるまでみふけったという。

最初さいしょの20さいころ(1928ねん〜1929ねん)にかれたピアノのための『前奏ぜんそうきょくしゅう』は、ドビュッシーやその時代じだい印象いんしょう主義しゅぎ音楽おんがく影響えいきょう濃厚のうこうけているが、のちにメシアン自身じしん提唱ていしょうした「移調いちょうかぎられた旋法せんぽう (Mode de transpositions limitées, MTL)」をすでたくみにもちいている。オルガンのための組曲くみきょくおも降誕こうたん』で「移調いちょうかぎられた旋法せんぽう」をはじめ「づけてんリズム」「不可ふかぎゃくリズム」「ギリシャ、インドのリズム」「とりうた」などの語法ごほうをはじめて意識いしきてき組織そしきしてもちい、以後いご自身じしん語法ごほうとして発展はってんさせた。このころまでの1930年代ねんだい作品さくひんは、和声わせいやリズムを工夫くふうすることによって、土台どだいとなる基本きほんてき調しらべせいははっきりし協和きょうわおん多用たようしながらも、独特どくとく個性こせいてきひびきを確立かくりつさせている。

電子でんし楽器がっきオンド・マルトノにもはやくから興味きょうみしめし、死後しご出版しゅっぱんされた最初さいしょ作品さくひんの『未完みかんのページ』というオンド・マルトノとピアノ伴奏ばんそう小品しょうひんをはじめ、オンド・マルトノ6だいのためにかれた組曲くみきょくうつくしいみず祭典さいてん』(のち一部いちぶを『わりのための四重奏しじゅうそうきょく』のだい5楽章がくしょうだい8楽章がくしょう転用てんよう)、のちには合唱がっしょう管弦楽かんげんがくのための『かみ現存げんそんについての3つのしょう典礼てんれい』、『トゥランガリーラ交響曲こうきょうきょく』、オペラ『アッシジのせいフランチェスコ』(3だい使用しよう)にももちいている。

また前述ぜんじゅつのリズムをふくむ「時間じかん」の感覚かんかくについても独特どくとく個性こせいっており、たとえばある側面そくめんでは「天国てんごくてきなが時間じかん」とぶ、従来じゅうらい音楽おんがくよりもずっとおそいテンポを楽章がくしょう部分ぶぶんおおい。最初さいしょのオルガンきょく天上てんじょううたげ』、パリ音楽おんがくいん卒業そつぎょう試験しけんのためにかれた最初さいしょ管弦楽かんげんがくきょくわすれられたささげもの』のコーダ部分ぶぶんおなじく管弦楽かんげんがくきょくのちにオルガンきょくにも編曲へんきょくされた『キリストの昇天しょうてんだい4楽章がくしょうなどがそれである。これらはオルガンやつる持続じぞくおんによってっており、前述ぜんじゅつの『うつくしいみず祭典さいてん』もオンド・マルトノの持続じぞくおんによってやはりこの長大ちょうだい緩徐かんじょ楽章がくしょうもちいられている。のちにそれが転用てんようされた『わりのための四重奏しじゅうそうきょくだい8楽章がくしょうでは、捕虜ほりょ収容しゅうようしょという極限きょくげん限定げんていされた環境かんきょうなかでたまたまあったヴァイオリンとピアノのために改作かいさくしているゆえに、ピアノという減衰げんすい音楽おんがくもちいて和音わおん連打れんだしているが、元々もともと持続じぞくおんであり、前述ぜんじゅつ作風さくふう合致がっちする。この緩徐かんじょ楽章がくしょう作風さくふうは、晩年ばんねん最後さいご完成かんせいされた管弦楽かんげんがくきょく彼方かなた閃光せんこう』の最終さいしゅう楽章がくしょうにも登場とうじょうする。

1940年代ねんだいになると、より複雑ふくざつ調しらべせい判別はんべつしがたい作品さくひんおおくをめるようになる。だい2世界せかい大戦たいせんでの捕虜ほりょ収容しゅうようしょかれた『わりのための四重奏しじゅうそうきょく』、解放かいほうかれたピアノきょく幼子おさなごイエスにそそぐ20の眼差まなざ』、2だいピアノのための『アーメンの幻影げんえい』、歌曲かきょくハラウィ』などである。作品さくひんもより長大ちょうだい傾向けいこうしめし、『幼子おさなごイエス〜』にいたっては全曲ぜんきょく演奏えんそうは2あいだえる。しかしながら晩年ばんねんいたるまで、メシアンの作品さくひんみな長大ちょうだいではあるが楽章がくしょうかれ、ひとつの楽章がくしょうながくても10ふん程度ていどであることがおおい。また楽章がくしょうによっては従来じゅうらいてき意味いみでの調しらべせいがはっきりした楽章がくしょう存在そんざいし、調しらべせい不明瞭ふめいりょう楽章がくしょう対比たいひさせてコントラストがあたえられている。メシアン自身じしんはこの調しらべ性的せいてき楽章がくしょうキリスト教きりすときょうてきかみ顕現けんげんとらえており、たとえば『わり〜』ではだい5楽章がくしょうしゅイエス・キリストの永遠えいえんせいへの讃歌さんか』、だい8楽章がくしょうしゅイエス・キリストの不滅ふめつせいへの讃歌さんか』とだいされている。[59]幼子おさなごイエス〜』では嬰ヘ長調ちょうちょうしゅ和音わおん移調いちょうかぎられた旋法せんぽうだい2旋法せんぽうわせた「かみ主題しゅだい」がもちいられ、ぜん20楽章がくしょうちゅうだい1楽章がくしょうと5の倍数ばいすう楽章がくしょう(5, 10, 15, 20)では明確めいかくな嬰ヘ長調ちょうちょう出現しゅつげんし、かみへの賛美さんびかたられる。[60]メシアンはこれら自作じさく解説かいせつみずか出版しゅっぱん冒頭ぼうとう詳細しょうさいあらわしている。また楽譜がくふちゅうにも「インドのリズム」「〇〇(具体ぐたいてきとり種類しゅるい)のとりうた」などと注意ちゅういきをれている。そしてその集大成しゅうたいせいとして、この時期じきまでの自作じさく解説かいせつした著作ちょさく『わが音楽おんがく語法ごほう』が1944ねん出版しゅっぱんされた。(日本にっぽんでは1954ねん平尾ひらおたか四男よつおによって翻訳ほんやく出版しゅっぱんされた。)

1946ねん〜1948ねんセルゲイ・クーセヴィツキーとその財団ざいだんからの委嘱いしょくによって作曲さっきょくした『トゥランガリーラ交響曲こうきょうきょく』によって、メシアンの作風さくふうひとつの頂点ちょうてんむかえる。このきょく中世ちゅうせいの「トリスタンとイゾルデ物語ものがたり、またインドの時間じかんあいもとづいた作品さくひんで、歌曲かきょく『ハラウィ』、合唱がっしょうきょく5つのルシャン』とともに3さくす。この作品さくひん委嘱いしょく条件じょうけんめぐまれてだい規模きぼ編成へんせい(ピアノ・ソロ、オンド・マルトノおよびだい管弦楽かんげんがく)をち、メシアンのもっと有名ゆうめい作品さくひんとして、クラシック音楽おんがくのレパートリーとして世界中せかいじゅう度々たびたび演奏えんそうされている。

しかしながらこののち、メシアンの作風さくふうおおきな転換てんかんむかえる。1949ねん〜1950ねんかれたピアノのための『4つのリズムの練習れんしゅうきょく』のだい3きょくおと強度きょうどのモード』は、づけてんふくむ32ふん音符おんぷ単位たんいおとと、クアジ・ピアノ(ややよわく)などの微細びさい指示しじくわえた強度きょうど細分さいぶんされてもちいており、しんウィーンらくじゅうおと技法ぎほうつよ意識いしきさせるおとだかのセリー(おとれつ)とともに、厳密げんみつ管理かんりのもとでそれらがわされて作曲さっきょくされている。これは戦後せんご現代げんだい音楽おんがく出発しゅっぱつてんとなったトータル・セリエリズムそうおとれつ技法ぎほう)の理論りろん最初さいしょ提示ていじしたきょくとして重要じゅうようである。のちにパリ音楽おんがくいんでのメシアンの生徒せいとだったピエール・ブーレーズがこのきょくおなじセリーをもちいて「構造こうぞうI, II」を作曲さっきょくした。その、メシアンはトータル・セリエリズムによる作曲さっきょく実践じっせんせず、「とりうた」などの従来じゅうらい自己じこ語法ごほうすすめた。その集大成しゅうたいせいえるのが、1959ねん〜1960ねん作曲さっきょくされた管弦楽かんげんがくきょくクロノクロミー』である。「エポード(叙情じょじょう短詩たんしがた)」と名付なづけられただい6楽章がくしょうでは、おおくの弦楽器げんがっきがソリストとしてあつかわれながら「とりうた」だけで構成こうせいされるという特異とくいひびきをつ。初演しょえんこそ前衛ぜんえい音楽おんがく理解りかい聴衆ちょうしゅうからおおくの批判ひはんびたものの(演奏えんそう終了しゅうりょう挨拶あいさつ舞台ぶたいあゆったさい聴衆ちょうしゅう一人ひとりからあやうくなぐられかかったと[61])、メシアンの主要しゅようレパートリーとして現在げんざいではとくたか評価ひょうかており、パリ音楽おんがくいん分析ぶんせきをはじめとする作曲さっきょく分析ぶんせき授業じゅぎょうでは定番ていばんとしてもちいられる作品さくひんである。

ほかにも1960ねん以降いこう中期ちゅうき後期こうき作品さくひんではだい規模きぼ管弦楽かんげんがく作品さくひんおおい。キリストきょうもとづくものとしては4かん編成へんせい巨大きょだい管弦楽かんげんがく合唱がっしょうで2あいだようする『われらのしゅイエス・キリストの変容へんよう』、カトリックミサとなえられる信仰しんこう宣言せんげんニカイア・コンスタンティノポリス信条しんじょう)の終端しゅうたん部分ぶぶんもとづく『われ死者ししゃ復活ふっかつのぞ』、『てん都市とし色彩しきさい』などがげられる。長年ながねん協力きょうりょくしゃであり、先妻せんさい死去しきょ再婚さいこんしたピアニストのイヴォンヌ・ロリオのためにピアノ・ソロをはいした管弦楽かんげんがくきょくおおく、前述ぜんじゅつの『かみ現存げんそんについて3つのしょう典礼てんれい』や『トゥランガリーラ交響曲こうきょうきょく』をはじめとして、日本にっぽん旅行りょこう印象いんしょうもとづくピアノとしょう管弦楽かんげんがくのための『ななつの俳諧はいかい』、「とりうた」に着想ちゃくそうたピアノ協奏曲きょうそうきょく異国いこくとりたち』『とりたちの目覚めざ』、全曲ぜんきょく演奏えんそうで2あいだはんえるピアノきょくしゅうとりのカタログ』といった作品さくひんげられる。オルガンきょくだい規模きぼきょくしゅうおおし、『オルガンのしょ』『聖霊せいれい降臨こうりんさいのミサ』『せいなる三位一体さんみいったい神秘しんぴへの瞑想めいそう』『聖体せいたい秘蹟ひせきしょ』などを作曲さっきょくした。

晩年ばんねん精力せいりょくてき創作そうさく活動かつどうつづけ、また1960年代ねんだいにはかげひそめていた調しらべ性的せいてき志向しこう復活ふっかつした。アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくユタしゅうだい自然しぜん印象いんしょうた90ぶん大作たいさく峡谷きょうこくからほしたちへ…』、フランスの国家こっかプロジェクトとして小澤おざわ征爾せいじ指揮しき初演しょえんされた上演じょうえんに6あいだようするオペラ『アッシジのせいフランチェスコ』、最後さいご完成かんせいした作品さくひんでやはり80ぶん大作たいさく彼方かなた閃光せんこう』がある。さい晩年ばんねんには『よんじゅう協奏曲きょうそうきょく』の作曲さっきょくこころみたが、こちらは未完みかんわり、イヴォンヌ・ロリオがジョージ・ベンジャミン協力きょうりょくした補筆ほひつ完成かんせいさせた。

著作ちょさく

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著作ちょさく大変たいへんおおく、とく初期しょき著書ちょしょ「わが音楽おんがく語法ごほう」は日本にっぽんでは平尾ひらおたか四男よつおわけで1954ねん出版しゅっぱんされて以来いらいながらく絶版ぜっぱんだったが[62][63]、「音楽おんがく言語げんご技法ぎほう」と改題かいだいされて細野ほそのたかしきょうわけヤマハミュージックメディアより2018ねん1がつ出版しゅっぱんされることとなった。もとは分冊ぶんさつだったが、現在げんざいは1さつなおされている。

なかでも移調いちょうかぎられた旋法せんぽう(M.T.L.)ひろられ、晩年ばんねんまでかれ特徴とくちょうてき雰囲気ふんいきかたちづくるひとつの要素ようそとして様々さまざま使用しようされている。わが音楽おんがく語法ごほうのこしたのち前衛ぜんえい時代じだいはいっても独自どくじ探求たんきゅう継続けいぞくし、「クロノクロミー」、「てん都市とし色彩しきさい」では理論りろん複雑ふくざつ頂点ちょうてんたっした。メシアン本人ほんにんは「わが音楽おんがく語法ごほう続編ぞくへん」を「リズムの教程きょうてい」として簡易かんいなブックレットのかたち出版しゅっぱんする意向いこうつよのぞんだが、そののぞみがたされることはなかった。メシアンの死後しごのこされた遺稿いこうしゅうすべ出版しゅっぱんする計画けいかくはじまり、ぜん7かん遺稿いこうしゅう「リズムといろ鳥類ちょうるいがく概論がいろん Traité de rythme, de couleur et d'ornithologie」がLeducしゃより出版しゅっぱんされた。個人こじんのこした音楽おんがく理論りろん教程きょうていとしてはシャルル・ケクランゆうしのいでいる。

これとはべつに「メシアンによるラヴェル楽曲がっきょく分析ぶんせき」がイヴォンヌ・ロリオの監督かんとくのもと小冊子しょうさっしとして出版しゅっぱんされ、日本語にほんごばん野平のだい一郎いちろうわけによって全音楽譜出版社ぜんおんがくふしゅっぱんしゃより出版しゅっぱんされている。「モーツァルトの22のピアノ協奏曲きょうそうきょく」はパリ音楽おんがくいんおこなわれた分析ぶんせき講義こうぎろくである。

  • Vingt leçons d’harmonie : dans le style de quelques auteurs importants de « l’histoire harmonique » de la musique depuis Monteverdi jusqu’à Ravel, Paris, Alphonse Leduc, 1939, 53 p.
  • Technique de mon langage musical, Paris, Leduc, 1944, 112 p.
  • Traité de rythme, de couleur et d’ornithologie : 1949-1992, Paris, Leduc, 1994-2002, 7 vol.
  • Conférence de Bruxelles, Paris, Leduc, 1959, 16 p.
  • Conférence de Notre-Dame, Paris, Leduc, 1978, 15 p.
  • Conférence de Kyoto, Paris, Leduc, 1988, 14 p.
  • Les 22 concertos pour piano de Mozart, Paris Séguier, 1990.

受賞じゅしょう

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家族かぞく構成こうせい

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なおセシル・ソヴァージュの没後ぼつごちちのピエールは1929ねんにマルゲリート・エリと再婚さいこんし、1930ねんにシャルル=マリー・メシアン(オリヴィエ・メシアンの腹違はらちがいのおとうとにあたる)がまれている[64]

日本にっぽんとの関係かんけい

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親日しんにちでもあったメシアンは、クロード・サミュエルとの対談たいだんなかで、日本にっぽんについての個人こじんてき愛着あいちゃく公言こうげんしているのを確認かくにんすることができる。文化ぶんか自然しぜん景色けしき人柄ひとがら、そして和食わしょくについても言及げんきゅうし、イヴォンヌ・ロリオも同様どうよう日本にっぽんきであることにれ、1985ねんだい1かい京都きょうとしょう思想しそう芸術げいじゅつ部門ぶもん音楽おんがく分野ぶんや受賞じゅしょうさいにもとも来日らいにちしている。

日本人にっぽんじんによる国内こくない活動かつどうとしては、芸術げいじゅつグループ実験じっけん工房こうぼうがその活動かつどうであった1950年代ねんだいに、「前奏ぜんそうきょくしゅう」、「アーメンの幻影げんえい」、「わりのための四重奏しじゅうそうきょく」などを日本にっぽん初演しょえんし(ピアニストは実験じっけん工房こうぼうメンバーの園田そのだ高弘たかひろ)、メシアンの研究けんきゅう日本にっぽん紹介しょうかいにつとめた。またこの活動かつどうはメンバーの作曲さっきょく武満たけみつとおる湯浅ゆあさ譲二じょうじなどの初期しょき作曲さっきょく活動かつどう多大ただい影響えいきょうあたえている。

1962ねんに、イヴォンヌ・ロリオともなって来日らいにちしたさい、NHKの主催しゅさいによる以下いかの3つの演奏えんそうかいなどがもよおされた。(なお下記かき項目こうもくにおいてのみ、曲名きょくめい表記ひょうき当時とうじのポスターにしたがった)

メシアン夫妻ふさい東京とうきょうだけでなく、都市としから田舎いなかまで様々さまざま場所ばしょおとずれている。軽井沢かるいざわおとずれたさいには、ホトトギスをはじめとする日本にっぽんとりこえ採譜さいふした。このほか奈良なら山中湖やまなかこ宮島みやじまなどもおとずれている。雅楽ががく演奏えんそうにもせっしている。

7つの俳諧はいかい

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日本旅行にほんりょこう印象いんしょうのちに「7つの俳諧はいかい」(1962ねん)というアンサンブルのための作品さくひんにまとめられている。しょう篳篥ひちりきがメシアンの語法ごほうもちいて巧妙こうみょう模倣もほうされている。7つのきょくからり、それぞれのつぎのようなタイトルがつけられている。

  1. 導入どうにゅう (Introduction)
  2. 奈良公園ならこうえんいし灯籠どうろう (Le parc de Nara et les lanternes de pierre)
  3. 山中湖やまなかこ-カデンツァ (Yamanaka-cadenza)
  4. 雅楽ががく (Gagaku)
  5. 宮島みやじま海中かいちゅう鳥居とりい (Miyajima et le torii dans la mer)
  6. 軽井沢かるいざわとりたち (Les oiseaux de Karuizawa)
  7. コーダ (Coda)

おも作品さくひん

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舞台ぶたい作品さくひん

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管弦楽かんげんがくきょく

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室内楽しつないがくきょく

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ピアノきょく

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オルガンきょく

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合唱がっしょうきょく

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具体ぐたいおん音楽おんがくミュジーク・コンクレート

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  • 音色ねいろ持続じぞくTimbres-Durées,1952)- メシアン自身じしんこの作品さくひんには不満ふまんで、のち撤回てっかい以降いこうこの分野ぶんやめることをしなかった

歌曲かきょく

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  • ミのためのPoèmes pour Mi,1936)- ぜん9きょく。1937ねんにオーケストラ伴奏ばんそうばん作成さくせい
  • てんうたChants de terre et de ciel,1938)
  • ハラウィ - あいうたHarawi, chant d'amour et de mort,1945)- ぜん12きょくはペルーのケチュア伝承でんしょうから

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ ヒル & シメオン 2020a, p. 27.
  2. ^ ヒル & シメオン 2020a, p. 35.
  3. ^ ヒル & シメオネ 2020a, p. 36.
  4. ^ ヒル & シメオネ 2020a, p. 21.
  5. ^ ヒル & シメオネ 2020a, p. 24.
  6. ^ メシアン & サミュエル 1993, p. 40.
  7. ^ ヒル & シメオネ 2020a, p. 19.
  8. ^ ヒル & シメオネ 2020a, pp. 27–29.
  9. ^ ヒル & シメオネ 2020a, p. 30.
  10. ^ ヒル & シメオネ 2020a, p. 33.
  11. ^ ヒル & シメオネ 2020a, p. 42.
  12. ^ ヒル & シメオネ 2020a, pp. 47–49.
  13. ^ ヒル & シメオネ, p. 45,51.
  14. ^ ヒル & シメオネ 2020a, pp. 53–56.
  15. ^ ヒル & シメオネ 2020a, p. 69.
  16. ^ メシアン & サミュエル 1993, p. 242.
  17. ^ ヒル & シメオネ 2020a, pp. 62–64.
  18. ^ ヒル & シメオネ 2020a, pp. 60–61.
  19. ^ ヒル & シメオネ 2020a, p. 64.
  20. ^ ヒル & シメオネ 2020a, pp. 92–93, 106–109.
  21. ^ ヒル & シメオネ 2020a, pp. 91–92.
  22. ^ ヒル & シメオネ 2020a, pp. 71–73.
  23. ^ ヒル & シメオネ 2020a, p. 76.
  24. ^ ヒル & シメオネ 2020a, pp. 83–85.
  25. ^ ヒル & シメオネ 2020a, pp. 88–90.
  26. ^ ヒル & シメオネ 2020a, pp. 100–103.
  27. ^ ヒル & シメオネ 2020a, p. 122.
  28. ^ ヒル & シメオネ 2020a, pp. 126–133.
  29. ^ ヒル & シメオネ 2020a, pp. 134–143.
  30. ^ ヒル & シメオネ 2020a, pp. 154–164.
  31. ^ ヒル & シメオネ 2020a, p. 173.
  32. ^ ヒル & シメオネ 2020a, pp. 183–188.
  33. ^ ヒル & シメオネ 2020a, pp. 188–193.
  34. ^ ヒル & シメオネ 2020a, p. 196.
  35. ^ a b ヒル & シメオネ 2020a, p. 224.
  36. ^ ヒル & シメオネ 2020a, pp. 250–259.
  37. ^ ヒル & シメオネ 2020a, p. 199.
  38. ^ ヒル & シメオネ 2020a, p. 263.
  39. ^ ヒル & シメオネ 2020a, p. 288.
  40. ^ ヒル & シメオネ 2020b, p. 18.
  41. ^ メシアン & サミュエル 1993, p. 243.
  42. ^ ヒル & シメオネ 2020a, p. 167-168.
  43. ^ Benitez 2000, p. 117.
  44. ^ 音楽おんがく学者がくしゃブルーノ・セルーの個人こじんブログの引用いんようより。[1]もとはフランス国立こくりつ映像えいぞう研究所けんきゅうじょINAのアーカイブにある同氏どうしによるイヴォンヌ・ロリオのインタビュー映像えいぞう[2]
  45. ^ (Olivier Messiaen, Nouritza MATOSSIANによる引用いんよう, Iannis Xenakis, Paris, Fayard, 1981, p. 58).
  46. ^ Gérard Grisey, Écrits ou L'invention de la musique spectrale (Éditions MF, 2008) p. 235
  47. ^ a b ヒル & シメオネ 2020b, p. 26.
  48. ^ ヒル & シメオネ 2020b, p. 173.
  49. ^ ヒル & シメオネ 2020b, p. 62.
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  51. ^ ヒル & シメオネ 2020b, pp. 27–35.
  52. ^ ヒル & シメオネ 2020b, p. 38.
  53. ^ ヒル & シメオネ 2020b, pp. 122–124.
  54. ^ ヒル & シメオネ 2020b, p. 167.
  55. ^ ヒル & シメオネ 2020b, pp. 200–204.
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  61. ^ メシアン & サミュエル 1993.
  62. ^ 池辺いけべ晋一郎しんいちろうによると、メシアンはつ来日らいにちの1962ねん時点じてんですでに絶版ぜっぱんだったという。
  63. ^ 池辺いけべ晋一郎しんいちろう メシアンの音楽おんがくとの55ねん 読売新聞よみうりしんぶん夕刊ゆうかん 2017ねん12月16にち
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関連かんれん項目こうもく

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