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メタ倫理りんりがく

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メタ倫理りんりがく(メタりんりがく、英語えいご:metaethics)とは倫理りんりがくいち分野ぶんやであり、「ぜん」とはなにか、「倫理りんり」とはなにか、という問題もんだいあつかう。規範きはん実質じっしつてき内容ないようについてろんじる規範きはん倫理りんりがくことなり、メタ倫理りんりがくにおいては、そもそもある規範きはんれるというのはどういうことか、ということについての概念的がいねんてき分析ぶんせき道徳心どうとくしん理学りがくてき分析ぶんせき形而上学けいじじょうがくてき分析ぶんせきなどをおこなう。

メタ倫理りんりがく歴史れきし[編集へんしゅう]

メタ倫理りんりがくという分野ぶんやは1903ねんG. E. ムーア が『倫理りんりがく原理げんり』を出版しゅっぱんしたことを起点きてんとする。その1960ねんごろまで、えいべい倫理りんりがくといえばメタ倫理りんりがくであり、規範きはん倫理りんりがく研究けんきゅうはマイナーな領域りょういきにおとされていた。このあいだ情緒じょうちょ主義しゅぎ指令しれい主義しゅぎといった認知にんち主義しゅぎ立場たちば登場とうじょうし、1960年代ねんだいにはメタ倫理りんりがく認知にんち主義しゅぎによってせいされたかんがあった。

しかしその、1970年代ねんだい規範きはん倫理りんりがく復権ふっけんをはたし、倫理りんりがく本流ほんりゅう規範きはんてき問題もんだい応用おうよう倫理りんりがくてき問題もんだいへとうつる。また、メタ倫理りんりがく内部ないぶでは、錯誤さくご理論りろん、コーネル実在じつざいろん、マクダウェルの理論りろんなど認知にんち主義しゅぎけいのさまざまな立場たちば提案ていあんされ、1980年代ねんだいにはメタ倫理りんりがくはまた活況かっきょうていするようになる。

メタ倫理りんりがくにおける対立たいりつ構図こうず[編集へんしゅう]

メタ倫理りんりがく学説がくせつおおくは、対立たいりつったいくつかの主張しゅちょうわせによってっている。ここではその代表だいひょうてき対立たいりつじくべる。

認知にんち主義しゅぎ認知にんち主義しゅぎ[編集へんしゅう]

道徳どうとく判断はんだんなに意味いみしているのかというてんで、認知にんち主義しゅぎ(cognitivism)と認知にんち主義しゅぎ(non-cognitivism)が対立たいりつしている。認知にんち主義しゅぎとは、道徳どうとく判断はんだんはなんらかの事実じじつについての認知にんちであり、真偽しんぎ区別くべつ可能かのうである(truth-apt)とする立場たちばである。それにたいして認知にんち主義しゅぎ(non-cognitivism)は、道徳どうとく判断はんだん事実じじつについての認知にんちではなく真偽しんぎ区別くべつ不可能ふかのうである、あるいはすくなくとも事実じじつについての認知にんち以外いがい要素ようそふくんでいるとかんがえる立場たちばである。

実在じつざいろんはん実在じつざいろん[編集へんしゅう]

認知にんち主義しゅぎなかではその認知にんち対象たいしょう実在じつざいせい客観きゃっかんせいをめぐって、実在じつざいろん(realism)とはん実在じつざいろん(anti-realism)が対立たいりつしている。実在じつざいろんは、道徳どうとく判断はんだん対象たいしょう主観しゅかんてき認知にんち状態じょうたいから独立どくりつしており、客観きゃっかんてき真偽しんぎまるという立場たちばである。それにたいしてはん実在じつざいろんは、道徳どうとく判断はんだん対象たいしょう客観きゃっかんてき世界せかいがわには実在じつざいしておらず、主観しゅかんてき感情かんじょうなどに依存いぞんしているという立場たちばである。

自然しぜん主義しゅぎ自然しぜん主義しゅぎ[編集へんしゅう]

道徳どうとく判断はんだん対象たいしょうである道徳どうとくてき事実じじつについて、道徳どうとくてき事実じじつ自然しぜん科学かがく研究けんきゅう対象たいしょうとなりうる自然しぜんてき事実じじつたとえば快楽かいらくたね進化しんかなど)に還元かんげんできるとかんがえる自然しぜん主義しゅぎ(naturalism)と、道徳どうとくてき事実じじつなに自然しぜんてき対象たいしょう参照さんしょうしなくても道徳どうとくてき事実じじつであるとする自然しぜん主義しゅぎ(non-naturalism)が対立たいりつしている。(自然しぜん主義しゅぎ道徳どうとくてき事実じじつ自然しぜんてき事実じじつ(natural facts)だけでなく、かみ存在そんざい(supernatural facts)のような実在じつざいしないものにも還元かんげんできない立場たちばをとる[1]。)

外在がいざい主義しゅぎ内在ないざい主義しゅぎ[編集へんしゅう]

道徳どうとくてき判断はんだん必然ひつぜんてき行為こうい動機どうきづけをふくんでいるのかどうかで、外在がいざい主義しゅぎ(externalism)と内在ないざい主義しゅぎ(internalism)が対立たいりつする。外在がいざい主義しゅぎとは、動機どうきづけの要素ようそ価値かち判断はんだん外部がいぶにあり、心理しんりがくてき連結れんけつによって偶然ぐうぜんてきむすびついているだけだという立場たちばである。それにたいして内在ないざい主義しゅぎは、動機どうきづけの要素ようそ価値かち判断はんだん内部ないぶ存在そんざいしているとかんがえる立場たちばである。

メタ倫理りんりがくにおける様々さまざま立場たちば[編集へんしゅう]

定義ていぎてき自然しぜん主義しゅぎ[編集へんしゅう]

認知にんち主義しゅぎ実在じつざいろん自然しぜん主義しゅぎ

自然しぜん主義しゅぎ定義ていぎてき自然しぜん主義しゅぎ、define naturalism[よう出典しゅってん])とは、道徳どうとくてき善悪ぜんあくをなんらかの自然しぜんてき性質せいしつによって定義ていぎしようとする立場たちばである。たとえば快楽かいらくぜんとみなす幸福こうふく主義しゅぎや、たね進化しんかぜんとみなす進化しんかろんがこれにあたる。

直観ちょっかん主義しゅぎ[編集へんしゅう]

認知にんち主義しゅぎ実在じつざいろん自然しぜん主義しゅぎ

直観ちょっかん主義しゅぎ(intuitionism)とはG・E・ムーアの立場たちばで、道徳どうとくてき善悪ぜんあく自然しぜんてき対象たいしょうではなく、直観ちょっかんという能力のうりょくによって理解りかい可能かのう還元かんげん不可能ふかのう性質せいしつであるとかんがえる立場たちばである。

表出ひょうしゅつ主義しゅぎ[編集へんしゅう]

認知にんち主義しゅぎ

表出ひょうしゅつ主義しゅぎ(expressivism)とは、道徳どうとく判断はんだん信念しんねん(「XはYである」という命題めいだい構造こうぞうをもったしんてき状態じょうたい)の記述きじゅつではなく、なんらかの主体しゅたい状態じょうたい表現ひょうげんしたものだとかんがえる立場たちばであり、典型てんけいてき認知にんち主義しゅぎである。

情緒じょうちょ主義しゅぎ[編集へんしゅう]

情緒じょうちょ主義しゅぎ(emotivism、情動じょうどう主義しゅぎともやくされる)はA・J・エイヤーC・L・スティーヴンソンらの立場たちばで、道徳どうとく判断はんだん信念しんねんではなく一種いっしゅ感情かんじょう表出ひょうしゅつであり、あるいはそうした表現ひょうげんとおして相手あいて感情かんじょううったえかけるための道具どうぐであるとかんがえる立場たちばである。

規範きはん表出ひょうしゅつ主義しゅぎ[編集へんしゅう]

規範きはん表現ひょうげん主義しゅぎ(norm expressivism)はアラン・ギバード立場たちばで、道徳どうとく判断はんだん主体しゅたい感情かんじょう表現ひょうげんしているのではなく、その主体しゅたい規範きはんれているということを表現ひょうげんするものだとかんがえる立場たちばである。

普遍ふへんてき指令しれい主義しゅぎ[編集へんしゅう]

認知にんち主義しゅぎ

普遍ふへんてき指令しれい主義しゅぎ(universal prescriptivism)とはR・M・ヘア立場たちばで、道徳どうとく判断はんだんとは普遍ふへん可能かのう指令しれいであるとする立場たちばである。

錯誤さくごせつ[編集へんしゅう]

認知にんち主義しゅぎはん実在じつざいろん

錯誤さくごせつerror theory)は、倫理りんりてき言明げんめいはその真偽しんぎ評価ひょうかできる(truth-apt)が、そのような言明げんめいしんであるために必要ひつよう要素ようそあくぜんとくなど)が(概念的がいねんてきには存在そんざいしても)実際じっさいには存在そんざいしないため、つねにせであるとする立場たちば。この立場たちばでは、「うそをつくことは倫理りんりてき間違まちがっている」や「うそをつくことは倫理りんりてき許容きょようされる」といった言明げんめいは、「倫理りんりてき間違まちがっている」や「倫理りんりてき許容きょようされる」といった倫理りんりてき述語じゅつごしんであるために必要ひつよう倫理りんりてき要素ようそ倫理りんりてきぜんなど)が現実げんじつには存在そんざいしないため、どちらもつねにせであるとされる。

錯誤さくごせつは、倫理りんりてき言明げんめい真理しんりつがつねにせであるとする立場たちばであり、倫理りんりてき言明げんめい真理しんりたないとする認知にんち主義しゅぎとは区別くべつされる[2]

投影とうえい主義しゅぎ[編集へんしゅう]

認知にんち主義しゅぎはん実在じつざいろん

投影とうえい主義しゅぎ(projectivism)とはサイモン・ブラックバーン立場たちばで、ぜんとは、われわれの態度たいど対象たいしょう投影とうえいすることで対象たいしょう擬似ぎじてき性質せいしつとなったものだとかんがえる立場たちばである。

形而上学けいじじょうがくてき自然しぜん主義しゅぎ[編集へんしゅう]

認知にんち主義しゅぎ実在じつざいろん自然しぜん主義しゅぎ

形而上学けいじじょうがくてき自然しぜん主義しゅぎとは、形而上学けいじじょうがくてき同一どういつせいという概念がいねんもちいることで、自然しぜん主義しゅぎてき誤謬ごびゅう回避かいひしながら道徳どうとく判断はんだん対象たいしょう自然しぜんてき対象たいしょう同一どういつすることが可能かのうであるとかんがえる立場たちばである。代表だいひょうてき立場たちばにコーネル実在じつざいろん還元かんげん主義しゅぎがある。

コーネル実在じつざいろん[編集へんしゅう]

コーネル実在じつざいろん(Cornell realism)とは、コーネル大学だいがくリチャード・ボイドニコラス・スタージョンらが提案ていあんした立場たちばであり、形而上学けいじじょうがくてき自然しぜん主義しゅぎ立場たちばである。つぎ還元かんげん主義しゅぎとはことなり、道徳どうとくてき善悪ぜんあく自然しぜんてき性質せいしつ還元かんげん不能ふのう独自どくじ自然しぜんてき性質せいしつであるとかんがえる。

還元かんげん主義しゅぎ[編集へんしゅう]

メタ倫理りんりがくにおける還元かんげん主義しゅぎ (reductionism) とは、ピーター・レイルトン立場たちばで、ぜん道徳どうとくてき自然しぜんてき性質せいしつ還元かんげん可能かのうだとするかんがかたである。

かみいのちせつ[編集へんしゅう]

認知にんち主義しゅぎはん実在じつざいろん

かみいのちせつ(divine command theory)とは、ロバート・アダムスらの立場たちばで、道徳どうとく判断はんだん真偽しんぎは、それがかみ命令めいれいによって是認ぜにんされるかかによってまるとかんがえる立場たちばである。

感受性かんじゅせいせつ[編集へんしゅう]

認知にんち主義しゅぎ実在じつざいろん自然しぜん主義しゅぎ

感受性かんじゅせいせつ(sensibility theory)はデイヴィッド・ウィギンズジョン・マクダウェルらの立場たちばで、欲求よっきゅう信念しんねん区別くべつするヒュームてき心理しんりがく拒絶きょぜつし、道徳どうとくてき善悪ぜんあくは、客観きゃっかんてき世界せかいがわ存在そんざいしながら、それを認知にんちする主体しゅたい感受性かんじゅせい作用さようし、行為こういへの動機どうきづけをおこなうような性質せいしつをもった特殊とくしゅ対象たいしょうであるとかんがえる立場たちばである。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ Chrisman, M. (2017). What is this thing called metaethics (First ed., What is this thing called? series). pp16
  2. ^ Joyce, Richard. "Error Theory". In Zalta, Edward N.; Nodelman, Uri (eds.). Moral Anti-Realism. Stanford Encyclopedia of Philosophy (Winter 2022 ed.).

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]