(Translated by https://www.hiragana.jp/)
ラーメンズ - Wikipedia コンテンツにスキップ

ラーメンズ

この記事は良質な記事に選ばれています
出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ラーメンズ
メンバー 小林こばやし賢太郎けんたろう
片桐かたぎりひとし
結成けっせいねん 1996ねん
事務所じむしょ 田辺たなべエージェンシー[1]
(1996ねん - 1998ねん
トゥインクル・コーポレーション[2]
(1998ねん - 2017ねん
スタジオコンテナ(小林こばやし賢太郎けんたろう[3]
トゥインクル・コーポレーション(片桐かたぎりひとし)(2017ねん - 2020ねん
活動かつどう時期じき 1996ねん - 2020ねん
出会であ 多摩美術大学たまびじゅつだいがく
げいしゅ コント
過去かこ代表だいひょう番組ばんぐみ 完売かんばい劇場げきじょう
爆笑ばくしょうオンエアバトル
受賞じゅしょうれき
2000ねん 爆笑ばくしょうオンエアバトルだい2かいチャンピオン大会たいかい 審査しんさいん特別とくべつしょう
テンプレートを表示ひょうじ
YouTube
チャンネル
ジャンル コント
登録とうろくしゃすう 25.1まんにん
そう再生さいせい回数かいすう 62,404,881かい
チャンネル登録とうろくしゃすうそう再生さいせい回数かいすう
2024ねん1がつ31にち時点じてん
テンプレートを表示ひょうじ

ラーメンズは、小林こばやし賢太郎けんたろう片桐かたぎりひとしによるコントグループ。多摩美術大学たまびじゅつだいがく同級生どうきゅうせいにより在学ざいがくちゅう結成けっせいされ、「アートけい」、「知的ちてき」、「演劇えんげきてき」、「不条理ふじょうり」と形容けいようされるコントで劇場げきじょう中心ちゅうしん活動かつどうした[4][5]。2020ねん小林こばやし賢太郎けんたろう芸能げいのう活動かつどう引退いんたい活動かつどう終了しゅうりょうした[6]

メンバー[編集へんしゅう]

小林こばやし 賢太郎けんたろう(こばやし けんたろう、1973ねん4がつ17にち - )(51さい[7]
身長しんちょう182 cmげき作家さっか演出えんしゅつ。パフォーマーとしても活動かつどうしていた。ラーメンズのコント脚本きゃくほん演出えんしゅつすべ小林こばやし制作せいさくし、活動かつどう初期しょきには衣装いしょう宣伝せんでん美術びじゅつ担当たんとうしていた[8]片桐かたぎりはインタビューで、小林こばやしはラーメンズのプロデューサーの側面そくめんもあるとこたえている[9]
片桐かたぎり ひとし(かたぎり じん、1973ねん11月27にち - )(50さい[7]
身長しんちょう176 cm。俳優はいゆう彫刻ちょうこくとしても活動かつどうしている。瞬発しゅんぱつてきへんがお特徴とくちょうてきこえ印象いんしょうてきでキャラクターせいつよさについて評価ひょうかされており、小林こばやしはラーメンズの看板かんばん、アイドルと表現ひょうげんしている[10][11][12][9]小林こばやし計算けいさんされた脚本きゃくほんつくみずからを仕掛しかけを使つか手品てじなたとえる一方いっぽう脚本きゃくほん想定そうてい以上いじょう面白おもしろさを表現ひょうげんする片桐かたぎり魔法使まほうつかいにたとえている[13][14]

歴史れきし[編集へんしゅう]

出会であ[編集へんしゅう]

二人ふたり多摩美術大学たまびじゅつだいがく版画はんが同級生どうきゅうせいであり、小林こばやし賢太郎けんたろう木版もくはん専攻せんこう片桐かたぎりひとしリトグラフ専攻せんこうしていた[15]

小林こばやし中学校ちゅうがっこう演劇えんげき大会たいかい製作せいさく担当たんとう魅力みりょくにハマると、高校こうこう時代じだいには演劇えんげき所属しょぞく芝居しばい前座ぜんざでコントをしていた[16][17]大学だいがくでもおわらいがやりたかった小林こばやしはおわらいについて友人ゆうじん積極せっきょくてきはなしかけ、録画ろくがしたおわら番組ばんぐみせていくなかわらいのツボが一致いっちしたのが片桐かたぎりだった[16][17]片桐かたぎり元々もともとえんじることに興味きょうみはあったが、高校こうこう時代じだいには勇気ゆうきずに演劇えんげき所属しょぞくすることはなかった[18]当初とうしょわらいに興味きょうみはなかったが、大学だいがくデビューで目立めだちたかった片桐かたぎりに「おわらいをやればモテる」という小林こばやし言葉ことばさり、さそわれるうちにのめりんでいった[19][10][16]。また両者りょうしゃともに、上手うま学生がくせいばかりというだい環境かんきょう挫折ざせつあじわい、おわらいを自分じぶんたちのあたらしい表現ひょうげん手段しゅだんとしてかんがえるようになっていった[10][19]

片桐かたぎり大学だいがくデビューに必死ひっしで、小林こばやしからてもまわりで一番いちばん面白おもしろ人間にんげんうつっていた[10][19]からキャラがつよくクラスの人気にんきしゃである片桐かたぎりさそえずにいた小林こばやしだったが、べつ相方あいかたさがしているうち自分じぶんにないものをっている片桐かたぎり適任てきにんだというおもいがつよくなり、大学だいがく3ねんにコンビ結成けっせいとなった[19][10][20]在学ざいがく多摩美術大学たまびじゅつだいがくにはおわらいサークルが存在そんざいせず、活動かつどう停止ていししていた落語らくご研究けんきゅうかい復活ふっかつさせるかたち落語らくごをしない「オチケン」というサークルを自分じぶんたちでつくっている[10][注釈ちゅうしゃく 1]

1990ねん中頃なかごろ田辺たなべエージェンシー主催しゅさい大学だいがく対抗たいこうのおわら選手権せんしゅけん開催かいさいされており、4ねんだい2かい大会たいかい出場しゅつじょう希望きぼうしたがすで参加さんかられていた[21][22]担当たんとうしゃ審査しんさ対象たいしょうがいとしてネタをてもらったところ、冗談じょうだんリーグという若手わかてライブに出演しゅつえんすることになった[15][23][24]。その田辺たなべエージェンシーに所属しょぞくすることになりだい3かい大会たいかい出場しゅつじょうしているが、関東かんとう大会たいかいのベスト8で敗退はいたいしている[25][1][注釈ちゅうしゃく 2][注釈ちゅうしゃく 3]

コンビめい[編集へんしゅう]

コンビめい大学だいがく対抗たいこうせん出場しゅつじょうするためにとりあえずつけたもので、ある小林こばやしがラーメンから電話でんわをかけてきて「ラーメンズはどう?」と提案ていあんしたことで決定けっていした[15][27]由来ゆらいこうけの適当てきとうなものであり、ファンからドイツラーメンからているのではという質問しつもんうそ肯定こうていしたり、ラーメンの仕事しごとるかもしれないという安易あんい理由りゆうもあった[27]。コンビとしての活動かつどうさだまるまでは頻繁ひんぱんにコンビめいえていて、一番いちばん最初さいしょけたコンビめい大学だいがく同級生どうきゅうせいであるニイルセン便乗びんじょうした「ニイルセンズ」というものであった[28]

活動かつどう初期しょき[編集へんしゅう]

活動かつどう初期しょき片桐かたぎりがボケで小林こばやしがツッコミを担当たんとうする漫才まんざいスタイルで、差別さべつネタやしもネタもあつかっていた[19][27]れない時期じきはライブでもウケず、コンビなかわる期間きかんもあった[27]。1997ねんまつのバナナマンとの出会であいをとおして、うらをかくようなわら場所ばしょ演技えんぎたくみさに刺激しげきけて、ラーメンズをもうすこ頑張がんばってみようという気持きもちになった[27]

オークラによると、漫才まんざいもやっていたスタイルが確立かくりつされるまえのラーメンズは印象いんしょううすかったが、1998ねん3がつのライブでスタイルをつけたラーメンズの変貌へんぼうぶりにオークラはおどろいており、「できるかな」のパロディコントについてバナナマンをはじめてとき衝撃しょうげき同等どうとうかたっている[29][30][31]。スタイルがコントになると「日本語にほんご学校がっこう」のネタなどでオーディションにもかるようになっていき、ライブシーンでシュールなおわらいが流行りゅうこうすると赤坂あかさかわらいD・O・J・O頭角とうかくあらわし、毎月まいつき事務所じむしょライブでも目当めあての観客かんきゃく満員まんいんになっていった[27][32][33]

1998ねん6がつまつだい1かい単独たんどく公演こうえんはこしき」がおこなわれた[34]シアターD支配人しはいにんであった矢野やのJr.より片桐かたぎり単独たんどく公演こうえん打診だしんがあり、小林こばやし前向まえむきな姿勢しせいせていたため開催かいさいはすぐにまった[34]小林こばやしすで出来上できあがった10ほんのネタでライブにのぞもうとしていたが、「単独たんどく公演こうえんようしんネタをつくるべき」という設楽したらみつるのアドバイスからすべしんネタで構成こうせいされた[35]。1998ねん11がつまつおこなわれただい2かい公演こうえんの「はこしきだいしゅう」では、だい1かい公演こうえんでウケがわるかったブラックなわらいの方向ほうこうせいえ、客演きゃくえん参加さんかやSEをもちいたコントもあった[34]

だい3かい公演こうえんの「はこよさらば」のころには衣装いしょうえなし、セットなしのスタイルのいしずえかたまっていき、芸人げいにんにはられないラーメンズ独特どくとく世界せかいかん確立かくりつされていった[34][36]公演こうえんタイトルのはこはシアターDのことであり、当初とうしょから3かいわりにする予定よていだったので「さらば」とかんしておこなわれた[34]。しかし、公演こうえんえると物足ものたりない感情かんじょうがあり、だい4かい公演こうえんでモヤモヤを解消かいしょうするため「完全かんぜん立方体りっぽうたい」という公演こうえんめいけられた[34]だい4かい公演こうえんは2あいだけい12ほんのコントをえんじるオムニバスのような展開てんかいで、シアターDでの公演こうえん満足まんぞくした小林こばやし翌日よくじつからあたらしいネタの執筆しっぴつかっている[34]

ラーメンズにとって1999ねん爆笑ばくしょうオンエアバトルへの参加さんか転機てんきとなった[27]。ポイント上位じょういの5くみ放送ほうそうされるオンエアバトルにおいて、7しゅううちしゅう毎月まいつきのようにテレビで露出ろしゅつすると、事務所じむしょライブや学園がくえんさいばれるようになり公演こうえんのチケットがれるようになった[37][27]だい1かい公演こうえんだい2かい公演こうえんいへのりをしていなかったため、収容しゅうよう人数にんずうが100にんのシアターDで3かい公演こうえんわせて200にんほど動員どういんだった[38]。オンエアバトル出演しゅつえんだい3かい公演こうえんは、チケットをもとめるきゃく行列ぎょうれつになりきゃくがでるほどになっていた[38]

2000ねん[編集へんしゅう]

2000ねんには舞台ぶたいにこだわり3ヶ月かげつに1かいというハイペースで単独たんどく公演こうえん敢行かんこうしている[8][34]だい5かい公演こうえんの「home」では300にん規模きぼ会場かいじょうまるか心配しんぱいもあったが、 はじめてチケットがそく完売かんばいするきで全体ぜんたいで1500にん動員どういんとなった[34]。また、劇場げきじょうおおきくなったことで、ちいさい表情ひょうじょう演技えんぎ修正しゅうせいこえかた工夫くふうがとられた[34]

2000ねん5がつだい6かい公演こうえん「FLAT」でもチケットはプレミアで即日そくじつ完売かんばいし、追加ついか公演こうえんおこなわれた[17][37]小林こばやしが「おもくてかたいものだった」と表現ひょうげんする「home」とはちがい、かたちからいてテーマを設定せっていせず、パントマイムを多用たようするなど手数てかずおおさを披露ひろうしている[39][34]。また、ラーメンズにとってはじめてビデオされた公演こうえんとなった[34]

2000ねん8がつおこなわれたはつ全国ぜんこくツアー公演こうえんであるだい7かい公演こうえん「news」では、札幌さっぽろ福岡ふくおか埼玉さいたま大阪おおさか東京とうきょうの5都市としおとずれた[8][40]地方ちほうはじめて観劇かんげきするひとけに、序盤じょばん知名度ちめいどのある「読書どくしょ対決たいけつ」のネタを採用さいようしている[40]公演こうえんめい全国ぜんこくツアーで東西とうざい南北なんぼくまわることから、それぞれの英単語えいたんご頭文字かしらもじったものである[34]。また、ポスターデザインの公演こうえんめいとりまっていること、イメージカラーがあおということから、あおとりになってしあわせを各地かくちはこぼうといううらテーマがあった[34]れるまえのラーメンズは三軒茶屋さんげんぢゃやのシアタートラムでいつかやろうと意気込いきごんでいたが、「news」のころには不可ふかのためれないきゃくもいるほどの人気にんきになっていた[38]

2001ねん[編集へんしゅう]

前年ぜんねんさんさくがアルファベット4文字もじだったので、2001ねんさんさく公演こうえんタイトルは初期しょきの「はこしき」のような日本語にほんごもどしてみようとおもい、インパクトのある漢字かんじいち文字もじ統一とういつされ、2おと濁音だくおんはいることが共通きょうつうしている[41][42]。また、椿つばきくじらすずめ共通きょうつうてんとして日本にっぽんてきということもあり、幕間まくあい音楽おんがく和風わふう音源おんげん使用しようした[43]

だい8かい公演こうえん椿つばき」のテーマはいさぎよさで、椿つばきはなちるはかなさからかんじるエロスも表現ひょうげんしようとしており、だい9かい公演こうえんくじら」では一見いっけんつよそうにえるがどこかまもりたくなるくじらめんせいうらテーマにした[41][42]。ライターの石田いしだ伸也しんやは「くじら」について評価ひょうかかれる公演こうえんになったのは、会場かいじょうが500にん規模きぼになり観客かんきゃくつたわりづらくなったからではないかと理由りゆう指摘してきしている[34]。いつものラーメンズとはちがったとアンケートにいた観客かんきゃくもいたが、森山もりやま裕之ひろゆき公演こうえん時点じてん最高さいこう傑作けっさくだとあらわした[4]

くじら」では観客かんきゃく動員どういんが7500にんにまで増加ぞうかし、公演こうえんはビデオするのがたりまえになり販売はんばいチャートでも上位じょういにランクインしていた[44][34]。2001ねんの7がつには5ねんはんつづけていたバイトも退職たいしょくし、ラーメンズの仕事しごとだけで生活せいかつできるようになっている[9]一方いっぽうこのころのラーメンズは連載れんさい仕事しごとはじめ、単独たんどく公演こうえん特別とくべつ公演こうえん合間あいまにユニットコントに参加さんかする多忙たぼうぶりで、「椿つばき」のチラシの挨拶あいさつでは「心身しんしんどもつかれた状態じょうたいでネタをはじめた」と小林こばやしみずかかしており、オークラにも顔色かおいろわるかったと心配しんぱいされていた[34][10][45][46][47]

2001ねん8がつから9がつにかけておこなわれた「れいはこしき〜ヨリヌキ初期しょき作品さくひんしゅう〜」では、だい1かいから4かいまでのコントしゅうなかから厳選げんせんした作品さくひんえんじられた[48]開催かいさいにあたって初期しょき作品さくひん映像えいぞうしたいポニーキャニオンからの依頼いらいがあり、著作ちょさくけんてき問題もんだいがある作品さくひんのぞいて「現代げんだい片桐かたぎり概論がいろん」、「たかしととうさん」、出世しゅっせさくである「日本語にほんご学校がっこう」などが選出せんしゅつされた[34][48]

2002ねん - 2004ねん[編集へんしゅう]

プロデュース公演こうえんなどラーメンズとはべつ活動かつどうて7ヶ月かげつぶりとなっただい12かい公演こうえんの「ATOM」は、あらためてラーメンズとったものとなった[49]はじめて300にん規模きぼ公演こうえんおこなったシアターサンモール劇場げきじょうえらび、そのとき公演こうえんがhomeとアルファベット4文字もじだったこと、初心しょしんもどるのだからAからはじまる単語たんごさが公演こうえんめいはATOMにまった[49]単語たんごには「これ以上いじょう分割ぶんかつできない最小さいしょう単位たんい」という意味いみがあり、小林こばやし目指めざ無駄むだとされた二人ふたり会話かいわげき一致いっちするところもあった[49]

だい12かい公演こうえんからわずか2ヶ月かげつ間隔かんかくおこなわれただい13かい公演こうえん「CLASSIC」は、観劇かんげきしたライターがおまつさわぎのようなライブとひょうするものであった[50]小林こばやし元々もともと語感ごかんこのみだったCLASSICという単語たんご辞書じしょくと、典型てんけい定番ていばんといった意味いみがあることを発見はっけんし、「だつ典型てんけい目指めざすラーメンズの典型てんけいす」という公演こうえんテーマが決定けっていした[50]ぜん公演こうえんの「ATOM」がメッセージせいつよかったため、中身なかみなにいような作品さくひんづくりを目指めざした[50]。マジックとガンダムのオタクのコントはそれぞれの趣味しゅみ反映はんえいされており、ガンダム用語ようごについては片桐かたぎり自身じしん用意よういした知識ちしきもちいられている[50]

過去かこさいバカ」という製作せいさくメモがあった「CLASSIC」をて、だい14かい公演こうえん「STUDY」では小林こばやし本人ほんにん不親切ふしんせつ作品さくひんだとみとめるATOMのような思考しこうするコントにふたた挑戦ちょうせんしている[50][51]。ラーメンズの認知にんちかったころは3さくでテーマをわせていたが、このころになるとひとひとつの公演こうえん特別とくべつなものにしようとして統一とういつかんくなっている[52]

2005ねん - 2007ねん[編集へんしゅう]

1ねんぶりのほん公演こうえん結成けっせい10ねん全国ぜんこくツアーとなっただい15かい公演こうえん「ALICE」は、11都市とし63ステージのチケットがそく完売かんばいした[53][54]はつ観客かんきゃくけにあえて敷居しきいげたコントも採用さいようされ、「バニー」はキャラクターせいつよ台本だいほんがほとんどいようなものであった [54]

2007ねんだい16かい公演こうえん「TEXT」では、小林こばやし自身じしんがロジカル、方程式ほうていしき表現ひょうげんするコントが実際じっさい観客かんきゃくれられるかが不安ふあんで、初日しょにちはまるでこたわせのような心持こころもちであった[55]。「TEXT」というタイトルがさきまっていたが、当初とうしょ言葉ことばにこだわった公演こうえんになる予定よていはなかった[55]。タイトルにせられるように普段ふだんバカにされがちな駄洒落だじゃれでスゴいコントをつくりたいというおもいが芽生めばえ、1ほんの50おとポスターのネタでは実際じっさいにポスターを購入こうにゅうし、2ほん同音どうおん異義いぎのネタでは調査ちょうさ時間じかんをかけネタをつくっていった[55]結成けっせい当時とうじからおもえがいていたおとしたスタイルに試行錯誤しこうさくごすえにたどりき、小林こばやしは「ラーメンズ」というものを提示ていじできた自負じふがあった[55]小林こばやしはソロ活動かつどうやユニット公演こうえん手数てかず武器ぶきえたとかんじており、2あいだでコントが6ほんとひとつひとつがながいコントを成立せいりつさせ、取材しゅざい担当たんとうした石本いしもと真樹まさきは「見事みごと言葉ことばあそびの連続れんぞく」とひょうした[55]

演劇えんげきぶっくが開催かいさいする読者どくしゃ投票とうひょうによる2007ねんのランキングでは、作品さくひん部門ぶもんの5にTEXTがランクインしている[56]投票とうひょう理由りゆうについて日本語にほんご表現ひょうげんたくみさにおどろいたこえや、つくまれた台本だいほん評価ひょうかするこえがあった[56]個人こじんでも俳優はいゆう部門ぶもん小林こばやしが1、4片桐かたぎりがランクインしており、小林こばやし脚本きゃくほん片桐かたぎりのキャラクターパワーに称賛しょうさんあつまっている[12]

2009ねん - 2020ねん[編集へんしゅう]

だい17かい公演こうえん「TOWER」は「TEXT」から2ねんという間隔かんかくいていることもあり、開演かいえんには私語しごがピたっとまるほど、客席きゃくせき緊張きんちょうかんがすごかったと片桐かたぎりかえっている[57]小林こばやしとしてはラーメンズ以外いがい作品さくひんつくつづけていたので、2ねん時間じかんいた感覚かんかくがなかった[57]。「TOWER」という公演こうえんめいには、おわらいとしても演劇えんげきとしてもあらゆる角度かくどから成立せいりつし、なおかつおおきなものをつくりたいというおもいがめられている[57]

冒頭ぼうとうのコントは1分間ふんかん直立ちょくりつ不動ふどうし「二人ふたりがラーメンズ」とわんばかりのもので、あやとりをもちいたコントではあえて面白おもしろ瞬間しゅんかんせないという手法しゅほうもとった[58]。「からだあらわす」はコントでありながらひとつの話題わだいについてはなつづけ、「透明とうめい人間にんげん」と同様どうよう漫才まんざいとしても成立せいりつする構成こうせいとなっている[58]日毎ひごと改善かいぜんてんはないまるでそだっていく公演こうえんのようで、小林こばやしはラーメンズのぜん17公演こうえん一番いちばんきかもしれないとインタビューでこたえている[57][58]

小林こばやしは「TOWER」公演こうえんから1ねんのインタビューで、「観客かんきゃく知識ちしき期待きたいのハードルががっており、ラーメンズはきたるべき位置いちている。」とこたえている [59]。7年間ねんかんラーメンズとしての活動かつどうあいだ片桐かたぎりエレキコミックとのユニット・エレへん活動かつどう俳優はいゆうとしてドラマや舞台ぶたい出演しゅつえんしており[60][61]小林こばやし個人こじん活動かつどうちかられ、プロデュース公演こうえん自身じしんかんしたNHKのコント番組ばんぐみ小林こばやし賢太郎けんたろうテレビ継続けいぞくし、ソロ公演こうえんであるPOTSUNENでは海外かいがい公演こうえん実施じっしした[62][63][64]

2016ねん小林こばやし賢太郎けんたろうテレビ8において2009ねんぶりににん共演きょうえん実現じつげんすると、2016ねん7がつ27にちよりおこなわれた小林こばやし演出えんしゅつのコント公演こうえんカジャラ」にも片桐かたぎり出演しゅつえんしたことで、舞台ぶたいじょうでの共演きょうえんたした[64][65][66]。TOWER以降いこう公演こうえんおこなわれなかった理由りゆうあきらかになっておらず、小林こばやし賢太郎けんたろうテレビ8のプロデューサー・小澤おざわひろしは、それぞれの活動かつどう集中しゅうちゅうした結果けっかたまたま間隔かんかくいてしまったのではないかと推測すいそくしている[62][67]片桐かたぎり解散かいさん否定ひていしラーメンズのライブ活動かつどうについて意欲いよくしめしていたが、小林こばやしはテレビで活動かつどうする普通ふつうのおわらいコンビとちがうことや、脚本きゃくほん演出えんしゅつ主演しゅえん俳優はいゆうのような関係かんけいになっていることをげ、TOWER以前いぜん公演こうえんでも間隔かんかくが2ねん以上いじょういたことがあるので特別とくべつなことではないと強調きょうちょうした[27][64]

2017ねん1がつ1にち、ソフトされていたコント100ほんYouTubeうえ公開こうかいされた[68]関係かんけいしゃ同意どういのもとにおこなわれており、広告こうこく収入しゅうにゅう日本赤十字社にほんせきじゅうじしゃとおして災害さいがい支援しえん使つかわれることが報告ほうこくされている[68]。2017ねん10がつ17にち小林こばやし自身じしん設立せつりつしたスタジオコンテナに所属しょぞくうつしており、片桐かたぎり事務所じむしょかれることになった[3][69]

2020ねん12月1にち、11月16にちをもって小林こばやし賢太郎けんたろう芸能げいのう活動かつどう引退いんたいしたことが発表はっぴょうされた[70]理由りゆうひとつにあしわるくしたことでパフォーマンスに影響えいきょうていることをげており、4〜5ねんまえから考慮こうりょしてのことだった[70]活動かつどう初期しょきから交流こうりゅうがあったおぎやはぎエレキコミックはラジオでニュースにれながらおもはなし、おにりゅういんしょうかじ裕貴ゆきRAM RIDERらもTwitterでコメントをせた[71][72][73][74]

芸風げいふう[編集へんしゅう]

ネタづく[編集へんしゅう]

小林こばやしのネタきは1にち3あいだほどで、こまかい部分ぶぶん稽古けいここすわせていた[16]。まず人間にんげん同士どうし関係かんけいかんがえており、その関係かんけいにどんなキャラクターをてはめたら面白おもしろいかアイディアをしている[75]小林こばやしのネタ作成さくせいのマニュアルのひとつに「舞台ぶたい立体りったいである」というかんがえがあり、机上きじょう会話かいわげきつくっているとよこ関係かんけいになりがちだが、一度いちどできたコントを視点してんえて修正しゅうせいおこなっている[9]

小林こばやしからると片桐かたぎり台詞せりふおぼえが得意とくいであるが、他方たほう台本だいほんがないと上手うまくパフォーマンスが発揮はっきできず、そんな片桐かたぎりかすためつくりこまれたコントのスタイルが確立かくりつした[76][9]一方いっぽう片桐かたぎり瞬発しゅんぱつてきへんがおこえ武器ぶきであることから、あえて台本だいほんでも「へんうごき」と抽象ちゅうしょうてきくこともある[10]。また、片桐かたぎり漫画まんがのキャラクターのような存在そんざいかんっており、いづらい台詞せりふいやかんじにさせない演技えんぎができることから、片桐かたぎりのセリフ部分ぶぶん担当たんとうさせることがある[76]

作品さくひんであると同時どうじ商品しょうひんだという意識いしきっており、最初さいしょのぞいて体型たいけいやダメな部分ぶぶんわらじんきずつくような表現ひょうげんけている[16][76]おとこ同士どうし会話かいわげきなのでしもネタがることもあるが、親子おやこれでている観客かんきゃく想定そうていするとしもネタはやりからく、ディズニーランドのようなうそ構成こうせいしたいおもいをっていた[77]。また、時事じじネタは作品さくひん寿命じゅみょうちぢまるため基本きほんてきれていない[78]定番ていばんしたギャグも、はつ常連じょうれん観客かんきゃくあいだ予備よび知識ちしきかんかたわってしまうため採用さいようしていない[79]

ラーメンズの作品さくひんうたネタがおお理由りゆうについて、げきちゅう二人ふたりそろってうたうのはリアルではないが、練習れんしゅうをしていた突飛とっぴ事実じじつほのめかせることができるので、ラーメンズが表現ひょうげんしている「日常にちじょうなか日常にちじょう」をきている人物じんぶつ世界せかいかんすのに便利べんり道具どうぐとしてうたネタをもちいている[79]

舞台ぶたい構成こうせい[編集へんしゅう]

まず、身体しんたいだけでつくせるわらいを追求ついきゅうしようと、シンプルな舞台ぶたい美術びじゅつ衣装いしょうからスタートしている[16]だい3かい公演こうえんになると、舞台ぶたいじょう背景はいけい無地むじぬのられ、小道具こどうぐはこだけの最小限さいしょうげん要素ようそだけで構成こうせいされた[16][15]舞台ぶたい衣装いしょう目立めだ部分ぶぶんがあると脚本きゃくほんよわくても成立せいりつしてしまうという、小林こばやし自分じぶん自身じしんめかたがあらわれている[76]。また、無地むじ衣装いしょうまとうと匿名とくめいせいたかくなることによって、観客かんきゃくそれぞれにとって身近みぢか生活せいかつのリアリティを想像そうぞうさせるのをねらっている[9]小林こばやしにとってはこ中身なかみえないものの象徴しょうちょうであり、Tてぃーシャツやポスターに使つかわれるキャッチコピーのTHE BOX FILLED WITH LAUGH.は、文法ぶんぽうてきにはただしくないが「はこわらいでくされた」を意味いみしている[39]

わらいと演劇えんげきあいだ[編集へんしゅう]

小林こばやしはラーメンズを「わらいの要素ようそつよ演劇えんげきてきパフォーマンス」としょうし、あえて「おわらい」というわく自分じぶんたちまなかった[19]。ボケとツッコミがあるという固定こてい観念かんねんからはずれて、わらわせるためにはどのような方法ほうほうがあるだろうかかんがえ、ゼロからラーメンズのスタイルをつくっていった[80]一人ひとりまったしゃべらないコントなどであたらしいおわらいとわれたこともあるが、「ひとはどうしてここにをつけてないんだろう?」と本人ほんにんたちは普通ふつうにやっているつもりで、自分じぶんたちつくったルールのなかで1ばんになれるとおもっていた[9][80]

片桐かたぎりはラーメンズ以外いがい芝居しばいにも参加さんかするなかもとめられるものがストーリーだとかんじ、ひるがえってラーメンズにもとめられるものはやっぱりおわらいなのではないかとかんじていた[76]。それをけて小林こばやしは、それは目的もくてきはなしであり、一般いっぱんてきなおわらいのイメージにはやっぱりラーメンズはいないんじゃないかと返答へんとうしている[76]

作品さくひん構造こうぞう[編集へんしゅう]

一般いっぱんてきなコントは冒頭ぼうとう状況じょうきょう説明せつめい登場とうじょう人物じんぶつ紹介しょうかいがあるが、省略しょうりゃくしているラーメンズのコントを岡崎おかざきふとしは「いきなりサビがはじまるかのよう」と表現ひょうげんしている[15]。インタビューで小林こばやしは「ジグソーパズルが最後さいごはままる気持きもちよさをあじわってほしい」とこたえており、物語ものがたり全容ぜんようえてこない構成こうせい意図いとしたものである[15]小林こばやしは、人物じんぶつがいて関係かんけいせいがあり、キャラクターが会話かいわすれば自然しぜん発生はっせいするラーメンズのわらいの作用さようを、科学かがくより数学すうがく物理ぶつりちかいとし、100をえるラーメンズのコントのなかで、20ほん他者たしゃえんじても面白おもしろ成立せいりつするマスターピースになったと自信じしんっている[20][81]

現代げんだい片桐かたぎり概論がいろん[編集へんしゅう]

現代げんだい片桐かたぎり概論がいろん」は、架空かくう生物せいぶつである「カタギリ」の教材きょうざいよう模型もけいふんした片桐かたぎりが、直立ちょくりつ不動ふどうだまったまますすんでいくコントである[82][9]架空かくう生物せいぶつがく真面目まじめ講義こうぎする教員きょういんやく小林こばやしが、あるあるネタのように所作しょさはなかたをリアルにえんじる落差らくさがコントの魅力みりょくになっている[82][83]元々もともとはシアターDのオールスターライブようつくられたネタで、片桐かたぎりのパフォーマンスに納得なっとくしていなかった小林こばやしの「じゃあなにもさせなければいいじゃないか」という思惑おもわく反映はんえいされている[34]

井山いやま弘幸ひろゆき大学だいがく講義こうぎ片桐かたぎり概論がいろんあつかったさい実際じっさいにカタギリという生物せいぶつ存在そんざいすると勘違かんちがいしてしまった学生がくせいがいた[84]。そのことから、架空かくう生物せいぶつについてかれたとネタらしをせず、学術がくじゅつしょ体裁ていさいくずさないはなぎょうるいとの類似るいじてん指摘してきしている[84]

読書どくしょ対決たいけつ[編集へんしゅう]

読書どくしょ対決たいけつ」はそれぞれが朗読ろうどくするほん面白おもしろさをきそっているが、いつのにかほん内容ないようから逸脱いつだつしエスカレートしていくというネタである[85][86]。「ロミオとジュリエット」と「はな」の対決たいけつでは、「あなたはどうしてロミオなの?」という有名ゆうめいなセリフに「ああはな、どうしてまえについているの?」とかえし、最後さいごは「ミミオとハナエット」ともじり耳鼻じび由来ゆらいだとほこる、シュールな性質せいしつつよいオチとなっている[86][87][88]

日本語にほんご学校がっこう[編集へんしゅう]

日本語にほんご学校がっこう」は、とある語学ごがく学校がっこう教師きょうしやく小林こばやしのセリフを生徒せいとやく片桐かたぎり復唱ふくしょうするコントで、フランスへんやイタリアへんなどシリーズされている[89]。 アフリカじんがでたらめな日本語にほんごまなぶニュースをたことにくわえ、小林こばやしヤン・シュヴァンクマイエルいにチェコをおとずれたさいに、電車でんしゃない外国がいこくじんが「日本語にほんご」というほんち「コレハリンゴデスカ」と練習れんしゅうしていた光景こうけいから着想ちゃくそうている[34]

歴史れきしじょう単語たんご語感ごかんたものにわっていく言葉ことばあそびのような「日本語にほんご学校がっこうアメリカン」から、普通ふつう会話かいわをいかにも意味いみありげに朗読ろうどくすることによって、不穏ふおん空気くうき演出えんしゅつしているフランスへんとシリーズのなかでもはばがある[90][91][92]。イタリアへんでは都道府県とどうふけんめいをイタリアふうげたり、わせて奇妙きみょう言葉ことばしており、アスキーアートキャラをもちいた動画どうがによって人気にんきコンテンツになっていた[93]

インディーズで発売はつばいされた「日本語にほんご学校がっこう」のCDはプレミアがつくほどの貴重きちょうさで、あたらしいバージョンを追加ついかし「ラーメンズのしん日本語にほんご学校がっこう」としてあらたに発売はつばいされた[94]

できるかな[編集へんしゅう]

「できるかな」はNHK教育きょういくできるかなパロディにしたコントで、本来ほんらいしゃべらないノッポさん過激かげき発言はつげんをするという内容ないようになっている[95]。ラーメンズのコントスタイルを決定けっていづけた作品さくひんであり、はつ単独たんどくライブの開催かいさいるきっかけになった一本いっぽんである[10]小林こばやしは、業界ぎょうかい独特どくとく価値かちかん外側そとがわから観察かんさつして面白おもしろいとかんじた部分ぶぶんをコントにしただけであり、業界ぎょうかい皮肉ひにくっているつもりはなかった[10]

2020ねん東京とうきょうオリンピック開催かいさい直前ちょくぜんに、コントちゅうの「ユダヤじん大量たいりょう虐殺ぎゃくさつごっこ」というホロコーストをネタにしたセリフが問題もんだいされ、小林こばやし五輪ごりん開閉かいへい会式えしきディレクターを解任かいにんされた原因げんいんとなった[96]小林こばやし謝罪しゃざいコメントのなかで、あさはかな方法ほうほうだったとみとめており、片桐かたぎり意識いしきひくかったと謝罪しゃざいコメントをしている[97][98]

歴史れきし学者がくしゃ濱田はまだひろし一郎いちろう東国原ひがしこくばる英夫ひでおカズレーザーらは、ホロコーストをネタにすることは不適切ふてきせつゆるされるものではないと非難ひなんしている[99][100][101]一方いっぽう茂木もき健一郎けんいちろうはコントの文脈ぶんみゃくから問題もんだい部分ぶぶんはなしてげることに反対はんたいしており、太田おおたひかり解任かいにんしとしながらも、ぜんぎゃく言葉ことばもちいて「できるかな」という番組ばんぐみ偽善ぎぜんせい茶化ちゃかすためのセリフだったと解説かいせつくわえている[95][102]

評価ひょうか影響えいきょう[編集へんしゅう]

ラーメンズがシティボーイズイッセいっせ尾形おがたへの尊敬そんけい公言こうげんしていることから、デザイナーの伊藤いとうひろし高橋たかはし幸宏ゆきひろはその影響えいきょうについて論評ろんぴょうしている[37][76][103]伊藤いとうは、スタイリッシュでおわらいと演劇えんげきあいだ分類ぶんるいむずかしいスタイルは、シティボーイズやラジカル・ガジベリビンバ・システム影響えいきょうかんじながらも、ラーメンズにはテーマせいつよかんじていない[103]。むしろ、ラーメンズの作品さくひんはディテールの断片だんぺんげているのが特徴とくちょうで、初期しょき粗削あらけずりな部分ぶぶんのこされていたが、作品さくひんかさねるごとに完成かんせいがたがきれいなかたちになっていったと変遷へんせんべている[103]。「news」公演こうえん観劇かんげきしていた高橋たかはし同様どうようにシティボーイズやラジカル・ガジベリビンバ・システムの影響えいきょうかんじており、関西かんさい芸人げいにんのようなスピードかんやボケとみの定型ていけいかんじないが、関西かんさいのおわらいにたいするアンチではなく本質ほんしつは「意味いみのないバカバカしさ」としている[103]

DJの田中たなか知之ともゆきは、もの知的ちてきさを要求ようきゅうするシティボーイズやイッセいっせ尾形おがたとの類似るいじせいかたりながら、からないひとはな排他はいたせいくだいている姿勢しせい評価ひょうかしている[103]一方いっぽう、アドリブの天才てんさいとして松本まつもと人志ひとし名前なまえげて論評ろんぴょうしており、計算けいさんされたスタイルのラーメンズを対極たいきょくいている[103]

ラーメンズのキャラクターのうすさも指摘してきされることがおおく、伊藤いとうは「現代げんだい片桐かたぎり概論がいろん」で片桐かたぎり背負しょわれているシーンをれいげ、まるで人形にんぎょうのようだと表現ひょうげんしている[103]高橋たかはしスネークマンショー比較ひかくし、小林こばやし克也かつや伊武いぶ雅刀まさとうのキャラがっているのにたいし、風貌ふうぼう片桐かたぎりでさえうすかんじるほどラーメンズはかおえないとひょうした[103]田中たなかは、シティボーイズとのちがいに匿名とくめいせいげ、コントのなかでラッパーや落語らくごふんしてもどういうひとかはっきりせず、それゆえらないひとても面白おもしろいところが魅力みりょくだとしている[103]

宮藤くどうかん九郎くろうはシンプルで完成かんせいされた台本だいほんなのにどこか不完全ふかんぜん部分ぶぶんがあり、翌日よくじつ公演こうえんでは変化へんかがあるとおもわせてくれるところがきだと小林こばやしとの対談たいだんこたえている[77]菊地きくちしげるあなはラーメンズの堅実けんじつ音楽おんがく使つかかた評価ひょうかし、文学ぶんがく演劇えんげき観点かんてんからみてもファインアートとして成立せいりつしていると言及げんきゅうしている[104][105]

自身じしん短編たんぺん映像えいぞうであるひゃくしき眼鏡めがね小林こばやし共演きょうえんした椎名しいな林檎りんごや、小林こばやし賢太郎けんたろうテレビに出演しゅつえんしただんみつ大泉おおいずみひろしはラーメンズのファンを公言こうげんしている[103][106][64]。ラッパーのKREVAはラーメンズをたか評価ひょうかし、コントのセリフをサンプリングし楽曲がっきょくのCMに二人ふたり起用きようしている[103]。ラーメンズの作品さくひんを「計算けいさんしていないようにせかけて、計算けいさんしている部分ぶぶん」と「計算けいさんしていなかったけど、計算けいさんしたかのようにっているところ」で構成こうせいされていると表現ひょうげんし、コントちゅう披露ひろうしたラップのいんかたおな言葉ことば使つかうアーティストとして刺激しげきけている[103]

ますだおかだ増田ますだ英彦ひでひこは、普通ふつうのおわらいコンビだったら15びょうに1わらいのポイントをつくるがラーメンズは1ふんに1かいすくなさでも成立せいりつしており、それをれている観客かんきゃくそだてていることもわせて評価ひょうかしている[107]桧山ひやま珠美たまみ観客かんきゃくがラーメンズの一挙手一投足いっきょしゅいっとうそく集中しゅうちゅう客席きゃくせきわらいのきがはやようて、サッカーのサポーターが12にん選手せんしゅわれるように観客かんきゃくは3にんのラーメンズなのではないかと表現ひょうげんした[108]

ロングコートダディ堂前どうまえすきダウ90000蓮見はすみしょうは、学生がくせい時代じだいたラーメンズの映像えいぞう影響えいきょうけたとかたっている[109][110]男性だんせいブランコ浦井うらい平井ひらいどもにラーメンズファンであることを公言こうげんしており、大学生だいがくせいころに「TOWER」を観劇かんげきしている[111]せいにした舞台ぶたい構成こうせい注目ちゅうもくし、自分じぶんたちの単独たんどくライブで再現さいげんしようとしていた[111]

落語らくごかいでは元々もともとわら芸人げいにんこころざしていた落語らくご立川たちかわよしえみ椿つばきくじらすずめをDVDで衝撃しょうげきけており、のちに15かい公演こうえん「ALICE」を劇場げきじょう観劇かんげきしている[112]。2000ねん3がつだい2かいオンエアバトルチャンピオン大会たいかい特別とくべつしょう授与じゅよした立川談志たてかわだんしは、イリュージョンをあつか芸人げいにんにラーメンズのげ「芸術げいじゅつ一番いちばんちかい」とあらわした[34][113][114]

コントのネタ台本だいほんそのままが戯曲ぎきょくとして成立せいりつすることから、「小林こばやし賢太郎けんたろう戯曲ぎきょくしゅう」として出版しゅっぱんされている[115]戯曲ぎきょくしゅう出版しゅっぱんはおわら芸人げいにんはじめてであり、複数ふくすう出版しゅっぱんしゃ競争きょうそうもあった[115]小林こばやし賢太郎けんたろう戯曲ぎきょくしゅうんだげき作家さっか飯島いいじま早苗さなえは、演劇えんげきてきとはいえコント台本だいほんであり、ラーメンズの作品さくひんとなれば勝手かって期待きたいがると身構みがまえながらも、歴史れきしじょう有名人ゆうめいじんぶつ外国がいこくじんふう連呼れんこするネタの「日本語にほんご学校がっこうアメリカン」をれいげ、文章ぶんしょうんでいるだけで面白おもしろいとかん理屈りくつでは説明せつめいできない本能ほんのうてきわらいとひょうした[116]

ユニット公演こうえん[編集へんしゅう]

チョコレイトハンター[編集へんしゅう]

1999ねん2がつ小林こばやしゆたか本明ほんみょうちょう、オークラの3めいおこなったコントユニット「チョコレイトハンター」がおもうように上手うまくいかず、それぞれの相方あいかたくわえリベンジとしてさい結成けっせいされた新制しんせいチョコレイトハンターにラーメンズとして参加さんかしている[117][118][119]。ネタづくりを担当たんとうする小林こばやし、オークラがいそがしくなってきた時期じきということもあり、小林こばやしは「今世紀こんせいき最後さいごにして最低さいていのアイドル芸人げいにん」というキャッチコピーで、あそびの要素ようそがあるユニットコントだということを演出えんしゅつした[119]。コンセプトどおりに2000ねん12がつをもって解散かいさんした[120]

setagaya genico[編集へんしゅう]

1998ねんごろからバナナマンとラーメンズの交流こうりゅうはじまり、設楽したら提案ていあんにより「genico」というコントユニットが結成けっせいされた[121]公演こうえんおこなわれた2000ねん10がつ当時とうじのバナナマン、ラーメンズは東京とうきょうのライブシーンで際立きわだつ2くみであり、芸人げいにん仲間なかまやおわらいファンから注目ちゅうもくあつまっていた[122]。ネタ担当たんとう設楽したら小林こばやし作家さっかとして参加さんかしていたオークラの3めいはないによりネタづくりがすすめられたが、おたがゆずれない部分ぶぶんもあり結果けっかとして先輩せんぱいである設楽したら主導しゅどうけんにぎることになり、オークラは出来上できあがったコントについて「ラーメンズがバナナマンの世界せかいかん参加さんかしたようだった」とかえっている[121][118]

小林こばやしはバナナマンのライブをて「自分じぶんたちにはできない」と称賛しょうさんしており、楽屋がくや積極せっきょくてきはなしかけにいっていたこともあって、合同ごうどうライブができて光栄こうえいかたっている[123]

きみせき[編集へんしゅう]

きみせきは、2000ねん放送ほうそう開始かいししたコント番組ばんぐみウラにっテレにおいて共演きょうえんしていたバナナマン、おぎやはぎ、ラーメンズの3くみにより結成けっせいされたコントユニットである[124][125]番組ばんぐみ制作せいさく担当たんとうしていたにっテレ安島あじまたかし、オークラも演出えんしゅつたずさわり、泉谷いずみやしげる楽曲がっきょくからユニットに「きみせき」という名前なまえけられた[126][125]。ライブは2002ねん3がつ2にち、3にちおこなわれたが、ラーメンズは1カ月かげつまえの1がつ27にちだい10かい単独たんどく公演こうえんの「すずめ」がわったばかりで、さらに3がつ12にちから特別とくべつ公演こうえん、3月29にちからだい11かい単独たんどく公演こうえんの「CHERRY BLOSSOM FRONT345」がひかえており、ラーメンズが非常ひじょういそがしかったこともあり小林こばやしはネタづくりに参加さんかせず設楽したらとオークラが担当たんとうした[45][46][47]

KKP[編集へんしゅう]

演劇えんげきてき作品さくひんつくりたいという小林こばやし意思いしにより、2000ねん8がつからげられた小林こばやし賢太郎けんたろうプロデュース公演こうえん片桐かたぎり参加さんかしている[127]片桐かたぎりは1さくgood day house、2さくSweet7、3さくPaper Runnerの3作品さくひん看板かんばん役者やくしゃとして出演しゅつえんした[128][129][130]

GOLDEN BALLS LIVE[編集へんしゅう]

KKPはラーメンズが演劇えんげきりとひょうされることから、「コントりの演劇えんげき」をつくってみようというアイディアによりげられた[131]一方いっぽう、コントりの演劇えんげきと、演劇えんげきよりのコントのあいだかんがえたさいまれたのが、2005ねん上演じょうえんされたRahmens Presents GOLDEN BALLS LIVEである[131]主催しゅさいのラーメンズにくわえ、ひささわとおる西田にしだただし野間口のまぐちとおるらが参加さんかだい人数にんずうのコントが披露ひろうされた[131]。セット美術びじゅつ片桐かたぎり担当たんとうしている[132]

美術びじゅつ音楽おんがく[編集へんしゅう]

だい17かい公演こうえん「TOWER」のポスター

活動かつどう初期しょきのポスターやチラシは小林こばやしがデザインをしていたが、だい5かい公演こうえんの「home」からクリエイティブディレクターである水野みずのまなぶのgood design companyが制作せいさく参加さんかしている[133]水野みずのとラーメンズの二人ふたり多摩美たまみ同期どうきであり、在学ざいがくちゅうえばはなすぐらいの関係かんけいであった[133]水野みずの社会しゃかいじん3ねんだい1かい公演こうえんはこしき」を観劇かんげきする機会きかいがあり、終演しゅうえんのアンケートのDM希望きぼうらんに「つくる」といたことがきっかけで仕事しごととおしてラーメンズとかかわることになった[133][134]

水野みずのはデザイン会社かいしゃドラフトにつとめていたときに、「ブランドの10ねん、20ねんかんがえなければダメだ」とおしえられており、その方針ほうしん沿ってラーメンズをブランディングした[133]劇場げきじょう中心ちゅうしん活動かつどう露出ろしゅつすくないラーメンズということもあり、ポスターには極力きょくりょく二人ふたりかお使つかっていない[5]。ファンからはチラシにかおしいという要望ようぼうもあったが、まだ露出ろしゅつにははやいということで椿つばきくじらすずめの3公演こうえんのポスターでは下部かぶにんかお見切みきれるかたち配置はいちした[133]

「ファンであることを自信じしんおもえる、ポスターをっていたくなる」をコンセプトに、チラシも宣伝せんでんようではなく公演こうえんひとわたすものになっていった[5][135]初期しょきから予算よさん不足ふそくおぎなうために、期限切きげんぎれの写真しゃしんフィルム使用しようするなど工夫くふうがされている[136]。「STUDY」での鉛筆えんぴつがらかくがカットされている加工かこうや、かがみくにのアリス連想れんそうからかがみ文字もじ使用しようした「ALICE」のポスターは広告こうこくとしては意味いみさないが、ラーメンズの作品さくひん一部いちぶとして成立せいりつしている[133][137]

小林こばやしのほとんどの公演こうえんかかわる舞台ぶたい監督かんとく野口のぐちあつしは「NEWS」から、徳澤とくさわあおつるは2001ねんの「くじら」から音楽おんがく担当たんとうしている[138]くじらでは、チェロを使つかいたいという小林こばやし要望ようぼうこたえて全編ぜんぺんチェロで作曲さっきょくしたが、徳澤とくさわの「チェロだけではないですよ」というアピールから、ラーメンズのその公演こうえんでも製作せいさくたずさわっている[138]伊賀いが大介だいすけ椎名しいな林檎りんご映像えいぞう作品さくひんひゃく色眼鏡いろめがね小林こばやし一緒いっしょ仕事しごとをしたえんから、「アリス」のスタイリストを担当たんとうした[139]大学だいがく時代じだい同級生どうきゅうせいであるニイルセンは、1999ねんから舞台ぶたい美術びじゅつでラーメンズの公演こうえんかかわっている[140]

テレビについて[編集へんしゅう]

ラーメンズはメディアでの露出ろしゅつけており、小林こばやしはテレビが苦手にがて理由りゆうに、一方向いちほうこうてきなメディアということをげている[141]片桐かたぎりからても、「なんでも自分じぶんでやりたくなってしまう」小林こばやし意図いと製作せいさくがわ演出えんしゅつがぶつかりイライラしてしまい、方向ほうこうせいとのズレやいている感覚かんかくかかえ、あしをつけてやれる場所ばしょにいたいというおもいからテレビでの仕事しごとっていった[10][135]。ライブであればスタッフを最小さいしょう人数にんずうおさえることができ、反応はんのうがダイレクトなところもふくめてきなところとして、舞台ぶたいならおかねはらってでもたい観客かんきゃくと、なまにこだわるラーメンズとの相互そうご関係かんけいつと小林こばやし自己じこ分析ぶんせきしている[10][141]。またメディアでの露出ろしゅつがあると舞台ぶたいじょうやくえにくくなることから、自分じぶん前面ぜんめんすことをける意図いともあった[10]片桐かたぎりからすると小林こばやし演技えんぎもできる器用きよう人間にんげんなのでもっとテレビにてもいいとかんじていたが、小林こばやしは「台本だいほんがあるものじゃないと勝負しょうぶできない」、「ラーメンズの脚本きゃくほん面白おもしろいだけで自分じぶん単体たんたい面白おもしろくない」とインタビューではこたえている[10][142][143]

オンエアバトル[編集へんしゅう]

NHK新人しんじん演芸えんげい大賞たいしょう決勝けっしょうのこったことでディレクターのまり、あたらしくはじまる爆笑ばくしょうオンエアバトルのネタせにさそわれたことから番組ばんぐみ初回しょかいから出演しゅつえんしている[27][144]。その初回しょかい放送ほうそうで、のちこう得点とくてん基準きじゅんとなる500kbを達成たっせいしたのがラーメンズだった[144]。ネタの面白おもしろさが評価ひょうかされる番組ばんぐみにおいて、とく注目ちゅうもくあつまっていたのがラーメンズであり、暗転あんてんのタイミングをこまかくリハーサルしていたことが製作せいさくじん印象いんしょうのこっている[142][145][注釈ちゅうしゃく 4]

だい1かいチャンピオン大会たいかいでは順位じゅんいにこだわることなく、片桐かたぎりうごかない「教材きょうざいよう片桐かたぎり」のネタを披露ひろうし、予選よせんで4になり決勝けっしょうの3わくのこることができなかった[148][149]だい2かいチャンピオン大会たいかいでは決勝けっしょう進出しんしゅつするも9わったが、立川談志たてかわだんしにより審査しんさいん特別とくべつしょうあたえられた[145]

オンエアバトルで代表だいひょうさくである「日本語にほんご学校がっこう」を披露ひろうしたところ、視聴しちょうしゃからの苦情くじょう相次あいついだことがあった[142]外国がいこくじんえんじる二人ふたり日本語にほんご教科書きょうかしょんでいるさまが、麻薬まやく密売みつばい題材だいざいにしていると勘違かんちがいされてしまったことが原因げんいんである[142]番組ばんぐみ差別さべつてき発言はつげんもしていないし放送ほうそうコードにもからないと苦情くじょうっぱねたことがネットで話題わだいになった[142]

わらいの[編集へんしゅう]

たりないふたり仕掛しかじんである安島あじまたかしとの出会であいにより、1999ねん日本にほんテレビのネット番組ばんぐみである「わらいの」に参加さんかしている[150][151][34]。タッグをめるような面白おもしろ若手わかて芸人げいにんさがしていた安島あじまは、ラーメンズが出演しゅつえんしていたシアターDのライブを偶然ぐうぜんおとずれた[150][152]独特どくとく存在そんざいかん劇場げきじょう空気くうき一瞬いっしゅんえるちからとりこになった安島あじまは、ライブ終了しゅうりょうすぐに楽屋がくやたず挨拶あいさつわしている[152][153]

出演しゅつえん決定けっていはつわせのせきで、小林こばやし当時とうじのネット回線かいせんよわさを考慮こうりょした静止せいしくせのあるうたけたうたネタを提案ていあんしている[154][155]策略さくりゃく上手うまくハマったことにより、ラーメンズのうたネタ作品さくひん番組ばんぐみ終了しゅうりょうまで視聴しちょうしゃ投票とうひょうで1獲得かくとくつづけた[155]。そのよそおいをあらたにした地上波ちじょうはのコント番組ばんぐみであるウラにっテレにもつづ出演しゅつえんした[156]

単独たんどく公演こうえん[編集へんしゅう]

  • だい1かい公演こうえんはこしき」(1998ねん6がつ27にち - 28にち、シアターD)
  • だい2かい公演こうえんはこしきだいしゅう」(1998ねん11月28にち - 29にち、シアターD)
  • だい3かい公演こうえんはこよさらば。」 (1999ねん5がつ28にち - 30にち、シアターD)
  • だい4かい公演こうえん完全かんぜん立方体りっぽうたい〜Perfect Cube〜」 (1999ねん9がつ3にち - 5にち、シアターD)
  • ちょう特別とくべつ公演こうえん「RMS1」(2002ねん3がつ12にち - 3月14にち本多劇場ほんだげきじょう)

情報じょうほう[34][157][158][159][160][161][162]による。

出演しゅつえん[編集へんしゅう]

情報じょうほう[34][163]による。

テレビ[編集へんしゅう]

ネット番組ばんぐみ[編集へんしゅう]

  • わらいの日本にほんテレビ)

映像えいぞう作品さくひん[編集へんしゅう]

小島こじま淳二じゅんじひきいるteevee graphicsの映像えいぞう作品さくひんである「VIDEO VICTIM」にラーメンズで参加さんかしている[164]映像えいぞうないのコントであればラーメンズのさがきると小林こばやしはアピールしたことによりコラボが実現じつげんし、小林こばやしコンテや脚本きゃくほん小島こじまコンテにこして日本人にっぽんじん独特どくとく文化ぶんかをフォーマットにしていった[11]

2004ねん公開こうかいのショートフィルムしゅうJam Films2」のいちへんである「机上きじょう空論くうろん」では、男女だんじょ恋愛れんあいのハウツー講座こうざだけでなく実践じっせんへんのドラマパートにも出演しゅつえんし、市川いちかわみのる日子にっし斉木さいきしげるらと共演きょうえんした[165]

CM[編集へんしゅう]

ラジオ[編集へんしゅう]

客演きゃくえん[編集へんしゅう]

出版しゅっぱん[編集へんしゅう]

情報じょうほう[34][167]による。

  • 『かるた?』(日本にほんテレビ出版しゅっぱん、2001ねん9がつ
  • 『ラーメンズ つくるひとデコ(とつ)』(太田出版おおたしゅっぱん、2002ねん8がつ
  • 微妙びみょうハンター』(ぴあ、2003ねん3がつ

雑誌ざっし連載れんさい[編集へんしゅう]

  • 「ラーメンズのテアトルグラフィカ 平面へいめん劇場げきじょう」(角川書店かどかわしょてん
  • 「LIVING DESIGN」(リビングデザインセンター)
  • 「ラーメンズの微妙びみょうハンター」(ぴあ関西かんさいばん
  • Quick Japan

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 復活ふっかつということにすれば落語らくご研究けんきゅうかい部活ぶかつをそのまま使つかえるというメリットもあった[10]
  2. ^ ラーメンズはすで大学だいがく卒業そつぎょうしていたが、やついは事務所じむしょはくけるため卒業生そつぎょうせい参加さんかできるコンビ対抗たいこう形式けいしき変更へんこうしたと推測すいそくしている[26]
  3. ^ のち田辺たなべエージェンシーのおわら部門ぶもんから設立せつりつされたトゥインクル・コーポレーション所属しょぞくうつしている[2]
  4. ^ 1999ねんのオンエアは、3月27にち、5月1にち、6月19にち、9月4にち、10月2にち、12月11にち[145]。2000ねんは、4がつ8にち、7がつ29にち、10月14にち、11月4にち[146]、2001ねんは1がつ13にち、4がつ21にち、6月23にちである[146][147]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b 高堀たかほりふゆ彦 (2021ねん7がつ23にち). “小山田おやまだ圭吾けいご小林こばやし賢太郎けんたろうおどろくべき共通きょうつうてん 今後こんご組織そしきがやらねばならないことは?”. デイリー新潮しんちょう. 2024ねん3がつ27にち閲覧えつらん
  2. ^ a b R-1優勝ゆうしょうまちうらぴんく、所属しょぞくプロのつよみをかして俳優はいゆうへの期待きたい”. 日刊にっかんサイゾー (2024ねん3がつ20日はつか). 2024ねん3がつ27にち閲覧えつらん
  3. ^ a b 小林こばやし賢太郎けんたろう、10ねんまえのK.K.P.公演こうえん「TAKEOFF」をなま解説かいせつするライブ”. わらいナタリー (2017ねん10がつ18にち). 2024ねん3がつ27にち閲覧えつらん
  4. ^ a b 森山もりやま裕之ひろゆき「ラーメンズ最新さいしん単独たんどく公演こうえんくじら一番いちばんふかいところ 緊急きんきゅうレポート」『Quick Japan』2001ねん8がつごう太田出版おおたしゅっぱん、170–173ぺーじ
  5. ^ a b c 水野みずの 2018 42-43ぺーじ
  6. ^ 小林こばやし賢太郎けんたろう芸能げいのう活動かつどう引退いんたい 裏方うらかたへ 09ねん以来いらいラーメンズほん公演こうえんかなわず 事務所じむしょめも「つよ希望きぼう”. Sponichi Annex (2020ねん12月1にち). 2024ねん1がつ28にち閲覧えつらん
  7. ^ a b かみわらい 1999 29ぺーじ
  8. ^ a b c 長野ながの辰次たつじ「ラーメンズ、はつ全国ぜんこくツアー敢行かんこう!」『レプリーク』2000ねん9がつごう阪急はんきゅうコミュニケーションズ、43ぺーじ
  9. ^ a b c d e f g h 島森しまもり路子みちこ特集とくしゅうわらい21世紀せいき面白おもしろいことはこうにある ラーメンズ」」『広告こうこく批評ひひょう』2001ねん9がつごう、マドラ出版しゅっぱん、50–65ぺーじ
  10. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 森山もりやま裕之ひろゆき「ラーメンズインタビュー「なに、その価値かちかん?」」『Quick Japan』2001ねん4がつごう太田出版おおたしゅっぱん、82–89ぺーじ
  11. ^ a b 島森しまもり路子みちこ映画えいがでもCMでもないあたらしい映像えいぞう小島こじま淳二じゅんじ」『広告こうこく批評ひひょう』2003ねん9がつごう、マドラ出版しゅっぱん、96–97ぺーじ
  12. ^ a b 石本いしもと真樹まさき読者どくしゃえらぶえんぶチャート2007 俳優はいゆうチャート」『演劇えんげきぶっく』2008ねん4がつごう演劇えんげきぶっくしゃ、10–11ぺーじ
  13. ^ 「おじゃましBUZZ だい11かい ラーメンズ」『BUZZ』2002ねん9がつごう、ロッキング・オン、130–131ぺーじ
  14. ^ 「ボーダーレスでアートな"バカ2人ふたり"」『東京とうきょうウォーカー』2000ねん9がつ5にちごう、KADOKAWA、160ぺーじ
  15. ^ a b c d e f 「スメリーのパフォーマーズ・ファイル file11 だつ構築こうちくされたおわら構成こうせい主義しゅぎ!ラーメンズ」『美術びじゅつ手帖てちょう』2000ねん11がつごう美術びじゅつ出版しゅっぱんしゃ、178–179ぺーじ
  16. ^ a b c d e f g h 「「『生涯しょうがいもとめらく』でやっていきたい」編集へんしゅうインタビュー」『熱風ねっぷう』2003ねん1がつごう、スタジオジブリしゃ、39–43ぺーじ
  17. ^ a b c しん世代せだいわら芸人げいにんとしてブレイクは必至ひっし! ラーメンズだ!!」『宝島たからじま』2000ねん7がつ26にちごう宝島社たからじましゃ、17ぺーじ
  18. ^ つくるひと 2002 30ぺーじ
  19. ^ a b c d e f 本間ほんま夕子ゆうこひと音楽おんがく ラーメンズ」『音楽おんがくひと』2000ねん9がつごう株式会社かぶしきがいしゃ 音楽おんがくひと、142–143ぺーじ
  20. ^ a b みや嵜広特集とくしゅうわらいはたたかう。 ラーメンズ」『Cut』2002ねん4がつごう、ロッキング・オン、66–69ぺーじ
  21. ^ 西条さいじょう 2007 40ぺーじ
  22. ^ やつい 2019 93ぺーじ
  23. ^ やつい 2019 91ぺーじ
  24. ^ やつい 2019 94ぺーじ
  25. ^ やつい 2019 200ぺーじ
  26. ^ やつい 2019 187ぺーじ
  27. ^ a b c d e f g h i j 田口たぐち元義もとよしいえ履歴りれきしょ 片桐かたぎりひとし」『週刊文春しゅうかんぶんしゅん』2015ねん9がつ17にちごう文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう、100–103ぺーじ
  28. ^ "「せきべんれんがゆく」 ラーメンズ 片桐かたぎり ひとしさん". 関東かんとう弁護士べんごし連合れんごうかい. 2014ねん12月18にち. 2024ねん1がつ17にち閲覧えつらん
  29. ^ オークラ 2021 147ぺーじ
  30. ^ オークラ 2021 148ぺーじ
  31. ^ オークラ 2021 150ぺーじ
  32. ^ やつい 2019 220ぺーじ
  33. ^ やつい 2019 266ぺーじ
  34. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y 石田いしだ 2001 2-15ぺーじ
  35. ^ オークラ 2021 151ぺーじ
  36. ^ オークラ 2021 152ぺーじ
  37. ^ a b c だいブレークちゅうのう芸人げいにん いっこくどうとラーメンズ」『ダカーポ』2000ねん3がつ15にちごう、マガジンハウス、19ぺーじ
  38. ^ a b c 島森しまもり路子みちこ「やってる自分じぶん面白おもしろい インタビュー 片桐かたぎりひとし」『広告こうこく批評ひひょう』2003ねん9がつごう、マドラ出版しゅっぱん、118–129ぺーじ
  39. ^ a b 石本いしもと真樹まさき「ラーメンズだい6かい公演こうえん FLAT」『演劇えんげきぶっく』2000ねん8がつごう演劇えんげきぶっくしゃ、46–47ぺーじ
  40. ^ a b 石本いしもと真樹まさき「ラーメンズだい7かい公演こうえん news」『演劇えんげきぶっく』2000ねん12がつごう演劇えんげきぶっくしゃ、28–30ぺーじ
  41. ^ a b 石本いしもと真樹まさき「ラーメンズだい8かい公演こうえん 椿つばき」『演劇えんげきぶっく』2001ねん4がつごう演劇えんげきぶっくしゃ、17–18ぺーじ
  42. ^ a b 石本いしもと真樹まさき「ラーメンズだい9かい単独たんどく公演こうえん くじら」『演劇えんげきぶっく』2001ねん10がつごう演劇えんげきぶっくしゃ、32–33ぺーじ
  43. ^ 石本いしもと真樹まさき「ラーメンズだい10かい単独たんどく公演こうえん すずめ」『演劇えんげきぶっく』2002ねん4がつごう演劇えんげきぶっくしゃ、26–27ぺーじ
  44. ^ 石本いしもと真樹まさき表紙ひょうしひと ラーメンズ」『演劇えんげきぶっく』2001ねん12がつごう演劇えんげきぶっくしゃ、48–49ぺーじ
  45. ^ a b オークラ 2021 192ぺーじ
  46. ^ a b オークラ 2021 193ぺーじ
  47. ^ a b オークラ 2021 194ぺーじ
  48. ^ a b 石田いしだ伸也しんや「ラーメンズ特別とくべつ公演こうえんれいはこしき〜ヨリヌキ初期しょき作品さくひんしゅう〜』スペシャルレポート」『キネしゅんムック 男優だんゆうクラブ』2001ねん9がつごうキネマ旬報社きねまじゅんぽうしゃ、78ぺーじ
  49. ^ a b c 石本いしもと真樹まさき「ラーメンズだい12かい公演こうえん ATOM」『演劇えんげきぶっく』2003ねん4がつごう演劇えんげきぶっくしゃ、32–33ぺーじ
  50. ^ a b c d e 石本いしもと真樹まさき「ラーメンズだい13かい公演こうえん CLASSIC」『演劇えんげきぶっく』2003ねん6がつごう演劇えんげきぶっくしゃ、30–31ぺーじ
  51. ^ 石本いしもと真樹まさき表紙ひょうしひと ラーメンズ」『演劇えんげきぶっく』2004ねん2がつごう演劇えんげきぶっくしゃ、46–47ぺーじ
  52. ^ 石本いしもと真樹まさき「ラーメンズだい14かい公演こうえん Study」『演劇えんげきぶっく』2004ねん6がつごう演劇えんげきぶっくしゃ、40–41ぺーじ
  53. ^ 石本いしもと真樹まさき「ラーメンズだい15かい公演こうえん アリス」『演劇えんげきぶっく』2005ねん4がつごう演劇えんげきぶっくしゃ、38–39ぺーじ
  54. ^ a b 徳永とくなが京子きょうこ演劇えんげきか、おわらいか。めるのはあなた ラーメンズ」『レプリークBis』2005ねん7がつごう阪急はんきゅうコミュニケーションズ、83–87ぺーじ
  55. ^ a b c d e 石本いしもと真樹まさき「クリエイトする俳優はいゆうたち [ラーメンズ] TEXT 小林こばやし賢太郎けんたろう片桐かたぎりひとし」『演劇えんげきぶっく』2007ねん6がつごう演劇えんげきぶっくしゃ、10–13ぺーじ
  56. ^ a b 石本いしもと真樹まさき作品さくひんチャート」『演劇えんげきぶっく』2008ねん4がつごう演劇えんげきぶっくしゃ、8ぺーじ
  57. ^ a b c d 石本いしもと真樹まさき「CLOSE-UP STAGE 小林こばやし賢太郎けんたろう×片桐かたぎりひとし」『演劇えんげきぶっく』2009ねん6がつごう演劇えんげきぶっくしゃ、46–47ぺーじ
  58. ^ a b c 石本いしもと真樹まさき表紙ひょうしひと 小林こばやし賢太郎けんたろう片桐かたぎりひとし」『演劇えんげきぶっく』2009ねん8がつごう演劇えんげきぶっくしゃ、4–9ぺーじ
  59. ^ 石本いしもと真樹まさき「[LIVE POTSUNEN2010] SPOT 小林こばやし賢太郎けんたろう」『演劇えんげきぶっく』2010ねん6がつごう演劇えんげきぶっくしゃ、28–31ぺーじ
  60. ^ 島貫しまぬき泰介たいすけ (2020ねん2がつ3にち). "エレへんが14ねんつづけてこられたわけ。アートのようにつくられるコント". cinra. 2024ねん3がつ27にち閲覧えつらん
  61. ^ 奥村おくむら百恵ももえ (2016ねん11月18にち). "片桐かたぎりひとしインタビュー「才能さいのうのあるわかひとたちに業界ぎょうかい面白おもしろくしていってもらいたい」". ORICON NEWS. 2024ねん3がつ27にち閲覧えつらん
  62. ^ a b 鈴木すずきあさひ (2020ねん12月20にち). "小林こばやし賢太郎けんたろう、テレビスターへのみちった世界せかいかん DVD時代じだいのカリスマせい". withnews. 2024ねん3がつ27にち閲覧えつらん
  63. ^ "小林こばやし賢太郎けんたろう「ポツネン」日本にっぽん凱旋がいせんツアー決定けってい全国ぜんこく9会場かいじょうで". おわらいナタリー. 2015ねん5がつ1にち. 2024ねん3がつ27にち閲覧えつらん
  64. ^ a b c d 石本いしもと真樹まさき特集とくしゅう:「小林こばやし賢太郎けんたろうテレビ8」」『テレビブロス』2016ねん6がつ4にちごう東京ニュとうきょうにゅス通信社すつうしんしゃ、51–58ぺーじ
  65. ^ 石本いしもと真樹まさき「「小林こばやし賢太郎けんたろうテレビ8」特集とくしゅうvol.2」『テレビブロス』2016ねん6がつ18にちごう東京ニュとうきょうにゅス通信社すつうしんしゃ、10–11ぺーじ
  66. ^ "小林こばやし賢太郎けんたろう新作しんさくコント公演こうえん「カジャラ」だい1だん片桐かたぎりひとし". おわらいナタリー. 2016ねん5がつ16にち. 2024ねん1がつ11にち閲覧えつらん
  67. ^ ラーメンズ7ねんぶり共演きょうえん理由りゆう小林こばやし賢太郎けんたろうテレビ」最大さいだい挑戦ちょうせん片桐かたぎりひとし不可欠ふかけつ”. Sponichi Annex (2016ねん6がつ24にち). 2024ねん4がつ5にち閲覧えつらん
  68. ^ a b 「ラーメンズ」コント100ほん動画どうが公開こうかい広告こうこく収入しゅうにゅう災害さいがい復興ふっこう支援しえん”. Sponichi Annex (2017ねん1がつ1にち). 2024ねん1がつ31にち閲覧えつらん
  69. ^ ラーメンズよどこにいく? 片桐かたぎりひとし粘土ねんどどう20周年しゅうねん小林こばやし賢太郎けんたろう椎名しいな林檎りんご対談たいだん”それぞれに活躍かつやく”. Techinsight (2019ねん11月24にち). 2024ねん3がつ27にち閲覧えつらん
  70. ^ a b ラーメンズ小林こばやし引退いんたい理由りゆうは「あしわるくパフォーマンスに無理むりが…」”. サンスポ (2020ねん12月1にち). 2024ねん1がつ31にち閲覧えつらん
  71. ^ おぎやはぎ、芸能げいのうかい引退いんたい小林こばやし賢太郎けんたろう期待きたい 演出えんしゅつとして「どんどん名前なまえくことになる」”. ORICON NEWS (2020ねん12月4にち). 2024ねん1がつ31にち閲覧えつらん
  72. ^ 片桐かたぎりひとし相方あいかた小林こばやし賢太郎けんたろう芸能げいのうかい引退いんたい「1ねんまえいていた」 エレキコミックとおもトーク”. ORICON NEWS (2020ねん12月6にち). 2024ねん1がつ31にち閲覧えつらん
  73. ^ おにりゅういんしょう引退いんたい小林こばやし賢太郎けんたろうから「影響えいきょうぎてて」”. 日刊にっかんスポーツ (2020ねん12月2にち). 2024ねん1がつ31にち閲覧えつらん
  74. ^ ラーメンズ・小林こばやし賢太郎けんたろう芸能げいのうかい引退いんたい各界かくかい衝撃しょうげきひろがる かじ裕貴ゆき自分じぶん理想りそうとする表現ひょうげんの、ひとつの究極きゅうきょくがた”. J-CAST ニュース (2020ねん12月1にち). 2024ねん1がつ31にち閲覧えつらん
  75. ^ わらいのまれる日常にちじょう」『AXIS』2002ねん4・5がつごう、アクシス、39ぺーじ
  76. ^ a b c d e f g のう科学かがくりゅうラーメンズ進化しんかろん 茂木もき健一郎けんいちろう×ラーメンズ」『広告こうこく批評ひひょう』2007ねん12がつごう、マドラ出版しゅっぱん、1–20ぺーじ
  77. ^ a b 対談たいだん 方法ほうほうろんがまるっきり反対はんたいみたい 宮藤くどうかん九郎くろう×小林こばやし賢太郎けんたろう」『広告こうこく批評ひひょう』2003ねん9がつごう、マドラ出版しゅっぱん、66–77ぺーじ
  78. ^ GUNROCK MAEDA「しん時代じだいはこいつらがあつくする HAPPY NEW COMER 2003 ラーメンズ」『sabra』2003ねん1がつ23にちごう小学館しょうがくかん、58ぺーじ
  79. ^ a b 竹井たけい晶子あきこ「コント職人しょくにんーラーメンズはなぜテレビにないのか?」『Composite』2000ねん12がつごうむくいまさどう、59ぺーじ
  80. ^ a b 田部井たべいとおる「ラーメンズ おわらいと演劇えんげきあいだ人気にんき急上昇きゅうじょうしょうちゅうのヘンな2人ふたり」『日経にっけいエンタテインメント!』2002ねん9がつごう日経にっけいBPしゃ、148–149ぺーじ
  81. ^ 石本いしもと真樹まさき読者どくしゃえらぶえんぶチャート2010 俳優はいゆうチャート1 小林こばやし賢太郎けんたろう」『演劇えんげきぶっく』2011ねん4がつごう演劇えんげきぶっくしゃ、10–13ぺーじ
  82. ^ a b 井山いやま 2005 116ぺーじ
  83. ^ 井山いやま 2005 117ぺーじ
  84. ^ a b 井山いやま 2007 158ぺーじ
  85. ^ 井山いやま 2005 121ぺーじ
  86. ^ a b 井山いやま 2005 122ぺーじ
  87. ^ 井山いやま 2005 123ぺーじ
  88. ^ 井山いやま 2005 124ぺーじ
  89. ^ 井山いやま 2005 125ぺーじ
  90. ^ 井山いやま 2005 126ぺーじ
  91. ^ 井山いやま 2005 127ぺーじ
  92. ^ 井山いやま 2007 41ぺーじ
  93. ^ れいるとは」なつかし“千葉ちば滋賀しが佐賀さが”“ヒョギフ大統領だいとうりょう” ラーメンズ小林こばやし賢太郎けんたろう引退いんたいでトレンドに”. 中日ちゅうにちスポーツ (2020ねん12月2にち). 2024ねん1がつ30にち閲覧えつらん
  94. ^ 「People 片桐かたぎりひとし」『an・an』2006ねん9がつ20にちごう、マガジンハウス、142ぺーじ
  95. ^ a b 太田おおたひかり小林こばやし賢太郎けんたろう解任かいにんのネタを解説かいせつ「『できるかな』の“偽善ぎぜんせい”を茶化ちゃかす」”. サンスポ (2021ねん7がつ25にち). 2024ねん1がつ30にち閲覧えつらん
  96. ^ 五輪ごりん開閉かいへい会式えしきディレクターの小林こばやし賢太郎けんたろう解任かいにん 組織そしき」『朝日新聞あさひしんぶんデジタル』2021ねん7がつ22にち。2024ねん1がつ30にち閲覧えつらん
  97. ^ 小林こばやし賢太郎けんたろうコメント全文ぜんぶん 開閉かいへい会式えしきディレクター解任かいにん」『朝日新聞あさひしんぶんデジタル』2021ねん7がつ22にち。2024ねん1がつ30にち閲覧えつらん
  98. ^ 過去かこコントめぐり「ふかくおび」 もとラーメンズ片桐かたぎりひとしさん」『朝日新聞あさひしんぶんデジタル』2021ねん7がつ23にち。2024ねん1がつ30にち閲覧えつらん
  99. ^ 濱田はまだひろし一郎いちろう (2021ねん7がつ22にち). “もとラーメンズ・小林こばやし賢太郎けんたろう「ユダヤじん大量たいりょう惨殺ざんさつごっこ」ネタは論外ろんがい”. AGORA. 2024ねん3がつ27にち閲覧えつらん
  100. ^ カズレーザー、小林こばやし賢太郎けんたろうのホロコーストを題材だいざいにしたコントは「不適切ふてきせつゆるされない」」『スポーツ報知ほうち』2021ねん7がつ23にち。2024ねん3がつ27にち閲覧えつらん
  101. ^ 小林こばやし賢太郎けんたろう解任かいにん完全かんぜんアウト」、ツイッターでひろがる人選じんせんへの疑問ぎもん」『読売新聞よみうりしんぶん』2021ねん7がつ22にち。2024ねん3がつ27にち閲覧えつらん
  102. ^ 茂木もき健一郎けんいちろう五輪ごりん開閉かいへい会式えしきディレクター・小林こばやし賢太郎けんたろうへの批判ひはんいかり「いちじるしくフェアでない」”. スポーツ報知ほうち (2021ねん7がつ22にち). 2024ねん3がつ27にち閲覧えつらん
  103. ^ a b c d e f g h i j k l 「6にんのクリエイターがかたるラーメンズの魅力みりょく」『広告こうこく批評ひひょう』2003ねん9がつごう、マドラ出版しゅっぱん、108–117ぺーじ
  104. ^ つくるひと 2002 100ぺーじ
  105. ^ つくるひと 2002 115ぺーじ
  106. ^ 石本いしもと真樹まさき巻末かんまつ特集とくしゅう:「小林こばやし賢太郎けんたろうテレビ9」小林こばやし賢太郎けんたろう×大森南おおもりみなみとも×だんみつ」『テレビブロス』2017ねん12月2にちごう東京ニュとうきょうにゅス通信社すつうしんしゃ、99–105ぺーじ
  107. ^ オンエア 2000 8-12ぺーじ
  108. ^ 桧山ひやま珠美たまみしゅんがお 小林こばやし賢太郎けんたろう」『GALAC』2009ねん4がつごう、KADOKAWA、6–8ぺーじ
  109. ^ ロングコートダディ堂前どうまえが“きな”からりたラーメンズのDVD【あなたはだれあこが芸人げいにんに?④】”. FANY Magazine (2022ねん4がつ15にち). 2024ねん1がつ30にち閲覧えつらん
  110. ^ ダウ90000蓮見はすみしょうのおすすめネタ動画どうが”. おわらいナタリー (2021ねん8がつ13にち). 2024ねん1がつ31にち閲覧えつらん
  111. ^ a b 狩野かの有理ゆり (2022ねん12月1にち). “男性だんせいブランコがかたる、面白おもしろ先輩せんぱいつけてもらえたよろこびとラーメンズはつ体験たいけん”. おわらいナタリー. 2024ねん1がつ30にち閲覧えつらん
  112. ^ 立川たちかわよしえみ現在げんざい落語らくごろん毎日新聞まいにちしんぶん出版しゅっぱん、2015ねん、201ぺーじISBN 978-4620323459
  113. ^ 読売新聞よみうりしんぶん』2002ねん6がつ5にち 大阪おおさか夕刊ゆうかん15ぺーじ古典こてんだんこころざし創作そうさく三枝さえぐさ みと二人ふたり落語らくごかい 8にち大阪おおさか・なんば花月かげつ
  114. ^ 朝日新聞あさひしんぶん』2002ねん2がつ19にち 夕刊ゆうかん16ぺーじ「シュールなわらいで快走かいそう芸術げいじゅつてきコント」のラーメンズ」
  115. ^ a b 今週こんしゅう革新かくしん File.05 ラーメンズ」『Spa!』2002ねん2がつ12にちごう扶桑社ふそうしゃ、9ぺーじ
  116. ^ 飯島いいじま早苗さなえ「せりふの広場ひろば わらいはごわい」『せりふの時代じだい』2007ねん5がつごう小学館しょうがくかん、160–161ぺーじ
  117. ^ オークラ 2021 158ぺーじ
  118. ^ a b オークラ 2021 185ぺーじ
  119. ^ a b オークラ 2021 186ぺーじ
  120. ^ オークラ 2021 187ぺーじ
  121. ^ a b オークラ 2021 184ぺーじ
  122. ^ オークラ 2021 183ぺーじ
  123. ^ 富田とみたようあたらしいわらいをつく注目ちゅうもくコンビの合同ごうどうライブ」『東京とうきょうウォーカー』2000ねん10がつ3にちごう、KADOKAWA、16ぺーじ
  124. ^ オークラ 2021 189ぺーじ
  125. ^ a b オークラ 2021 191ぺーじ
  126. ^ オークラ 2021 190ぺーじ
  127. ^ 平井ひらい郁子むべ特集とくしゅう 舞台ぶたいエンタテイメントはどこへかうのだろうか? 小林こばやし賢太郎けんたろう」『Cut』2002ねん9がつごう、ロッキング・オン、88–89ぺーじ
  128. ^ 「Stage! Pick up! 今週こんしゅう演劇えんげき」『東京とうきょうウォーカー』2002ねん8がつ27にちごう、KADOKAWA、150ぺーじ
  129. ^ 石本いしもと真樹まさき小林こばやし賢太郎けんたろうプロデュース公演こうえん Sweet7」『演劇えんげきぶっく』2003ねん10がつごう演劇えんげきぶっくしゃ、18–19ぺーじ
  130. ^ 石本いしもと真樹まさき「PAPER RUNNNER 小林こばやし賢太郎けんたろう×西寺にしてらごうふとし」『演劇えんげきぶっく』2004ねん8がつごう演劇えんげきぶっくしゃ、52–53ぺーじ
  131. ^ a b c Toru Tabei「小林こばやし賢太郎けんたろう 『Rahmens presents Golden Balls Live』」『Look at star!』2005ねん10がつごう学研がっけんパブリッシング、48–49ぺーじ
  132. ^ 石本いしもと真樹まさき「Golden Balls Live 稽古けいこじょう潜入せんにゅうレポート!!」『演劇えんげきぶっく』2005ねん10がつごう演劇えんげきぶっくしゃ、22–23ぺーじ
  133. ^ a b c d e f デザイン 2013 28-31ぺーじ
  134. ^ 水野みずの 2018 44-45ぺーじ
  135. ^ a b 石本いしもと真樹まさき考察こうさつ特集とくしゅう小林こばやし賢太郎けんたろうテレビ7 〜らなくていい世界せかい〜』 小林こばやし賢太郎けんたろう」『別冊べっさつ+act』2015ねん5がつごう、ワニブックス、64–66ぺーじ
  136. ^ 水野みずの 2018 36ぺーじ
  137. ^ 水野みずの 2018 37ぺーじ
  138. ^ a b 石本いしもと真樹まさき特集とくしゅう ぜん方向ほうこうからせます [Kentaro Kobayashi Solo Performance Lice Potsunen 2008]Drop」『演劇えんげきぶっく』2008ねん6がつごう演劇えんげきぶっくしゃ、18–23ぺーじ
  139. ^ 石本いしもと真樹まさき「KENTARO KOBAYASHI LIVE POTSUNEN 2006 「○ maru」小林こばやし賢太郎けんたろう伊賀いが大介だいすけ」『演劇えんげきぶっく』2006ねん6がつごう演劇えんげきぶっくしゃ、30–31ぺーじ
  140. ^ 経歴けいれき”. filmdesignworks. 2024ねん1がつ30にち閲覧えつらん
  141. ^ a b 石本いしもと真樹まさきしゅんひと ラーメンズ」『婦人ふじん公論こうろん』2001ねん3がつ22にちごう中央公論ちゅうおうこうろんしんしゃ、17ぺーじ
  142. ^ a b c d e 「ラーメンズ アートけいわら芸人げいにんはコントで勝負しょうぶ」『日経にっけいエンタテインメント!』2000ねん1がつごう日経にっけいBPしゃ、6–8ぺーじ
  143. ^ 島森しまもり路子みちこ「ラーメンズは品質ひんしつのいい商品しょうひんです 水野みずのまなぶ」『広告こうこく批評ひひょう』2003ねん9がつごう、マドラ出版しゅっぱん、102–103ぺーじ
  144. ^ a b TV LIFE 2010 5ぺーじ
  145. ^ a b c TV LIFE 2010 25ぺーじ
  146. ^ a b TV LIFE 2010 26ぺーじ
  147. ^ TV LIFE 2010 30ぺーじ
  148. ^ オンエア 2000 68ぺーじ
  149. ^ オンエア 2000 69ぺーじ
  150. ^ a b 安島あじま 2023 92ぺーじ
  151. ^ 「たりないふたり」仕掛しかじん安島あじまたかし「コンプレックスこそが、人生じんせい武器ぶきになる」 書籍しょせきめた“若林わかばやし言葉ことば”【はじめに公開こうかい”. おわらいナタリー (2023ねん10がつ25にち). 2024ねん1がつ31にち閲覧えつらん
  152. ^ a b 安島あじま 2023 93ぺーじ
  153. ^ 安島あじま 2023 94ぺーじ
  154. ^ 安島あじま 2023 95ぺーじ
  155. ^ a b 安島あじま 2023 96ぺーじ
  156. ^ 安島あじま 2023 97ぺーじ
  157. ^ 「ラーメンズぜん公演こうえんデータ」『広告こうこく批評ひひょう』2003ねん9がつごう、マドラ出版しゅっぱん、91ぺーじ
  158. ^ 小林こばやし賢太郎けんたろう小林こばやし賢太郎けんたろう戯曲ぎきょくしゅう―home FLAT news』幻冬舎げんとうしゃ、2002ねん、174-175ぺーじISBN 978-4344001527
  159. ^ 小林こばやし賢太郎けんたろう小林こばやし賢太郎けんたろう戯曲ぎきょくしゅう椿つばきくじらすずめ幻冬舎げんとうしゃ、2004ねん、190-191ぺーじISBN 978-4344006010
  160. ^ 小林こばやし賢太郎けんたろう小林こばやし賢太郎けんたろう戯曲ぎきょくしゅう: CHERRY BLOSSOM FRONT 345 ATOM CLASSIC』幻冬舎げんとうしゃ、2007ねん、196-197ぺーじISBN 978-4344013834
  161. ^ 小林こばやし賢太郎けんたろう『STUDY ALICE TEXT―小林こばやし賢太郎けんたろう戯曲ぎきょくしゅう幻冬舎げんとうしゃ、2009ねん、228-230ぺーじISBN 978-4344016590
  162. ^ ラーメンズだい17かい公演こうえん『TOWER』”. ponycanyon. 2024ねん1がつ31にち閲覧えつらん
  163. ^ ラーメンズのTV出演しゅつえん情報じょうほう”. ORICON NEWS. 2024ねん1がつ30にち閲覧えつらん
  164. ^ つり文恵ふみえ小林こばやし賢太郎けんたろう×小島こじま淳二じゅんじ インタビュー」『Quick Japan』2005ねん6がつごう太田出版おおたしゅっぱん、138–139ぺーじ
  165. ^ 「ラーメンズの映像えいぞう作品さくひんしゅう」『広告こうこく批評ひひょう』2003ねん9がつごう、マドラ出版しゅっぱん、92–95ぺーじ
  166. ^ 速水はやみ 2023 160ぺーじ
  167. ^ other works”. 2017ねん1がつ3にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2024ねん1がつ31にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

和書わしょ[編集へんしゅう]

雑誌ざっし記事きじ[編集へんしゅう]