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ローマ (ローマ神話しんわ)

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アントニヌス・ピウス記念きねんばしら基壇きだんみぎてきから没収ぼっしゅうした武器ぶきうえすわっているのがローマ

ローマ(Roma)は、古代こだいローマ女神めがみで、ローマという都市とし、ひいては国家こっか人格じんかくしたかみである[1]アントニヌス・ピウス記念きねんばしら基壇きだんえがかれている。

いつごろ成立せいりつしたのか

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紀元前きげんぜん280ねん-276ねん紀元前きげんぜん265ねん-242ねんローマの硬貨こうかえがかれたヘルメットをこうむった女神めがみはローマだとされることもあるが、完全かんぜん特定とくていされたわけではない[2]古代こだいローマの初期しょき硬貨こうかにはアマゾーンのような女性じょせい闘士とうしえがかれたものもあり、ローマではないかとわれているが、女神めがみというよりもゲニウスのようなものと解釈かいしゃくされる。エンニウスは「祖国そこくローマ」をローマに擬人ぎじんし、キケロ彼女かのじょを「ローマ国家こっか」だとしたが、どちらも「女神めがみ」ローマだとはっていない[3]。ローマ神話しんわなかでローマという名前なまえからその家系かけい考案こうあんされ、最終さいしゅうてきにギリシアの女神めがみとされた。

ギリシア世界せかいにおける女神めがみローマ

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初期しょき女神めがみローマへの信仰しんこう紀元前きげんぜん195ねんスミルナ確立かくりつした。これはおそらくローマとの同盟どうめいによってアンティオコス3せい対抗たいこうできたことに起因きいんする[4]。Mellorはこの信仰しんこうをギリシアや東方とうほう君主くんしゅせい伝統でんとうとローマ共和きょうわせい慣習かんしゅうむすびつけるための宗教しゅうきょう政治せいじをからめた外交がいこう政策せいさく形態けいたいではないかとしている。ローマ国家こっか神聖しんせいなものとして人格じんかくすることで、その官職かんしょく共和きょうわこく都市とし神聖しんせい永遠えいえんのものであるとみとめさせたのである[5]アテナイロドスとう共和きょうわせい都市とし国家こっかだったため、Demos一般いっぱん大衆たいしゅう)を人格じんかくした伝統でんとうてき信仰しんこうがあり、女神めがみローマをれやすかった。紀元前きげんぜん189ねんデルポイリュキアでは女神めがみローマのまつりがおこなわれた。運動うんどう競技きょうぎヘレニズム文化ぶんか全般ぜんぱん神聖しんせいなスポンサーとして女神めがみローマはすんなりとれられ、まつりもよくおこなわれるようになった[6]紀元前きげんぜん133ねんアッタロス3せいペルガモン人々ひとびと領土りょうど女神めがみローマに(つまり共和きょうわせいローマに)遺贈いぞうした。これによりアジアぞくしゅうができ、そこでも女神めがみローマへの信仰しんこう急速きゅうそくひろまった[7]

ヘレニズムにおける宗教しゅうきょうでは、男神おかみには男性だんせい神官しんかん女神めがみには女性じょせい神官しんかんつかえたが、女神めがみローマの神官しんかん男性だんせいだった。これはおそらくローマの軍事ぐんじりょく力強ちからづよさを認識にんしきしていたためとおもわれる。女神めがみローマの神職しんしょくかみ々の神職しんしょくなかでも高位こういとされた[8]

アマゾーン起源きげんおもわれる女神めがみローマだが、ギリシアの硬貨こうかえがかれるローマは、ギリシアの女神めがみのような城壁じょうへきかんむりフリギアふうのヘルメットをこうむっている。ときにはなにこうむっていない場合ばあいもある[9]。そのローマは、(「ちかい」の守護神しゅごじんとしての)ゼウスや(「相互そうご信頼しんらい」を人格じんかくした)フィデースむすけられるようになった[10]東方とうほうにおけるローマ信仰しんこうは、ローマへの忠誠ちゅうせいとローマによる庇護ひごもとめるものだった。ローマ国家こっかへの敬意けいい以外いがい女神めがみローマを信仰しんこうする理由りゆうまったくない。Melinno of Lesbos のものとされる女神めがみローマをたたえるサッポー詩体したいのこっている[11]共和きょうわせいローマ本体ほんたいとギリシアより西にし領域りょういきでは、女神めがみローマへの信仰しんこうはほとんどられない[12]

女神めがみローマの神殿しんでん遺跡いせき地中海ちちゅうかい東部とうぶでもすくない。祭壇さいだんが4つのこっており、1たい意図いとてき切断せつだんされたぞうつかっている[9]

ローマ皇帝こうてい崇拝すうはいにおける女神めがみローマ

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ローマ (ローマ神話しんわ)

ユリウス・カエサル暗殺あんさつによって神格しんかくされ、ローマおよび東方とうほう植民しょくみん守護神しゅごじんとして信仰しんこうされた。カエサルの後継こうけいしゃアウグストゥス内戦ないせん終結しゅうけつさせ、プリンケプスとなった。そして紀元前きげんぜん30ねんごろ、アジアぞくしゅうブリタンニアからはアウグストゥスをきながら守護神しゅごじんとしてまつることの許可きょかもとめるこえとどいた。共和きょうわせいローマではヘレニズムてき君主くんしゅせい軽蔑けいべつしていたが、あからさまな拒絶きょぜつ地方ちほうみん同盟どうめいこくおこらせる可能かのうせいがあった。そこで、「ローマじん女神めがみローマとともにならアウグストゥスを守護神しゅごじんとして信仰しんこうしてもよい」という注意ちゅういふか見解けんかいしめされた[13]。このための神殿しんでんが2箇所かしょ用意よういされた。すなわち女神めがみローマは最初さいしょの「皇帝こうてい崇拝すうはい」の形態けいたい吸収きゅうしゅうされた。あるいは東方とうほうからの観点かんてんでは、伝統でんとうある女神めがみローマ信仰しんこううえにアウグストゥス信仰しんこう接木つぎきするようにしょうじた。それ以降いこう女神めがみローマは皇帝こうていやその配偶はいぐうしゃ神聖しんせいせいてるやくになうことになったが、ギリシアの硬貨こうか図案ずあんには女神めがみローマを中央ちゅうおうはい皇帝こうていなどを従者じゅうしゃのようにはいしたものもある[12][14]

皇帝こうてい崇拝すうはい東方とうほう独創どくそうせいたいする実用じつようてきかつ巧妙こうみょう反応はんのうとしてしょうじた。伝統でんとうてき宗教しゅうきょう要素ようそをお色直いろなおしして共和きょうわせい政府せいふ混合こんごうし、元首げんしゅしたでの帝国ていこく一体いったいかんしめ斬新ざんしん枠組わくぐみをし、成功せいこうおさめた。西方せいほうのガリア、ゲルマン、ケルトには君主くんしゅ崇拝すうはい伝統でんとうもローマてき管理かんり体制たいせいもなかった[15]ルグドゥヌムには皇帝こうてい崇拝すうはいのセンターができ、ローマをモデルとしたしゅうあるいは自治体じちたい単位たんい議会ぎかい導入どうにゅうされ、地元じもと上流じょうりゅう階級かいきゅう人々ひとびと皇帝こうてい崇拝すうはい神職しんしょく選挙せんきょとおして市民しみんけん利点りてん享受きょうじゅした。その祭壇さいだん女神めがみローマとアウグストゥスのものだった[16]。その女神めがみローマは西方せいほうでも貨幣かへい金石かねいしぶんによく登場とうじょうするようになった。女神めがみローマに言及げんきゅうする文献ぶんけんすくないが、それは無視むしされたからではなくあまりにも一般いっぱんしたためではないかと推測すいそくされる。初期しょきのアウグストゥスの時代じだい女神めがみローマはきた皇帝こうてい配偶はいぐうしゃうえとなえられたとられる[17][18][19]

アフリカぞくしゅうでは、女神めがみローマとアウグストゥスの神殿しんでんレプティス・マグナとMactarにあった。イタリア半島はんとうでは6箇所かしょ神殿しんでんつかっている。ラティウムには2つあり、そのうち1つは個人こじんてたものである。ティベリウス時代じだいには、オスティア女神めがみローマとアウグストゥスのおおきな神殿しんでんがあった[20]

ローマ市内しないでの初期しょき女神めがみローマへの信仰しんこうは、ハドリアヌス建設けんせつしたウェヌスとローマ神殿しんでんで、ウェヌスへの信仰しんこうわせたものだった。これは当時とうじ市内しない最大さいだい神殿しんでんで、Parilia というまつりをかたちえて復活ふっかつさせる意図いとだったが、そのまつりは女神めがみのローマの東方とうほうでのまつりにならって Romaeaばれるようになった。この神殿しんでんにはヘレニズムふう女神めがみローマの座像ざぞうがあり、その右手みぎてにはローマの永遠えいえんせい象徴しょうちょうしたパラディウムがあった[21][22]。ローマでは、これは斬新ざんしん具現ぐげんだった。ギリシアでローマを威厳いげんのある女神めがみとして解釈かいしゃくしたことで、軍事ぐんじ支配しはい象徴しょうちょうだったものが帝国ていこく庇護ひご厳粛げんしゅくさの象徴しょうちょうへとわっていった。

女神めがみローマは地位ちい不確ふたしかなものである。クロディウス・アルビヌスセプティミウス・セウェルスにルグドゥヌムで敗北はいぼくすると、ルグドゥヌムの神殿しんでんから女神めがみローマ信仰しんこう排除はいじょされた。ローマとアウグストゥスはあらたな抑圧よくあつされた皇帝こうてい崇拝すうはい対象たいしょうとなった。Fishwickはこのルグドゥヌムにおける儀礼ぎれい変化へんか奴隷どれいによる家長かちょう崇拝すうはいるいしたものと解釈かいしゃくした[23]。このような時期じきがどのくらいつづいたのかは不明ふめいだが、これはられない独自どくじ発展はってんだった。

そののさらに混乱こんらんした時代じだいでも、たとえばプロブスドミナートゥスかんむりこうむった姿すがた硬貨こうかえがかせているが、裏面りめんはウェヌスとローマの神殿しんでんえがいている。プロブスの肖像しょうぞう専制せんせい君主くんしゅ主権しゅけんしめすのにたいして、女神めがみローマはその主権しゅけんがあくまでもローマの伝統でんとう帝国ていこく統一とういつ裏打うらうちされたものであることをしめしている[24]

脚注きゃくちゅう出典しゅってん

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  1. ^ Mellor, 956.
  2. ^ "Sear Roman Coins & their Values (RCV 2000 Edition) #25"(www.wildwinds.com [1]、2009ねん6がつ22にち閲覧えつらん)より。ただし、Mellor, 974-5 には初期しょきのヘルメットをこうむった肖像しょうぞうへのより試験しけんてきなアプローチをこころみている。ディアナというせつや、トロイじん虜囚りょしゅうのRhome(ギリシアrhome すなわち「つよさ」を神格しんかくした女神めがみ)というせつもある。Rhomeについては Hard, R., Rose, H.J., The Routledge Handbook of Greek Mythology, 2003, p586: 部分ぶぶんプレビュー: [2].
  3. ^ Mellor, 963, 1004-5.
  4. ^ Tacitus, Annals, 4.56
  5. ^ ローマへの信仰しんこう信仰しんこうってわったわけではない。たとえばギリシアきの将軍しょうぐんフラミニヌスはギリシアの要請ようせいでセレウコスあさたたかったことから、ローマととも神聖しんせいされた。[3] (accessed June 29, 2009)
  6. ^ Mellor, 967.
  7. ^ Mellor, 958-9.
  8. ^ Mellor, 965-6.
  9. ^ a b Mellor, 960-3.
  10. ^ ローマにおけるフィデース信仰しんこう共和きょうわせい後期こうき確立かくりつした: Cicero, De Natura Deorum, 2. 61.
  11. ^ English and Greek versions in Powell, Anton, The Greek World, Routledge, 1997, p369: limited preview available - [4]
  12. ^ a b Mellor, 972.
  13. ^ 支配しはいしゃ信仰しんこう現代げんだいてき観点かんてんからまとめたものとしてつぎがある。Harland, P.A., Introduction to Imperial Cults within Local Cultural Life: Associations in Roman Asia, 2003. Originally published in "Ancient History Bulletin / Zeitschrift für Alte Geschichte" 17 (2003):85-107. オンラインばん: [5]
  14. ^ Ando, 45.
  15. ^ イベリア半島はんとう女神めがみローマとアウグストゥスへの信仰しんこう存在そんざいした可能かのうせいがあり、おそらく紀元前きげんぜん19ねん以降いこう急速きゅうそくしょうじたものと推測すいそくされる。see Mellor, 989.
  16. ^ 祭壇さいだん紀元前きげんぜん10ねんまたは12ねんのもの。
  17. ^ Fishwickは、ローマが女神めがみとしてヘレニズム世界せかいで(アウグストゥスに)先行せんこうして存在そんざいしたことが西方せいほう信仰しんこうでもがれたとている。
  18. ^ Mellor, 990-993: Mellorはそれまでのローマとヘレニズム世界せかい協力きょうりょく文化ぶんか変容へんよう枠組わくぐみよりも皇帝こうてい崇拝すうはいよわいものとて、アウグストゥスやその皇帝こうてい崇拝すうはい女神めがみローマが必須ひっすのものだったとしている。プリンキパトゥス時代じだい皇帝こうていは「元老げんろういんとローマ市民しみん」の代表だいひょうであり公僕こうぼくだという建前たてまえであり、専制せんせい君主くんしゅではなかった。
  19. ^ ルグドゥヌムの神官しんかんはギリシアsacerdosばれた。ローマの伝統でんとうはんして複数ふくすうかみ々につかえる神官しんかんflamenばれた。一般いっぱん神格しんかくされた女性じょせいには女性じょせい神官しんかんつかえた。なかには男性だんせい神官しんかんつま女性じょせい神官しんかんとなることもあったが、おおくは独自どくじえらばれた。西方せいほう皇帝こうてい崇拝すうはいでは、信仰しんこう神職しんしょく解釈かいしゃくきわめておおまかだった。しかし、唯一ゆいいつ例外れいがいトゥールーズ)をのぞいて女神めがみローマにつかえるのは、ヘレニズム世界せかいおなじく男性だんせい神官しんかんだった。See Fishwick vol 1, 1, 101 & vol 3, 1, 12-13, & Mellor, 998-1002.
  20. ^ Mellor, 1002-3.
  21. ^ Beard et al, vol 1, 257-9.
  22. ^ Mellor, 963-4.
  23. ^ Fishwick,Vol. 3, 1, 199.
  24. ^ プロブスの硬貨こうかれい: Doug Smith's website: [6]

参考さんこう文献ぶんけん

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  • Ando, Clifford, Imperial ideology and provincial loyalty in the Roman Empire, illustrated, University of California Press, 2000. ISBN 0520220676
  • Beard, M., Price, S., North, J., Religions of Rome: Volume 1, a History, illustrated, Cambridge University Press, 1998. ISBN 0521316820
  • Mellor, R., "The Goddess Roma" in Haase, W., Temporini, H., (eds), Aufstieg und Niedergang der romischen Welt, de Gruyter, 1991. pp 950-1030. ISBN 3110103893