ローラ・エリザベス・インガルス・ワイルダー (英語 えいご : Laura Elisabeth Ingalls Wilder , 1867年 ねん 2月 がつ 7日 にち - 1957年 ねん 2月 がつ 10日 とおか )は、アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく の作家 さっか 。
西部 せいぶ 開拓 かいたく 期 き のアメリカで生 い きた自 みずか らの生涯 しょうがい を振 ふ り返 かえ る8篇 へん の児童 じどう 小説 しょうせつ シリーズで知 し られ、理想 りそう 化 か されたパイオニアの生活 せいかつ を描 えが いてアメリカの国民 こくみん 的 てき 作家 さっか の一人 ひとり と目 め されるようになった[1] 。この小説 しょうせつ シリーズはアメリカで『大 だい 草原 そうげん の小 ちい さな家 いえ 』としてTV てれび ドラマ化 か され、日本 にっぽん を含 ふく む世界 せかい 各国 かっこく で放送 ほうそう され人気 にんき を集 あつ めた[2] 。
原語 げんご では「インガルズ」 と発音 はつおん されることがあるが、一般 いっぱん に「インガルス」 の発音 はつおん が使 つか われ、TV てれび ドラマ版 ばん でもこの呼 よ び方 かた が踏襲 とうしゅう されている。
誕生 たんじょう と移住 いじゅう 生活 せいかつ [ 編集 へんしゅう ]
ローラはウィスコンシン州 しゅう 州 しゅう 西部 せいぶ の小村 こむら ペピン (Pepin) でインガルス夫妻 ふさい の次女 じじょ として産 う まれた[2] 。父親 ちちおや のチャールズ・インガルス (en ) は、1837年 ねん の恐慌 きょうこう で打撃 だげき を受 う け、新 あたら しい生活 せいかつ のきっかけを求 もと めて西部 せいぶ に移住 いじゅう してきた農家 のうか の息子 むすこ だった。母親 ははおや キャロライン は、チャールズが移住 いじゅう してきた村 むら で小学校 しょうがっこう 教師 きょうし を務 つと めていた[3] 。
父親 ちちおや のチャールズは正規 せいき の教育 きょういく を受 う けたことはなかったが、読書 どくしょ 好 す きで、当時 とうじ の開拓 かいたく 農家 のうか としてはめずらしく何 なん 冊 さつ も書籍 しょせき を所有 しょゆう していた[2] 。音楽 おんがく と詩 し を愛好 あいこう し、生活 せいかつ が苦 くる しいときでも詩集 ししゅう をローラへの誕生 たんじょう 日 び の贈 おく り物 もの として買 か い求 もと めたという[2] 。現在 げんざい わずかに残 のこ されている彼 かれ の書簡 しょかん は、多 おお くがユーモアにあふれ人間味 にんげんみ に満 み ちた達意 たつい の文章 ぶんしょう で、娘 むすめ たちはこうした素朴 そぼく な文才 ぶんさい や、本 ほん ・音楽 おんがく を愛好 あいこう する資質 ししつ の多 おお くを受 う け継 つ ぐことになった[2] 。
ローラが生 う まれてから数 すう 年 ねん の間 あいだ 、インガルス家 か は生活 せいかつ の安定 あんてい をもとめてたびたび中西部 ちゅうせいぶ で移住 いじゅう を繰 く り返 かえ したが、とくにカンザス州 しゅう の先住民 せんじゅうみん 居住 きょじゅう 区 く へ入 はい ったときは、先住民 せんじゅうみん のオーセージ族 ぞく やダコタ族 ぞく (スー族 ぞく )とアメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく 政府 せいふ 軍 ぐん との衝突 しょうとつ に翻弄 ほんろう されるなど、不安定 ふあんてい な時期 じき を過 す ごした[4] 。
しかしローラが4歳 さい のとき(1871年 ねん )にペピンの森林地帯 しんりんちたい へ戻 もど ると生活 せいかつ が安定 あんてい しはじめ、さらに彼女 かのじょ が7歳 さい のとき(1874年 ねん )にミネソタ州 しゅう ウォルナット・グローブ近郊 きんこう へ移住 いじゅう してプラム・クリークそばに居 きょ を構 かま えてからは、姉妹 しまい も小学校 しょうがっこう や教会 きょうかい など社会 しゃかい 生活 せいかつ に加 くわ わるようになった[2] 。のちにローラが著 あらわ す「小 ちい さな家 いえ 」シリーズ初期 しょき の物語 ものがたり は、多 おお くがこの頃 ころ の思 おも い出 で を題材 だいざい としている[5] 。
デスメットでの定住 ていじゅう [ 編集 へんしゅう ]
当時 とうじ のアメリカでは、成人 せいじん した市民 しみん が西部 せいぶ で開墾 かいこん した土地 とち に所有 しょゆう 権 けん をみとめる「ホームステッド法 ほう 」が1862年 ねん に成立 せいりつ 、東部 とうぶ からの移住 いじゅう 者 しゃ が急増 きゅうぞう しつつあった[4] 。
1879年 ねん 頃 ごろ にはローラの父親 ちちおや チャールズもこの制度 せいど に正式 せいしき に登録 とうろく 、開墾 かいこん を試 こころ みる場所 ばしょ として当時 とうじ のダコタ準 じゅん 州 しゅう (現在 げんざい のサウス・ダコタ州 しゅう )の街 まち デスメット (De Smet) を選 えら んで移住 いじゅう する[2] 。移住 いじゅう の翌年 よくねん 、記録 きろく 的 てき な寒 さむ さとなった冬 ふゆ の厳 きび しさは、彼女 かのじょ の小説 しょうせつ 『長 なが い冬 ふゆ 』で克明 こくめい に描 えが かれることになる[1] 。
移住 いじゅう 生活 せいかつ が続 つづ くあいだローラは定期 ていき 的 てき に学校 がっこう へ通 かよ うことができなかったが、デスメットでようやく文字 もじ と読 よ み書 か きの正式 せいしき な教育 きょういく を受 う けた[2] 。ローラは聡明 そうめい な少女 しょうじょ で、15歳 さい になると、自 みずか らも教育 きょういく を受 う けた小学校 しょうがっこう で教師 きょうし として教壇 きょうだん に立 た つようになった。ローラは他 ほか にも洋裁 ようさい 店 てん などで副業 ふくぎょう をこなして家計 かけい を支 ささ えている[2] 。
インガルス一家 いっか の写真 しゃしん 。手前 てまえ に座 すわ っているのが左 ひだり から母親 ははおや キャロライン、父親 ちちおや チャールズ、長女 ちょうじょ メアリー。後 うし ろに立 た っているのは三 さん 女 じょ キャリー、ローラ、四 よん 女 じょ グレース。1894年 ねん [2] 。
ローラが18歳 さい のとき、やはりホームステッド法 ほう を活用 かつよう して自力 じりき で生計 せいけい をたてようとしていた28歳 さい のアルマンゾ・ワイルダー (Almanzo James Wilder) と知 し り合 あ い、結婚 けっこん する[3] 。
はじめアルマンゾの経営 けいえい する農場 のうじょう は順調 じゅんちょう で、1年 ねん 後 ご には娘 むすめ ローズ・ワイルダー・レーン が誕生 たんじょう 、結婚 けっこん から数 すう 年 ねん の間 あいだ 、夫婦 ふうふ は平穏 へいおん な日々 ひび を過 す ごした。しかし1888年 ねん 、アルマンゾが当時 とうじ 大 だい 流行 りゅうこう したジフテリア に感染 かんせん して瀕死 ひんし の状態 じょうたい となる事件 じけん が起 お きる。アルマンゾは一命 いちめい を取 と り留 と めるが重 おも い後遺症 こういしょう が残 のこ り、以後 いご の生涯 しょうがい を杖 つえ をついて過 す ごすこととなった[3] 。
つづいて翌年 よくねん には誕生 たんじょう したばかりの息子 むすこ が死亡 しぼう 、さらに火災 かさい による住居 じゅうきょ の焼失 しょうしつ がつづき、そして1890年 ねん 頃 ごろ から中西部 ちゅうせいぶ がきびしい干 ひ 魃期に入 はい ると、農場 のうじょう はまったく経営 けいえい できない状態 じょうたい に陥 おちい った[2] 。
執筆 しっぴつ 活動 かつどう の開始 かいし [ 編集 へんしゅう ]
1894年 ねん 、夫妻 ふさい は残 のこ りの貯金 ちょきん をほぼすべて投 とう じてミズーリ州 しゅう マンスフィールドに新 あたら しい農場 のうじょう を購入 こうにゅう 、一家 いっか で移 うつ り住 す んだ。移住 いじゅう 当初 とうしょ 、夫妻 ふさい は丸太 まるた 小屋 こや に暮 く らし蒔を売 う って生活 せいかつ するなど家計 かけい は厳 いかめ しかったが、アルマンゾの親族 しんぞく らからの支援 しえん もあり、しだいに経済 けいざい 的 てき な安定 あんてい を得 え るようになっていった[5] 。移住 いじゅう から20年 ねん 後 ご には、夫妻 ふさい の所有 しょゆう 地 ち は当初 とうしょ の40エーカー(約 やく 16ヘクタール)から200エーカー(約 やく 80ヘクタール)まで拡大 かくだい 、酪農 らくのう や養鶏 ようけい ・果物 くだもの 栽培 さいばい なども行 おこな う大 だい 規模 きぼ な農場 のうじょう に成長 せいちょう することになる[3] 。
夫妻 ふさい は地元 じもと の成功 せいこう 者 しゃ と認 みと められ、ローラは農園 のうえん 経営 けいえい や家事 かじ に関 かん する講演 こうえん を依頼 いらい されるようになった[2] 。
1885年 ねん の冬 ふゆ 、結婚 けっこん 後 ご まもなくの頃 ころ のローラとアルマンゾ[2] 。 1911年 ねん 、ローラは地元 じもと 紙 し 『ミズーリ・ルーラリスト (MIssouri Ruralist ) 』から依頼 いらい を受 う けて短 みじか い記事 きじ を寄稿 きこう 、これが評判 ひょうばん を呼 よ んで、彼女 かのじょ は同紙 どうし の連載 れんさい コラムニストに抜擢 ばってき される。以後 いご 、連載 れんさい は十 じゅう 数 すう 年 ねん にわたって続 つづ き、ローラは中西部 ちゅうせいぶ の名士 めいし となってゆく[1] 。
1929年 ねん 、アメリカで大 だい 恐慌 きょうこう が起 お きると、ワイルダー家 か の家計 かけい もふたたび大 おお きな打撃 だげき を受 う けた。農場 のうじょう はなんとか維持 いじ できたが、貯蓄 ちょちく のほとんどを投資 とうし で失 うしな ったとされる[3] 。
このためローラは、農業 のうぎょう 紙 し へ長年 ながねん 寄稿 きこう してきた経験 けいけん を生 い かして新 あら たな作品 さくひん を執筆 しっぴつ し、家計 かけい に充 あ てることを考 かんが えるようになる[5] 。1924年 ねん には母親 ははおや 、1928年 ねん には姉 あね メアリーが死去 しきょ しており、かれらの記憶 きおく を作品 さくひん にとどめたいと考 かんが えたとも言 い われる[1] 。すでに文筆 ぶんぴつ 家 か として活動 かつどう していた娘 むすめ のローズもこの考 かんが えを応援 おうえん し、第 だい 1作 さく が書 か き進 すす められる。
当初 とうしょ 、デビュー作 さく は『おばあさんが少女 しょうじょ だったとき(When Grandma Was a Little Girl )』の題名 だいめい で構想 こうそう されていたが、出版 しゅっぱん 社 しゃ や娘 むすめ ローズの協力 きょうりょく で大幅 おおはば に改編 かいへん され、ニューヨークの大手 おおて 出版 しゅっぱん 社 しゃ ハーパー&コリンズから、『大 おお きな森 もり の小 ちい さな家 いえ 』として1932年 ねん に刊行 かんこう される[2] 。
国民 こくみん 的 てき 作家 さっか へ[ 編集 へんしゅう ]
この作品 さくひん ののち9年間 ねんかん で発表 はっぴょう された『この楽 たの しき日々 ひび 』(1943)までの8篇 へん の自伝 じでん 体 たい 小説 しょうせつ は、発表 はっぴょう 後 ご まもなく「アメリカ児童 じどう 文学 ぶんがく の古典 こてん 」とみなされるようになった[1] 。
ローラはアメリカの国民 こくみん 的 てき 作家 さっか の一人 ひとり となり、翻訳 ほんやく を通 つう じてアメリカ国外 こくがい でも知名度 ちめいど を高 たか めた。以後 いご 90歳 さい で亡 な くなるまでの約 やく 25年間 ねんかん 、「小 ちい さな家 いえ 」シリーズにまつわる講演 こうえん などを行 おこな って過 す ごした[2] 。
1957年 ねん 、「小 ちい さな家 いえ 」シリーズのすべてを執筆 しっぴつ したマンスフィールドで息 いき を引 ひ き取 と り、同地 どうち に葬 ほうむ られている[6] 。
インガルス一家 いっか 5人 にん の子供 こども の内 うち 、直系 ちょっけい の子孫 しそん を残 のこ したのはローラだけである[2] 。ローラの娘 むすめ ローズは息子 むすこ を亡 な くしたのち離婚 りこん して以後 いご 子 こ どもをもうけなかったため、インガルスの家系 かけい は途絶 とだ えている。
「小 ちい さな家 いえ 」シリーズ [ 編集 へんしゅう ]
子 こ ども時代 じだい の姉妹 しまい 。左 ひだり から妹 いもうと キャリー、姉 あね メアリー、ローラ(年代 ねんだい 不明 ふめい )。
ローラの小説 しょうせつ 第 だい 1作 さく となった『大 おお きな森 もり の小 ちい さな家 いえ 』以後 いご 、夫 おっと アルマンゾの幼少 ようしょう 期 き を描 えが いた『農場 のうじょう の少年 しょうねん 』を含 ふく め、『この楽 たの しき日々 ひび 』(1943)までの8篇 へん が一般 いっぱん に「小 ちい さな家 いえ 」シリーズ (Little House Books) とされている(これに没後 ぼつご 編纂 へんさん された『はじめの四 よん 年間 ねんかん 』(1971) を含 ふく めて9篇 へん を数 かぞ えることもある)[1] 。
このシリーズでは、1870年代 ねんだい 初頭 しょとう にウィスコンシン州 しゅう の森林地帯 しんりんちたい で暮 く らしていたローラの幼少 ようしょう 期 き から、一家 いっか が中西部 ちゅうせいぶ の旅 たび を繰 く り返 かえ し、小学校 しょうがっこう の教師 きょうし となったローラがアルマンゾと結婚 けっこん して新 あたら しい家庭 かてい を築 きず くまでの約 やく 20年間 ねんかん を描 えが いている。
登場 とうじょう する地名 ちめい や人名 じんめい はおおむね実在 じつざい のもので、ローラ自身 じしん を含 ふく め、父親 ちちおや チャールズや母親 ははおや キャロライン、夫 おっと アルマンゾまで実際 じっさい の名前 なまえ がそのまま使 つか われている。物語 ものがたり に登場 とうじょう するエピソード、たとえば『長 なが い冬 ふゆ 』の記録 きろく 的 てき な寒波 かんぱ やバッタの大群 たいぐん の襲来 しゅうらい といった事件 じけん も史実 しじつ に基 もと づいている[1] 。
しかし家族 かぞく の旅 たび がすべて作品 さくひん に盛 も り込 こ まれているわけではなく、一家 いっか の生活 せいかつ が立 た ちゆかなくなり一 いち 時 じ 東部 とうぶ へ引 ひ き上 あ げた時期 じき はまったく触 ふ れられていない[2] 。またローラの伝記 でんき 的 てき 研究 けんきゅう がすすみ、一家 いっか が極端 きょくたん な貧困 ひんこん や疫病 えきびょう の流行 りゅうこう に苦 くる しんだ時期 じき の生活 せいかつ がカットされていることが分 わ かったほか、家族 かぞく の性格 せいかく も、アメリカ先住民 せんじゅうみん に対 たい する母親 ははおや の嫌悪 けんお 感 かん などは実際 じっさい よりも大幅 おおはば に誇張 こちょう されていると考 かんが えられるようになった[2] 。
そのため現在 げんざい では、「小 ちい さな家 いえ 」シリーズは史実 しじつ を巧 たく みに改変 かいへん して開拓 かいたく 生活 せいかつ を理想 りそう 化 か したフィクションと受 う けとめられている[2] 。ローラ自身 じしん は、「私 わたし が語 かた ったことは真実 しんじつ だが、すべてがそのままの真実 しんじつ (the whole truth) ではない」と述 の べている[2] 。
娘 むすめ のローズは地元 じもと マンスフィールドで高校 こうこう を出 で たあと、家 いえ を出 で て電信 でんしん 技師 ぎし としてカンザス・シティなどで働 はたら きながら地元 じもと 紙 し に短 みじか い記事 きじ を寄稿 きこう するようになった[2] 。
ローズの記事 きじ は評判 ひょうばん となり、やがて彼女 かのじょ は専業 せんぎょう のジャーナリストとして活動 かつどう するようになる。母親 ははおや のローラが『小 ちい さな家 いえ 』シリーズを発表 はっぴょう するまで、ローズは中西部 ちゅうせいぶ で最 もっと も有名 ゆうめい な文筆 ぶんぴつ 家 か の一人 ひとり だったとも言 い われる[2] 。そのためローラの『小 ちい さな家 いえ 』シリーズは、ローズが事実 じじつ 上 じょう の共同 きょうどう 編集 へんしゅう 者 しゃ として大幅 おおはば に加筆 かひつ しているとする有力 ゆうりょく な説 せつ がある[7] [8] 。
作品 さくひん の評価 ひょうか [ 編集 へんしゅう ]
1880年 ねん 頃 ごろ のサウス・ダコタの街角 まちかど を再現 さいげん した様子 ようす 。この時代 じだい にローラはここで小学校 しょうがっこう 教師 きょうし として働 はたら き始 はじ め、夫 おっと のアルマンゾと知 し り合 あ った。
ローラの一連 いちれん の作品 さくひん に描 えが かれた、貧困 ひんこん に悩 なや まされながら、厳 きび しい自然 しぜん の中 なか で家族 かぞく が工夫 くふう をこらして生活 せいかつ を支 ささ えるというテーマは、独立独歩 どくりつどっぽ の精神 せいしん を貴 とうと ぶアメリカ国民 こくみん の理想 りそう 的 てき な生 い き方 かた を描 えが いているとみなされ、一連 いちれん の作品 さくひん は、発表 はっぴょう 当時 とうじ から著名 ちょめい な作家 さっか ・政治 せいじ 家 か らに多 おお くの愛読 あいどく 者 しゃ を獲得 かくとく した[3] 。
また、巨大 きょだい な工業 こうぎょう 国 こく へアメリカが変貌 へんぼう をとげるなかで失 うしな われた古 ふる い開拓 かいたく 時代 じだい の理想 りそう に対 たい するノスタルジアも、アメリカで多 おお くの読者 どくしゃ をとらえた[3] 。
第 だい 二 に 次 じ 大戦 たいせん 後 ご になるとローラの名声 めいせい はさらに高 たか まる[5] 。ばらばらの単行本 たんこうぼん として刊行 かんこう されていた8篇 へん は、1953年 ねん にガース・ウィリアムズ(Garth Williams)のイラストを載 の せたシリーズとして再 さい 出版 しゅっぱん され、これがさらに多 おお くの読者 どくしゃ を獲得 かくとく した[5] 。
各地 かくち で彼女 かのじょ の名前 なまえ を冠 かん した学校 がっこう が設立 せつりつ され、1954年 ねん には後述 こうじゅつ のとおりアメリカ図書館 としょかん 協会 きょうかい はローラの名前 なまえ を冠 かん した児童 じどう 文学 ぶんがく 賞 しょう を創設 そうせつ している[5] 。
こうした人気 にんき を背景 はいけい として1974年 ねん から84年 ねん までNBCで製作 せいさく ・放送 ほうそう されたTV てれび ドラマシリーズ『大 だい 草原 そうげん の小 ちい さな家 いえ 』は、彼女 かのじょ の人気 にんき を世界 せかい 各国 かっこく へ広 ひろ げることとなり、この時期 じき に一連 いちれん の作品 さくひん は20か国 こく 語 ご に翻訳 ほんやく されている[4] 。
1990年代 ねんだい からは文学 ぶんがく 研究 けんきゅう の対象 たいしょう としても盛 さか んに取 と り上 あ げられるようになり、不明 ふめい なことが多 おお かった自伝 じでん 的 てき 事実 じじつ も明 あき らかにされていった[1] 。2000年 ねん にはこれらの研究 けんきゅう を踏 ふ まえた伝記 でんき ドキュメンタリー番組 ばんぐみ がエミー賞 しょう を獲得 かくとく 、2005年 ねん には新 あたら しいTV てれび ドラマシリーズも製作 せいさく されている[3] 。
NBCのTV てれび ドラマ『大 だい 草原 そうげん の小 ちい さな家 いえ 』でローラを演 えん じたメリッサ・ギルバート(1975年 ねん )。このドラマはローラの小説 しょうせつ を世界 せかい 的 てき な人気 にんき 作品 さくひん に押 お し上 あ げるきっかけとなった。
アメリカ図書館 としょかん 協会 きょうかい はアメリカ文学 ぶんがく を顕彰 けんしょう する目的 もくてき で多 おお くの文学 ぶんがく 賞 しょう を選考 せんこう ・授与 じゅよ しているが[9] 、1954年 ねん に児童 じどう 文学 ぶんがく を対象 たいしょう とする新 あら たな賞 しょう を設 もう け、これにローラの名前 なまえ を冠 かん して「ローラ・インガルス・ワイルダー賞 しょう 」(Laura Ingalls Wilder Medal)と命名 めいめい した[9] 。第 だい 1回 かい の受賞 じゅしょう 者 しゃ はローラ自身 じしん だった。
アメリカ図書館 としょかん 協会 きょうかい が設 もう けている児童 じどう 文学 ぶんがく 対象 たいしょう の文学 ぶんがく 賞 しょう には、ほかに各 かく 年 とし ごとの優 すぐ れた児童 じどう 作品 さくひん を表彰 ひょうしょう する「ニューベリー賞 しょう 」があり、ワイルダー賞 しょう は、作家 さっか ・画家 がか の全 ぜん 業績 ぎょうせき を顕彰 けんしょう する目的 もくてき とされた[9] 。ローラ自身 じしん は「ニューベリー賞 しょう 」を受賞 じゅしょう したことはなかったが、同 どう 賞 しょう の次点 じてん となったことが5回 かい ある。
作品 さくひん をめぐる議論 ぎろん [ 編集 へんしゅう ]
ローラの作品 さくひん は世界 せかい 各国 かっこく で広 ひろ く親 した しまれてきたが[2] 、2000年代 ねんだい に入 はい るころから、とりわけ作品 さくひん に描 えが かれている家父長制 かふちょうせい への無 む 批判 ひはん な信奉 しんぽう や、保守 ほしゅ 的 てき な政治 せいじ 観 かん 、アメリカ先住民 せんじゅうみん への差別 さべつ を当然 とうぜん 視 し するようにも読 よ める記述 きじゅつ などが批判 ひはん されるようになった[10] [1] 。
またローラの作品 さくひん では、一貫 いっかん して白人 はくじん の市民 しみん だけが自然 しぜん を切 き りひらく主体 しゅたい として描 えが かれるが、実際 じっさい にはアメリカ領土 りょうど の西部 せいぶ 拡大 かくだい はアメリカ先住民 せんじゅうみん への熾烈 しれつ な迫害 はくがい や、黒人 こくじん への激 はげ しい差別 さべつ と表裏一体 ひょうりいったい であり[11] 、それが作品 さくひん ではほぼ無視 むし されているとする批判 ひはん が、とくにマイノリティの研究 けんきゅう 者 しゃ から行 おこな われるようになった[2] [1] 。
こうした議論 ぎろん を受 う け、2018年 ねん にアメリカ図書館 としょかん 協会 きょうかい は、上述 じょうじゅつ の「ワイルダー賞 しょう 」を「児童 じどう 文学 ぶんがく 遺産 いさん 賞 しょう 」(Children's Literature Legacy Award)に改名 かいめい すると発表 はっぴょう した[12] 。 同 どう 協会 きょうかい は改名 かいめい の理由 りゆう を、児童 じどう 文学 ぶんがく を対象 たいしょう とする賞 しょう が「社会 しゃかい 的 てき な包摂 ほうせつ と誠実 せいじつ さ、尊敬 そんけい 」に基 もと づくべきだとする同 どう 協会 きょうかい の価値 かち 観 かん を反映 はんえい させる措置 そち だと説明 せつめい した上 うえ で[12] 、ローラの作品 さくひん 自体 じたい は今後 こんご も広 ひろ く子 こ どもに読 よ まれる価値 かち があると述 の べている[5] [13] 。
一方 いっぽう で文学 ぶんがく 研究 けんきゅう 者 しゃ の側 がわ からは、当時 とうじ のアメリカ社会 しゃかい に存在 そんざい した差別 さべつ や迫害 はくがい を子 こ どもたちへ伝 つた える題材 だいざい として、ローラの作品 さくひん は今 いま なお有意義 ゆういぎ なメッセージをもつとする指摘 してき も出 だ されている[2] [14] 。
ウィスコンシン州 しゅう 西部 せいぶ の村 むら ペピンに、ローラの生家 せいか を模 も して再現 さいげん されたログハウス。
「小 ちい さな家 いえ 」シリーズ [ 編集 へんしゅう ]
1)ローラが存命 ぞんめい 中 ちゅう に執筆 しっぴつ ・出版 しゅっぱん された作品 さくひん 。
『大 おお きな森 もり の小 ちい さな家 いえ 』(Little House in the Big Woods , 1932)
『農場 のうじょう の少年 しょうねん 』(Farmer Boy , 1933)
恩地 おんち 三保子 みほこ 訳 やく 、福音館書店 ふくいんかんしょてん 、1973 のち文庫 ぶんこ
こだまともこ,渡辺 わたなべ 南都 なんと 子 こ 訳 やく 講談社 こうだんしゃ 青 あお い鳥 とり 文庫 ぶんこ 、1985 のち講談社 こうだんしゃ 文庫 ぶんこ
足 あし 沢 さわ 良子 りょうこ 訳 やく 草 くさ 炎 えん 社 しゃ 2006
『大 だい 草原 そうげん の小 ちい さな家 いえ 』(Little House on the Prairie , 1935)
古川 ふるかわ 原 げん 訳 わけ 、新 しん 教育 きょういく 事業 じぎょう 協会 きょうかい 、1950
恩地 おんち 三保子 みほこ 訳 やく 、福音館書店 ふくいんかんしょてん 、1972 のち文庫 ぶんこ
こだまともこ,渡辺 わたなべ 南都 なんと 子 こ 訳 やく 講談社 こうだんしゃ 青 あお い鳥 とり 文庫 ぶんこ 、1982 のち講談社 こうだんしゃ 文庫 ぶんこ
中村 なかむら 凪子 なぎこ 訳 やく 、角川 かどかわ 文庫 ぶんこ 、1988
足 あし 沢 さわ 良子 りょうこ 訳 やく 草 くさ 炎 えん 社 しゃ 2005
『プラム・クリークの土手 どて で 』(On the Banks of Plum Creek , 1937)
恩地 おんち 三保子 みほこ 訳 やく 、福音館書店 ふくいんかんしょてん 、1973 のち文庫 ぶんこ
「プラム川 かわ の土手 どて で」こだまともこ,渡辺 わたなべ 南都 なんと 子 こ 訳 やく 講談社 こうだんしゃ 青 あお い鳥 とり 文庫 ぶんこ 、1983 のち講談社 こうだんしゃ 文庫 ぶんこ
中村 なかむら 凪子 なぎこ 訳 やく 、角川 かどかわ 文庫 ぶんこ 、1989
『シルバー・レイクの岸辺 きしべ で 』(By the Shores of Silver Lake , 1939)
恩地 おんち 三保子 みほこ 訳 やく 、福音館書店 ふくいんかんしょてん 、1973 のち文庫 ぶんこ
「シルバー湖 みずうみ のほとりで」こだまともこ,渡辺 わたなべ 南都 なんと 子 こ 訳 やく 講談社 こうだんしゃ 青 あお い鳥 とり 文庫 ぶんこ 、1984 のち講談社 こうだんしゃ 文庫 ぶんこ
「シルバー湖 みずうみ のほとりで」足 あし 沢 さわ 良子 りょうこ 訳 やく 草 くさ 炎 えん 社 しゃ 2006
『長 なが い冬 ふゆ 』(The Long Winter , 1940)
『大 だい 草原 そうげん の小 ちい さな町 まち 』(Little Town on the Prairie , 1941)
鈴木 すずき 哲子 てつこ 訳 やく 、岩波 いわなみ 少年 しょうねん 文庫 ぶんこ 、1957
こだまともこ,渡辺 わたなべ 南都 なんと 子 こ 訳 やく 講談社 こうだんしゃ 青 あお い鳥 とり 文庫 ぶんこ 、1986 のち講談社 こうだんしゃ 文庫 ぶんこ
谷口 たにぐち 由美子 ゆみこ 訳 やく 、岩波 いわなみ 少年 しょうねん 文庫 ぶんこ 、2000
足 あし 沢 さわ 良子 りょうこ 訳 やく 草 くさ 炎 えん 社 しゃ 2007
『この楽 たの しき日々 ひび 』(These Happy Golden Years , 1943)
鈴木 すずき 哲子 てつこ 訳 やく 、岩波 いわなみ 少年 しょうねん 文庫 ぶんこ 、1974
「この輝 かがや かしい日々 ひび 」こだまともこ,渡辺 わたなべ 南都 なんと 子 こ 訳 やく 講談社 こうだんしゃ 青 あお い鳥 とり 文庫 ぶんこ 、1987 のち講談社 こうだんしゃ 文庫 ぶんこ
谷口 たにぐち 由美子 ゆみこ 訳 やく 、岩波 いわなみ 少年 しょうねん 文庫 ぶんこ 、2000
「この輝 かがや かしい日々 ひび 」足 あし 沢 さわ 良子 りょうこ 訳 やく 、草 くさ 炎 えん 社 しゃ 、2008
2)ローラ没 ぼつ 後 ご 、娘 むすめ のローズらが遺稿 いこう を加筆 かひつ ・再 さい 編集 へんしゅう して出版 しゅっぱん したもの。上記 じょうき 「小 ちい さな家 いえ 」の時代 じだい を描 えが く。
『はじめの四 よん 年間 ねんかん 』(The First Four Years , 1971)
鈴木 すずき 哲子 てつこ 訳 やく 、岩波 いわなみ 少年 しょうねん 文庫 ぶんこ 、1975
谷口 たにぐち 由美子 ゆみこ 訳 やく 、岩波 いわなみ 少年 しょうねん 文庫 ぶんこ 、2000
「小 ちい さな家 いえ 」シリーズ以外 いがい にローラが執筆 しっぴつ したエッセイや日記 にっき など。すべてローラ没 ぼつ 後 ご の編纂 へんさん 。
On the way home : the diary of a trip from South Dakota to Mansfield, Missouri, in 1894 (Harper Collins, 1976)
West from Home (1974, published posthumously), ed. Roger Lea MacBride – Wilder's letters to Almanzo while visiting her daughter Rose Wilder-Lane in 1915 in San Francisco [15]
A Little House Traveler: Writings from Laura Ingalls Wilder's Journeys Across America (Hard Collins, Repr., 2011)
『大 だい 草原 そうげん の旅 たび はるか』(谷口 たにぐち 由美子 ゆみこ 訳 やく 、世界文化社 せかいぶんかしゃ 、2007)
A little house sampler (University of Nebraska Press, 1988)
ウィリアム・T・アンダーソン編 へん (谷口 たにぐち 由美子 ゆみこ 訳 やく )『大 だい 草原 そうげん のおくりもの : ローラとローズのメッセージ』(角川書店 かどかわしょてん 、1990)
A little house reader : a collection of writings by Laura Ingalls Wilder (Harper Collins, 1998)
ウィリアム・アンダーソン編 へん (谷口 たにぐち 由美子 ゆみこ 訳 やく )『ローラからのおくりもの』(岩波書店 いわなみしょてん 、1999)
Saving graces : the inspirational writings of Laura Ingalls Wilder (B & H Pub Group, 1997)
スティーブン・ハインズ編 へん (結城 ゆうき 絵美子 えみこ 訳 やく )『大切 たいせつ なものはわずかです。 : ローラ・インガルス29の知恵 ちえ 』(いのちのことば社 しゃ 、2013)
Pioneer girl : the annotated autobiography (South Dakota Historical Society Press, 2018)
パメラ・スミス・ヒル編 へん (谷口 たにぐち 由美子 ゆみこ 訳 やく )『大 だい 草原 そうげん のローラ物語 ものがたり : パイオニア・ガール』(大修館書店 たいしゅうかんしょてん 、2018)
The Selected Letters of Laura Ingalls Wilder (2016)
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Zochert, Donald. Laura: The Life of Laura Ingalls Wilder, 1977(ドナルド・ゾカート『ローラ・インガルス・ワイルダーの生涯 しょうがい 』上 じょう ・下巻 げかん 、いけもとさえこ訳 わけ ・佐野 さの 洋子 ようこ 絵 え 、パシフィカ 、1979)
(邦語 ほうご )
磯部 いそべ 孝子 たかこ 『ローラ・インガルス・ワイルダー』(KTC中央 ちゅうおう 出版 しゅっぱん 、2004)
ウィリアム・T・アンダーソン(谷口 たにぐち 由美子 ゆみこ 訳 やく ・構成 こうせい )『大 だい 草原 そうげん の小 ちい さな家 いえ : ローラのふるさとを訪 たず ねて 増補 ぞうほ 改訂 かいてい 版 ばん 』(求 もとむ 龍 りゅう 堂 どう 、2013)
NHK取材 しゅざい 班 はん ほか『ローラ&ローズ : 大 だい 草原 そうげん の小 ちい さな家 いえ ・母 はは と娘 むすめ の物語 ものがたり 』(日本 にっぽん 放送 ほうそう 出版 しゅっぱん 協会 きょうかい 、1993)
服部 はっとり 奈美 なみ 『「大 だい 草原 そうげん の小 ちい さな家 いえ 」の旅 たび 』(晶文社 しょうぶんしゃ 、1993)
服部 はっとり 奈美 なみ 『「大 だい 草原 そうげん の小 ちい さな家 いえ 」と自然 しぜん 』(晶文社 しょうぶんしゃ 、1995)
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