ローラ・ロブソン

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ローラ・ロブソン
Laura Robson
2010ねん
基本きほん情報じょうほう
国籍こくせき イギリスの旗 イギリス
出身しゅっしん オーストラリアの旗 オーストラリアメルボルン
居住きょじゅう ロンドンウィンブルドン
生年月日せいねんがっぴ (1994-01-21) 1994ねん1がつ21にち(30さい
身長しんちょう 180cm[1]
体重たいじゅう 67kg[1]
きて ひだり
バックハンド りょう手打てう
ツアー経歴けいれき
デビューねん 2008ねん
生涯しょうがい獲得かくとく賞金しょうきん 1,605,607 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくドル
4だい大会たいかい最高さいこう成績せいせき・シングルス
ちょんつよし 3回戦かいせん(2013)
ぜんふつ 1回戦かいせん(2012・13・16)
ちょんすぐる 4回戦かいせん(2013)
全米ぜんべい 4回戦かいせん(2012)
4だい大会たいかい最高さいこう成績せいせき・ダブルス
ちょんつよし ベスト8(2010)
ちょんすぐる 2回戦かいせん(2009・13)
全米ぜんべい 2回戦かいせん(2015)
4だい大会たいかい最高さいこう成績せいせき混合こんごうダブルス
ちょんすぐる 3回戦かいせん(2012)
キャリア自己じこ最高さいこうランキング
シングルス 27(2013ねん7がつ8にち
ダブルス 82(2014ねん3がつ17にち
獲得かくとくメダル
女子じょし テニス
オリンピック
ぎん 2012 ロンドン 混合こんごうダブルス
2016ねん7がつ18にち現在げんざい

ローラ・ロブソンLaura Robson, 1994ねん1がつ21にち - )は、イギリスウィンブルドン出身しゅっしん女子じょしプロテニス選手せんしゅWTAランキング自己じこ最高さいこうはシングルス27、ダブルス82身長しんちょう180cm。左利ひだりきき、バックハンド・ストロークはりょう手打てうち。2008ねんウィンブルドン選手権せんしゅけんジュニア女子じょしシングルスにおいて、史上しじょう2番目ばんめ若年じゃくねん優勝ゆうしょうとなる[2][3]14さい166にち1984ねんアナベル・クロフト英語えいごばん以来いらい24ねんりのどう部門ぶもん地元じもと優勝ゆうしょうしゃとなり[4]2009ねん全豪ぜんごうオープン2010ねん全豪ぜんごうオープンどう部門ぶもんでも2ねん連続れんぞくじゅん優勝ゆうしょう成績せいせきおさめた[5][6][7]。プロデビューアンディ・マリーんで出場しゅつじょうしたロンドンオリンピック混合こんごうダブルス部門ぶもんぎんメダルを獲得かくとく2012ねん全米ぜんべいオープン女子じょしシングルス1998ねんウィンブルドン選手権せんしゅけんサマンサ・スミス以来いらいのイギリスじん女子じょしによるグランドスラムシングルス4回戦かいせん進出しんしゅつ同年どうねん9がつ広州こうしゅう国際こくさい女子じょしオープンシングルス部門ぶもんジョー・デュリー以来いらい22ねんぶりのWTAツアーシングルス決勝けっしょう進出しんしゅつ記録きろくしたイギリスじん選手せんしゅである。

選手せんしゅ経歴けいれき[編集へんしゅう]

シェル幹部かんぶつとめるちちアンドリューと[2]もとプロバスケットボール選手せんしゅでスポーツ監督かんとくははキャシー[8]あいだに、2人ふたり兄妹きょうだい長女ちょうじょとしてオーストラリアメルボルンまれる。ローラが1さいはんころ家族かぞくシンガポール移住いじゅう。ローラが6さいになると今度こんどイギリス移住いじゅう[9]のち同国どうこく帰化きかロンドンウィンブルドン地区ちくオールイングランド・クラブから徒歩とほ5ふんらずの場所ばしょきょかまえた[3]ははキャシーは、このころにはすでにいつもラケットを手放てばなさずテニスをたのしんでいたむすめ才能さいのう片鱗へんりんかんっていたという[10]。7さいになるとサリーしゅうにあるジュニア・テニスアカデミーに入学にゅうがく[11]。10さい世界せかいてきなスポーツマネジメント会社かいしゃひとつとしてられるオクタゴン・ワールドワイド専属せんぞくマネジメント契約けいやくむす[12]、11さいアディダス契約けいやく[13]。この時点じてんすでウイルソンとのラケット使用しよう契約けいやくわし[12]2009ねん3がつには同社どうしゃ全面ぜんめんてき用具ようぐ使用しよう契約けいやく締結ていけつしている[14]。イギリスのテニス協会きょうかいであるローンテニス協会きょうかい英語えいごばんから派遣はけんされた協会きょうかい代表だいひょうカール・メイズら複数ふくすうのコーチの指導しどうけたのち2007ねん現在げんざいのコーチであるオランダじんのマタイン・ボークと指導しどう契約けいやくむすんだ[11]。ボークはロブソンのテニスをはじめて当時とうじかえり、「試合しあいちゅう感情かんじょう制御せいぎょかなかったり、またいくつかの欠点けってんもあったが、それ以上いじょう彼女かのじょおおくの可能かのうせいかんじた」とかたっている[11]。このとしからロブソンは協会きょうかい新設しんせつしたナショナルトレーニングセンターでメイズ、ボーク、協会きょうかい女子じょしテニス部門ぶもん責任せきにんしゃのナイジェル・シアーズ(アマンダ・クッツァーダニエラ・ハンチュコババルバラ・シェットらのコーチを歴任れきにんしてきた人物じんぶつ[15])のした訓練くんれんけるようになり[10][11]、テニスに専念せんねんするため学校がっこうにはかよわずホームスクーリング学業がくぎょうおこなうようになる[2]

ジュニアキャリア[編集へんしゅう]

2007ねん5月からITFジュニアサーキット出場しゅつじょう開始かいし。このとしはやくもシングルスで1優勝ゆうしょう2じゅん優勝ゆうしょう、ダブルスで1優勝ゆうしょう2じゅん優勝ゆうしょうげた。とくにシングルスはつ優勝ゆうしょうとなった10月の大会たいかいでは、体格たいかく技術ぎじゅつ、メンタルとう年齢ねんれい顕著けんちょるジュニアにおいて、予選よせんからすべ年上としうえくだしてがり、決勝けっしょうでは3さい年上としうえだい4シードをやぶって優勝ゆうしょうしている[16]

2010ねんウィンブルドン選手権せんしゅけんジュニアシングルス決勝けっしょうせんのロブソン

2008ねんには自身じしんはつのグランドスラムジュニア大会たいかいとなったウィンブルドン選手権せんしゅけんジュニア女子じょしシングルス部門ぶもんに、このとし大会たいかいぜん部門ぶもん出場しゅつじょうしゃなか最年少さいねんしょう選手せんしゅとして[3] ノーシードで出場しゅつじょう[17]。2回戦かいせんだい1シードのメラニー・ウダンを6-1,6-3のストレートでやぶ番狂ばんくるわせをこすと[18]準々じゅんじゅん決勝けっしょうだい9シードのボヤナ・ヨバノフスキを7-5,6-4で、準決勝じゅんけっしょう予選よせんからがってきたロマナ・タバコバ英語えいごばんを6-2,7-5のストレートでそれぞれやぶ決勝けっしょう進出しんしゅつ決勝けっしょうではだい3シードのノッパワン・ラトチェワカーン英語えいごばん対戦たいせんし、ラトチェワカーンを6-3,3-6,6-1のフルセットでやぶ優勝ゆうしょう[3]。14さい166にちでのウィンブルドンどう部門ぶもん優勝ゆうしょう[2] は、1994ねんに13さい276にち優勝ゆうしょうしたマルチナ・ヒンギス史上しじょう2番目ばんめ若年じゃくねん優勝ゆうしょうであり[19]地元じもと優勝ゆうしょうしゃとしても1984ねんアナベル・クロフト英語えいごばん以来いらい24ねんり、史上しじょう2にん優勝ゆうしょうであった。この快挙かいきょ英国えいこくメディアは連日れんじつ過熱かねつ報道ほうどうとなり、試合しあい翌日よくじつほとんどの新聞しんぶんで1めんトップをかざると[4]、ロブソンを「英国えいこくテニスかい新星しんせい[20][21]」、「ウィンブルドンの女王じょおう[4]とうとなえた。しかし、クロフトやバージニア・ウェードはロブソンの快挙かいきょたたえながらも、「思春期ししゅんきのこういった報道ほうどう過熱かねつくわえ、プロであじわうツアーの過酷かこくさは大変たいへんきびしいもの[22]」、「この結果けっかもってして、すぐに来年らいねんのウィンブルドンシニア本戦ほんせんてるわけではない」、「おおきな可能かのうせいめる彼女かのじょわたしたちは冷静れいせい見守みまもらなければいけない」[23] ひとしと、こうした過熱かねつ報道ほうどうたかまる周囲しゅうい期待きたいいましめるコメントをはっした。

ウィンブルドン以降いこう怪我けが見舞みまわれ、全米ぜんべいオープン欠場けつじょう余儀よぎなくされたが、12月にはジュニアテニスの登竜門とうりゅうもんとしてられるエディー・ハー国際こくさいジュニアテニス選手権せんしゅけん出場しゅつじょう。シングルスでは3回戦かいせんやぶれたが、アンナ・オルリク英語えいごばんんだダブルスで優勝ゆうしょう[24]。このとしほかにもジュニアサーキットシングルスで2じゅん優勝ゆうしょう、ダブルスで1じゅん優勝ゆうしょうげる活躍かつやくで、12月には同年どうねんBBCヤング・スポーツ・パーソナリティー・オブ・ザ・イヤー英語えいごばんトップ3に、飛込とびこみ競技きょうぎ選手せんしゅトーマス・デーリーパラリンピック水泳すいえい選手せんしゅエレノア・シモンズ英語えいごばんらとともにノミネートされた[25](シモンズが受賞じゅしょう[26])。

怪我けがから完全かんぜん復帰ふっきしてのぞんだ2009ねん全豪ぜんごうオープンジュニアシングルス部門ぶもんだい5シードで出場しゅつじょう順当じゅんとう準々じゅんじゅん決勝けっしょうまでがると、準々じゅんじゅん決勝けっしょうではアナ・ボグダン英語えいごばんを6-2,2-5としたところでボグダンの途中とちゅう棄権きけんにより準決勝じゅんけっしょう進出しんしゅつ準決勝じゅんけっしょうではだい1シードのノッパワン・ラトチェワカーンとウィンブルドン以来いらい再戦さいせんとなり、ラトチェワカーンを6-4,6-3のストレートでやぶり2度目どめのグランドスラムジュニアシングルス決勝けっしょう進出しんしゅつ[27]決勝けっしょうではクセーニャ・ペルバク英語えいごばん対戦たいせんするも、終始しゅうし一貫いっかんして試合しあい支配しはいしたペルバク相手あいて試合しあい時間じかん1あいだ14ふん、3-6,1-6のストレートで完敗かんぱい[5][6]大会たいかいにはアンドレ・アガシのフィットネス・トレーナーとしてられたギル・レイエス英語えいごばんもとで、より一層いっそう身体しんたい能力のうりょく強化きょうかけたトレーニングをおこなうようになる[13]。2月にはタイムズかみ選定せんていするMCCヤング・スポーツウーマン・オブ・ザ・イヤーをエレノア・シモンズととも受賞じゅしょう[28][29]。3月まつにはITFジュニアランキング1のぼめ、名実めいじつどもにナンバーワンジュニア選手せんしゅとなるも[30]、4がつにはシンスプリント診断しんだんけ、ツアー離脱りだつ余儀よぎなくされる[31]。6月のぜんふつオープンと7がつウィンブルドン選手権せんしゅけんでは怪我けがして出場しゅつじょうしたが、だい1シードでのぞんだぜんふつオープンシングルスでは、2回戦かいせんサンドラ・ザニエウスカ英語えいごばんに6-7(10),6-1,3-6のフルセットで、ディフェンディングチャンピオンのだい2シードでのぞんだウィンブルドン選手権せんしゅけんでは、3回戦かいせんクイリネ・ルモワン(オランダ)に2-6,6-4,6-8のフルセットでそれぞれやぶれる低調ていちょう結果けっかわった。

9月の全米ぜんべいオープンシングルスでは、すでにシニアツアーを本格ほんかくてきまわるようになっていたロブソンのジュニアランクは大幅おおはばがっており、ノーシードでの出場しゅつじょうとなった。ここでは2回戦かいせんだい7シードのローラン・エンブリー英語えいごばんを4-6,6-1,6-4のフルセットで、3回戦かいせんタマリン・ヘンドラー英語えいごばんを6-2,6-1のストレートでそれぞれくだ活躍かつやく準決勝じゅんけっしょう進出しんしゅつ準決勝じゅんけっしょうではおなじくノーシードからがってきたヤナ・ブチナ英語えいごばん対戦たいせんしたが、6-1,3–6,5–7のフルセットで惜敗せきはいした[32]

2009ねん全豪ぜんごうオープン

2010ねんは、全米ぜんべいオープンにつづきノーシードで全豪ぜんごうオープンシングルスに出場しゅつじょう。2回戦かいせんユリア・プチンツェワを6-2,3-6,6-2のフルセットでくだいきおいにると、準決勝じゅんけっしょうクリスティナ・プリスコバまでをすべてストレートで圧倒あっとうしてくだ決勝けっしょう進出しんしゅつ決勝けっしょうではクリスティナの双子ふたごあねカロリナ・プリスコバ対戦たいせんしたが、カロリナに1-6,6-7(5)のストレートでやぶれ、2ねん連続れんぞくじゅん優勝ゆうしょうとなった[7]だい8シードで出場しゅつじょうしたウィンブルドン選手権せんしゅけんシングルスでは、ぜん試合しあいストレすとれト勝とがちで準決勝じゅんけっしょう進出しんしゅつ準決勝じゅんけっしょうではだい10シードの石津いしづ幸恵ゆきえ対戦たいせんしたが、石津いしづに5-7,6-7(5)のストレートでやぶれ、2ねんぶりの決勝けっしょう進出しんしゅつのがした[33]

プロキャリア[編集へんしゅう]

2008ねん[編集へんしゅう]

ウィンブルドンジュニア優勝ゆうしょうの9がつに、下部かぶツアーであるリモージュITF1まんドルサーキットシングルスで予選よせんがりプロデビューをたす[34]本戦ほんせんでは1回戦かいせん勝利しょうりするも、だい2シードのマリナ・メルニコワとの2回戦かいせんではだい1セット2-4としたところでかた負傷ふしょう途中とちゅう棄権きけん、1回戦かいせん準決勝じゅんけっしょう進出しんしゅつしていたダブルスも棄権きけんとなった[35]つづいての出場しゅつじょうとなったシュールズベリー7まん5せんドルサーキットでは主催しゅさいしゃ推薦すいせんでシングルス本戦ほんせん出場しゅつじょう。1回戦かいせん予選よせん勝者しょうしゃサラ・ボーウェル英語えいごばんを7-6(4),2-6,6-3のフルセットでくだすと、2回戦かいせんでは前年度ぜんねんどウィンブルドン選手権せんしゅけん女子じょしジュニアシングルス優勝ゆうしょうしゃウルシュラ・ラドワンスカを6-3,6-3のストレートで、3回戦かいせんではだい4シードのツィポラ・オブジラー英語えいごばんを6-3,6-3のストレートでそれぞれやぶ活躍かつやく[35]、ノーランクながら[36] だい2シードのマレット・アニとの準決勝じゅんけっしょうまで進出しんしゅつした[37][38]。10月だい2しゅうバーンステイプル英語えいごばん5まんドルサーキットでは、単複たんぷくりょう部門ぶもん主催しゅさいしゃ推薦すいせん出場しゅつじょう。シングルスでは1回戦かいせんだい7シードのアンゲリク・ケルバーに6-7(8),6-4,6-2で惜敗せきはい[39]同国どうこく選手せんしゅケイティ・オブライエン英語えいごばんんだダブルスも、1回戦かいせんカタリン・マロシ英語えいごばん&マリナ・タバレス(ブラジル)ぐみに4-6,6-4,[8-10]のスーパータイブレークでやぶれた。シングルスでロブソンをくだしたケルバーは試合しあいのインタビューで「彼女かのじょはとても素晴すばらしいテニスをする。今日きょうわたしてたのはしあわせなことです。彼女かのじょは1ねん以内いないにトップ100にはいるでしょうね」とロブソンのプレーを賞賛しょうさんした[40]

主催しゅさいしゃ推薦すいせん出場しゅつじょうした10がつだい3しゅうBGLルクセンブルク・オープンでWTAツアーはつ出場しゅつじょう。シングルス1回戦かいせん当時とうじ世界せかいランク42イベタ・ベネソバ対戦たいせんし、6-1,2-6,3-6のフルセットでやぶれた[39]。またダブルスでも主催しゅさいしゃ推薦すいせんけ、ヒセラ・ドゥルコとペアをんで出場しゅつじょうしたが、1回戦かいせんだい3シードのベラ・ドゥシェビナ&マリヤ・コリツェワ英語えいごばんくみに2-6,3-6のストレートでやぶれている。11月にはサンダーランド1まんドルサーキットシングルスにだい5シードで出場しゅつじょう[41]。ルーマニアじん選手せんしゅとの準々じゅんじゅん決勝けっしょう以外いがいすべストレすとれト勝とがちをおさめ、14さい9ヶ月かげつでのサーキットシングルス優勝ゆうしょうたした[41][42]

2009ねん[編集へんしゅう]

とし前半ぜんはんはジュニアツアーに専念せんねんしていたことや、怪我けがによるツアーいち離脱りだつ影響えいきょうもあり、5がつまつグラード2まん5せんドルサーキットシングルスがこのとし最初さいしょのプロ大会たいかい出場しゅつじょうとなった[43]よく6がつ9にちにはウィンブルドン選手権せんしゅけん女子じょしシングルス本戦ほんせんへの主催しゅさいしゃ推薦すいせんでの出場しゅつじょう発表はっぴょうされ、グランドスラム大会たいかいはつ出場しゅつじょうたす。15さい5ヶ月かげつでのウィンブルドンどう部門ぶもんへの出場しゅつじょうは、1995ねんに14さい9ヶ月かげつ主催しゅさいしゃ推薦すいせん出場しゅつじょうしたマルチナ・ヒンギス年少ねんしょう出場しゅつじょうであった[44]。1回戦かいせんではもと世界せかいランク52002ねん大会たいかいベスト8のダニエラ・ハンチュコバ対戦たいせんだい1セットをうば健闘けんとうせるも逆転ぎゃくてんされ、結果けっか6-3,3-6,2-6のフルセットでやぶれた[45][46]。また、ダブルスでも同国どうこく選手せんしゅジョージー・ストープ英語えいごばん出場しゅつじょう。1回戦かいせん勝利しょうりしたが、2回戦かいせんだい16シードのスベトラーナ・クズネツォワ&アメリ・モレスモくみやぶれた。

8がつには主催しゅさいしゃ推薦すいせん全米ぜんべいオープンシングルス予選よせん出場しゅつじょう。1回戦かいせんステファニー・フォレッツ英語えいごばんを7-5,6-1のストレートで[47]、2回戦かいせんアニコ・カプロスを6–4,7–5のストレートでくだ[48]予選よせん決勝けっしょう進出しんしゅつ予選よせん決勝けっしょうではエヴァ・ハルディノワ英語えいごばん対戦たいせんしたが、ハルディノワに6-7(6),6-4,6-7(4)のフルセットで惜敗せきはいした[49]

10月にはBGLルクセンブルク・オープンシングルス予選よせん出場しゅつじょう。1回戦かいせんズザーナ・オンドラスコバ英語えいごばんを7–5,6–4のストレートで、2回戦かいせん当時とうじ世界せかいランク79だい3シードのユリア・ゲルゲスを6-3,6-2のストレートでそれぞれくだ[50]予選よせん決勝けっしょう進出しんしゅつ予選よせん決勝けっしょうではだい8シードのマリア・エレナ・カメリン対戦たいせんしたが、カメリンに3-6,4-6のストレートでやぶれた[51]。11月にはミンスク5まんドルサーキットシングルスに出場しゅつじょう[52]。1回戦かいせんユリア・ベイゲルジマー英語えいごばんを6-3,6-2のストレートで、2回戦かいせんタチアナ・アレフェワ英語えいごばんを6-0,6-4のストレートでそれぞれくだし、準々じゅんじゅん決勝けっしょう進出しんしゅつ準々じゅんじゅん決勝けっしょうではだい4シードのビタリア・ディアチェンコ英語えいごばん対戦たいせんしたが、ディアチェンコに3-6,2-6のストレートでやぶれた[52]

2010ねん[編集へんしゅう]

2010ねん年初ねんしょくにべつ対抗たいこうせんホップマンカップアンディ・マリーともだい3シードのイギリス代表だいひょうとして出場しゅつじょう同国どうこくのホップマンカップ出場しゅつじょうは、1992ねん大会たいかいジョー・デュリージェレミー・ベイツ英語えいごばん出場しゅつじょうして以来いらい、18ねんぶり2度目どめことであった[53]予選よせんではカザフスタンドイツロシアかく代表だいひょうどうくみのグループBに所属しょぞく。ロブソンはシングルスではカザフスタンのヤロスロワ・シュウェドワに、 6–4,3–6,0–6のフルセットで[53]、ドイツのザビーネ・リシキに6-7(5),3-6のストレートで[54]、ロシアのエレーナ・デメンチェワに4-6,0-6のストレートでそれぞれやぶれたが[55]、マレーとんだ混合こんごうダブルスではカザフスタンのヤロスロワ・シュウェドワ&アンドレイ・ゴルベフくみに6-3,5-7,[12-10]のスーパータイブレークで、ドイツのザビーネ・リシキ&フィリップ・コールシュライバーくみに6-3,6-2のストレートで、ロシアのエレーナ・デメンチェワ&イーゴリ・アンドレエフくみに6-4,6-7(6),[10-6]のスーパータイブレークでそれぞれ勝利しょうり[53][54][55]男子だんしシングルスでもマレーが3せん全勝ぜんしょうげる活躍かつやくがあったため、イギリスチームは3せん全勝ぜんしょう予選よせん終了しゅうりょう時点じてんでグループB1となり、グループA1となったスペイン代表だいひょうとの決勝けっしょうせん進出しんしゅつ[55]決勝けっしょうせんではロブソンがだい1試合しあい女子じょしシングルスで当時とうじ世界せかいランク26マリア・ホセ・マルティネス・サンチェス相手あいてに6-1,7-6(6)のストレートで勝利しょうりする金星きんぼしげるも、つづ男子だんしシングルスでは、マレーがトミー・ロブレドに6-1,4-6,3-6のフルセットで惜敗せきはい勝負しょうぶ最終さいしゅう試合しあい混合こんごうダブルスにまれたが、マルチネス・サンチェスとロブレドのペアに6-7(6),5-7のスコアでやぶじゅん優勝ゆうしょうとなった[56][57]

つづいての出場しゅつじょうとなったのが全豪ぜんごうオープン女子じょしシングルス予選よせん主催しゅさいしゃ推薦すいせん出場しゅつじょうしたロブソンは、1回戦かいせん地元じもと選手せんしゅソフィー・ファーガソン英語えいごばんを6–4,2–6,6–4のフルセットでくだしたが[58]、2回戦かいせんだい18シードのミハエラ・クライチェクに4-6,6-7(7)のストレートでやぶれた[59]。また、サリー・ピアーズ英語えいごばんんだダブルスでも主催しゅさいしゃ推薦すいせん本戦ほんせんから出場しゅつじょう。1回戦かいせんジル・クレイバス&アビゲイル・スピアーズ英語えいごばんくみを6-3,7-5のストレートでやぶりグランドスラムダブルスはつ勝利しょうりげると[60][61]、2回戦かいせんだい12シードのそうけいよう&クベタ・ペシュケくみを6-3,6-4のストレートで[62]、3回戦かいせんベラ・ドゥシェビナ&アナスタシア・ロディオノワくみを6-3,6-3のストレートでくだ準々じゅんじゅん決勝けっしょう進出しんしゅつ[63]準々じゅんじゅん決勝けっしょうではだい15シードのマリア・キリレンコ&アグニエシュカ・ラドワンスカくみ対戦たいせんしたが、4-6,1-6のストレートでやぶれた[64]

4がつにはドーサン5まんドルサーキットに出場しゅつじょうヘザー・ワトソンんで出場しゅつじょうしたダブルスは2回戦かいせんやぶれたが、予選よせんから出場しゅつじょうしたシングルスでは本戦ほんせんがると、1回戦かいせんユリアナ・フェダク英語えいごばんを7-5,2-6,6-4のフルセットで、2回戦かいせんマディソン・ブレングル英語えいごばんを6-4,6-1のストレートで、準々じゅんじゅん決勝けっしょうソフィー・ファーガソン英語えいごばんを4-6,6-3,6-1のフルセットでそれぞれやぶり、だい5シードのエディナ・ガロビッツ英語えいごばんとの準決勝じゅんけっしょうまで進出しんしゅつ[65]。この活躍かつやくにより大会たいかいのランキングではシングルスが269上昇じょうしょうしトップ300に突入とつにゅう[65]、ダブルスでも102記録きろくどもにキャリアハイを更新こうしん[66]つづいて出場しゅつじょうしたシャーロッツビル5まんドルサーキットシングルスでは、アナスタシア・ヤキモバ英語えいごばんとの準々じゅんじゅん決勝けっしょうまで進出しんしゅつした。

6がつだい2しゅうにはエイゴン・クラシックシングルス予選よせん主催しゅさいしゃ推薦すいせん出場しゅつじょう。1回戦かいせんだい5シードのニーナ・ブラチコワ英語えいごばんを4-6,6-4,6-4の逆転ぎゃくてん勝利しょうり予選よせん決勝けっしょうではビタリア・ディアチェンコ英語えいごばんを6–3,4–0としたところでディアチェンコの途中とちゅう棄権きけんにより勝利しょうりし、本戦ほんせん進出しんしゅつ自力じりきでのWTAツアーはつ出場しゅつじょうたす[67]。1回戦かいせんでは世界せかいランク78シュテファニー・フェーゲレ対戦たいせんし、6-4,0-1としたところでフェーゲレの途中とちゅう棄権きけんによりツアーシングルス本戦ほんせんはつ勝利しょうりげると[68]、2回戦かいせんだい3シード、当時とうじ世界せかいランク16ヤニア・ウィックマイヤー対戦たいせん自身じしんはつのトップ20選手せんしゅとの対戦たいせんであったが、ウィックマイヤーに5-7,4-6のストレートで敗退はいたい[69][70]つづいて主催しゅさいしゃ推薦すいせん出場しゅつじょうしたユニセフ・オープンシングルス本戦ほんせんでは1回戦かいせんドミニカ・チブルコバ対戦たいせんしたが、チブルコワに3-6,4-6のストレートでやぶれている[71]

ウィンブルドン選手権せんしゅけんではシングルス本戦ほんせん主催しゅさいしゃ推薦すいせん出場しゅつじょう。1回戦かいせん当時とうじ世界せかいランク3だい4シードのエレナ・ヤンコビッチ対戦たいせん[72]、3-6,6-7(5)のストレートで敗退はいたい[73]。またサリー・ピアーズとんだダブルス、ジェイミー・マリーんだ混合こんごうダブルスでもそれぞれ主催しゅさいしゃ推薦すいせん本戦ほんせん出場しゅつじょうしたが、それぞれ1回戦かいせん敗退はいたいとなった。つづいて出場しゅつじょうしたウォキング2まん5せんドルサーキットシングルスでは、だい7シードで本戦ほんせん出場しゅつじょう準々じゅんじゅん決勝けっしょうティメア・バボスせんまで進出しんしゅつした。

8がつには全米ぜんべいオープンシングルス予選よせん出場しゅつじょう。1回戦かいせん世界せかいランク82だい2シードエレナ・ドキッチを6-1,6-4のストレートでやぶると[74]、2回戦かいせんではベスナ・マナシエワ英語えいごばんを6-3,6-2のストレートでくだ予選よせん決勝けっしょう進出しんしゅつ予選よせん決勝けっしょうではだい17シードのヌリア・リャゴステラ・ビベス対戦たいせんしたが、ラゴステラ・ビベスに6-2,4-6,3-6のフルセットで惜敗せきはいし、本戦ほんせん出場しゅつじょうのがした[75]。また大会たいかい終了しゅうりょうにはロブソンのプロツアー移行いこうともない、コーチのマタイン・ボークとの契約けいやく今季こんき解消かいしょうすることが発表はっぴょうされた[76]

9月だい5しゅうにはとうレ パン・パシフィック・オープンシングルス予選よせん出場しゅつじょう。1回戦かいせんだい5シードのアナスタシヤ・セバストワを6-1,3-6,6-4のフルセットでやぶると[77]予選よせん決勝けっしょうではシモナ・ハレプを2-6,6-2,6-4の逆転ぎゃくてんくだし、本戦ほんせん進出しんしゅつ[78]本戦ほんせん1回戦かいせんではおなじく予選よせん勝者しょうしゃグレタ・アン英語えいごばん対戦たいせんしたが、4-6,3-6のストレートで敗退はいたいした[79]

10月にはジャパン女子じょしオープンテニスシングルス予選よせんがり本戦ほんせん進出しんしゅつ[80]本戦ほんせんではだい6シードのクルム伊達だて公子きみこ対戦たいせんしたが3-6,3-6のストレートで敗退はいたい[81][82]。これらの活躍かつやくによりこのとしのWTAシングルス年度ねんどまつランキングはイギリスじん女子じょし5番手ばんてとなる206終了しゅうりょうした[83]

2011ねん[編集へんしゅう]

このシーズンははあらたにフランスじんコーチのパトリック・ムラトグルーフランス語ふらんすごばんやとい、フランスを練習れんしゅう拠点きょてんにツアーにのぞ[84]も、シーズン最初さいしょ大会たいかいとして前年ぜんねん同様どうようアンディ・マリーともにイギリス代表だいひょうとして出場しゅつじょうしたホップマンカップ股関節こかんせつ負傷ふしょう早々そうそうのツアー離脱りだつ余儀よぎなくされ[85][86]さらに2がつには腹筋ふっきん損傷そんしょうこりツアー復帰ふっきおくれるくるしいだしとなった[85]

同年どうねん3がつこんあきら2まん5せんドルサーキットシングルスでツアーに復帰ふっきすると[87]、ノーシードで出場しゅつじょうしたよく5がつインディアン・ハーバー・ビーチ英語えいごばん5まんドルサーキットで大会たいかいだい1シードのアリソン・リスケとの準決勝じゅんけっしょうまで進出しんしゅつ[88][89]

6がつには主催しゅさいしゃ推薦すいせんけて出場しゅつじょうしたユニセフ・オープンシングルスに出場しゅつじょう。ロブソンにとってこのとし最初さいしょのツアーレベルの大会たいかい出場しゅつじょうとなったが、1回戦かいせんでノーシードのアランチャ・パラ・サントンハ英語えいごばんに5-7,3-6のストレートで敗退はいたい[90][91]。こうした怪我けがによるツアーの復帰ふっきおくれと不振ふしんによるランキング停滞ていたいつづいたことによりウィンブルドン選手権せんしゅけん開催かいさい前日ぜんじつにモルトグルーとのコーチング契約けいやくわず半年はんとし解消かいしょう[92][93]主催しゅさいしゃ推薦すいせんけて出場しゅつじょうしたウィンブルドン選手権せんしゅけんシングルスではコーチしでのぞこととなったが、1回戦かいせん当時とうじシングルス世界せかいランク77アンゲリク・ケルバーを4-6,7-6(4),6-3のフルセットでやぶ自身じしんはつのグランドスラムシングルス勝利しょうりおさめると[93][94]、2回戦かいせんでは当時とうじ世界せかいランク6大会たいかいだい5シード、2004ねん大会たいかいどう部門ぶもん優勝ゆうしょうしゃであるマリア・シャラポワ対戦たいせん[95]。ロブソンは1stセットでシャラポワ相手あいてに2のブレークをうばい4-1とリードし、そのブレークバックされいつかれながらもシャラポワがにぎった6ほんのブレークポイントのうち5ほんしのぎタイブレークまで健闘けんとうせたが、2ndセットではシャラポワの自力じりきまさり6-7(4),3-6のストレートで惜敗せきはいした[85][96][97][98]

予選よせんからノーシードで出場しゅつじょうした8がつ全米ぜんべいオープン女子じょしシングルスでは、1回戦かいせんハイディ・エル・タバク英語えいごばんを6-1,6-3のストレートで[99]、2回戦かいせんテイラー・タウンゼンド英語えいごばんを6-3,4-6,7-6(0)のフルセットで[100]予選よせん決勝けっしょうちょうれい英語えいごばんを6-3,6-4のストレートでそれぞれくだし、単複たんぷくつうじて自身じしんはつとなる自力じりきでのグランドスラム本戦ほんせん出場しゅつじょうたす[101]本戦ほんせん1回戦かいせんでは当時とうじ世界せかいランク47森田もりたあゆみとの対戦たいせんとなり、7-6(5),1-0とロブソンリードの試合しあい途中とちゅう森田もりたかた負傷ふしょうによる途中とちゅう棄権きけん全米ぜんべい本戦ほんせんはつ勝利しょうりげると[102][103]、2回戦かいせんでは当時とうじ世界せかいランク33大会たいかいだい30シードアナベル・メディナ・ガリゲス挑戦ちょうせん試合しあいつうじてメディナ・ガリゲスの2ばいとなる20ほんのウィナーをうばうも、ぎゃくにアンフォースド・エラーではメディナ・ガリゲスの5ばいとなる32かい記録きろくするかたちでメディナ・ガリゲスのミスを戦術せんじゅつはまってしまい、2-6,3-6のストレートで敗退はいたいした[104][105]

プレースタイル[編集へんしゅう]

りょう手打てうちからはなたれる強烈きょうれつなグラウンドストロークと左利ひだりききのサーブがロブソンの武器ぶきであり[106]、その実力じつりょく2008ねんウィンブルドン選手権せんしゅけんジュニアシングルス優勝ゆうしょう時点じてんで「すでにジュニアのなかでもトップクラス」とひょうされた[107]。その一方いっぽうでこの時点じてんでの左右さゆうのフットワークについては不得意ふとくいであると指摘してきされている[107] またメンタルめんでは試合しあいちゅうつね平静へいせいたもっているてん賞賛しょうさんされており[107]、トップ選手せんしゅ必要ひつようなメンタルとテクニックをすでそなえているとひょうされている[108]。コメンテーターのサイモン・リードは「彼女かのじょ必要ひつようとされるすべての技術ぎじゅつは、すで彼女かのじょそなわっている」とし[109]もとグランドスラム王者おうじゃパット・キャッシュは「彼女かのじょはすべてのテニス技能ぎのうにおいて進歩しんぽする特性とくせいつ」「特別とくべつ才能さいのう」のぬしであると、ロブソンのテニス選手せんしゅとしての万能ばんのうさをひょうした[110]イギリスもとトップ選手せんしゅであったサマンサ・スミスは「すで彼女かのじょはテニス選手せんしゅとしての基盤きばん完成かんせいしており、弱点じゃくてんまったくない」、「わたしてきたなかでも最高さいこうの14さい一人ひとり」とコメントしている[4]現役げんえき選手せんしゅからの評価ひょうかたかく、2008ねんフォルティス選手権せんしゅけんでロブソンのプレーをもとシングルス世界せかいランク1アナ・イバノビッチは、「彼女かのじょは14さいなのに、非常ひじょう強烈きょうれつなハードヒットをしますね」とロブソンのストロークを賞賛しょうさん[39]、2010ねんHPオープン対戦たいせんしたクルム伊達だて公子きみこは「彼女かのじょはとてもわかく、おおくの可能かのうせい選手せんしゅ」とひょうした[81]

WTAツアー決勝けっしょう進出しんしゅつ結果けっか[編集へんしゅう]

シングルス: 1かい (0しょう1はい)[編集へんしゅう]

大会たいかいグレード
グランドスラム (0–0)
WTAファイナルズ (0–0)
プレミア・マンダトリー (0–0)
プレミア5 (0-0)
WTAエリート・トロフィー (0-0)
プレミア (0-0)
インターナショナル (0-1)
結果けっか No. 決勝けっしょう 大会たいかい サーフェス 対戦たいせん相手あいて スコア
じゅん優勝ゆうしょう 1. 2012ねん9がつ22にち 中華人民共和国の旗 広州こうしゅう ハード チャイニーズタイペイの旗 しゃよしぜんまい 3–6, 7–5, 4–6

ダブルス: 2かい (0しょう2はい)[編集へんしゅう]

結果けっか No. 決勝けっしょう 大会たいかい サーフェス パートナー 対戦たいせん相手あいて スコア
じゅん優勝ゆうしょう 1. 2013ねん3がつ31にち アメリカ合衆国の旗 マイアミ ハード アメリカ合衆国の旗 リサ・レイモンド ロシアの旗 ナディア・ペトロワ
スロベニアの旗 カタリナ・スレボトニク
1–6, 6–7(2)
じゅん優勝ゆうしょう 2. 2017ねん6がつ18にち イギリスの旗 ノッティンガム しば イギリスの旗 ジョスリン・レイ オーストラリアの旗 モニク・アダムチャック
オーストラリアの旗 ストーム・サンダース
4–6, 6–4, [4–10]

ITFサーキット決勝けっしょう進出しんしゅつ結果けっか[編集へんしゅう]

シングルス: 4かい (3しょう1はい)[編集へんしゅう]

大会たいかいグレード
$100,000 トーナメント
$75,000/$80,000 トーナメント
$50,000/$60,000 トーナメント
$25,000 トーナメント
$10,000/$15,000 トーナメント
サーフェスべつタイトル
ハード (2-1)
しば (0–0)
クレー (0–0)
カーペット (1-0)
結果けっか No. 決勝けっしょう 大会たいかい カテゴリー サーフェス 対戦たいせん相手あいて スコア
優勝ゆうしょう 1. 2008ねん11月9にち サンダーランド $10,000 ハード イギリスの旗 サマンサ・ビッカーズ 6–3 6–2
じゅん優勝ゆうしょう 1. 2011ねん7がつ11にち ウォキング $25,000 ハード オーストラリアの旗 ジョアンナ・コンタ 4–6 1–1
優勝ゆうしょう 2. 2016ねん8がつ14にち ランディスヴィレ $25,000 ハード アメリカ合衆国の旗 ジュリア・エルババ 6–0 6–0
優勝ゆうしょう 3. 2017ねん5がつ21にち 久留くるよね $60,000 カーペット イギリスの旗 ケイティ・ブルター 6–3, 6–4

ジュニアグランドスラムタイトル[編集へんしゅう]

結果けっか No. 決勝けっしょう 大会たいかい サーフェス 対戦たいせん相手あいて スコア
優勝ゆうしょう 1. 2008ねん7がつ3にち ウィンブルドン選手権せんしゅけん しば タイ王国の旗 ノッパワン・ラトチェワカーン 6–3 3–6 6–1
じゅん優勝ゆうしょう 1. 2009ねん1がつ31にち 全豪ぜんごうオープン ハード ロシアの旗 クセーニャ・ペルバク 3–6 1–6
じゅん優勝ゆうしょう 2. 2010ねん1がつ30にち 全豪ぜんごうオープン ハード チェコの旗 カロリナ・プリスコバ 1–6 6–7(5)

グランドスラム通算つうさん成績せいせき[編集へんしゅう]

略語りゃくご説明せつめい
 W   F  SF QF #R RR Q# LQ  A  Z# PO  G   S   B  NMS  P  NH

W=優勝ゆうしょう, F=じゅん優勝ゆうしょう, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦かいせん敗退はいたい, RR=ラウンドロビン敗退はいたい, Q#=予選よせん#回戦かいせん敗退はいたい, LQ=予選よせん敗退はいたい, A=大会たいかい不参加ふさんか, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ちいきゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピックきんメダル, S=オリンピックぎんメダル, B=オリンピックどうメダル, NMS=マスターズシリーズから降格こうかく, P=開催かいさい延期えんき, NH=開催かいさいなし.

大会たいかい 2009 2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016 2017 通算つうさん成績せいせき
全豪ぜんごうオープン A LQ A 1R 3R 1R A A LQ 2–3
ぜんふつオープン A A A 1R 1R A A 1R 0–3
ウィンブルドン 1R 1R 2R 1R 4R A 1R 1R 4–7
全米ぜんべいオープン LQ LQ 2R 4R 3R A 1R 1R 6–5

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b Sony Ericsson WTA Tour Laura Robson” (英語えいご). WTA. 2010ねん10がつ16にち閲覧えつらん
  2. ^ a b c d Things you didn’t know about Laura Robson, the girl who became a star” (英語えいご). タイムズ (2008ねん7がつ8にち). 2010ねん10がつ23にち閲覧えつらん
  3. ^ a b c d Piers Newbery (2008ねん7がつ5にち). “Briton Robson wins girls' title” (英語えいご). BBC. 2010ねん10がつ23にち閲覧えつらん
  4. ^ a b c d Caroline Cheese; Paul Birch (2008ねん7がつ7にち). “What now for Laura Robson?” (英語えいご). BBC. 2010ねん10がつ23にち閲覧えつらん
  5. ^ a b Helen Gilbert (2009ねん1がつ31にち). “Pervak downs Robson in girls' singles decider” (英語えいご). 全豪ぜんごうオープン. 2010ねん11月13にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2010ねん10がつ23にち閲覧えつらん
  6. ^ a b ペルバク ジュニア女子じょしシングルスで優勝ゆうしょう全豪ぜんごうオープン”. フランス通信つうしんしゃ (2009ねん1がつ31にち). 2010ねん10がつ23にち閲覧えつらん
  7. ^ a b Mark Hodgkinson (2010ねん1がつ30にち). “Brit Laura Robson suffers Australian Open final defeat” (英語えいご). BBC. 2010ねん10がつ23にち閲覧えつらん
  8. ^ Esther Addley (2008ねん7がつ5にち). “Never mind Murray. Look out for Laura” (英語えいご). ガーディアン. 2010ねん10がつ23にち閲覧えつらん
  9. ^ Chris Bevan (2008ねん7がつ3にち). “Robson flies flag for Britain” (英語えいご). BBC. 2010ねん10がつ23にち閲覧えつらん
  10. ^ a b Telegraph staff (2009ねん1がつ30にち). “Laura Robson: The new darling of British tennis” (英語えいご). テレグラフ. 2010ねん10がつ23にち閲覧えつらん
  11. ^ a b c d Neil Harman (2008ねん7がつ7にち). “Newcastle owner could be key to Laura Robson future” (英語えいご). タイムズ. 2010ねん10がつ23にち閲覧えつらん
  12. ^ a b Steve Bierley (2009ねん1がつ30にち). “Grounded Robson benefits from support as second major final beckons” (英語えいご). ガーディアン. 2010ねん10がつ23にち閲覧えつらん
  13. ^ a b Barry Flatman (2009ねん2がつ1にち). “Laura Robson needs to toughen up” (英語えいご). タイムズ. 2010ねん10がつ23にち閲覧えつらん
  14. ^ 期待きたい新星しんせいローラ・ロブソンがウイルソンと用具ようぐ使用しよう契約けいやく”. ウイルソン (2009ねん3がつ16にち). 2010ねん10がつ23にち閲覧えつらん
  15. ^ Sears appointed Fed Cup captain” (英語えいご). BBC (2006ねん12月11にち). 2010ねん10がつ23にち閲覧えつらん
  16. ^ Nokia Junior Cup 2007” (英語えいご). ITF. 2010ねん10がつ23にち閲覧えつらん
  17. ^ The Junior Championships, Wimbledon 2008” (英語えいご). ITF. 2010ねん10がつ23にち閲覧えつらん
  18. ^ Piers Newbery (2008ねん7がつ4にち). “Spice girl Laura Robson moves into Wimbledon semi-final” (英語えいご). タイムズ. 2010ねん10がつ23にち閲覧えつらん
  19. ^ Martina Hingis factfile” (英語えいご). タイムズ (2007ねん11月1にち). 2010ねん10がつ23にち閲覧えつらん
  20. ^ Brough Scott (2008ねん7がつ6にち). “Laura Robson the 'new darling' of Court No 1” (英語えいご). テレグラフ. 2010ねん10がつ23にち閲覧えつらん
  21. ^ Tennis Star Laura 'Could Earn £50m'” (英語えいご). Sky Sports (2008ねん7がつ7にち). 2010ねん10がつ23にち閲覧えつらん
  22. ^ Eleanor Preston (2008ねん7がつ7にち). “It's tough, it's lonely and it's ruthless as you move up, Robson warned” (英語えいご). ガーディアン. 2010ねん10がつ23にち閲覧えつらん
  23. ^ Virginia Wade calls for caution over Laura Robson” (英語えいご). デイリー・ミラー (2008ねん7がつ7にち). 2010ねん10がつ23にち閲覧えつらん
  24. ^ Eddie Herr International Junior Tennis Championships 2008” (英語えいご). ITF. 2010ねん10がつ23にち閲覧えつらん
  25. ^ Young Sports Personality: The top three” (英語えいご). BBC (2008ねん12月28にち). 2010ねん10がつ23にち閲覧えつらん
  26. ^ Paralympic double gold medallist Eleanor Simmonds has been named the BBC Young Sports Personality of the Year for 2008.” (英語えいご). BBC (2008ねん12月14にち). 2010ねん10がつ23にち閲覧えつらん
  27. ^ Robson reaches Aussie Open final” (英語えいご). BBC (2009ねん1がつ30にち). 2010ねん10がつ23にち閲覧えつらん
  28. ^ Rob Maul (2009ねん2がつ15にち). “School comes first for our young stars” (英語えいご). タイムズ. 2010ねん10がつ23にち閲覧えつらん
  29. ^ Richard Lewis (2009ねん2がつ12にち). “MCC Young Sportswoman of the Year: Laura Robson” (英語えいご). タイムズ. 2010ねん10がつ23にち閲覧えつらん
  30. ^ Telegraph staff and agencies (2009ねん3がつ31にち). “Laura Robson elevated to Junior No 1” (英語えいご). テレグラフ. 2010ねん10がつ23にち閲覧えつらん
  31. ^ Neil Harman (2009ねん4がつ2にち). “Andy Murray backs Laura Robson to handle growing pains” (英語えいご). タイムズ. 2010ねん10がつ23にち閲覧えつらん
  32. ^ Mark Hodgkinson (2009ねん9がつ12にち). “US Open 2009: Rafael Nadal in a hurry against Fernando Gonzalez after delay” (英語えいご). テレグラフ. 2010ねん10がつ23にち閲覧えつらん
  33. ^ 石津いしづ幸恵ゆきえ決勝けっしょう進出しんしゅつ、ウィンブルドン選手権せんしゅけん”. フランス通信つうしんしゃ (2010ねん7がつ3にち). 2010ねん10がつ23にち閲覧えつらん
  34. ^ $10,000 Limoges 2008” (英語えいご). ITF. 2010ねん10がつ23にち閲覧えつらん
  35. ^ a b Mark Hodgkinson (2008ねん9がつ26にち). “Robson safely into LTA semi-final” (英語えいご). BBC. 2010ねん10がつ23にち閲覧えつらん
  36. ^ WTAでは2010ねん現在げんざいまで、年間ねんかん最低さいてい3大会たいかいでWTAポイントを獲得かくとくしないとWTAランキングをることが出来できないルールとなっている。
  37. ^ $75,000 Shrewsbury 2008” (英語えいご). ITF. 2010ねん10がつ23にち閲覧えつらん
  38. ^ Mark Hodgkinson (2008ねん9がつ27にち). “Girls junior Wimbledon champion Laura Robson suffers semi-final loss in Shrewsbury” (英語えいご). テレグラフ. 2010ねん10がつ23にち閲覧えつらん
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  41. ^ a b $10,000 Sunderland 2008” (英語えいご). ITF. 2010ねん10がつ23にち閲覧えつらん
  42. ^ Mark Hodgkinson (2008ねん11月9にち). “Laura Robson enjoys her maiden senior title” (英語えいご). テレグラフ. 2010ねん10がつ23にち閲覧えつらん
  43. ^ $25,000 Grado 2009” (英語えいご). ITF. 2010ねん10がつ23にち閲覧えつらん
  44. ^ Byron Vale (2009ねん6がつ9にち). “Laura Robson’s Wimbledon Wild Card” (英語えいご). wimbledon.org. 2010ねん10がつ23にち閲覧えつらん
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  46. ^ ハンチュコワ ロブソンをくだし2回戦かいせん進出しんしゅつ、ウィンブルドン選手権せんしゅけん”. フランス通信つうしんしゃ (2009ねん6がつ23にち). 2010ねん10がつ23にち閲覧えつらん
  47. ^ Robson creates shock at US Open” (英語えいご). BBC (2009ねん8がつ26にち). 2010ねん10がつ23にち閲覧えつらん
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  49. ^ Defeat ends Robson's US Open bid” (英語えいご). BBC (2009ねん8がつ29にち). 2010ねん10がつ23にち閲覧えつらん
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  51. ^ Anabel rewarded for error-free display” (英語えいご). ontennis.com (2009ねん10がつ23にち). 2010ねん10がつ23にち閲覧えつらん
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外部がいぶリンク[編集へんしゅう]