ヴァリグ・ブラジル航空こうくう254便びん墜落ついらく事故じこ

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ヴァリグ・ブラジル航空こうくう 254便びん
1983ねん10がつ撮影さつえいされた事故じこ
事故じこ概要がいよう
日付ひづけ 1989ねん9月3にち
概要がいよう 燃料ねんりょうれ、フライトプランちが
現場げんば ブラジルの旗 ブラジルマットグロッソしゅうサンジョゼドシングー(São José do Xingu)近郊きんこう
南緯なんい1026ふん40びょう 西経せいけい5239ふん26びょう / 南緯なんい10.44444 西経せいけい52.65722 / -10.44444; -52.65722座標ざひょう: 南緯なんい1026ふん40びょう 西経せいけい5239ふん26びょう / 南緯なんい10.44444 西経せいけい52.65722 / -10.44444; -52.65722
乗客じょうきゃくすう 48
乗員じょういんすう 6
負傷ふしょうしゃすう 34
死者ししゃすう 13
生存せいぞんしゃすう 41
機種きしゅ ボーイング737-241
運用うんようしゃ ブラジルの旗 ヴァリグ・ブラジル航空こうくう
機体きたい記号きごう PP-VMK
出発しゅっぱつ ブラジルの旗 ブラジル サンパウロ
グアルーリョス国際こくさい空港くうこう
だい1経由けいゆ ブラジルの旗 ブラジル ミナスジェライスしゅう
ウベラバ空港くうこう
だい2経由けいゆ ブラジルの旗 ブラジル ミナスジェライスしゅう
ウベルランディア空港くうこう
だい3経由けいゆ ブラジルの旗 ブラジル ゴイアスしゅう
ゴイアニア・サンタ・ジェノヴェーヴァ国際こくさい空港くうこう
だい4経由けいゆ ブラジルの旗 ブラジル ブラジリア
ブラジリア国際こくさい空港くうこう
だい5経由けいゆ ブラジルの旗 ブラジル マラニョンしゅう
インペラトリス空港くうこう
だい6経由けいゆ ブラジルの旗 ブラジル パラしゅう
マラバ空港くうこう
目的もくてき ブラジルの旗 ブラジル パラしゅう
ベレン空港くうこう
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ヴァリグ・ブラジル航空こうくう254便びん墜落ついらく事故じことは、ヴァリグ・ブラジル航空こうくう運航うんこうするボーイング737-241が、燃料ねんりょうれにより1989ねん9月3にち墜落ついらくした事故じこである。

事故じこ概略がいりゃく[編集へんしゅう]

航空機こうくうき乗務じょうむいん[編集へんしゅう]

事故じこ背景はいけい[編集へんしゅう]

1989ねん9月3にち、254便びんきた北東ほくとうのベレン空港くうこうかっていた。この翌年よくねんサッカーワールドカップ南米なんべい予選よせんチリvsブラジルせんとあって、国民こくみんはこの試合しあい釘付くぎづけになっていた。

254便びんサンパウロからベレンまでの定期ていき便びんで、ウベラバ英語えいごばんウベルランジア英語えいごばんゴイアニア英語えいごばんブラジリアインペラトリス英語えいごばんマラバ英語えいごばん経由けいゆするぜん旅程りょていで8あいだ20ふんかかる便びんであった。サンパウロのグアルーリョス国際こくさい空港くうこうを943ふん出発しゅっぱつした254便びんはその順調じゅんちょうにフライトをつづけてマラバに到着とうちゃくし、1720ふん最終さいしゅうフライトにけて準備じゅんびをした。

事故じこ経緯けいい[編集へんしゅう]

ふく操縦そうじゅう外部がいぶ点検てんけんおこなっているあいだ機長きちょうはベレンへの方角ほうがく指示しじ入力にゅうりょくした。フライトプランに指示しじされた0270であった。機長きちょうはこれを270解釈かいしゃくしたが、実際じっさい意図いとは027.0であった。ヴァリグ航空こうくう方角ほうがく指示しじは3けたから4けた変更へんこうされたが、小数点しょうすうてん記載きさいされていなかった。この変更へんこう機長きちょう休暇きゅうかちゅうおこなわれた。この混乱こんらんが、事故じこしゅ原因げんいんとなった。機長きちょう間違まちがいにづくことなく、水平すいへい姿勢しせい指示しじけい(HSI)に270、つまり西にし方角ほうがく設定せっていした。この設定せっていは、ベレンへのルートとあきらかに矛盾むじゅんしていた。

機長きちょうはHSIの設定せっていえたのちパフォーマンス・マネジメント・システム(PMS)にベレンへの距離きょりとして 187うみさと(346km)を入力にゅうりょくした。飛行ひこう計画けいかくでは高度こうど29,000フィート(8,800m、FL290)で48ふんしめされていた。ふく操縦そうじゅう自分じぶん飛行ひこう計画けいかく参照さんしょうして機器きき設定せっていするわりに、機長きちょう設定せっていした参照さんしょうし、各種かくしゅ設定せっていませた。254便びんは17:45にマラバから離陸りりくし、西にしの270方角ほうがく飛行ひこうした。機長きちょうはベレンにちかづいたと判断はんだんしたのち、ベレンの管制かんせい降下こうか許可きょかもとめるためVHFで通信つうしんをとろうとしたが、なぜか返事へんじはなかった。そのためべつのヴァリグ航空こうくう RG266 便びん中継ちゅうけいとして長距離ちょうきょり無線むせん使用しようし、ベレン管制かんせいとの通信つうしん成功せいこうした。そこで機長きちょう降下こうか許可きょか管制かんせいもとめ、管制かんせい許可きょかした。[よう出典しゅってん]。しかし今度こんど着陸ちゃくりくのための、地上ちじょう無線むせん標識ひょうしき施設しせつ信号しんごう受信じゅしん出来できなかった。くもよりした降下こうかしても、機体きたいから見慣みなれたベレンのまち地理ちりてき特徴とくちょう(マラジョとうアマゾン川あまぞんがわ河口かこうといったもの)がえなかったため、機長きちょう奇妙きみょうかんじ、管制かんせいにベレン停電ていでんしているのではないかとわせた。1989ねん当時とうじ、ベレン空港くうこうにはレーダーがなかったため十分じゅうぶん確認かくにんれなかったが、管制かんせいは254便びんはこの空域くういき唯一ゆいいつ飛行ひこうちゅう機体きたいであることをつたえ、着陸ちゃくりく許可きょかした。

PMSが目的もくてきたいしてまけしめしたため、機長きちょうはベレンが視認しにんできないかと180旋回せんかいおこない、同時どうじ高度こうどを4,000ft(1,200m)、速度そくどを200ノット(370km/h)にしぼったが、ジャングルとかわしかえなかった。短波たんぱ救助きゅうじょもとめることに消極しょうきょくてきだった機長きちょうは、視認しにんしたかわアマゾン川あまぞんがわであるとしんじ、かわ下流かりゅうすぐにベレンのまちがあると想定そうていして飛行ひこうしたつもりだったが、視認しにんしたかわ東西とうざいながれるアマゾン川あまぞんがわではなく南北なんぼくながれるシングーがわだったため実際じっさい上流じょうりゅうかっていた。

すで予定よていしていた飛行ひこう時間じかんより30ふんなが飛行ひこうしていたため、乗客じょうきゃくあいだには不安ふあんひろがっていた。ふく操縦そうじゅう間違まちがいにづき、機長きちょうふく操縦そうじゅう航空こうくう確認かくにんし、一番いちばんちか空港くうこうしんじてサンタレン空港くうこう英語えいごばん連絡れんらくり、ほぼ180回転かいてんして350方角ほうがく飛行ひこうした。必要ひつよう燃料ねんりょう計算けいさんして残存ざんそん燃料ねんりょう確認かくにんしたところ、サンタレン空港くうこう到達とうたつするために必要ひつよう燃料ねんりょういことが判明はんめいしたため、いまやただしく認識にんしきができていたシングーがわ沿って南側みなみがわ再度さいど方向ほうこう転換てんかんした。機長きちょう正確せいかく位置いちるため、マラバ空港くうこう連絡れんらくすることにした。しかしマラバ空港くうこうおな周波数しゅうはすう使つかう、マラバ空港くうこうみなみ675海里かいり(1,250km)にあるゴイアニア空港くうこうのロケータにチューニングしてしまった。この段階だんかい機長きちょう極度きょくど緊張きんちょうしており、ロケータがすモールス信号しんごうがマラバのものとちがっていることにづかなかった。

20:05にベレンの管制かんせいは254便びんたいし、現在げんざい位置いち再度さいど要求ようきゅうした。機長きちょうはベレンにたいし、現在げんざいマラバから170方角ほうがくにおり、カラジャス空港くうこうのベアリングをけたと返答へんとうした。しかし実際じっさいはマラバから170ではなく、ゴイアニアから170方角ほうがくた。機長きちょうはベレンの管制かんせいから、カラジャスのビーコンは19:30から停止ていししていると連絡れんらくけ、混乱こんらんした。管制かんせいは254便びん誘導ゆうどう容易よういにするため、カラジャスの滑走かっそう照射しょうしゃ開始かいしした。ベレンへの十分じゅうぶん燃料ねんりょういことにづいた機長きちょうは、カラジャスにかうことをめた。事故じこ回避かいひする最大さいだい機会きかいを、20:30にのがした。このとき、254便びんカチンボ空軍くうぐん基地きち英語えいごばんから100海里かいり(190km)の位置いち飛行ひこうしていた。この空港くうこうは、737がた着陸ちゃくりく可能かのう非常ひじょうおおきな空港くうこうであった。

最悪さいあく熱帯ねったい雨林うりん強制きょうせい着陸ちゃくりくすることはけなければならなかった。しかし当時とうじ、このような緊急きんきゅう事態じたい対応たいおうしたマニュアルは存在そんざいしていなかった。機長きちょうふく操縦そうじゅうは、燃料ねんりょうがなくなるまでは8,800ft(2,400m)の高度こうど飛行ひこうし、着陸ちゃくりく爆発ばくはつふせぎ、エンジンがうごいている状態じょうたいでも十分じゅうぶんにフラップや補助ほじょつばさうごかすための油圧ゆあつのこすことをめた。また、失速しっそく寸前すんぜん速度そくど(やく150ノット=280km/h)で飛行ひこうすることをめた。降下こうかちゅう熱帯ねったい雨林うりんなか非常ひじょうちいさなひかり発見はっけんした。そのひかり発電はつでんのある農家のうかからたものだった。20:40に機長きちょうはベレンの管制かんせいに、熱帯ねったい雨林うりん強制きょうせい着陸ちゃくりくをすることを連絡れんらくした。すうふんざん燃料ねんりょうが15ふんとなったときに、機長きちょう乗客じょうきゃく状況じょうきょうつたえた。燃料ねんりょうのこり100kg(やく200lb)になったとき、ひだりエンジンが停止ていしした。みぎエンジンはさらに2分間ふんかんうごき、停止ていしした。

エンジン停止ていしも、エンジンに空気くうき通過つうかしていたことにより、信頼しんらいせいひくいものの油圧ゆあつ制御せいぎょ可能かのうとなっていた。そこで機長きちょうはフラップをげたが、油圧ゆあつシステムがこわれたため、ポジション2(やく10位置いち)までしかがらなかった。バッテリーが放電ほうでんされ電力でんりょく供給きょうきゅうされなくなったため、コクピットで動作どうさする計器けいきは、姿勢しせいけい高度こうどけいたい速度そくどけい垂直すいちょく速度そくどけいの4つだけになった。コクピットからえるのはとおくの熱帯ねったい雨林うりん火災かさいによるわずかなひかりだけだった。21:06、飛行機ひこうき地上ちじょう50mの衝突しょうとつし、墜落ついらくした。

衝突しょうとつによる衝撃しょうげきにより、固定こていされたシートベルトがない乗客じょうきゃく飛行機ひこうきまえされた。いくつかの座席ざせきゆかからはなれ、まえされた。2ほんふと両方りょうほうつばさき、胴体どうたいのひねりをこした。おおくの座席ざせきはずれ、乗客じょうきゃく頭上ずじょう天井てんじょう落下らっかした。 速度そくどやく35ノット(65km/h)に低下ていかしたのち、254便びんは30mをすこ走行そうこうし、みぎ横転おうてんして停止ていしした。

救助きゅうじょ[編集へんしゅう]

着陸ちゃくりく機体きたい分解ぶんかいしなかったが、不時着ふじちゃく場所ばしょもりであったため乗客じょうきゃく48めいうち13めい衝突しょうとつにより死亡しぼうしている。機長きちょう奇跡きせきてき無傷むきずであったが、ふく操縦そうじゅう重傷じゅうしょうった。なお、燃料ねんりょうれのため火災かさい発生はっせいしなかった。

墜落ついらくの2にち生存せいぞんしゃのうち4めいたすけをもとめてあるはじめた。熱帯ねったい雨林うりんなかを2~3あいだあるいたところ、サン・ジョゼー・ド・シングーポルトガルばん農場のうじょう(Curunaré firm)にたどりいた。当時とうじこの農場のうじょうには通信つうしん機器ききがなかったため、くるまべつ農場のうじょう(Serrão da Prata)に移動いどうし、12:30ごろ到着とうちゃくした。そこでサンパウロのきた400kmにあるフランカ空港くうこう通信つうしんった。16:27、ブラジル空軍くうぐんエンブラエル EMB 110墜落ついらく現場げんばうえ食品しょくひんパッケージをとした。翌日よくじつ正午しょうご墜落ついらくから4にちになるまえに、すべての生存せいぞんしゃがブラジル空軍くうぐんにより救助きゅうじょされた。

41めい生存せいぞんしゃは、ヘリコプターで50kmさきのサン・ホセ・ド・シングーまで移動いどうし、そこから北西ほくせいに300kmのカチンボ空軍くうぐん基地きちまで飛行機ひこうき移動いどうした。そこからさら移動いどうし、ブラジリア基地きち病院びょういん入院にゅういんした。

事故じこ原因げんいん[編集へんしゅう]

B737-200がたふるいタイプで、INSを使用しようした自動じどう操縦そうじゅうおこなわれていた。このタイプでは方位ほうい角度かくど小数点しょうすうてん以下いか入力にゅうりょくできなかった。しかし、B737の新型しんがた小数点しょうすうてん以下いか入力にゅうりょくにも対応たいおうし、ヴァリグ・ブラジル航空こうくうすべてのフライトプランで従来じゅうらい「027」としてかれていたものを「0270」と記載きさいした。

ところが、機長きちょうはこのフライトプランの変更へんこう休暇きゅうかっていた。そのため休暇きゅうかから復帰ふっきしたのちのフライトからこの変化へんか混乱こんらんしていたとおもわれる。そして、254便びんかう方角ほうがくは27のため、「0270」と記載きさいされていたが、機長きちょうふく操縦そうじゅうはともに方角ほうがくうえ3けたの「027」ではなくした3けたの「270」にあやまって設定せっていしてしまった。機体きたい本来ほんらい航路こうろであるきた北東ほくとうではなくジャングルのある西にしかってしまい、そのまま燃料ねんりょうきてしまった。

管制かんせいかんにもある程度ていど問題もんだい指摘してきされた。当日とうじつはサッカーの試合しあいだれもが釘付くぎづけだったため、ベレンの管制かんせいかん試合しあいをラジオできながら管制かんせいおこなっていたとされた。そのためっていたことから、長距離ちょうきょりよう無線むせんでしかつうじないことや、無線むせん標識ひょうしき施設しせつ信号しんごうとどいていない時点じてんで、254便びん異常いじょう場所ばしょにいることにもづくべきだったが、づけなかった。

まただれもが、機長きちょうがミスをおかすわけがないとおもっていたことも原因げんいんひとつである。ふく操縦そうじゅうもINSの方角ほうがく設定せってい間違まちがえたのは、機長きちょう間違まちがえるわけがないとおもんだからであった。さらに、乗客じょうきゃくのうちすくなくとも3にん客室きゃくしつ乗務じょうむいんに「方角ほうがくがおかしいのではないか」とうったえたが、客室きゃくしつ乗務じょうむいんはクルーに連絡れんらくをしなかった。結果けっかとして254便びんはそのままくもうえつづけ、手遅ておくれになるまで問題もんだいはクルーにとどかなかった。

その[編集へんしゅう]

ヴァリグ・ブラジル航空こうくうは、フライトプランの仕様しようえて、小数点しょうすうてんしるすようになった。またブラジルは、航空機こうくうき失踪しっそうふせぐため、くに全域ぜんいきをカバーできる最新さいしんのレーダーシステムを導入どうにゅうした。

この事故じこあつかった番組ばんぐみ[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]