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三木みきやすし

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三木みき やすし(みき やすし、1937ねん4がつ15にち[1] - 2023ねん11月17にち[2])は、日本にっぽん歴史れきし学者がくしゃ鹿児島かごしま国際こくさい大学だいがく短期大学たんきだいがく名誉めいよ教授きょうじゅせんもん中世ちゅうせい城郭じょうかく

生涯しょうがい[編集へんしゅう]

東京とうきょう出身しゅっしん[1]。1965ねん早稲田大学わせだだいがく大学院だいがくいん文学ぶんがく研究けんきゅう修了しゅうりょう鹿児島短期大学かごしまたんきだいがく学長がくちょうて、鹿児島かごしま国際大学こくさいだいがくとの統合とうごうにより、どう大学だいがく短期大学たんきだいがく教授きょうじゅ学部がくぶちょうつとめる。また、鹿児島かごしま国際大学こくさいだいがく生涯しょうがい学習がくしゅうセンターちょう鹿児島かごしまけん文化財ぶんかざい保護ほご審議しんぎかい会長かいちょう音楽おんがく療法りょうほう養成ようせい協議きょうぎかい顧問こもん歴任れきにんする。研究けんきゅうでは日本にっぽん古文書こもんじょ学会がっかい九州きゅうしゅう学会がっかい南島なんとう学会がっかい活動かつどうした。みなみ九州きゅうしゅうにおける中世ちゅうせい城郭じょうかくのほか薩摩さつま島津しまつ研究けんきゅうにおいて第一人者だいいちにんしゃである。

2013ねん4がつに、みずたからちゅう綬章じゅしょう受章じゅしょう[3]

2020ねんには、だい71かいみなみ日本にっぽん文化ぶんかしょう学術がくじゅつ部門ぶもん)を受賞じゅしょう[4]

2023ねん11月17にち東京とうきょう病院びょういん肺炎はいえんのため死去しきょ[2]。86さいぼつ

著書ちょしょ[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b 読売よみうり年鑑ねんかん 2016年版ねんばん』(読売新聞よみうりしんぶん東京とうきょう本社ほんしゃ、2016ねん)p.344
  2. ^ a b みなみ九州きゅうしゅう城郭じょうかく研究けんきゅう 三木みきやすしさん死去しきょ 86さい 鹿児島短大かごしまたんだい学長がくちょうなど歴任れきにん著書ちょしょに「薩摩さつま島津しまつ”. 373news.com. みなみ日本にっぽん新聞しんぶん (2023ねん11月27にち). 2023ねん11月27にち閲覧えつらん
  3. ^ 平成へいせい25ねんはる叙勲じょくん みずたからちゅう綬章じゅしょう受章じゅしょうしゃ” (PDF). 内閣ないかく. p. 19 (2013ねん4がつ29にち). 2013ねん6がつ13にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2023ねん3がつ25にち閲覧えつらん
  4. ^ 県勢けんせい発展はってんへの尽力じんりょくたたえる みなみ日本にっぽん文化ぶんかしょう、32団体だんたい表彰ひょうしょう”. 373news.com. みなみ日本にっぽん新聞しんぶん (2020ねん11月5にち). 2020ねん11月5にち閲覧えつらん