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三谷みたにひろし一郎いちろう

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獲得かくとくメダル
日本の旗 日本にっぽん
柔道じゅうどう
アジア柔道じゅうどう選手権せんしゅけん
きむ 1993 マカオ 95kgちょうきゅう
ひがしアジア競技きょうぎ大会たいかい
きむ 1993 上海しゃんはい 差別さべつ

三谷みたに ひろし一郎いちろう(みたに こういちろう、1968ねん11月18にち - )は日本にっぽん柔道じゅうどうだん)。広島ひろしまけん出身しゅっしんNEXCO東日本ひがしにっぽん柔道じゅうどう監督かんとく。2006ねん近畿大学きんきだいがく監督かんとく就任しゅうにん

経歴けいれき[編集へんしゅう]

広島ひろしまけん福山ふくやま瀬戸内海せとないかいめんしたちいさなまちで、鉄工てっこうしょ経営けいえいするいえまれる。小学校しょうがっこう1ねんから町内ちょうない柔道じゅうどうじょうかよはじめるが、ちち町内ちょうない野球やきゅうのスタープレイヤーだったこともあり、幼少ようしょう時代じだい柔道じゅうどう野球やきゅうそく草鞋わらじいていた。11さいときちち他界たかいしてからも柔道じゅうどうより野球やきゅうほう熱心ねっしんで、鞆中学校がっこう時代じだい補欠ほけつながらも3年間ねんかん野球やきゅうせきいていた。

高校こうこう受験じゅけん近大きんだい福山ふくやまけたさい面接めんせつで「柔道じゅうどうくろたいっている」とハッタリをかまし合格ごうかく[1]。これによりちょう強豪きょうごう柔道じゅうどうでの3年間ねんかん義務付ぎむづけられ、その三谷みたに柔道じゅうどう人生じんせいおおきくわることとなる。

各地かくち中学校ちゅうがっこうから実力じつりょくしゃあつまる近大きんだい福山ふくやま柔道じゅうどう[注釈ちゅうしゃく 1] では三谷みたに素人しろうと同然どうぜんで、受身うけみなど基礎きそからのスタートであった。1ねんち、きびしい練習れんしゅうえかねて退すさかんがえていたころ指導しどうしゃ黒木くろき正水まさみからアドバイスをひだりみにえたところ、面白おもしろいようにわざかるようになったという[1]高校こうこう3ねんには団体だんたいせんのレギュラーとして活躍かつやくし、世田谷せたがや学園がくえんにはおよばなかったもののはる高校こうこう選手権せんしゅけん3入賞にゅうしょうインターハイきむわしはたでのじゅん優勝ゆうしょうおおきく貢献こうけんした。

高校こうこう柔道じゅうどうでの活躍かつやくみとめられ近畿大学きんきだいがくから推薦すいせん入学にゅうがくはなしるが、前述ぜんじゅつとおはやくにちちくしていた関係かんけい三谷みたに家庭かていへの経済けいざいてき負担ふたんかんがえ、高校こうこう卒業そつぎょう就職しゅうしょくする決意けついをしていた(このこと母親ははおやげたさいくちさずともはは表情ひょうじょう安堵あんどいろたという)。しかし、柔道じゅうどうがやりたい気持きもちをおさえきれずに近大きんだい進学しんがく[1]

大学だいがく時代じだい岡田おかだ龍司りゅうじコーチらの指導しどうけるかたわら、体力たいりょくめんくわ精神せいしんめん強化きょうかにもみ、メンタルトレーニングをほどこした。大学だいがく4ねん1990ねんには、はつ出場しゅつじょうした全日本ぜんにほん選手権せんしゅけんで、ぜん大会たいかいじゅん優勝ゆうしょう関根せきね英之ひでゆきけいちゅうりょうきゅう世界せかいチャンピオンの岡田おかだ弘隆ひろたからをやぶ準決勝じゅんけっしょう進出しんしゅつ準決勝じゅんけっしょうで“平成へいせい三四郎さんしろう古賀こが稔彦としひこやぶれるものの、はつ出場しゅつじょう3入賞にゅうしょうというだい健闘けんとうにより、そのられることとなった[2]。また、同年どうねん7がつ全日本ぜんにほん選抜せんばつ体重たいじゅうべつ選手権せんしゅけんや10がつ全日本ぜんにほん学生がくせい体重たいじゅうべつ選手権せんしゅけん(ともに95kgちょうきゅう)でも3入賞にゅうしょうたした。

よく91ねん3がつ大学だいがく卒業そつぎょうすると、東京とうきょう本拠ほんきょ日本道路公団にほんどうろこうだん(JH)に就職しゅうしょく三谷みたにのちに「このころの2,3ねんがピークだった」と述懐じゅっかいするとお[1]1992ねん全日本ぜんにほん選手権せんしゅけんで3入賞にゅうしょう全日本ぜんにほん実業じつぎょう個人こじん選手権せんしゅけん(95kgちょうきゅう)でじゅん優勝ゆうしょうしたほか、1993ねんにはフランス国際こくさいダビド・ドゥイエはじめ、ガルシア・フランク・モレノハリー・バンバルネベルトなどの強豪きょうごう次々つぎつぎやぶりオール一本いっぽんちの優勝ゆうしょうたして、一躍いちやく世界せかい選手権せんしゅけん代表だいひょう有力ゆうりょく候補こうほとなるも、全日本ぜんにほん選手権せんしゅけん東京とうきょう予選よせんやぶれて全日本ぜんにほん出場しゅつじょうけんのがし、講道館こうどうかんはいでは優勝ゆうしょうするものの体重たいじゅうべつでは初戦しょせん関根せきね英之ひでゆきやぶれ、結局けっきょく代表だいひょうにはなれなかった。

このとしひがしアジア大会たいかいアジア選手権せんしゅけんでも優勝ゆうしょうたした。

1994ねんになると、全日本ぜんにほん選手権せんしゅけん東京とうきょう予選よせん肋骨あばらぼね骨折こっせつ選手権せんしゅけん出場しゅつじょうのがしたが、そのさいに「自分じぶん限界げんかいかんじ、気力きりょくかなくなった」と落胆らくたん様子ようすかたっている[1]。しかし2ねん全日本ぜんにほん選手権せんしゅけんでは見事みごと復活ふっかつし、ぜん大会たいかいじゅん優勝ゆうしょうしゃ篠原しのはら信一しんいちやそのとしアジア大会たいかいせいこととなるぞう克之かつゆきらを退しりぞけ、自身じしん最高さいこうとなるじゅん優勝ゆうしょうたす。とく準々じゅんじゅん決勝けっしょうでのぞうとの試合しあい両者りょうしゃだいそとかりい、最後さいごには三谷みたにちからったもので、「かなり気持きもちのいい試合しあいだった」とひょうしている[1][2]

1999ねん全日本ぜんにほん選手権せんしゅけんでは、準々じゅんじゅん決勝けっしょう当時とうじ天才てんさい”のをほしいままにしていた井上いのうえ康生やすお一本いっぽん背負投せおいなげちゅうわせたが、直後ちょくご準決勝じゅんけっしょうでは新鋭しんえいむねでん康幸やすゆき相手あいてはた判定はんていやぶれる[2]。このときは、試合しあいちゅう一旦いったん自分じぶんいた「有効ゆうこう」のポイントがされたのをらず、試合しあい終了しゅうりょう審判しんぱんはたっているのを気付きづいたという[1]

どう世代せだい全日本ぜんにほんを7せいした小川おがわ直也なおや金野こんのじゅん強豪きょうごうそろっていたこともあり、三谷みたにオリンピック世界せかい選手権せんしゅけんへの出場しゅつじょう経験けいけんいが、全日本ぜんにほん選手権せんしゅけんへ9かいもの出場しゅつじょう記録きろく特筆とくひつされる[2]1990年代ねんだい全日本ぜんにほんかせた稀代きたいのテクニシャンは現在げんざい全日本ぜんにほんジュニアやJHにて後進こうしん指導しどうたる。雑誌ざっしのインタビューで「柔道じゅうどうきか」のいにたいし、「はっきりって微妙びみょうだが、柔道じゅうどう生活せいかつ中心ちゅうしんにあるのは間違まちがいない。たぶん“き”以上いじょう存在そんざい。」とかたった[1]

おも戦績せんせき[編集へんしゅう]

全日本ぜんにほん選抜せんばつ体重たいじゅうべつ選手権せんしゅけん(95kgちょうきゅう) 3
世界せかい大学だいがく体重たいじゅうべつ選手権せんしゅけん差別さべつきゅう) 優勝ゆうしょう
全日本ぜんにほん学生がくせい体重たいじゅうべつ選手権せんしゅけん(95kgちょうきゅう) 3
  • 1991ねん - 太平洋たいへいよう選手権せんしゅけん差別さべつきゅう) 優勝ゆうしょう
  • 1992ねん - 全日本ぜんにほん選手権せんしゅけん 3
全日本ぜんにほん実業じつぎょう個人こじん選手権せんしゅけん(1) じゅん優勝ゆうしょう
ひがしアジア大会たいかい差別さべつきゅう) 優勝ゆうしょう
フランス国際こくさい(95kgちょうきゅう) 優勝ゆうしょう
全日本ぜんにほん選手権せんしゅけん じゅん優勝ゆうしょう
  • 1999ねん - 全日本ぜんにほん選手権せんしゅけん 3

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 同級生どうきゅうせいには、のち日本にっぽん大学だいがく進学しんがくして全日本ぜんにほん学生がくせい体重たいじゅうべつ選手権せんしゅけん連覇れんぱする山本やまもとはたろくや、おなじく日本にっぽん大学だいがく進学しんがく全日本ぜんにほんジュニア選手権せんしゅけんじゅん優勝ゆうしょうする葉山はやまたかしらがいた。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d e f g h 転機てんき-あの試合しあい、あの言葉ことば だい28かい-三谷みたにひろし一郎いちろう-”. 近代きんだい柔道じゅうどう(2004ねん4がつごう (ベースボール・マガジンしゃ). (2004ねん4がつ20日はつか) 
  2. ^ a b c d 全日本ぜんにほん柔道じゅうどう選手権せんしゅけん大会たいかい記録きろく昭和しょうわ23ねん平成へいせい20ねん)”. 激闘げきとうわだち -全日本ぜんにほん柔道じゅうどう選手権せんしゅけん大会たいかい60ねんあゆみ- (財団ざいだん法人ほうじん講道館こうどうかん財団ざいだん法人ほうじん全日本ぜんにほん柔道じゅうどう連盟れんめい). (2009ねん4がつ29にち) 

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]