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上 うえ エジプト(Upper Egypt、図 ず の下方 かほう )と下 した エジプト(Lower Egypt、図 ず の上方 かみがた )
下 しも エジプト (しもエジプト、アラビア語 ご エジプト方言 ほうげん : مصر السفلى Maṣr El Sofla 英 えい : Lower Egypt )は、エジプト の地域 ちいき 名 めい 。現在 げんざい のカイロ 南部 なんぶ から地中海 ちちゅうかい までのナイル川 がわ デルタ 地帯 ちたい を指 さ す。カイロ以南 いなん のナイル河谷 こうだに である上 うえ エジプト とともに古代 こだい エジプト を構成 こうせい する二 に 大 だい 地域 ちいき であった。中間 なかま 期 き には、上 うえ エジプトと下 した エジプトにそれぞれ王朝 おうちょう が分立 ぶんりつ し、覇権 はけん を争 あらそ うことも多 おお かった。
エジプトに興 おこ った文明 ぶんめい は、紀元前 きげんぜん 3500年 ねん ごろに上 うえ エジプトと下 した エジプトの二 ふた つの王朝 おうちょう にまとまり、紀元前 きげんぜん 3150年 ねん ごろに上 うえ エジプトのナルメル王 おう が下 しも エジプトのブト (英語 えいご 版 ばん ) などの都市 とし を押 お さえてエジプト最古 さいこ の統一 とういつ 王朝 おうちょう であるエジプト第 だい 1王朝 おうちょう を建設 けんせつ した。第 だい 一 いち 王朝 おうちょう 以降 いこう 、王 おう 都 みやこ は下 しも エジプト最 さい 南部 なんぶ に当 あ たり、上下 じょうげ エジプトの接点 せってん となるメンフィス に置 お かれた。下 しも エジプトの主神 しゅしん はウアジェト 、王冠 おうかん は赤色 あかいろ 、植物 しょくぶつ はパピルス が象徴 しょうちょう とされた[1] 。
エジプト第 だい 1中 ちゅう 間 あいだ 期 き には下 しも エジプトはメンフィスの王朝 おうちょう の下 した に統一 とういつ されていたが、やがて上 うえ エジプトのテーベの王朝 おうちょう に敗 やぶ れ征服 せいふく された。
エジプト第 だい 2中 ちゅう 間 あいだ 期 き には、下 しも エジプトはアヴァリスを都 と としたヒクソス のエジプト第 だい 15王朝 おうちょう の支配 しはい 下 か に置 お かれたが、やがて上 うえ エジプトの第 だい 17王朝 おうちょう の前 まえ に敗 やぶ れ去 さ った。
その後 ご も、サイス やアレキサンドリア などの都市 とし が建設 けんせつ され、サイスに都 と を置 お いた第 だい 26王朝 おうちょう は上 うえ エジプトを征服 せいふく して再 ふたた びエジプトに統一 とういつ 王朝 おうちょう を築 きず いた。
^ 「古代 こだい エジプトを知 し る事典 じてん 」p20 東京 とうきょう 堂 どう 出版 しゅっぱん 2005年 ねん 4月 がつ 5日 にち 初版 しょはん 吉村 よしむら 作治 さくじ 編著 へんちょ