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中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく世界せかい貿易ぼうえき機関きかん加盟かめい

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中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく世界せかい貿易ぼうえき機関きかん加盟かめい(ちゅうかじんみんきょうわこくのせかいぼうえききかんかめい)では、中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく世界せかい貿易ぼうえき機関きかん(WTO)へ加盟かめいしたことにおける交渉こうしょう歴史れきしと、その意義いぎ解説かいせつする。

概説がいせつ

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中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく中国ちゅうごく)の世界せかい貿易ぼうえき機関きかん加入かにゅうは、2001ねん11月9にちから13にちまで中東ちゅうとうカタールドーハひらかれたWTOだい4かい閣僚かくりょう会議かいぎにおいて、11月10にち満場一致まんじょういっち可決かけつされた[1]中国ちゅうごくよく11がつ11にち受諾じゅだくしょ寄託きたくしたことから、加入かにゅう議定ぎていしょ規定きていにより、30にちの2001ねん12月11にち加入かにゅう資格しかく正式せいしき発効はっこうし、中国ちゅうごくは143番目ばんめ加盟かめいこくになった[1]同時どうじ台湾たいわん中華民国ちゅうかみんこくたい澎金個別こべつ関税かんぜい領域りょういき)の加入かにゅうも11月11にち可決かけつされ、2002ねん1がつ1にち加入かにゅう資格しかく発効はっこうしている[1]。これにより、ひがしアジアの国際こくさいてき経済けいざい関係かんけいにWTOという共通きょうつう基盤きばんととのうこととなった[1]

交渉こうしょう歴史れきし

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中国ちゅうごくのWTO加盟かめい交渉こうしょうは、きわめて特殊とくしゅせいゆうするものであった[2]。というのは中華民国ちゅうかみんこくきゅう関税かんぜい貿易ぼうえき一般いっぱん協定きょうてい(GATT)のげん締約ていやくこくであったが、同国どうこく政府せいふ台湾たいわん移転いてんしたのち1950ねんにGATTからの脱退だったい通告つうこくしたことで、中国ちゅうごくながあいだGATT体制たいせい枠組わくぐみのそとかれていたからである[2]。しかし、1986ねん7がつ中国ちゅうごく中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく政府せいふは「GATT締約ていやくこくとしての地位ちい回復かいふく」を申請しんせいした[2]新規しんき加入かにゅう手続てつづきを申請しんせいしなかったのは、中国ちゅうごく政府せいふは、台湾たいわん政府せいふによる1950ねん脱退だったい通告つうこく無効むこうなものであるとの立場たちばをとったからである。これにもとづいて中国ちゅうごくにGATT締約ていやくこくとしての地位ちいみとめるための条件じょうけんさだめる交渉こうしょう開始かいしされた[2]きゅうGATTはプラグマティズム(実務じつむ主義しゅぎ)を信条しんじょうとする柔軟じゅうなん組織そしきであったので、交渉こうしょう名称めいしょういかんにかかわらず、実質じっしつてきには新規しんきにGATTに加入かにゅうする場合ばあい同様どうよう手続てつづき、すなわち作業さぎょう部会ぶかい(Working Party)をもうけて、そこで中国ちゅうごく加入かにゅう条件じょうけん審査しんさするとし、以後いご15ねんにわたる中国ちゅうごく加入かにゅう交渉こうしょうはじまった[2]おりしもしんラウンド(ウルグアイ・ラウンド)の交渉こうしょう開始かいしされようとしており、しんラウンドへの参加さんか資格しかくは、既存きそんのGATT締約ていやくこくのみならず、交渉こうしょう開始かいしまでに加入かにゅう申請しんせい受理じゅりされ、作業さぎょう部会ぶかい設置せっちされているくににも開放かいほうされることとされていたことから、中国ちゅうごくのGATT加入かにゅう申請しんせいのタイミングにも意義いぎがあった[2]中国ちゅうごくのGATT加入かにゅう交渉こうしょうは、当初とうしょ米国べいこく支援しえんもあって順調じゅんちょうすすむかにえたが、1989ねん6月の天安門てんあんもん事件じけんにより情勢じょうせい一変いっぺんし、交渉こうしょう暗礁あんしょうげた[2]交渉こうしょうさい活性かっせいはかられたのはウルグアイ・ラウンドの交渉こうしょう実質じっしつてき終結しゅうけつした1993ねんまつから1994ねんにかけてであり[2]中国ちゅうごくもこの機会きかいいっするとWTOのげん加盟かめいこくになれないことがかっていたため、大幅おおはば譲歩じょうほしめして事態じたい打開だかいこころみたが、結局けっきょく時間切じかんぎれによりGATT加入かにゅう実現じつげんしなかった[2]

WTO加盟かめい中国ちゅうごく国内こくないあたえた影響えいきょう

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経済けいざい金融きんゆうめん

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WTO元年がんねんとなった2002ねん中国ちゅうごく対外たいがい経済けいざい関係かんけいは、「WTO加盟かめい効果こうか」をじゅうふん発揮はっきした成果せいかせた[3]同年どうねん1がつから12月の中国ちゅうごく輸出入ゆしゅつにゅう実績じっせきはじめて6000おくドルを突破とっぱし、前年ぜんねん22パーセントぞうの6208おくドルとなった[3]。このうち輸出ゆしゅつがくはじめて3000おくドルを前年ぜんねん22パーセントぞうの3255おくドルとなった[3]世界せかいてき貿易ぼうえきなやなかで2けたたかりつ驚異きょういてきですらあった[3]。WTO加盟かめいは、中国ちゅうごく金融きんゆう市場いちば対外たいがい開放かいほう加速かそくさせた[4]1994ねん国務こくむいんが「外資がいし金融きんゆう機関きかん管理かんり条例じょうれい」を発表はっぴょうした時点じてんでは、外資がいしけい金融きんゆう機関きかんは5つの経済けいざい特区とっくと30都市としほどにしかみとめられておらず、業務ぎょうむ外貨がいか業務ぎょうむのみで、顧客こきゃく対象たいしょう外資がいしけい企業きぎょう外国がいこくじんかぎられていた[4]。それが2001ねんまつには、人民元じんみんげ業務ぎょうむ預金よきん貸付かしつけ決済けっさいかく業務ぎょうむ)のできる外資がいしけい銀行ぎんこう上海しゃんはいに23ぎょうふかに8ぎょうになっていた[5]中国ちゅうごく政府せいふは、WTO加盟かめい一環いっかんとして人民元じんみんげ業務ぎょうむ地域ちいき制限せいげん段階だんかいてき開放かいほうし、加盟かめい5ねん撤廃てっぱいするという方針ほうしんした[5]人民元じんみんげ業務ぎょうむ顧客こきゃく制限せいげんについても加盟かめい2ねん以内いない中国ちゅうごく企業きぎょう開放かいほうし、加盟かめい5ねん中国人ちゅうごくじん個人こじん開放かいほうするという方針ほうしんした[5]

ほう制度せいどめん

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GATT加盟かめい実現じつげんするにあたっては、経済けいざいめんのみならず政治せいじめんでも、近代きんだいてき法治ほうち国家こっか相応ふさわしい民主みんしゅ主義しゅぎ人権じんけん保障ほしょうもとめられた[6]。そのため民主みんしゅ主義しゅぎ人権じんけんなどの問題もんだいたいする法律ほうりつじょう保障ほしょう強化きょうかするための立法りっぽうすすんだ[6]。その結果けっかは、監獄かんごくほう法官ほうかんほう検察官けんさつかんほう弁護士べんごしほう刑事けいじ訴訟そしょうほう刑法けいほうなどの司法しほう関係かんけいほう改正かいせいおよび行政ぎょうせい処罰しょばつほう行政ぎょうせい監察かんさつほう村民そんみん委員いいんかい組織そしきほうなどの行政ぎょうせい関係かんけいほう改正かいせい結実けつじつした[6]改革かいかく開放かいほう政策せいさく開始かいしされた時点じてんでは、中国ちゅうごく社会しゃかい主義しゅぎ経済けいざいシステムのなかでの国内こくない経済けいざい改革かいかく対外たいがい経済けいざい開放かいほう目指めざした[7]。つまり国内こくない経済けいざいでは公有こうゆうせい基本きほんとし、計画けいかく指令しれい経済けいざい体制たいせいをとる国内こくない経済けいざいと、市場いちば原理げんりによってうご外国がいこく資本しほんとのあいだにはおおきなギャップが存在そんざいした[7]。このような差異さい存在そんざい前提ぜんていとして、中国ちゅうごく外資がいし導入どうにゅうすべく制定せいていされたのが直接ちょくせつ投資とうし分野ぶんやにおける一連いちれんほう制度せいどであり、渉外しょうがい経済けいざいほうばれる。すなわち、経済けいざい関係かんけい規制きせい対象たいしょうとし、当事とうじしゃ一方いっぽう中国ちゅうごくがわ他方たほう外国がいこくがわ存在そんざいする場合ばあい適用てきようされ、その規制きせい範囲はんいは、国際こくさい私法しほう国際こくさい取引とりひきほううみ商法しょうほうなど広範囲こうはんいおよ[7]。WTOへの加盟かめいにより、グローバルスタンダードによる経済けいざい再編さいへん急速きゅうそくおこなわれる状況じょうきょう対応たいおうして、内外ないがい平等びょうどう原則げんそくをもった各種かくしゅ法規ほうき制定せいていされるようになった[7]中国ちゅうごく渉外しょうがい経済けいざいほう関連かんれん法規ほうきも、WTOの海外かいがい直接ちょくせつ投資とうし関連かんれんする原則げんそく合致がっちされる必要ひつようしょうじた[7]

中国ちゅうごくのWTO加盟かめい国際こくさい社会しゃかいあたえた影響えいきょう

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中国ちゅうごくのWTO加盟かめいは、中国ちゅうごく国際こくさい経済けいざい関係かんけい共通きょうつうしたシステムのメンバーになり中国ちゅうごく経済けいざい国際こくさい市場いちばにリンクするということにとどまらず、日本にっぽんをはじめひがしアジアのくに地域ちいき経済けいざい中国ちゅうごく経済けいざい市場いちばとリンクすることでもあり[3]日本にっぽん当然とうぜんその恩恵おんけいけている[8]日本にっぽんから中国ちゅうごくへの輸出ゆしゅつ前年ぜんねんりつは、2002ねんに28.2パーセント、2003ねんは43.6パーセントそして2004ねんには29.0パーセントを記録きろくした。香港ほんこんべつとした中国ちゅうごく日本にっぽん最大さいだい貿易ぼうえき相手あいてこくとなったのは2007ねんのことである[8]当時とうじ日本にっぽん景気けいき上向うわむいたひとつの原因げんいんとして、中国ちゅうごく経済けいざいてき台頭たいとうがあったことはうたがいない[8]

出典しゅってん

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  1. ^ a b c d 荒木あらき西にし(2003ねん)1ページ
  2. ^ a b c d e f g h i 荒木あらき西にし(2003ねん)16ページ
  3. ^ a b c d e 荒木あらき西にし(2003ねん)2ページ
  4. ^ a b ちょう(2012ねん)192ページ
  5. ^ a b c ちょう(2012ねん)193ページ
  6. ^ a b c 田中たなか(2013ねん)25ページ
  7. ^ a b c d e 三村みつむら(2010ねん)140ページ
  8. ^ a b c 高原たかはら(2014ねん)159ページ

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 経済けいざい産業さんぎょうしょう監修かんしゅう荒木あらき一郎いちろう西にし忠雄ただお全訳ぜんやく 中国ちゅうごくWTO加盟かめい文書ぶんしょ』(2003ねん蒼蒼そうそうしゃ
  • 小口おぐち彦太田中たなか信行のぶゆきちょ現代げんだい中国ちゅうごくほうだい2はん)』(2012ねん成文せいぶんどうだい1しょう中国ちゅうごくほう形成けいせい構造こうぞうてき特質とくしつ執筆しっぴつ担当たんとう田中たなか信行のぶゆき
  • ちょうあきはなちょ太田おおた康夫やすお監修かんしゅう中国ちゅうごく金融きんゆうシステム 貨幣かへい政策せいさく資本しほん市場いちば金融きんゆうセクター』(2012ねん日本経済新聞にほんけいざいしんぶん出版しゅっぱんしゃ
  • 西村にしむら幸次郎こうじろうへん現代げんだい中国ちゅうごくほう講義こうぎだい3はん)』(2010ねん法律文化社ほうりつぶんかしゃだい7しょう対外たいがい経済けいざいほう」(執筆しっぴつ担当たんとう三村みつむら光弘みつひろ
  • 高原たかはら明生あきお前田まえだ宏子ひろこちょ『シリーズ中国ちゅうごくきん現代げんだい5 開発かいはつ主義しゅぎ時代じだいへ1972-2014』(2014ねん岩波いわなみ新書しんしょだい4しょう中核ちゅうかくなき中央ちゅうおう指導しどう2002-2012」執筆しっぴつ担当たんとうだかはら明生あきお