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二階堂 行方(にかいどう ゆきかた)は、鎌倉時代前期から中期にかけての武士。鎌倉幕府評定衆。6代将軍・宗尊親王の御所中雑事奉行[2]。
建永元年(1206年)、二階堂行村の子として誕生[1]。建長元年(1249年)の引付設置と共に引付衆、建長4年(1252年)、宗尊親王を迎えるために京へ上る。建長5年(1253年)12月、4番引付頭人となる[3]このとき頭人となったのは、北条政村、北条朝直、北条時章と得宗家周辺の北条一門だけであり、実務官僚としての二階堂行方の地位の高さが窺える[4]。
正元元年(1259年)9月に評定衆[5]となり、弘長3年(1263年)7月5日に御所中雑事奉行を中原師連に交替。同年10月8日病を得て湯治をしていたが文永元年(1264年)12月10日に出家して道照と名乗った[6]。『吾妻鏡』の当該時期には敬称としての「和泉前司」の他に「行方」と実名表記されている記事が多数見られること、同様に表記されている者に目上の者が居ないことなどから、この時期の『吾妻鏡』は、二階堂行方の筆録をベースにしていると見られている。
文永4年(1267年)6月8日、死去[1]。
- ^ a b c 「関東評定伝」、『史料綜覧』5編905冊197頁
- ^ 御所奉行とも。
- ^ 「吾妻鏡」『史料総覧』5編904冊799頁
- ^ なお兄行義・行久はこのとき評定衆を務めている
- ^ 「関東評定伝」、『史料総覧』5編905冊39頁
- ^ 「吾妻鏡」「関東評定伝」、『史料総覧』5編905冊81頁