五戸 町
ごのへまち ![]() | |||||
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02442-2 | |||||
3000020024422 | |||||
177.67km2 | |||||
14,770 ( | |||||
83.1 | |||||
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オンコ(イチイ) | |||||
キク | |||||
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〒039-1513![]() | |||||
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ウィキプロジェクト |
地理
[土地 利用
[気候
[年間 平均 気温 9.6度 (平成 11年 から平成 15年 までの平均 )最高 気温 35.0度 (平成 11年 )最低 気温 -12.4度 (平成 12年 )降水 量 は 1165mm(平成 11年 から平成 15年 までの平均 )日照 時間 1556時間 (平成 11年 から平成 15年 までの平均 )最深 積雪 90cm(平成 15年 )
隣接 している自治体
[人口
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歴史
[- 1889
年 (明治 22年 )4月 1日 -町村 制 施行 により近世 以来 の五戸 村 が単独 で自治体 として発足 。 - 1915
年 (大正 4年 )11月1日 -五戸 村 が町制 を施行 し五戸 町 となる。 - 1955
年 (昭和 30年 ) - 2004
年 (平成 16年 )7月 1日 -倉石 村 を編入 。 - 2008
年 (平成 20年 )
行政
[町長 :若宮 佳一 (わかみやけいいち)(2期 目 )任期 :2027年 (令 和 9年 )6月 26日 まで[3]
産業
[金融 機関
[郵便
[姉妹 都市 ・提携 都市
[国外
[フィリピン
共和 国 ヌエバ・ビスカヤ州 バヨンボン町 - 1983年 (昭和 58年 )12月22日 提携 戦没 者 慰霊 訪問 、教育 ・文化 ・スポーツの交流 大韓民国 忠清 北道 沃川郡 (おくちょん) - 1997年 (平成 9年 )8月 28日 提携 農業 技術 研修 ・教育 ・文化 ・スポーツの交流
学校
[小学校
[※
五 戸 町立 浅水 小学校 (1965年 ・南 小学校 を統合 新設 )五 戸 町立 扇田 小学校 (同上 )五 戸 町立 手倉橋 小学校 (1987年 ・南 小学校 へ統合 )五 戸 町立 豊川 小学校 (同上 )五戸 町 立中 市 小学校 (2013年 ・倉石 小学校 へ統合 )五 戸 町立 石沢 小学校 (同上 )五 戸 町立 又重 小学校 (同上 )五 戸 町立 蛯川 小学校 (2014年 ・五戸 小学校 へ統合 )五 戸 町立 豊間内 小学校 (同上 )五 戸 町立 南 小学校 (同上 )
中学校
[高等 学校
[専門 学校
[交通
[鉄道
[かつては
路線 バス
[南部 バス(岩手 県 北 自動車 南部 支社 ) -八戸 市 ・十和田 市 ・新郷 村 との間 を運行 している。- コミュニティバス -
町内 各地 を運行 する(南部 バスへの委託 運行 )。なお、南部 バスの一般 路線 も町内 のみ利用 する場合 はコミュニティバスと同 運賃 で利用 可能 である。
道路
[名所 ・旧跡 ・観光 スポット・祭事 ・催事
[江渡 家 住宅 〔荒 町 〕国 の重要 文化財 [1]寶 福 寺 〔浅水 字 浅水 〕本堂 (県 重宝 )浅水 城 跡 〔浅水 字 浅水 〕現 八幡宮 。四 戸 城 の候補 地 のひとつ。野沢 (ぬさ)城跡 志 戸 岸 地区 を四 戸 とする説 を採 る際 の、四 戸 城 の候補 地 のひとつ。歴史 みらいパーク小渡 平 公園 - ひばり
野 公園 - わむら(
上村 )のカシワの木 〔倉石 中市 字 中市 〕県 天然記念物 、推定 樹齢 650 - 750年 。[2] 旧 圓子 家 住宅 〔倉石 中市 字 中市 〕県 重宝 [3]。- 五戸町消防団第一分団屯所 〔
野月 〕県 重宝 、大正 11年 。[4] - えんぶり
五 戸 まつり南部 駒 踊 り旧 奥州 街道 現 国道 4号線 とは別 に、三 戸 本城 (聖寿 寺館 )から五戸 町 中心 部 とを結 ぶ。
出身 有名人
[青 ノ里 盛 (大相撲 力士 )江渡 恭助 (日本 海軍 将校 )太田 忍 (レスリング選手 。2016リオデジャネイロ五輪 銀 メダリスト)上山 博康 (脳神経 外科医 )寛 吉 (大相撲 の呼出 )鬼 竜山 雷 八 (大相撲 力士 )鬼 竜川 光雄 (大相撲 力士 )櫛引 弓 人 (興行 師 )佐々木 朋子 (作曲 家 、東京 ハイジ)- 9
代 式 守 勘 太夫 (大相撲 行司 ) 下平 隆宏 (サッカー選手 。大分 トリニータ監督 、元 サッカー日本 代表 )高村 弘毅 (地理 学者 。立正大学 元 学長 )滝田 常晴 (作詞 家 )手 倉 森 誠 (サッカー選手 ・指導 者 。元 ベガルタ仙台 、V・ファーレン長崎 監督 、2016リオデジャネイロ五輪 U-23日本 代表 監督 )手 倉 森 浩 (サッカー選手 。元 モンテディオ山形 ヘッドコーチ)鳥谷部 春汀 (ジャーナリスト)中川原 貞 機 (政治 家 。元 衆議院 議員 )新井 山 祥智 (サッカー選手 。ヴァンラーレ八戸 元 キャプテン)古川 毅 (サッカー選手 。横浜 FCコーチ)三浦 一雄 (政治 家 。元 衆議院 議員 、第 26代 農林 大臣 、第 43代 内閣 法制 局 長官 )三浦 種 敏 (電気 音響 工学 者 。元 海軍 技術 大尉 )三浦 方義 (プロ野球 選手 )
ゆかりのある人物
[四戸 (しのへ)について
[志 戸 岸 - 「志 」がもともと「四 」であったとする説 。ただし周辺 の丘陵 には、山城 であったことを推定 できる遺構 が発見 されていない。また、この集落 には寺 またはその遺構 も発見 されておらず、根拠 が乏 しい。五戸 町 へ到 る青森 県 道 214号線 はあるが、五戸 町 中心 部 からは外 れている。この集落 の北側 には大 規模 な山城 を設置 可能 な平坦 な丘陵 があり(現在 は畜産 施設 として利用 されているため調査 不可 )、浅水 川上 ・下流 に対 する視界 は良好 である。浅水 - 「死 の辺 」から「朝 不 見 」になったという説 。浅水 城 跡 が八幡宮 として現存 する。古 陸 羽 街道 沿 いにあり、本 三 戸 城 (聖寿 寺館 )と五 戸 城 (詳細 地 不明 、現 古舘 地区 の駒形 神社 か)の中間 に当 たる。小規模 ながら近世 まで宿場 町 であった。中世 のかなり早 い時期 に四 戸 城 と四 戸 川 が同時 に浅水 と改名 された可能 性 がある(浅水川 上流 には他 にも集落 があるので、中間 の集落 と同名 であることが不自然 )。古 街道 の三 戸 との峠 付近 に山姥 伝説 がある。両者 の中間 の浅水川 南岸 には野沢 (ぬさ)城跡 が稲荷宮 として現存 する。岩手 県 二戸 市 の北部 を二戸 郡 四 戸 郷 とする説 がある。四戸 氏 の入部 (浅水 より移転 )によってこのように呼 ばれるようになったのか、それ以前 からであったのかは不明 。金田一 に四 戸 城址 とする箇所 がある[5]が、これは「四戸 氏 の居城 」との意味 である可能 性 が高 い。「南部 光行 の五 男 宗 清 が浅水 に配置 され四 戸 氏 と呼 ばれるようになり、後 に二戸 郡 北部 に移転 、その地 を四 戸 郷 と呼 ぶようになった」とするのが合理 的 である。
脚注
[- ^
図 典 日本 の市町村 章 p26 - ^ デーリー
東北 Archived 2012年 7月 23日 , at Archive.is - ^ “
町村 会 とは|青森 県 町村 会 ”. www.aomori-chousonkai.jp. 2019年 7月 30日 閲覧 。 - ^ 「
一 戸 」から「九 戸 」までの地名 のうち、なぜ「四 戸 」だけがないのか。過去 に「四 戸 」があったとすれば、それは現在 のどの地区 にあたるか。 レファレンス共同 データベース - ^
久保田 常治 氏 、金田一 商工会