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人間にんげん本性ほんしょうろん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

人間にんげん本性ほんしょうろん』(にんげんほんせいろん、えい: A Treatise of Human Nature)とは、1739ねんにイギリスの哲学てつがくしゃデイヴィッド・ヒュームによりかれた哲学てつがく著作ちょさくである。『人性じんせいろん』(じんせいろん)とも。

概要がいよう

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著者ちょしゃのヒュームはイギリス経験けいけんろん哲学てつがくしゃであり、本書ほんしょ人間にんげん本性ほんしょうろん』は1739ねんにヌーン書店しょてんから出版しゅっぱんされたが、1740ねんには付録ふろく追加ついかされてロンドンのロングマン書店しょてんから出版しゅっぱんされた。本書ほんしょ内容ないようはもともとは

  • 知性ちせい/悟性ごせい(understanding)
  • 情念じょうねん/情緒じょうちょ/感情かんじょう(passions)
  • 道徳どうとく(morals)
  • 政治せいじ(politics)
  • 文芸ぶんげい/趣味しゅみ判断はんだん(criticism)

の5つの主題しゅだい沿ってげられる予定よていであったが、当時とうじこの研究けんきゅうはあまり注目ちゅうもくされなかったために政治せいじ趣味しゅみ判断はんだんかんする論述ろんじゅつまれることはなかった。そのため結果けっかてきにはだい1へん知性ちせいについて、だい2へん情念じょうねんについて、だい3へん道徳どうとくについて、以上いじょう内容ないようから構成こうせいされている。このような主題しゅだいについてすでジョン・ロック議論ぎろんしているが、ヒュームは当時とうじ自然しぜん科学かがく発展はってんともなって価値かちみとめられた実証じっしょうてき方法ほうほう人間にんげんがく領域りょういき適用てきようすることにより、ロックの経験けいけんろん立場たちばぎながら、あるがままの人間にんげん本性ほんしょう対象たいしょうとした哲学てつがく構築こうちくすることをこころみている。

構成こうせい

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  • 緒言しょげん
  • 序論じょろん
  • だい1へん - 知性ちせい(understanding)について
    • だい1 - 観念かんねん(ideas)、その起源きげん(origine)・構成こうせい(composition)・結合けつごう(connection)・抽象ちゅうしょう(abstraction)などについて
    • だい2 - 空間くうかん(space)と時間じかん(time)の観念かんねん(ideas)について
    • だい3 - 知識ちしき(knowledge)と蓋然性がいぜんせい(probability)について
    • だい4 - 哲学てつがく(philosophy)の懐疑かいぎてきおよびその体系たいけい(skeptical and other systems)について
  • だい2へん - 情念じょうねん(passions)について
    • だい1 - ほこり(pride)と卑下ひげ(humility)について
    • だい2 - あい(love)とにくしみ(hatred)について
    • だい3 - 意志いし(will)と直接的ちょくせつてき情念じょうねん(direct passions)について
  • だい3へん - 道徳どうとく(morals)について
    • だい1 - とく(virtue)と悪徳あくとく(vice)一般いっぱんについて
    • だい2 - 正義まさよし(justice)と正義せいぎ(injustice)について
    • だい3 - そのとく(virtues)と悪徳あくとく(vices)について

内容ないよう

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ヒュームは人間にんげん知覚ちかく印象いんしょう観念かんねん区分くぶんされることを指摘してきしており、印象いんしょう感情かんじょう感覚かんかく感動かんどうなどの力強ちからづよ刺激しげきふくみ、観念かんねんとは感情かんじょううごきをともなわない映像えいぞうぎないととらえる。観念かんねん印象いんしょう密接みっせつ関係かんけいしており、単純たんじゅん観念かんねん単純たんじゅん印象いんしょうから派生はせいするものであり、印象いんしょう観念かんねん基盤きばんである。また印象いんしょう感覚かんかく印象いんしょう反省はんせい印象いんしょう区分くぶんできるが、前者ぜんしゃ未知みち原因げんいんから人間にんげん心理しんりあらわれるものであるが、後者こうしゃ観念かんねんにより発現はつげんする。したがって、印象いんしょうがまず感覚かんかく刺激しげきしてかいなどを人間にんげん知覚ちかくさせ、印象いんしょうえたのちにもしん保持ほじしておくものが観念かんねんであるとヒュームはろんじる。このことによって観念かんねん印象いんしょう再現さいげん可能かのうなものとすることを可能かのうとし、既知きち出来事できごと記憶きおくすることや未知みち出来事できごと想像そうぞうすることが可能かのうとなる。想像そうぞうしん複雑ふくざつはたらきをもたらし、類似るいじ接近せっきん因果いんがというみっつの観念かんねん法則ほうそくしたがいながら機能きのうする。この法則ほうそくこそ観念かんねん法則ほうそくであり、この法則ほうそくしたがったふくあいてき観念かんねんとして関係かんけい様相ようそう実体じったいみっつの観念かんねん人間にんげんにもたらされる。

ヒュームはこのような議論ぎろんつづいてなな種類しゅるい哲学てつがくてき関係かんけいとして類似るいじ同一どういつ時空じくう関係かんけいりょうすう割合わりあい性質せいしつ度合どあい、反対はんたい因果いんが列挙れっきょしてじゅん検討けんとうしている。そのうえ人間にんげんには個々ここ印象いんしょう関係付かんけいづけ、または結合けつごうさせる観念かんねんとして所信しょしん機能きのうしていることを指摘してきする。ヒュームは悟性ごせいだけでなく感情かんじょうめんについても分析ぶんせきくわえており、感覚かんかく印象いんしょう詳細しょうさい分類ぶんるいされている。まず印象いんしょう感覚かんかくてき印象いんしょう身体しんたいてきかい大別たいべつされ、さらにてき印象いんしょうである反省はんせいてき印象いんしょう美醜びしゅう識別しきべつする静態せいたいてきなものと愛憎あいぞう悲喜ひき識別しきべつする動態どうたいてきなものにけられる。さらに感情かんじょう直接ちょくせつ感情かんじょう間接かんせつ感情かんじょうからも区別くべつされており、善悪ぜんあくかいから派生はせいする欲求よっきゅう嫌悪けんおかなしみ、よろこび、希望きぼう恐怖きょうふ絶望ぜつぼう確信かくしんという直接ちょくせつ感情かんじょう自負じふ卑下ひげ名誉めいよ虚栄きょえいあい嫉妬しっとあわれみ、悪意あくい寛容かんようなど複数ふくすう性質せいしつともな間接かんせつ感情かんじょうがあるとされる。道徳どうとくについてヒュームはせい不正ふせい印象いんしょうによるものであるのか、観念かんねんによるものであるのかを検討けんとうしており、それが概念がいねんによる把握はあくではなくかんじるものであるとべている。そのうえ美徳びとく自身じしんにとって快適かいてきなもの、他人たにんにとって快適かいてきなもの、自身じしんにとって有用ゆうようなもの、他人たにんにとって有用ゆうようなものと、よん区分くぶんしながら最後さいご部類ぶるいふくめられる親切心しんせつしん正義せいぎ社会しゃかいてきには重要じゅうよう美徳びとくであると評価ひょうかする。

日本語にほんごやく

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脚注きゃくちゅう出典しゅってん

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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