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入内雀にゅうないすずめ

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月岡芳年『新形三十六怪撰』より「藤原実方の執心雀となるの図」
月岡つきおか芳年よしとし新形しんがたさんじゅうろくかいせん』より「藤原ふじわら実方じつかた執心しゅうしんすずめとなるの

入内雀にゅうないすずめ(にゅうないすずめ)または実方じつかたすずめ(さねかたすずめ)とは、平安へいあん時代じだい歌人かじんである藤原ふじわら実方じつかた伝承でんしょうにあるかいとり[1]

概要がいよう

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藤原ふじわら実方じつかた一条天皇いちじょうてんのう侍臣じしんでもある名高なだか歌人かじんだったが、藤原ふじわらこうなり陰口かげぐちたたかれたために殿上てんじょうくだりなり口論こうろんになり、くだりなりかんむりうばっててるという失態しったいえんじたため、京都きょうとから陸奥みちのくこく東北とうほく地方ちほう)へ左遷させんさせられた。当時とうじ陸奥みちのくりく孤島ことうともいうべき土地とちで、実方じつかたはこの仕打しうちへのうらみと京都きょうとへのおもいをつのらせつつ、失意しついうち陸奥みちのくぼっした[1]

京都きょうとには実方じつかた訃報ふほうとどくと同時どうじに、奇妙きみょううわさながはじめた。毎朝まいあさ京都きょうと内裏だいり清涼せいりょう殿どのへ1すずめはいみ、たいばん食事しょくじだい)のめしをついばんであっというあいだたいらげてしまうというのである[1]人々ひとびとはこれを、きょうかえりたい一心いっしん実方じつかた怨念おんねんすずめした[1]、もしくは実方じつかたれいすずめひょういたといって[2]うちうらおかせいれするすずめであることから「入内雀にゅうないすずめ」、または「実方じつかたすずめ」とんだ[3]。またこのすずめ農作物のうさくもつらしたともいい、人々ひとびとはこれを実方じつかた怨霊おんりょう仕業しわざといっておおいにおそれたという[2]

おなごろに、藤原ふじわら大学だいがくべつである勧学かんがくいんでも異変いへんがあった。勧学かんがくいん住職じゅうしょくかんさとし上人しょうにんゆめなかすずめあらわれ、みずからをきょうこいしさにすずめしてやって実方じつかただと名乗なのり、自分じぶんのために誦経じゅきょうするようにとげたのである。翌朝よくあさ境内けいだいはやしで1すずめ死骸しがいつけた上人しょうにんは、実方じつかたわりてた姿すがたちがいないとかんがえ、れいとむらうためにづかきずいた[1]

のち勧学かんがくいんもり豊山とよやまさらすずめてら俗称ぞくしょうすずめてら)と改名かいめいし、現在げんざいでは京都きょうと左京さきょう場所ばしょうつしている[4]火災かさいつづいたこともあって規模きぼ次第しだい縮小しゅくしょうされ、もとの勧学かんがくいん面影おもかげうすれつつあるが、前述ぜんじゅつづかすずめづかばれて現存げんそんしており、現在げんざいでもなお実方じつかたのための供養くようつづけられている[1]

一定いってい時期じき来訪らいほうするとり昆虫こんちゅう人間にんげん霊魂れいこん同一どういつされることがおおく、実在じつざいするニュウナイスズメ夏季かき東北とうほく地方ちほう繁殖はんしょくし、秋季しゅうき全国ぜんこく渡来とらいして農作物のうさくもつ被害ひがいをもたらすことから、これが東北とうほく左遷させんされた実方じつかた化身けしんだと想像そうぞうされたとのせつもある[3]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c d e f 村上むらかみ健司けんじ京都きょうと妖怪ようかい紀行きこう 地図ちずでめぐる不思議ふしぎ伝説でんせつ案内あんない角川書店かどかわしょてん角川かどかわoneテーマ21〉、2007ねん8がつ、62-64ぺーじISBN 978-4-04-710108-1 
  2. ^ a b 草野くさのたくみ戸部とべ民夫たみお日本にっぽん妖怪ようかい博物館はくぶつかんしん紀元きげんしゃ、1994ねん8がつ、345-346ぺーじISBN 978-4-88317-240-5 
  3. ^ a b 京極きょうごく夏彦なつひこ多田ただ克己かつみ編著へんちょ妖怪ようかいほん 狂歌きょうかひゃく物語ものがたり国書刊行会こくしょかんこうかい、2008ねん8がつ、277ぺーじISBN 978-4-3360-5055-7 
  4. ^ さらすずめてら”. 京都きょうと観光かんこうNavi. 京都きょうと観光かんこう協会きょうかい. 2024ねん10がつ12にち閲覧えつらん