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八天はってんせきぞう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

八天はってんせきぞう(はってんいしぐら)は大阪おおさか箕面みのお勝尾寺かつおうじ境内けいだい周辺しゅうへん点在てんざいする遺跡いせきぐんであり、中世ちゅうせい寺領じりょう表示ひょうじのために設置せっちされたものである。いしぞうくに史跡しせきに、出土しゅつどひん重要じゅうよう文化財ぶんかざいにそれぞれ指定していされている。

概要がいよう

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このいしぞうは、鎌倉かまくら時代ときよ勝尾寺かつおうじ寺領じりょうあらわ傍示ほうじとして設置せっちされたものである。てらいき周辺しゅうへん山林さんりんけい8箇所かしょどうづくり仏像ぶつぞうけい8たい信楽焼しがらきやき容器ようきおさめて埋納まいのうし、そのうえ石積いしつみだんもうけられた。

埋納まいのうされた仏像ぶつぞうは、持国天じこくてん増長天ぞうちょうてん広目天こうもくてん多聞天たもんてん四天王してんのう、およびくださんせい明王みょうおうぐん荼利明王みょうおうだい威徳いとく明王みょうおう金剛夜叉こんごうやしゃ明王みょうおうよん明王みょうおうである。なお、仏像ぶつぞう信楽焼しがらきやき容器ようきともに発掘はっくつされ、勝尾寺かつおうじ保管ほかんされている。

このいしぞうについては、ひろし2ねん1230ねん)の文書ぶんしょ言及げんきゅうされているのがはつみるで、そのころつくられたものであると推定すいていされている。類例るいれいのない遺跡いせきとして貴重きちょうである。

いしぞうしためられていた仏像ぶつぞう勝尾寺かつおうじ安置あんちされ、かくいしぞうあとにはいししるべ目印めじるしとして設置せっちされているが、管理かんりとどかず、放置ほうちされてた姿すがたとなっている。

影向ようごうせき

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八天はってんせきくらとはべつに、勝尾寺かつおうじ境内けいだいには影向ようごう(ようごう)いしがあり、このしたにも仏像ぶつぞうめられているとかんがえられている。八天はってんせきぞうから出土しゅつどした仏像ぶつぞうは、五大ごだい明王みょうおうのうち中央ちゅうおう位置いちする不動明王ふどうみょうおうぞうくことから、影向ようごうせきした不動明王ふどうみょうおうぞう埋納まいのうされているともわれるがしょうである。

文化財ぶんかざい指定してい

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重要じゅうよう文化財ぶんかざい考古こうこ資料しりょう
  • 摂津せっつ勝尾寺かつおうじきゅう境内けいだい傍示ほうじ八天はってんせきぞう出土しゅつどひん
    • どうづくり四天王してんのうよん明王みょうおうぞう 8
    • 陶製とうせいがい容器ようき 8ごう
    • つけ土師器はじき 残欠ざんけつども 一括いっかつ
史跡しせきくに指定してい
  • 勝尾寺かつおうじきゅう境内けいだい傍示ほうじ八天はってんせきぞうおよびまちせき

正式せいしき文化財ぶんかざい指定してい名称めいしょうでは「傍示ほうじ」の「はた」のへんが「へん」になる。

参考さんこう文献ぶんけん

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  • しん指定してい文化財ぶんかざい」『月刊げっかん文化財ぶんかざい』285ごうだいいち法規ほうき、1987

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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座標ざひょう: 北緯ほくい3451ふん25.7びょう 東経とうけい13529ふん41.4びょう / 北緯ほくい34.857139 東経とうけい135.494833 / 34.857139; 135.494833