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六角ろっかくひさよりゆき

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六角ろっかくひさよりゆき
時代じだい 室町むろまち時代ときよ中期ちゅうき
生誕せいたん 不明ふめい
死没しぼつ 康正こうせい2ねん10月2にち1456ねん11月8にち
改名かいめい しゅうおんそうめい)、ひさよりゆき
別名べつめい 四郎しろう通称つうしょう
戒名かいみょう しょうこうてら殿どのとおるさんしゅうおん
官位かんい したがえ近江おうみまもる
幕府ばくふ 室町むろまち幕府ばくふ 近江おうみ守護しゅご
氏族しぞく 六角ろっかく
父母ちちはは 六角ろっかくみつるつな
兄弟きょうだい もちつなどきつなひさしよりゆき三井みつい高久たかひさ
高頼たかよりせいよりゆき)?
テンプレートを表示ひょうじ

六角ろっかく ひさよりゆき(ろっかく ひさより)は、室町むろまち時代ときよ武将ぶしょう守護しゅご大名だいみょう近江おうみこく守護しゅご六角ろっかく11だい当主とうしゅ官位かんいしたがえ近江おうみまもる

略歴りゃくれき

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六角ろっかくみつるつな三男さんなんとして誕生たんじょう

相国寺しょうこくじ僧籍そうせきにあったが、ぶんやす2ねん1445ねん)に次兄じけいどきつな国人くにびとしゅう盟主めいしゅとなりちち長兄ちょうけいもちつな対立たいりつやぶれたちち長兄ちょうけい自害じがいしててた。そのため、幕命ばくめいにより還俗げんぞくしてひさしよりゆき名乗なのり、よくぶんやす3ねん1446ねん)に次兄じけい追討ついとうして六角ろっかく相続そうぞくした。

その擁立ようりつ経緯けいいから、ひさつな権力けんりょく基盤きばん脆弱ぜいじゃくであったとするせつもあるが、在京ざいきょう被官ひかん中心ちゅうしん幕府ばくふによるひさつな擁立ようりつ支持しじした家臣かしんだん存在そんざい指摘してきされている[1]

しかし、衰退すいたいした六角ろっかく勢力せいりょくなおすことはできず、京極きょうごくもちきよし干渉かんしょうくるしめられたすえ康正こうせい2ねん1456ねん)10がつ2にち憤死ふんしした(自害じがいとも)。家督かとく高頼たかより[2]まましいだが、幼少ようしょうのため、おいときつな遺児いじせい後見人こうけんにんとなった。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 新谷しんたに和之かずゆき南北なんぼくあさ室町むろまちにおける六角ろっかく家督かとく文書ぶんしょ発給はっきゅうかわおかつとむ へん中世ちゅうせい後期こうき守護しゅご文書ぶんしょシステム』思文閣出版しぶんかくしゅっぱん、2022ねん、P73.
  2. ^ 高頼たかよりまごせいよりゆきとも。

関連かんれん項目こうもく

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