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内藤 政民(ないとう まさたみ)は、江戸時代後期の大名。陸奥国湯長谷藩10代藩主。官位は従五位下・因幡守。
文化3年(1806年)、出羽国庄内藩主・酒井忠徳の五男として誕生。9代藩主・内藤政環の養子となり、文政7年(1824年)8月23日に政環が隠居したため跡を継いだ。同時に叙任している。
湯長谷藩の歴代藩主の中では学問好きの藩主だったらしく、藩校・致道館の創設に尽力し、自ら四書五経を講じて[1]、藩士子弟の教育に努めたといわれている。
安政2年(1855年)9月13日に死去した。享年50。
父母
正室
子女
養子
内藤( 遠山) 氏湯長谷藩10代 藩主 (1824 年 - 1855 年) |
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