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はつ天神てんじん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

はつ天神てんじん(はつてんじん)は古典こてん落語らくご演目えんもく[1]もと上方かみがた落語らくごだが江戸えど落語らくごでもえんじられる。はらばなし安永やすなが2ねん出版しゅっぱんされた『聞上手ききじょうず』の「たこ[1]

だいの「はつ天神てんじん」とは、天神てんじんさま菅原すがわら道真みちざね)をまつ天満てんまみやに、正月しょうがつの25にち参詣さんけいすること、あるいはそのおこなわれる縁日えんにちす。道真みちざねが25にちまれ、25にちぼっしたことから、同日どうじつ吉日きちじつとしている(天神てんじん信仰しんこう#天神てんじん信仰しんこう数字すうじ)。

あらすじ

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1がつ25にちはつ天神てんじんおとこ1人ひとり天満てんまみやこうとするが女房にょうぼうから息子むすこれていくようにたのまれる。あれこれってしいとねだられることを予想よそうしていたため、おとこ息子むすこれていきたくない。父親ちちおや天満宮てんまんぐうくとって息子むすこは、れていかないと近所きんじょおやのあることないことをはなすとおどす。しかたなくおとこは、なにもねだらないと息子むすこ約束やくそくさせ、天満宮てんまんぐうれてく。

なにもねだらないと約束やくそくした息子むすこであったが、あのこので、なにかしらわそうとする。やがて相手あいてつかれたおとこは、くちふさげればいいとしてあめってやる。参拝さんぱいえた帰路きろたこ屋台やたいまえとおりかかり、息子むすこたこってしいとねだる。おとこ拒否きょひしようとするが、たこ店主てんしゅ息子むすこそそのかし、結局けっきょくたこうことになる。

2人ふたり天満宮てんまんぐうとなりにあるかい、ったばかりのたこげようとする。子供こども時代じだいうでおぼえがあったおとこは、さき自分じぶん見本みほんせてやるといってたこげるが、そのまま自分じぶん夢中むちゅうになってしまう。いい加減かげんわってくれと息子むすこなんたのむが、無視むしされつづけ、最後さいごあきらめて息子むすこう。

「こんなことなら、親父おやじなんかれてくるんじゃなかった」

サゲのバリエーション

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上記じょうきのサゲは上方かみがた落語らくごのものである。江戸えど落語らくごではたこちゅう子供こども他人たにんとぶつかってしまい、まずおとこあやまる。その今度こんどおとこのほうが他人たにんとぶつかってしまい、子供こどもあやまるというサゲになる。

また、親子おやこではなく、おな長屋ながやひとおとこ子供こどもはなしとしてえんじられることもある。

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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出典しゅってん

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  1. ^ a b 東大とうだい落語らくごかい 1969, pp. 368, 『はつ天神てんじん』.

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 東大とうだい落語らくごかい落語らくご事典じてん 増補ぞうほ』(改訂かいていばん(1994))青蛙あおがえるぼう、1969ねんISBN 4-7905-0576-6