南京なんきんじょう

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明朝みょうちょう時代じだい南京なんきん地図ちず
明朝みょうちょう時代じだい南京なんきんした立体りったい地図ちず
玄武げんぶもん
挹江もん
1950年代ねんだい撮影さつえいされた3じゅうまもりをつうずみもん

南京なんきんじょう(なんきんじょう)とは、中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく南京なんきんしろである。明朝みょうちょう時代じだいに、21ねん歳月さいげつと20まんにん労働ろうどうしゃ動員どういんして首都しゅとであった南京なんきん建設けんせつされたしろである。南京なんきん城壁じょうへきかこまれた城壁じょうへき都市としであり居住きょじゅうしゃだい部分ぶぶん城壁じょうへき内側うちがわんでいた。

明王みょうおうちょう時代じだい南京なんきんじょう世界せかい中世ちゅうせい史上しじょう敷地しきち面積めんせき最大さいだい都市としであり、宮殿きゅうでん面積めんせきだけで1.16㎢、皇族こうぞくすめらぎじょうは6.53㎢、ないじょう面積めんせきは55㎢、そして外郭がいかくふくめた都市とし全体ぜんたい面積めんせきは248㎢[1]非常ひじょう広大こうだいであり、とう長安ながやす面積めんせき87.27㎢)のばい以上いじょうきよし王朝おうちょう時代じだい北京ぺきんじょう面積めんせき60.06㎢)のよんばい以上いじょうひろさをほこっていた。(山手やまてせん内側うちがわ面積めんせきが63㎢)

現在げんざい南京なんきん人口じんこう800まんにんえるだい都会とかいであり、市街地しがいちはこの城壁じょうへき外側そとがわにもひろがっている。

1988ねん中華人民共和国ちゅうかじんみんきょうわこく全国ぜんこく重点じゅうてん文物ぶんぶつ保護ほご単位たんい登録とうろくされた。

城門じょうもん[編集へんしゅう]

城郭じょうかくは、宮城みやぎすめらぎじょう内城うちじろ外郭がいかくよんじゅうまもりをつ。城門じょうもんじょう防御ぼうぎょりょくたかめられている。

  • 明朝みんちょう宮城みやぎ城門じょうもんうまもんひだりわきもんみぎわきもんひがしはなもん西にしはなもんあつもん
  • すめらぎじょう城門じょうもんひろし武門ぶもんうけたまわてんもんはしもん長安ながやす左門さもん長安ながやすみぎもんひがしやすもん西安しーあんもんきたやすもん
  • 内城うちじろ城門じょうもんせいもんつうずみもん、聚宝もん中華ちゅうかもん)、さん山門さんもん石城せきじょうもん清涼せいりょうもんてい淮門、おおとりもん、鍾阜もん金川かながわもんかみさくもん太平たいへいもん朝陽あさひもん
  • 外郭がいかく城門じょうもんしがらみらんもん江東こうとうもん、馴象もんしょう馴象もん安徳あんとくもんしょう安徳あんとくもんおおとりたいもんそう橋門はしかど、夾崗もん上坊じょうぼうもん高橋たかはしもん、滄波もん麒麟きりんもんせんづるもん、姚坊もん観音かんのんもんふつやすしもんうえもともんそと金川かながわもん
  • こう開城かいじょうもん玄武げんぶもん草場くさばもんしょう北門きたもん、挹江もん中央ちゅうおうもんかん中門ちゅうもんたけじょうもんしんみんもんあめはなもん解放かいほうもんしゅうけいもん華厳けごん崗門、ちょうもんしめぎ営門、中央ちゅうおう東門ひがしもん中央ちゅうおう西門にしもん
  • その東水ひがしみずせき旧名きゅうめい上水じょうすいせき)、西水にしみずせきたけびょう


沿革えんかく[編集へんしゅう]

1368ねんもと王朝おうちょうほろび、明王みょうおうあさ建国けんこくした。南京なんきんじょうあきら初代しょだい皇帝こうていしゅもとあきらによってつくられた。1421ねん永楽えいらくみかど首都しゅと北京ぺきんうつしたため、南京なんきんじょう皇帝こうてい居城きょじょうであった期間きかんみじかいが、ふくとして重要じゅうよう都市としでありつづけた。1644ねん農民のうみん反乱はんらんぐん北京ぺきん占領せんりょうし、皇帝こうてい自害じがいまれた。北方ほっぽう満州まんしゅうぞく建国けんこくしたきよしはこれを北京ぺきんぐんおくりこの反乱はんらんぐん鎮圧ちんあつ北京ぺきん首都しゅととして中国ちゅうごく支配しはい開始かいしした。皇帝こうてい親族しんぞくにより南明なんめい建国けんこく南京なんきん首都しゅととしてきよし対抗たいこうするが大軍たいぐん包囲ほういされ落城らくじょう南明なんめい滅亡めつぼうした。

城壁じょうへきながさは35kmにおよび中国ちゅうごく最大さいだいきゅう規模きぼである。にちちゅう戦争せんそうではこの城壁じょうへきをはさんでりょうぐんはげしい戦闘せんとうひろげた。戦後せんご城壁じょうへき修復しゅうふくおこなわれて、かつての姿すがたもどした。城門じょうもん自動車じどうしゃとおれるように改築かいちくされたものがおおいがみなみ中華ちゅうかもん文化財ぶんかざいとして保護ほごされており観光かんこう拠点きょてんとなっている。皇帝こうてい居住きょじゅうだったすめらぎじょう部分ぶぶん市街地しがいちしているが、あきらみやがあったあたりは公園こうえんとなっている。玄武げんぶ公園こうえんもかつては皇帝こうてい離宮りきゅうだった。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 南京なんきんあかり外郭がいかく. 南京なんきん出版しゅっぱんしゃ. (2018.11) 

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  • 産経新聞さんけいしんぶん2015ねん2がつ15にち朝刊ちょうかん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]