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古池ふるいけかえるびこむみずおと

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横井よこい金谷かなやによる芭蕉ばしょう肖像しょうぞうとともに

古池ふるいけかえるびこむみずおと」(ふるいけやかわづとびこむみずのおと)は、松尾まつお芭蕉ばしょう発句ほっく芭蕉ばしょうが蕉風俳諧はいかい確立かくりつしたとされており[1][2]芭蕉ばしょう作品さくひんちゅうでもっともられているだけでなく、すでに江戸えど時代じだいから俳句はいく代名詞だいめいしとしてひろられていたである[3]

季語きごかえるはる)。ふるいけかえるおとこえてきた、という単純たんじゅんけいんだであり、一見いっけん平凡へいぼん事物じぶつ情趣じょうしゅ見出みいだすことによって、和歌わか連歌れんが、またそれまでの俳諧はいかいかたにはまった情趣じょうしゅから一線いっせんかくしたものである。芭蕉ばしょう一時いちじ傾倒けいとうしていたぜん影響えいきょうもうかがえるが[4][5]、あまりにひろられたであるため、後述こうじゅつするように深遠しんえん解釈かいしゃく伝説でんせつんだ。

成立せいりつ[編集へんしゅう]

初出しょしゅつ1686ねん貞享ていきょう3ねんうるう3月刊行かんこうの『かえるあい』(かわずあわせ)であり、ついで同年どうねん8がつ芭蕉ばしょうななしゅういちはる』に収録しゅうろくされた。『かえるあい』の編者へんしゃ芭蕉ばしょう門人もんじんせんで、かえる題材だいざいにした句合くあわせ(くあわせ。左右さゆうかれて優劣ゆうれつきそうもの)じゅうよんばんされた40の追加ついか一句いっくれてまれており、芭蕉ばしょうの「古池ふるいけや」はこのなか最高さいこう位置いち一番いちばんひだり)をめている。このときの句合くあわせ合議ごうぎによる衆議しゅうぎばんせいおこなわれ、せん中心ちゅうしん参加さんかしゃ共同きょうどう作業さぎょうはんおこなわれたようである[6]一般いっぱん発表はっぴょうした俳句はいく作品さくひん成立せいりつ後日ごじつをおかず俳諧はいかい撰集せんしゅう収録しゅうろくされるとかんがえられるため、成立せいりつねん貞享ていきょう3ねんるのが定説ていせつである[6]。なお同年どうねんせい3がつ下旬げじゅんに、井原いはら西鶴さいかくもん西にしぎんによってまれた『あんさくら』に「古池ふるいけかえるンだるみずおと」のかたち芭蕉ばしょうており、これがはつあんかたちであるとおもわれる[7]。「ンだる」は談林だんりんふう軽快けいかい文体ぶんたいであり、談林だんりん理解りかいられやすいかたちである[1]

かえるあい巻末かんまつせんはな言葉ことばによれば、この句合くあわせ深川ふかがわ芭蕉ばしょうあんおこなわれたものであり、「古池ふるいけや」のがそのときにつくられたものなのか、それともこのがきっかけとなって句合くあわせがおこなわれたのか不明ふめいてんもあるが、いずれにしろこの前後ぜんごにまず仲間なかまない評判ひょうばんをとったとかんがえられる[8]。「古池ふるいけ」はおそらくもとは門人もんじん杉風さんぷうかわぎょはなして生簀いけすとしていた芭蕉ばしょうあんはたいけであろう[4]。1700ねん元禄げんろく13ねん)の『あかつきさんしゅう』(よしさんへん)のように「山吹やまぶきかえるみずおと」のかたちつたえているしょもあるが、「山吹やまぶきや」といたのは門人もんじん其角きかくである。芭蕉ばしょうははじめ「かえるみずおと」を提示ていじして上五かみご門人もんじんたちにかんがえさせておき、其角きかくが「山吹やまぶきや」といたのをけて「古池ふるいけや」とさだめた。芭蕉ばしょう和歌わかてき伝統でんとうをもつ「山吹やまぶきという文字もじは、風流ふうりゅうにしてはなやかなれど、古池ふるいけといふ文字もじ質素しっそにして(まこと)也。山吹やまぶきのうれしき文字もじててただ古池ふるいけとなしきゅうへるしんこそあさからぬ」[9]とした。「かえるンだる」のような俳意の強調きょうちょう退しりぞけ、自然しぜん閑寂かんじゃく見出みいだしたところにこの成立せいりつしたのである[10][11]。 なお、和歌わか連歌れんが歴史れきしにおいてはそれまでかえるんだものはきわめてすくなく、まれる場合ばあいにもそのごえ着目ちゃくもくするのがつねであった。俳諧はいかいにおいてはぶことに着目ちゃくもくしたれいはあるが、んだかえる、ならびにおと着目ちゃくもくしたのはそれ以前いぜんれいのない芭蕉ばしょう発明はつめいである[12]

受容じゅよう[編集へんしゅう]

清澄せいちょう庭園ていえんにある「古池ふるいけや」の句碑くひどうにはほかにも全国ぜんこく多数たすう句碑くひがある。

この有名ゆうめいになったのは、芭蕉ばしょう自身じしん不易ふえき流行りゅうこうとして自負じふしていたということもあるが[13]芭蕉ばしょう業績ぎょうせきつたえるのにことあるごとにこの称揚しょうようした門人もんじん支考しこうによるところがおおきい[14]支考しこう1719ねんとおる4ねん)にあらわした『俳諧はいかいじゅうろん』のなかでこのを「じょうまったくなきにたれども、さびしき風情ふぜいをそのなかふくめる風雅ふうが余情よじょうとは此(この)いひ也」として、なか余情よじょうとしての「さびしさ」をており、この見方みかた一般いっぱんてき見方みかたとして現代げんだいまで継承けいしょうされているとおもわれる[15]。ただし芭蕉ばしょうどう時代じだいにはかならずしも俳人はいじん理解りかいられていたわけではなく、たとえば前述ぜんじゅつの『あかつきさんしゅう』では「山吹やまぶきや」を「古池ふるいけや」にえると発句ほっくにはならないとしている[5]。また禅味ぜんみのある句風くふうから、『芭蕉ばしょうおう古池ふるいけ真伝しんでん』(春湖しゅんこちょ慶応けいおう4ねん)にられるように、芭蕉ばしょうがそのぜんであるふついただきおとずれて禅問答ぜんもんどうおこない、そこでそうた、というような伝説でんせつ流布るふした[16]

俳句はいく近代きんだい推進すいしんした正岡子規まさおかしきは、「古池ふるいけべん」(『ホトトギス1898ねん10がつごう)においてこのたね神秘しんぴをはっきりと否定ひていし、「古池ふるいけや」のさい評価ひょうかおこなっている。この文章ぶんしょうは「古池ふるいけや」のがなぜこうまでひろ人々ひとびとられるようになったのかと質問しつもんした客人きゃくじんたいして、主人しゅじんがその説明せつめいをする、というたいかれており、俳句はいく歴史れきしをひもときながら、上述じょうじゅつしたように「かえるみずむ」というありふれた事象じしょう妙味みょうみいだすことによって俳諧はいかい歴史れきし一線いっせんかくしたのだということを明確めいかくにしている。また子規しきはこの重要じゅうようせいはあくまで俳句はいく歴史れきしりひらいたところにあり、この芭蕉ばしょうだいいちというわけではないということもしるしている[17]

山本やまもと健吉けんきちは『芭蕉ばしょう ―その鑑賞かんしょう批評ひひょう』(1957ねん)において、上五かみごを「山吹やまぶきや」とした場合ばあいには視覚しかくてきなイメージを並列へいれつするわせのとなるのにたいし、「古池ふるいけや」は直感ちょっかんてき把握はあく、ないし聴覚ちょうかくてき想像そうぞうりょくはたらかせたものであり、「かえるびこむ」以下いかとより意識いしき深層しんそうにおいてむすびつき意味いみ重層じゅうそうさせているのだとしている[18]。そしてこのが「わらいを本願ほんがんとする俳諧はいかいたちのしん盲点もうてん」を的確てきかくについたものであり、芭蕉ばしょうにとってよりも人々ひとびとにとって開眼かいがん意味いみったのだとし、またわれわれがだれしもおさないころからなんらかの機会きかいにこのかされている現在げんざい、「われわれの俳句はいくについての理解りかいは、すべて「古池ふるいけ」の理解りかいにはじまるとってよい」とひょうしている[19]

大輪たいりん靖宏やすひろの『なぜ芭蕉ばしょう至高しこう俳人はいじんなのか』(2014ねん)によると、古池ふるいけ井戸いど用法ようほうごとく、わすられたいけであり、世界せかいであるはずである。「かえるみずおと」はなまいとなみであり、うごきがある。かえるしておきながら、こえしていない。おと優雅ゆうが世界せかいではない。ここでは優雅ゆうがでなく、わび、さびの世界せかいである。古池ふるいけという世界せかいになりかねないものに、かえるびこませることによって生命せいめいんだのである。それでこそ、わび、さびがしょうじた、とべている[20]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b 山本やまもと 2006、87ぺーじ
  2. ^ 正岡まさおか 1983、216-217ぺーじ
  3. ^ ふくほん 1992、94-95ぺーじ
  4. ^ a b 山本やまもと 2006、89ぺーじ
  5. ^ a b 田中たなか 2010、193ぺーじ
  6. ^ a b ふくほん 1992、90ぺーじ
  7. ^ 山本やまもと 2006、86ぺーじ
  8. ^ ふくほん 1992、91ぺーじ
  9. ^ 各務かがみ支考しこうかずら松原まつばら』,佐々ささ醒雪せいせつ, 巌谷いわや小波さざなみ こう俳諧はいかい作法さほうしゅう(国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)博文ひろぶみかん、1914ねん、653ぺーじhttps://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950166 
  10. ^ 山本やまもと 2006、87-88ぺーじ
  11. ^ 正岡まさおか 1983、212ぺーじ
  12. ^ ふくほん 1992、97-98ぺーじ
  13. ^ ふくほん 1992、100ぺーじ
  14. ^ ふくほん 1992、95ぺーじ
  15. ^ ふくほん 1992、95-96ぺーじ
  16. ^ 山本やまもと 2006、88-89ぺーじ
  17. ^ 正岡まさおか 1983、217-218ぺーじ
  18. ^ 山本やまもと 2006、88ぺーじ
  19. ^ 山本やまもと 2006、90ぺーじ
  20. ^ 大輪たいりん[2014:116-119]

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 田中たなか善信よしのぶ芭蕉ばしょう 「かるみ」の境地きょうち中央公論ちゅうおうこうろんしんしゃ中公新書ちゅうこうしんしょ 2048〉、2010ねん3がつ25にちISBN 978-4-12-102048-2http://www.chuko.co.jp/shinsho/2010/03/102048.html 
  • ふくほん一郎いちろう芭蕉ばしょう16のキーワード』日本にっぽん放送ほうそう出版しゅっぱん協会きょうかい〈NHKブックス 659〉、1992ねん11月。ISBN 4-14-001659-0 
    • ふくほん一郎いちろう芭蕉ばしょう古池ふるいけ伝説でんせつ芭蕉ばしょう俳句はいく16のキーワード」『芭蕉ばしょうとの対話たいわ ふくほん一郎いちろう芭蕉ばしょうろん集成しゅうせい沖積舎ちゅうせきしゃ、2009ねん3がつISBN 978-4-8060-4735-3 
  • 正岡子規まさおかしき俳諧はいかい大要たいよう岩波書店いわなみしょてん岩波いわなみ文庫ぶんこ みどり13-7〉、1983ねん9がつ16にちISBN 4-00-310137-5http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/31/5/3101370.html  - 「俳諧はいかい大要たいよう」・「俳人はいじん蕪村ぶそん」・「古池ふるいけべん」・「俳句はいく初歩しょほ」・「俳句はいくじょうきょう江戸えど」を収録しゅうろく
  • 山本やまもと健吉けんきち芭蕉ばしょう その鑑賞かんしょう批評ひひょう』(新装しんそうばん飯塚いいづか書店しょてん、2006ねん3がつISBN 4-7522-2048-2 
  • 大輪たいりん靖宏やすひろ『なぜ芭蕉ばしょう至高しこう俳人はいじんなのか』祥伝社しょうでんしゃ、2014ねん8がつISBN 978-4-396-61498-0 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

  • おくのほそみち
  • 松平まつだいら忠告ちゅうこく - だい芭蕉ばしょうあん跡地あとち下屋敷しもやしきかまえた尼崎あまがさき藩主はんしゅ俳人はいじんでもあり(ごういち桜井さくらいひさしぶん)、屋敷やしきないにあったいけほんゆかりの「古池ふるいけ」として顕彰けんしょうした。