司馬しばだん

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司馬しば だん(しば たん[1]、? - 紀元前きげんぜん110ねん?)は、中国ちゅうごく前漢ぜんかん時代じだいふとしれいせい司馬しばだん。『史記しき』の著者ちょしゃ司馬しばちち。『ろんろくいえ要旨ようし』の著者ちょしゃ

生涯しょうがい[編集へんしゅう]

うちなつようけんりゅうもん現在げんざい陝西せんせいしょう渭南かん城市じょうし芝川しばかわ鎮)のひと

ろうがくおよび天文てんもん暦学れきがく通達つうたつしており、紀元前きげんぜん140ねんふとしれいとなる。たけみかどふうぜん儀式ぎしき紀元前きげんぜん110ねん実施じっし)の準備じゅんびのために、ふとしれいとしてふうぜん仕方しかた研究けんきゅうしたが、やまいのためにふうぜん儀式ぎしき結局けっきょく参加さんかできなかったことをやんで、司馬しば遷にたくして死去しきょした。また、歴史れきししょしるそうという構想こうそうっていたが、着手ちゃくしゅできないまま、司馬しばだんくなり、その歴史れきししょ構想こうそう司馬しば遷にがれた。

系譜けいふ[編集へんしゅう]

ろんろくいえ要旨ようし[編集へんしゅう]

史記しきふとしおおやけ自序じじょや『漢書かんしょ司馬しば遷伝には、司馬しばだんろんろくいえ要旨ようし』(『ろくいえ要旨ようし』ともいう)が引用いんようされている。『ろんろくいえ要旨ようし』は諸子しょしひゃくいえ分類ぶんるい草分くさわけとしてられる[1]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b 司馬しばだん』 - コトバンク