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吉武よしたけしん太郎たろう

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吉武よしたけ しん太郎たろう
基本きほん情報じょうほう
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
出身しゅっしん 大分おおいたけん東国東ひがしくにさきぐん国見くにみまちげん国東くにさき
生年月日せいねんがっぴ (1975-06-03) 1975ねん6月3にち(49さい
身長しんちょう
体重たいじゅう
179 cm
84 kg
選手せんしゅ情報じょうほう
投球とうきゅう打席だせき みぎとうみぎ
ポジション 投手とうしゅ
プロ 1993ねん ドラフト4[1]
はつ出場しゅつじょう 1995ねん4がつ6にち
最終さいしゅう出場しゅつじょう 2008ねん4がつ4にち
経歴けいれき括弧かっこないはプロチーム在籍ざいせき年度ねんど

吉武よしたけ しん太郎たろう(よしたけ しんたろう、1975ねん6月3にち[1] - )は、大分おおいたけん東国東ひがしくにさきぐん国見くにみまちげん国東くにさき出身しゅっしんもとプロ野球やきゅう選手せんしゅ投手とうしゅ)。

経歴けいれき[編集へんしゅう]

プロまえ[編集へんしゅう]

国東くにさき高校こうこうでは2ねんあきけん大会たいかい準決勝じゅんけっしょう城島じょうしま健司けんじ捕手ほしゅ別府大べっぷだいづけだかやぶれた。野球やきゅう在籍ざいせき時代じだいにはプロには興味きょうみがなく、教員きょういん志望しぼうだった。ドラフト当日とうじつ自転車じてんしゃ帰宅きたくし、指名しめいった監督かんとくいかけてほどだった[2]1993年度ねんどドラフト会議かいぎにて福岡ふくおかダイエーホークスから4指名しめいけて入団にゅうだん[1]

ダイエー・ソフトバンク時代じだい[編集へんしゅう]

入団にゅうだん1ねん1994ねん一軍いちぐん登録とうろくはなく、ぐんでも勝利しょうりわった。しかしあき教育きょういくリーグで投球とうきゅうのコツをつかむ。

1995ねんは、春季しゅんきキャンプで村田むらたちょうコーチの指導しどうけて才能さいのう開花かいか[2]。このとしは24試合しあい(先発せんぱつ11試合しあい)に登板とうばん最終さいしゅうてきに5しょう5はい防御ぼうぎょりつ4.28の成績せいせきのこした。

1996ねん先発せんぱつ中継なかつぎ・おさえと満遍まんべんなく起用きようされ35試合しあい登板とうばんし、4しょう13はい1セーブと不本意ふほんい成績せいせきわるも自身じしん唯一ゆいいつ規定きてい投球とうきゅうかいをクリアし防御ぼうぎょりつは3.44と前年ぜんねんよりりょう

1997ねん公式こうしきせんはつ先発せんぱつは6がつあたま出遅でおくれたが3試合しあい連続れんぞく四球しきゅう完投かんとう勝利しょうりで6がつ月間げっかんMVPえらばれ自己じこ最多さいたの7しょう(7はい)の成績せいせきのこす。 一方いっぽうこのとし優勝ゆうしょうした西武せいぶとの直接ちょくせつ対決たいけつで、10かいまで1失点しってん奮闘ふんとうしたが鈴木すずきけん優勝ゆうしょうまるサヨナラ本塁打ほんるいだたれた。

1998ねん自身じしんはつ開幕かいまくローテーションにはい開幕かいまくせん先発せんぱつしたが、終始しゅうし不安定ふあんてい投球とうきゅう目立めだち6がつなかばにぐんちしてそのままシーズンをえた。成績せいせきも5しょうまりで防御ぼうぎょりつも4てんだいふたた悪化あっか

チームがリーグ優勝ゆうしょうかざった1999ねんはわずか1しょうわった。

2000ねん一軍いちぐん登板とうばんなしでシーズンを終了しゅうりょう一方いっぽうでチームは日本一にっぽんいちのがしたがリーグ連覇れんぱ達成たっせい

2001ねんからはチームの先発せんぱつじん安定あんていしたこともありリリーフ転向てんこう同年どうねんは18試合しあい登板とうばんするも防御ぼうぎょりつ5.56と安定あんていかんいた。

2002ねんはわずか6試合しあい登板とうばんわる。

2003ねんふたた才能さいのう開花かいか自身じしん最多さいたの42試合しあい登板とうばん防御ぼうぎょりつ4.43と安定あんていかんいたものの貴重きちょう中継なかつぎとして3ねんぶりのリーグ優勝ゆうしょう日本一にっぽんいち貢献こうけんした。このころカットボール習得しゅうとく投球とうきゅうはばひろがった。

2004ねん前年ぜんねん疲労ひろうもありわずか13試合しあい登板とうばんわるが防御ぼうぎょりつは1てんだいだった。

2005ねんオールスターゲーム監督かんとく推薦すいせんはつ出場しゅつじょうたした。シーズンではリーグ2の61試合しあい登板とうばんし、6がつにリーグしん記録きろくとなる8試合しあい連続れんぞくホールドを記録きろく[3]最終さいしゅうてきに61試合しあいげ32ホールドをげチームの勝率しょうりつ1貢献こうけんした。

2006ねんは2ねん連続れんぞく60試合しあい登板とうばんし20ホールドをマークするなどセットアッパーで活躍かつやく。しかし、12月10にちFA宣言せんげんでホークスへ復帰ふっきした小久保こくぼ裕紀ゆうき人的じんてき補償ほしょう選手せんしゅとして読売よみうりジャイアンツ移籍いせき

巨人きょじん時代じだい[編集へんしゅう]

移籍いせき1ねん2007ねん開幕かいまくだい3せん横浜よこはまベイスターズたたかえ(横浜よこはまスタジアム)で9かい移籍いせきはつ登板とうばんするが鈴木すずきしょうてんにソロ本塁打ほんるいだたれ1かい1失点しってんのほろにが内容ないよう勝利しょうり貢献こうけんする。しかしホークス時代じだいからかた勤続きんぞく疲労ひろうなやまされており登録とうろく抹消まっしょう。そのぐんさい調整ちょうせいねた登板とうばんつづけた。8月1にち一軍いちぐんさい昇格しょうかく敗戦はいせん処理しょりから徐々じょじょ信頼しんらいげていき8がつ25にちの、広島東洋ひろしまとうようカープせんで5-4の1てんビハインドからきむけんじんをリリーフし、6かいうらを3しゃ凡退ぼんたいおさえると7かいひょう味方みかた逆転ぎゃくてんつづく7かいうら失点しってんおさ移籍いせきはつ勝利しょうりげた。このとし防御ぼうぎょりつ1.89を記録きろくするも前半ぜんはんせんぐん降格こうかくたた登板とうばんすうわずか16試合しあいだった。

2008ねん開幕かいまく一軍いちぐんメンバーにはいるが、3月30にち東京とうきょうヤクルトスワローズせんてんあたえるなど投球とうきゅう不安定ふあんてい序盤じょばん3試合しあい登板とうばんしただけで4がつ10日とおか登録とうろく抹消まっしょうされた。その越智おちだいゆう山口やまぐち鉄也てつやらの活躍かつやく、ベテランの豊田とよだきよし開幕かいまくからセットアッパーとしてしん境地きょうち開拓かいたくしたため一軍いちぐん昇格しょうかくすることなくシーズンをえ、シーズンオフに球団きゅうだんから戦力せんりょくがい通告つうこくけ、現役げんえき引退いんたい

引退いんたい[編集へんしゅう]

引退いんたい巨人きょじん打撃だげき投手とうしゅ転向てんこう2011ねんから2018ねんまでスカウトをつとめた[4]。その、ジャイアンツりょうふく寮長りょうちょう[5]2023ねんからはジャイアンツアカデミーのコーチをつとめる[6]

詳細しょうさい情報じょうほう[編集へんしゅう]

年度ねんどべつ投手とうしゅ成績せいせき[編集へんしゅう]

とし

たま

だん
とう

いた
さき

はつ
かん

とう
かん

ふう

よん
たま
かち

はい

せん





かち

りつ


もの
とう
たま
かい

やす

ほん
るい
あずか
よん
たま
けい

とお
あずか

たま
だつ
さん


とう


しつ

てん

せめ
てん
ぼう

りつ
W
H
I
P
1995 ダイエー
ソフトバンク
24 11 1 0 0 5 5 0 -- .500 352 82.0 78 13 35 1 2 38 5 2 43 39 4.28 1.38
1996 35 16 6 1 0 4 13 1 -- .235 599 141.1 136 14 48 5 7 83 3 0 59 54 3.44 1.30
1997 18 15 7 2 4 7 7 0 -- .500 438 109.1 97 13 22 0 1 76 0 0 44 43 3.54 1.09
1998 15 11 2 1 0 5 4 0 -- .556 332 74.2 89 7 23 1 4 24 2 1 42 38 4.58 1.50
1999 8 2 0 0 0 1 1 0 -- .500 84 18.2 30 2 3 0 0 9 1 0 18 15 7.23 1.77
2001 18 0 0 0 0 0 1 0 -- .000 100 22.2 29 6 7 0 0 21 1 0 14 14 5.56 1.59
2002 6 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 35 7.2 9 2 2 0 1 9 0 0 9 3 3.52 1.43
2003 42 0 0 0 0 1 3 1 -- .250 189 44.2 45 3 13 2 2 34 0 0 22 22 4.43 1.30
2004 13 0 0 0 0 0 0 2 -- ---- 58 14.2 13 2 2 0 1 10 0 1 3 3 1.84 1.02
2005 61 0 0 0 0 2 4 1 32 .333 285 66.1 70 2 19 4 3 49 0 0 24 23 3.12 1.34
2006 60 0 0 0 0 3 2 0 20 .600 288 65.2 70 4 20 0 3 36 0 0 24 22 3.02 1.37
2007 巨人きょじん 16 0 0 0 0 2 0 0 0 1.000 71 19.0 12 1 5 1 0 11 0 1 4 4 1.89 0.89
2008 3 0 0 0 0 0 1 0 0 .000 13 2.1 4 0 2 0 0 2 0 0 3 3 11.57 2.57
通算つうさん:13ねん 319 55 16 4 4 30 41 5 52 .423 2844 669.0 682 69 201 14 24 402 12 5 309 283 3.81 1.32
  • かく年度ねんど太字ふとじはリーグ最高さいこう

表彰ひょうしょう[編集へんしゅう]

記録きろく[編集へんしゅう]

背番号せばんごう[編集へんしゅう]

  • 37 (1994ねん - 1994ねん途中とちゅう
  • 67 (1994ねん途中とちゅう - 1995ねん
  • 34 (1996ねん - 2006ねん
  • 39 (2007ねん - 2008ねん
  • 122 (2009ねん
  • 08 (2010ねん

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d e 『プロ野球やきゅうカラー名鑑めいかん 2008』スボすぼル・マガジン社るまがじんしゃ、2008ねん、15ぺーじISBN 978-4-583-61526-4 
  2. ^ a b 雑誌ざっし週刊しゅうかんベースボール」(ベースボールマガジンしゃかん)2009ねん2がつ9&16にちごう43-47ページ 「惜別せきべつだまじん 吉武よしたけしん太郎たろう
  3. ^ 応援おうえんありがとう!2005福岡ふくおかソフトバンクホークス激闘げきとう軌跡きせき』ソフトバンククリエイティブ、2005ねん、82ぺーじぺーじISBN 4-7973-3331-6 
  4. ^ 週刊しゅうかんベースボール2014ねん3がつ24にちごう P20
  5. ^ 月刊げっかんジャイアンツ2021ねんがつごう”. ショップ報知ほうち. 2023ねん5がつ26にち閲覧えつらん
  6. ^ しんコーチ就任しゅうにんのおらせ|読売よみうりジャイアンツ”. 読売よみうりジャイアンツ (2023ねん1がつ5にち). 2023ねん5がつ26にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]