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大内おおうちダム

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大内おおうちダム
大内ダム
所在地しょざいち 左岸さがん
福島ふくしまけん南会津みなみあいづぐん下郷しもごうまち大字だいじ大内おおうち小野嶽おのだけ
右岸うがん
福島ふくしまけん南会津みなみあいづぐん下郷しもごうまち大字だいじ大内おおうち
位置いち 北緯ほくい3720ふん34びょう 東経とうけい13952ふん20びょう / 北緯ほくい37.34278 東経とうけい139.87222 / 37.34278; 139.87222
河川かせん 阿賀野川あがのがわ水系すいけい小野川おのがわ
ダムみずうみ
ダムしょもと
ダム型式けいしき 中央ちゅうおう土質どしつさえぎみずかべがた
ロックフィルダム
つつみだか 102.0 m
つつみいただきちょう 340.0 m
つつみ体積たいせき 4,459,000 m3
流域りゅういき面積めんせき 3.7 km2
たたえ水面すいめんせき 70.0 ha
そう貯水ちょすい容量ようりょう 18,500,000 m3
有効ゆうこう貯水ちょすい容量ようりょう 16,000,000 m3
利用りよう目的もくてき 発電はつでん
事業じぎょう主体しゅたい 電源でんげん開発かいはつ
電気でんき事業じぎょうしゃ 電源でんげん開発かいはつ
発電はつでんしょめい
認可にんか出力しゅつりょく
下郷しもごう発電はつでんしょ
(1,000,000 kW
施工しこう業者ぎょうしゃ あいだぐみ日本にっぽん国土こくど開発かいはつ
着手ちゃくしゅねん竣工しゅんこうねん 1974ねん1991ねん
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下郷しもごう発電はつでんしょ上池かみいけ下池しもいけそらつまみ

大内おおうちダム(おおうちダム)は、福島ふくしまけん南会津みなみあいづぐん下郷しもごうまち大字だいじ大内おおうち小野嶽おのだけ一級いっきゅう河川かせん阿賀野川あがのがわ水系すいけい小野川おのがわさい上流じょうりゅう建設けんせつされたダムである。

電源でんげん開発かいはつ株式会社かぶしきがいしゃ管理かんりするつつみだか102.0 mつつみいただきちょう340m、つつみ体積たいせき4,459せんつつみいただきはば10mの中央ちゅうおう土質どしつさえぎみずかべがたロックフィルダムで、揚水ようすい発電はつでんしょである下郷しもごう発電はつでんしょ(しもごうはつでんしょ)の上部じょうぶ調整ちょうせいでもある。下部かぶ調整ちょうせいである大川おおかわダム阿賀野川あがのがわ本川ほんがわ国土こくど交通省こうつうしょう北陸ほくりく地方ちほう整備せいびきょく管理かんり)とのあいだじゅん揚水ようすいしき発電はつでんおこなうことで、認可にんか出力しゅつりょく1,000,000 kW発電はつでんする目的もくてきゆうする発電はつでん専用せんようダムである[1][2]

沿革えんかく

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阿賀野川あがのがわ流域りゅういき大正たいしょう時代じだいより電源でんげん開発かいはつさかんな流域りゅういきであった。上流じょうりゅう山岳さんがく地帯ちたい豪雪ごうせつ地帯ちたいであることから、春先はるさき雪融ゆきどすいはじめとして年間ねんかんつう豊富ほうふ流量りゅうりょうとなっている。こうしたことから猪苗代湖いなわしろこ只見川ただみがわ中心ちゅうしんおおくの水力すいりょく発電はつでんところ発電はつでん専用せんようダムが建設けんせつされ、おく只見ただみダム田子倉たごくらダム只見川ただみがわ)といった日本にっぽんのダムの歴史れきしのこだいプロジェクトも遂行すいこうされていた。これらは戦後せんご電力でんりょく不足ふそくおぎなうため1950ねん昭和しょうわ25ねん)に制定せいていされた国土こくど総合そうごう開発かいはつほうもとづき、「只見川ただみがわ特定とくてい地域ちいき総合そうごう開発かいはつ計画けいかく」が策定さくていされた結果けっかであった。だが、次第しだい火力かりょく発電はつでんへの比重ひじゅうたかくなり、阿賀野川あがのがわ流域りゅういきにおいても水力すいりょく発電はつでん新規しんき開発かいはつ収束しゅうそくしてった。

ところが1973ねん昭和しょうわ48ねん)にオイルショック勃発ぼっぱつし、原油げんゆ依存いぞんしていた日本にっぽん経済けいざいおおきな打撃だげきけた。火力かりょく発電はつでん石油せきゆ依存いぞんしていためんおおきかったため、エネルギーの安定あんてい供給きょうきゅうという観点かんてん一抹いちまつ不安ふあんをもたらした。電力でんりょく行政ぎょうせい管轄かんかつする通商産業省つうしょうさんぎょうしょうげん経済けいざい産業さんぎょうしょう)は化石かせき燃料ねんりょう依存いぞんせず、天然てんねん無尽蔵むじんぞう資源しげんみず活用かつようできる水力すいりょく発電はつでんさい評価ひょうか水力すいりょく発電はつでんふたた脚光きゃっこうびるにいたった。このなかで、火力かりょく発電はつでん原子力げんしりょく発電はつでんとの連携れんけいはかれ、余剰よじょう電力でんりょく有効ゆうこう活用かつようできる揚水ようすい発電はつでん俄然がぜん注目ちゅうもくあつまり、全国ぜんこく各地かくちにおいて揚水ようすい発電はつでんしょ建設けんせつ計画けいかくかく電力でんりょく会社かいしゃによって推進すいしんされていった。

阿賀野川あがのがわ流域りゅういきにおいても揚水ようすい発電はつでん適当てきとう地点ちてん調査ちょうさされていたが、当時とうじ建設省けんせつしょう北陸ほくりく地方ちほう建設けんせつきょく阿賀野川あがのがわ本川ほんかわ治水ちすい会津盆地あいづぼんちへの利水りすい目的もくてき大川おおかわダムの建設けんせつ計画けいかくすすめていた。電源でんげん開発かいはつはこの大川おおかわダムを利用りようして揚水ようすい発電はつでんおこな方針ほうしんかため、大川おおかわダム建設けんせつ事業じぎょう電気でんき事業じぎょうしゃとして東北電力とうほくでんりょくとも参加さんかした。そして1974ねん昭和しょうわ49ねん)より大川おおかわダム上流じょうりゅう阿賀野川あがのがわそそ小野川おのがわさい上流じょうりゅう水源すいげんである大内沼おおうちぬま地点ちてん上部じょうぶ調整ちょうせいもうけることで揚水ようすい発電はつでんおこな計画けいかくてた。これが大内おおうちダムである。

下郷しもごう発電はつでんしょ

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大内おおうちダムは1974ねん着工ちゃっこうし、19ねん歳月さいげつ1991ねん平成へいせい3ねん)に完成かんせいした。ダムのたかさ102.0 mは阿賀野川あがのがわ水系すいけいにおいてはおく只見ただみダム(157.0 m)、田子倉たごくらダム(145.0 m)にいで3番目ばんめたかいダムである。ダムはつつみたい中央ちゅうおうみずさえぎかべさえぎみずかべ)をつ「中央ちゅうおう土質どしつさえぎみずかべがたロックフィルダム」という型式けいしきであり、ロックフィルダムのなかでは普通ふつうられる型式けいしきであるが、外観がいかんつつみたい中腹ちゅうふくおおきな広場ひろばじょうのスペースをゆうし、そこから直角ちょっかくがるかたち下流かりゅうくようになっており、のロックフィルダムとはすこことなる背面はいめん(ダム下流かりゅうめんのことをす)である。

阿賀野川あがのがわ水系すいけいでは最大さいだい認可にんか出力しゅつりょくゆうする発電はつでんしょ下郷しもごう発電はつでんしょ大内おおうちダム地点ちてんにはく、下部かぶ調整ちょうせいである大川おおかわダムの左岸さがん建設けんせつされた。付近ふきん一帯いったい大川おおかわ羽鳥はとり県立けんりつ自然しぜん公園こうえん指定していされている景勝けいしょうであることから、環境かんきょう最大限さいだいげん配慮はいりょおこなうため発電はつでんしょ設備せつび一切いっさい地下ちか建設けんせつした。このため地上ちじょうからは取水しゅすいこう程度ていどしか観察かんさつすることが出来できない。揚水ようすい発電はつでんしょおおくは地下ちかふかくに建設けんせつされるケースがほとんどであるが、下郷しもごう発電はつでんしょにおいても同様どうようであった。大内おおうちダムと大川おおかわダム(若郷わかごう)のあいだ有効ゆうこう落差らくさ387.0 mを利用りようし、最大さいだい1,000,000 kWを発電はつでんする[2]

発電はつでんしょは1あたり250,000 kWの発電はつでん可能かのう発電はつでんを4ゆうするが、1988ねん昭和しょうわ63ねん)の大川おおかわダム完成かんせい同時どうじに1号機ごうきと2号機ごうき運転うんてん開始かいしし、その1991ねん大内おおうちダムが完成かんせいすると同時どうじのこりの3号機ごうきと4号機ごうき運転うんてん開始かいし、ここにおいて下郷しもごう発電はつでんしょぜん施設しせつ稼動かどうするにいたった。なお、ダム・発電はつでんしょ建設けんせつれた下郷しもごうまちには、電源でんげんさんほうもとづく地方自治体ちほうじちたい財政ざいせい補助ほじょとしての電源でんげんさんほう交付こうふきん支給しきゅうされた。

周辺しゅうへん観光かんこう

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大内おおうちダムみずうみそらつまみ
ダムのすぐ下流かりゅうがわ大内おおうち宿やどえる。

大内おおうちダムの直下ちょっかりゅうには、会津あいづ地方ちほう一大いちだい観光かんこうである大内おおうち宿やどがある。江戸えど時代じだい街道かいどう宿場しゅくばまち姿すがたいまのこ大内おおうち宿やどくに重要じゅうよう伝統でんとうてき建造けんぞうぶつぐん保存ほぞん地区ちくとして選定せんていされており、年間ねんかんつうおおくの観光かんこうきゃくおとずれる。大内おおうちダムはその直上ちょくじょうりゅう位置いちし、つつみいただきからは大内おおうち宿やど一望いちぼうできる。このため大内おおうち宿やどとセットでおとずれる観光かんこうきゃくおおい。なつでも比較的ひかくてき冷涼れいりょうであるほか、紅葉こうようあざやかであり、所要しょよう時間じかんいちあいだ程度ていどでダムみずうみ一周いっしゅうする遊歩道ゆうほどう整備せいびされていることから、散策さんさくてきしたダムでもある。

大内おおうちダムへは公共こうきょう交通こうつう機関きかんでは会津あいづ鉄道てつどう湯野上ゆのかみ温泉おんせんえき下車げしゃタクシーやく20ぶん道程どうてい到着とうちゃくする。自家用車じかようしゃ場合ばあい国道こくどう121ごうより湯野上ゆのかみ温泉おんせんえき付近ふきん福島ふくしまけんどう329ごう大内おおうち宿やど方面ほうめん)へがり、直進ちょくしんする。ただしこのルートの場合ばあいはるあき観光かんこうシーズンにはだい渋滞じゅうたいまれる場合ばあいもある。一方いっぽうあしまき温泉おんせん方面ほうめんより福島ふくしまけんどう23ごう会津高田あいづたかだ上三寄かみみよりせんて、もしくは会津若松あいづわかまつより会津あいづ美里みさとまちきゅう会津本郷あいづほんごう市街地しがいち福島ふくしまけんどう131ごう下郷しもごう会津本郷あいづほんごうせんとおるルートもあり、この場合ばあい大内おおうち宿やど通過つうかしないため渋滞じゅうたい回避かいひしやすい。氷玉峠ひだまとうげ付近ふきん冬季とうき通行止つうこうどめとなるので注意ちゅうい必要ひつようであったが、ダム建設けんせつあわせて1989ねん貫通かんつうしていた氷玉ひだまトンネルをふく氷玉ひだまバイパス2003ねん全線ぜんせん供用きょうよう開始かいしとなり改善かいぜんした。

周辺しゅうへん 名所めいしょ旧跡きゅうせき観光かんこうスポット

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参考さんこう文献ぶんけん

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 大内おおうちダム[福島ふくしまけん] - ダム便覧びんらん”. damnet.or.jp. 一般いっぱん社団しゃだん法人ほうじん 日本にっぽんダム協会きょうかい. 20250-7-27てんオリジナルよりアーカイブ。2020ねん7がつ27にち閲覧えつらん
  2. ^ a b 水力すいりょく発電はつでんしょギャラリー 電源でんげん開発かいはつ下郷しもごう発電はつでんしょ”. www.suiryoku.com. 水力すいりょくドットコム. 電源でんげん開発かいはつ株式会社かぶしきがいしゃ 下郷しもごう発電はつでんしょ. 2020ねん7がつ27にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2020ねん7がつ27にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

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