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大西おおにしひろし

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大西おおにし ひろし(おおにし ひろし、1962ねん5月14にち[1] - 1991ねん10月16にち、29さいぼつ)は、日本にっぽん登山とざん名古屋なごや出身しゅっしん1989ねんスキーによるきた極点きょくてん到達とうたつエベレスト登頂とうちょうの「2きょく征服せいふく達成たっせいした。

経歴けいれき[編集へんしゅう]

名古屋なごやまれた[2]1978ねん東京とうきょう都立とりつきゅうだん高等こうとう学校がっこう入学にゅうがく山岳さんがく入部にゅうぶした[2]明治大学めいじだいがく進学しんがくし、2年生ねんせいのときから山岳さんがくはいって活動かつどうした[3]

卒業そつぎょうも、いち食品しょくひん会社かいしゃ就職しゅうしょくしたが、肉体にくたい労働ろうどうアルバイトをしながら登山とざん中心ちゅうしん生活せいかつおく[3]OBかいである炉辺ろへんかい(ろばたかい)のメンバーとして活動かつどうした[4]

1985ねん日本にっぽん山岳さんがくかいの80周年しゅうねん記念きねん行事ぎょうじとしておこなわれた中国ちゅうごく登山とざんたい参加さんかし、崑崙山こんろんざんみゃくカカサイジモンカ登頂とうちょうした[4]

1987ねん日本にっぽん中国ちゅうごくネパール1988チョモランマサガルマタ友好ゆうこう登山とざんたい参加さんかし、きたりょうルートでエベレスト登頂とうちょうした[4]

1988ねんアンデス山脈あんですさんみゃくワスカラン登頂とうちょうした[4]

1989ねんロバート・スワンひきいる、スキーによるきた極点きょくてん到達とうたつ目指めざすアイスウォーク国際こくさい北極ほっきょく遠征えんせいたい一員いちいんとして、北極ほっきょくてん到達とうたつした[4][5]

同年どうねんカトマンズクラブのエベレスト登山とざんたい1989に参加さんかし、南東なんとうりょうルートでエベレスト登頂とうちょうした[4][6]10月13にち頂上ちょうじょうち、1ねんのうちに地球ちきゅうの「2きょく」に到達とうたつした[7]

1990ねんマカルー登頂とうちょうした[4]。また、にちちゅう合同ごうどうナムチャバルワ偵察ていさつたい参加さんかし、ナイプン直下ちょっか鞍部あんぶ到達とうたつした[4]

1991ねん、ナムチャバルワちゅう合同ごうどう登山とざんたい参加さんかした[4]大西おおにし輸送ゆそう会計かいけい担当たんとうであったが[3]、“エース”とされており[8]、「並外なみはずれた体力たいりょくでルート開拓かいたく牽引けんいんやくとなっていた」[9]10月16にち[10]だい4キャンプ予定よていかってみなみりょう登攀とうはんなかに、標高ひょうこう6,150m付近ふきん雪崩なだれまれ、遭難そうなんした[11]遺体いたい現地げんち荼毘だびされた[12]享年きょうねん29。

大西おおにし南極なんきょくてん到達とうたつによる「三極さんきょく制覇せいは」を目標もくひょうとしていたが、大西おおにし計画けいかく継承けいしょうして1993ねん徒歩とほ南極なんきょくてん目指めざした「アンタークティックウォーク南極なんきょくてん探検たんけんたい」は、大西おおにし遺影いえい遺骨いこつ一部いちぶそりんで南極なんきょくてん到達とうたつした[13]

著書ちょしょ[編集へんしゅう]

大西おおにしひろしちょ、「大西おおにしひろし遺稿いこう追悼ついとうしゅう発行はっこうかいへんとおたかく:大西おおにしひろし遺稿いこうしゅう悠々ゆうゆうしゃ1993ねん11月ISBN 4946406247

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 登山とざん大西おおにしひろしさん(ことばしょう)”. 朝日新聞あさひしんぶん夕刊ゆうかん: p. 2. (1993ねん12月20にち). "はちきゅうねんじゅうななさい誕生たんじょう国際こくさいたい・アイスウォークの一員いちいんとしてきた極点きょくてん徒歩とほ到達とうたつ。"  - 聞蔵きくぞうIIビジュアルにて閲覧えつらん“[近況きんきょう近況きんきょう今年ことしはトレーナー姿すがたで“越冬えっとう”の明大めいだい山岳さんがくOBの大西おおにしひろしさん”. 読売新聞よみうりしんぶん東京とうきょう夕刊ゆうかん: p. 2. (1989ねん12月9にち). "誕生たんじょうたるがつじゅうよんにちきた極点きょくてん踏破とうは。"  - ヨミダス歴史れきしかんにて閲覧えつらん
  2. ^ a b 登山とざん大西おおにしひろしさん(ことばしょう)”. 朝日新聞あさひしんぶん夕刊ゆうかん: p. 2. (1993ねん12月20にち)  - 聞蔵きくぞうIIビジュアルにて閲覧えつらん
  3. ^ a b c “[未踏みとうほういどむ]様々さまざまなナムチャバルワ(1)大西おおにしひろし “三極さんきょく制覇せいはねらう”. 読売新聞よみうりしんぶん東京とうきょう朝刊ちょうかん: p. 19. (1991ねん9がつ3にち)  - ヨミダス歴史れきしかんにて閲覧えつらん
  4. ^ a b c d e f g h i 炉辺ろへんかいあゆ”. 明治大学めいじだいがく体育たいいくかい山岳さんがく. 2014ねん12月24にち閲覧えつらん
  5. ^ “スキーたいきた極点きょくてん到達とうたつ 「アイスウォーク」”. 朝日新聞あさひしんぶん朝刊ちょうかん: p. 30. (1989ねん5がつ16にち)  - 聞蔵きくぞうIIビジュアルにて閲覧えつらん
  6. ^ 日本人にっぽんじんのエベレスト(チョモランマ)登頂とうちょうしゃ一覧いちらん”. World Expeditions Consultants, Inc. (2013ねん6がつ13にち). 2014ねん12月24にち閲覧えつらん
  7. ^ “[近況きんきょう近況きんきょう今年ことしはトレーナー姿すがたで“越冬えっとう”の明大めいだい山岳さんがくOBの大西おおにしひろしさん”. 読売新聞よみうりしんぶん東京とうきょう夕刊ゆうかん: p. 2. (1989ねん12月9にち)  - ヨミダス歴史れきしかんにて閲覧えつらん
  8. ^ “ヒマラヤ・ナムチャバルワほう荒天こうてんつづ登頂とうちょう断念だんねん ちゅう登山とざん合同ごうどうたい”. 朝日新聞あさひしんぶん朝刊ちょうかん: p. 30. (1991ねん11月25にち). "同隊どうたいはエースの大西おおにしひろし隊員たいいん(29)を10月16にち雪崩なだれうしない..."  - 聞蔵きくぞうIIビジュアルにて閲覧えつらん
  9. ^ じゅうこう恒夫つねお日本にっぽん山岳さんがくかいわたし登山とざん3 日本にっぽん山岳さんがくかいにおけるヒマラヤ登山とざん連鎖れんさ軌跡きせき (2)」(PDF)『やま』2006ねん9がつ20日はつか、2ぺーじ2014ねん12月24にち閲覧えつらん 
  10. ^ 大西おおにしひろし隊員たいいん死亡しぼう ヒマラヤ未踏みとうほう雪崩なだれ”. 朝日新聞あさひしんぶん朝刊ちょうかん: p. 31. (1991ねん10がつ17にち)  - 聞蔵きくぞうIIビジュアルにて閲覧えつらん
  11. ^ 濱野はまの吉生よしお登山とざん事故じこをめぐる当事とうじしゃ関係かんけい法的ほうてき責任せきにん」『早稲田大学わせだだいがく人間にんげん科学かがく研究けんきゅうだい9かんだい1ごう早稲田大学わせだだいがく、1996ねん3がつ25にち、12ぺーじ  NAID 110004631523
  12. ^ がらすまめ (2009ねん8がつ20日はつか). “ポプラのぶし日本にっぽん登山とざんしの”. China Internet Information Center. 2014ねん12月24にち閲覧えつらん
  13. ^ 山男やまおとこ遺志いし南極なんきょくてんった 日本にっぽんたい大西おおにしひろしさんの遺骨いこつとともに踏破とうは”. 朝日新聞あさひしんぶん夕刊ゆうかん: p. 6. (1993ねん1がつ18にち)  - 聞蔵きくぞうIIビジュアルにて閲覧えつらん