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大野 武城(おおの たけき、1898年(明治31年)1月3日 - 1983年(昭和58年)12月27日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級。
1899年(明治31年)に東京府で生まれた。陸軍士官学校第31期、陸軍大学校第44期卒業。1939年(昭和14年)8月に第15師団参謀長(第13軍)に就任し、日中戦争に出動して首都南京の警備に任じた。1940年(昭和15年)8月1日に陸軍歩兵大佐に進級し、9月9日に陸軍省人事局附となり、陸軍功績調査部部員に命じられた。
その後陸軍兵器行政本部附兼陸軍省人事局附となり[3]、1944年(昭和19年)8月1日に陸軍少将進級と同時に支那派遣軍教育隊長に着任。同年12月29日に第4軍参謀長(関東軍)に就任。ソ連対日参戦の際には隷下の独立混成第80旅団がハイラル各地区陣地でソ連軍と激戦となり、有力な戦車・砲兵部隊を引き付け、停戦まで陣地の大部を確保するなど健闘。さらに大野によれば8月16日には狭隘な陣地に集中するソ連軍に対し、隷下の第119師団が大打撃を与えることもできたが、第4軍司令部の命により積極的攻撃を行っていないという。終戦後はシベリアに抑留され、1956年(昭和31年)12月28日に帰国した。
- 中山隆志 著『ソ連軍進攻と日本軍』国書刊行会、1990年。ISBN 4336031673。
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。