(Translated by https://www.hiragana.jp/)
大野武城 - Wikipedia コンテンツにスキップ

大野おおのたけしじょう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
大野おおの たけしじょう
生誕せいたん 1898ねん1がつ3にち
日本の旗 日本にっぽん 東京とうきょう
死没しぼつ (1983-12-27) 1983ねん12月27にち(85さいぼつ
所属しょぞく組織そしき  大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐん
ぐんれき 1919ねん - 1945ねん
最終さいしゅう階級かいきゅう 陸軍りくぐん少将しょうしょう
テンプレートを表示ひょうじ

大野おおの たけしじょう(おおの たけき[1]1898ねん明治めいじ31ねん1がつ3にち[2] - 1983ねん昭和しょうわ58ねん12月27にち[2])は、大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐん軍人ぐんじん最終さいしゅう階級かいきゅう陸軍りくぐん少将しょうしょうこうよんきゅう[1]

経歴けいれき[編集へんしゅう]

1899ねん明治めいじ31ねん)に東京とうきょうまれた[2]陸軍りくぐん士官しかん学校がっこうだい31陸軍りくぐんだい学校がっこうだい44卒業そつぎょう[2]1939ねん昭和しょうわ14ねん)8がつだい15師団しだん参謀さんぼうちょうだい13ぐん)に就任しゅうにん[1][2]にちちゅう戦争せんそう出動しゅつどうして首都しゅと南京なんきん警備けいびにんじた[2]1940ねん昭和しょうわ15ねん8がつ1にち陸軍りくぐん歩兵ほへい大佐たいさ進級しんきゅう[1]9月9にち陸軍りくぐんしょう人事じんじきょくつけとなり[1]陸軍りくぐん功績こうせき調査ちょうさ部員ぶいんめいじられた[1]

その陸軍りくぐん兵器へいき行政ぎょうせい本部ほんぶけん陸軍りくぐんしょう人事じんじきょくとなり[3]1944ねん昭和しょうわ19ねん8がつ1にち陸軍りくぐん少将しょうしょう進級しんきゅう同時どうじささえ派遣はけんぐん教育きょういく隊長たいちょう着任ちゃくにん[1][2]同年どうねん12月29にちだい4ぐん参謀さんぼうちょう関東軍かんとうぐん)に就任しゅうにん[2]ソ連それんたいにち参戦さんせんさいには隷下れいか独立どくりつ混成こんせいだい80旅団りょだんハイラルかく地区ちく陣地じんちソ連それんぐん激戦げきせんとなり[4]有力ゆうりょく戦車せんしゃ砲兵ほうへい部隊ぶたいけ、停戦ていせんまで陣地じんち大部たいぶ確保かくほするなど健闘けんとう[4]。さらに大野おおのによれば8がつ16にちには狭隘きょうあい陣地じんち集中しゅうちゅうするソ連それんぐんたいし、隷下れいかだい119師団しだんだい打撃だげきあたえることもできたが[5]だい4ぐん司令しれいいのちにより積極せっきょくてき攻撃こうげきおこなっていないという[5]終戦しゅうせんシベリア抑留よくりゅうされ[2]1956ねん昭和しょうわ31ねん12月28にち帰国きこくした[2]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 中山なかやま隆志たかし ちょソ連それんぐん進攻しんこう日本にっぽんぐん国書刊行会こくしょかんこうかい、1990ねんISBN 4336031673 
  • 福川ふくかわ秀樹ひでき 編著へんちょ日本にっぽん陸軍りくぐん将官しょうかん辞典じてん芙蓉ふよう書房しょぼう出版しゅっぱん、2001ねんISBN 4829502738 
  • 外山とやまみさお へん陸海りくかいぐん将官しょうかん人事じんじ総覧そうらん 陸軍りくぐんへん芙蓉ふよう書房しょぼう出版しゅっぱん、1981ねんISBN 4829500026