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天城あまぎえつ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
天城山あまぎさん隧道すいどう。『伊豆いず踊子おどりこ』では、一人ひとりたびをしていた青年せいねんが、たび道中どうちゅうかけた旅芸人たびげいにん一座いちざむすめしんせ、このトンネルのわきにあったとうげ茶屋ちゃやで、はじめてそのむすめ会話かいわった場所ばしょとしてえがかれた。
天城越えの位置(100x100内)
天城越え
伊豆半島いずはんとう地勢ちせい天城峠あまぎとうげ位置いち

天城あまぎえつ(あまぎごえ)は、静岡しずおかけん伊豆いず賀茂かもぐん河津かわづまちさかいにある天城峠あまぎとうげえる旅路たびじのこと。

伊豆半島いずはんとう南北なんぼく縦断じゅうだんする天城峠あまぎとうげえのみちは、天城あまぎ(あまぎじ)や、天城あまぎ街道かいどう(あまぎかいどう)ともよばれる[1]伊豆半島いずはんとうみなみ位置いちする下田げでんと、きた位置いちする三島みしまむす街道かいどう下田しもだ街道かいどうといい、天城あまぎえの天城あまぎどう街道かいどう一部いちぶにあたる[1]伊豆半島いずはんとう内陸ないりく半島はんとう南部なんぶあいだには天城山あまぎさん峰々みねみねがあり、これをえるのは下田しもだ街道かいどう最大さいだい難所なんしょであった[2]1905ねん明治めいじ38ねん)に天城山あまぎさん隧道すいどうきゅう天城あまぎトンネル)が開通かいつう[1]おおくのひと物資ぶっしがこの天城峠あまぎとうげえてするようになった。

天城あまぎえは川端かわばた康成やすなりの『伊豆いず踊子おどりこ』や、松本まつもと清張せいちょうの『天城あまぎえつ』などのテーマにもなり、天城山あまぎさん隧道すいどうには観光かんこうきゃくおとずれる。1970ねん昭和しょうわ45ねん)にしん天城あまぎトンネルが開通かいつうしたため、きゅう街道かいどう天城山あまぎさん隧道すいどうふく天城あまぎ現在げんざいは、「踊子おどりこ歩道ほどう」とよばれる全長ぜんちょうやく16キロメートル(km)の遊歩道ゆうほどうとして整備せいびされており、浄蓮じょうれんたき自然しぜん休養きゅうようりんの「昭和しょうわもり」といった自然しぜんたのしみながらあるくことのできるハイキングコースとなっている[2][3]。「踊子おどりこ歩道ほどう」は国土こくど交通こうつう大臣だいじん表彰ひょうしょう平成へいせい2年度ねんどづくり郷土きょうどしょう街灯がいとうのある街角まちかど受賞じゅしょう[4]

かつての天城あまぎえつ

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とうげ

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最古さいこ天城あまぎえの記録きろく平安へいあん時代じだいで、現在げんざい天城峠あまぎとうげから1.2 kmほど西にしとうげ北緯ほくい3449ふん36.2びょう 東経とうけい13855ふん21.6びょう / 北緯ほくい34.826722 東経とうけい138.922667 / 34.826722; 138.922667 (とうげ)え、寒天かんてんきょう北緯ほくい3449ふん30.5びょう 東経とうけい13856ふん21.1びょう / 北緯ほくい34.825139 東経とうけい138.939194 / 34.825139; 138.939194 (寒天かんてんきょう)からふたた新山峠にいやまとうげ北緯ほくい3449ふん26.7びょう 東経とうけい13857ふん26びょう / 北緯ほくい34.824083 東経とうけい138.95722 / 34.824083; 138.95722 (新山峠にいやまとうげ)のぼり、奥原おくはらまたは河津川かわづがわ沿いに迂回うかいしていたとされる[5]

ほん杉峠すぎとうげ

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いつからか人々ひとびとほん杉峠すぎとうげ利用りようするようになり、いにしえとうげはいどうとなった。ほん杉峠すぎとうげ北緯ほくい3449ふん52.6びょう 東経とうけい13854ふん31.1びょう / 北緯ほくい34.831278 東経とうけい138.908639 / 34.831278; 138.908639 (ほん杉峠すぎとうげ)1905ねん明治めいじ38ねん)に天城山あまぎさん隧道すいどう開通かいつうするまで、ながあいだおおくの人々ひとびと利用りようした。幕末ばくまつには志士しし往来おうらいし、アメリカ総領事そうりょうじタウンゼント・ハリス外交がいこう交渉こうしょうのために下田しもだ玉泉寺ぎょくせんじから江戸えどかうさい天城あまぎとうげえた[1][6]。このほか、松平まつだいら定信さだのぶたにぶんあきら曲亭馬琴きょくていばきん吉田よしだ松陰しょういんはやしふくときなどもこのとうげえている[7][8]。なお、このほん杉峠すぎとうげきゅう天城峠あまぎとうげともばれることがある。

作品さくひん

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天城あまぎ下田しもだ街道かいどう)は、おだやかな気候きこう自然しぜんめぐまれたふかやまふところと、そこにながれる清流せいりゅうめぐまれた温泉郷おんせんきょうにあったことから、おおくの文人ぶんじんおとずれており、すうおおくの小説しょうせつ舞台ぶたいとして天城あまぎえが登場とうじょうする[6]川端かわばた康成やすなり名作めいさくられる小説しょうせつ伊豆いず踊子おどりこ』では、「つうがつづらりになっていよいよ天城峠あまぎとうげちかづいたとおもころ…」とえがかれており、とうげから物語ものがたりはじまっている[6]川端かわばたのほかにも、島崎しまざき藤村とうそん井上いのうえやすしなどの小説しょうせつたちも天城あまぎ自然しぜんあいして天城あまぎあるいており、現在げんざいでは、天城あまぎ沿ってゆかりの文学ぶんがく詩碑しひ数多かずおおてられている[6][9]

関連かんれん

施設しせつ

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脚注きゃくちゅう

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すべての座標ざひょうしめした地図ちず - OSM
ぜん座標ざひょう出力しゅつりょく - KML
  1. ^ a b c d ロム・インターナショナル(へん) 2005, p. 120.
  2. ^ a b 浅井あさいけんなんじ 2015, p. 136.
  3. ^ ロム・インターナショナル(へん) 2005, pp. 120–121.
  4. ^ 国土こくど交通省こうつうしょう 公共こうきょう事業じぎょう企画きかく調整ちょうせい. “これまでの受賞じゅしょう一覧いちらん 静岡しずおかけん河津かわづまち 踊子おどりこ歩道ほどう (街灯がいとうのある街角まちかど)」”. づくり郷土きょうどしょう. 国土こくど交通こうつうしょう. 2022ねん3がつ1にち閲覧えつらん
  5. ^ 出典しゅってん:「みちえき 天城あまぎえ」の掲示板けいじばんより
  6. ^ a b c d 日本にっぽんみち100せん研究けんきゅうかい 2002, pp. 110–111.
  7. ^ 出典しゅってんほん杉峠すぎとうげ現地げんち解説かいせつばんより
  8. ^ 出典しゅってん昭和しょうわもり会館かいかん展示てんじより
  9. ^ ロム・インターナショナル(へん) 2005, p. 121.

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 浅井あさいけんなんじ日本にっぽん道路どうろがわかる辞典じてん』(初版しょはん日本にっぽん実業じつぎょう出版しゅっぱんしゃ、2015ねん10がつ10日とおかISBN 978-4-534-05318-3 
  • 日本にっぽんみち100せん研究けんきゅうかい ちょ国土こくど交通省こうつうしょう道路どうろきょく監修かんしゅうへん日本にっぽんみち100せん新版しんぱん〉』ぎょうせい、2002ねん6がつ20日はつかISBN 4-324-06810-0 
  • ロム・インターナショナル(へん)『道路どうろ地図ちず びっくり!博学はくがく知識ちしき河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ〈KAWADEゆめ文庫ぶんこ〉、2005ねん2がつ1にちISBN 4-309-49566-4 

関連かんれん項目こうもく

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