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定光じょうこういん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

定光じょうこういん(じょうこういん、生年せいねんしょう - のべたから2ねん6がつ20日はつか1674ねん7がつ23にち))は、江戸えど幕府ばくふ3だい将軍しょうぐん徳川とくがわ家光いえみつ側室そくしつ京都きょうとかんじん青木あおきただしたつむすめ異説いせつ青木あおき利長としなが斉藤さいとう太田おおた成瀬なるせむすめなどとも)。通称つうしょうさとほう

生涯しょうがい

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元和がんわ9ねん1623ねん)に家光いえみつ正室せいしつ鷹司たかつかさ孝子たかこ侍女じじょとして大奥おおおくつとはじめる。その家光いえみつ見初みそめられて正保まさやす4ねん1647ねん)に家光いえみつ五男いつお鶴松つるまつむが、翌年よくねん逝去せいきょ

家光いえみつ死後しご落飾らくしょくして定光じょうこういんごうすが、鶴松つるまつ家光いえみつ供養くようのために、春日局かすがのつぼねめいであるすみ松寺まつでらこころあま弟子でしはいってちょうしんあまになったというせつもある。

のべたから2ねん(1674ねん)にぼっし、すみ松寺まつでらほうむられる。

関連かんれん項目こうもく

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