出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
宮地 克実(みやじ かつみ、1941年3月10日 - )は、日本の元ラグビー選手及び指導者。
大阪府立四條畷高等学校を経て、同志社大学へと進む。同大学在籍時代には坂田好弘らとともに第2回日本協会招待NHK杯で近鉄を下し、事実上のラグビー日本一を経験。その後、東京三洋に加入。また、日本代表選手の経験もあり、1969年のアジア選手権に出場し、キャップ1を獲得している。
現役引退後は1978年、1984年と2度日本代表監督を歴任。そして恩師でもある前任者の岡仁詩の突然の辞任により、第1回のラグビーワールドカップが開催される1987年に3度目の代表監督復帰を果たし、同大会の指揮を執った。
その後、三洋電機の監督に就任。同職時代には当時日本一連覇中の神戸製鋼との名勝負を毎年繰り広げた。しかし、三洋電機(現 パナソニック ワイルドナイツ)では選手、監督時代を通じて、ついに一度も日本一も、全国社会人大会の優勝も果たすことができなかったことから、「悲劇の名将」と謳われた。
造園業を営んでいる。また、ワイルドナイツの練習グラウンドの整備も手がけている。
テレビドラマ『スクール☆ウォーズ』の原作者、馬場信浩は大阪府立四條畷高等学校時代の一年後輩であり、同作品の執筆にラグビー関連資料を多数提供している。
|
---|
1930年代 (7名) | |
---|
1950年代 (7名) |
- 関川哲男
- 夏井末春
- 簔口一光
- 南義明
- 藤晃和
- 小林清
- 結城昭康
|
---|
1960年代 (11名) | |
---|
1970年代 (11名) |
- 下薗征昭
- 黒坂敏夫
- 原進
- 飯降幸雄
- 吉野一仁
- 高田司
- 宮内正幸
- 仲山健
- 安井敏明
- 豊田偉明
- 洞口孝治
|
---|
1980年代 (10名) | |
---|
1990年代 (10名) | |
---|
2000年代 (22名) | |
---|
2010年代 (26名) | |
---|
2020年代 (7名) | |
---|
|