対馬 要塞
概要
[対馬 警備 隊 の時代
[対馬 要塞 司令 部 の時代
[1920
1936
1939
1941
年譜
[- 1887
年 (明治 20年 )- 4
月 温江 砲台 ・大平 砲台 ・芋崎 砲台 着工 - 9
月 大石 浦 砲台 着工
- 4
- 1888
年 (明治 21年 )- 8
月 温江 砲台 ・大平 砲台 竣工 - 10
月 大石 浦 砲台 ・芋崎 砲台 竣工
- 8
- 1898
年 (明治 31年 )- 8
月 四 十 八 谷 砲台 着工 - 10
月 大平 高 砲台 着工
- 8
- 1899
年 (明治 32年 )- 11月7
日 対馬 要塞 砲兵 大隊 が事務 を開始 [9]。
- 11月7
- 1900
年 (明治 33年 ) - 1901
年 (明治 34年 )- 8
月 根緒 堡塁 ・上見坂 堡塁 着工 - 10
月 大平 高 砲台 竣工 - 11月
城山 砲台 ・城山 付属 堡塁 ・姫神山 砲台 竣工
- 8
- 1902
年 (明治 35年 )- 4
月 折 瀬 ヶ鼻 砲台 竣工 - 11月
上見坂 堡塁 竣工
- 4
- 1903
年 (明治 36年 )- 3
月 根緒 堡塁 竣工
- 3
- 1904
年 (明治 37年 )- 8
月 郷 山砲 台 着工 - 9月
樫 岳 砲台 着工
- 8
- 1905
年 (明治 38年 )- 2
月 多功 崎 砲台 着工 - 10
月 郷 山砲 台 竣工
- 2
- 1906
年 (明治 39年 )- 2
月 樫 岳 砲台 竣工 - 5月
多功 崎 砲台 竣工
- 2
- 1920
年 (大正 9年 )- 8
月 9日 対馬 警備 隊 司令 部 を改編 し対馬 要塞 司令 部 を設置 。
- 8
- 1924
年 (大正 13年 )- 9
月 竜ノ崎 第 1砲台 着工
- 9
- 1929
年 (昭和 4年 )- 3
月 竜ノ崎 第 1砲台 竣工 - 5
月 豊 砲台 着工
- 3
- 1933
年 (昭和 8年 )- 8
月 竜ノ崎 第 2砲台 着工
- 8
- 1934
年 (昭和 9年 )- 3
月 豊 砲台 竣工 - 6
月 海栗島 砲台 着工 - 7
月 郷崎 砲台 着工 - 9
月 大崎山 砲台 着工
- 3
- 1935
年 (昭和 10年 )- 10
月 海栗島 砲台 竣工
- 10
- 1936
年 (昭和 11年 )- 3
月 竜ノ崎 第 2砲台 竣工 - 7
月 棹崎 砲台 着工 - 8
月 大崎山 砲台 竣工 - 11月
豆 酸 崎 砲台 着工 - 12月
郷崎 砲台 竣工
- 3
- 1937
年 (昭和 12年 )- 5
月 竹崎 砲台 着工 - 6
月 西泊 砲台 着工
- 5
- 1938
年 (昭和 13年 )- 3
月 棹崎 砲台 竣工 - 9
月 竹崎 砲台 竣工 - 10月
西泊 砲台 竣工
- 3
- 1939
年 (昭和 14年 )- 1
月 豆 酸 崎 砲台 竣工
- 1
主要 な施設
[芋崎 砲台 温江 砲台 大石 浦 砲台 四 十 八 谷 砲台 城山 砲台 城山 付属 堡塁 折 瀬 ヶ鼻 砲台 姫神山 砲台 多功 崎 砲台 根緒 堡塁 上見坂 堡塁 樫 岳 砲台 大平 高 砲台 大平 砲台 →大平 低 砲台 竜ノ崎 第 1砲台 竜ノ崎 第 2砲台 豊 砲台 棹崎 砲台 海栗島 砲台 竹崎 砲台 西泊 砲台 郷崎 砲台 郷 山砲 台 大崎山 砲台 豆 酸 崎 砲台
歴代 司令 官
[対馬 警備 隊 司令 官
対馬 要塞 司令 官
西原 茂太郎 少将 :1920年 8月 9日 - 1921年 7月 20日 [11]古田 喜久 哉少将 :1921年 7月 20日 - 1922年 8月 15日 [12]鈴木 彦三郎 少将 :1922年 8月 15日 -冨 家政 市 少将 :1924年 2月 4日 -野本 弥三郎 少将 :1925年 5月 1日 -高木 茂 少将 :1926年 3月 2日 -本城 嘉 守 少将 :1927年 7月 26日 -瀧 原 三郎 少将 :1928年 3月 8日 -垣内 豊 輔少将 :1929年 3月 16日 -山田 卯 三男 少将 :1930年 8月 1日 - 1932年 8月 8日 [13]大内 収 多 少将 :1932年 8月 8日 -高橋 勘 二 少将 :1933年 8月 1日 -大久 保雄 賢 少将 :1934年 12月 10日 -藤井 貫一 少将 :1936年 12月1日 -後藤 十郎 少将 :1937年 11月1日 -岩倉 卯 門 少将 :1938年 7月 15日 -古賀 龍太郎 少将 :1940年 8月 1日 -鈴木 敏行 少将 :1942年 2月 3日 -今村 貞治 少将 :1943年 6月 10日 -川口 清 健 予備 役 少将 :1945年 3月 1日 -長瀬 武平 予備 役 中将 :1945年 4月 15日 -
脚注
[- ^ 『
鶏知 重砲 兵 連隊 歴史 』。「創立 第 22年 大正 9年 」 アジア歴史 資料 センター Ref.C14111011000 、13 - 15頁 。 - ^ 『
鶏知 重砲 兵 連隊 歴史 』。「創立 第 24年 大正 11年 」 アジア歴史 資料 センター Ref.C14111011200 、30 - 31頁 。リンク先 の2 - 3コマめ。 - ^ 『
鶏知 重砲 兵 連隊 歴史 』。「創立 第 38年 昭和 11年 」 アジア歴史 資料 センター Ref.C14111012600 、97頁 。 - ^ 『
陸 支 受大日記 』第 72号 (昭和 14年 )、「戦時 旬報 進達 の件 」 アジア歴史 資料 センター Ref.C04121614500中 の「壱岐 要塞 人馬 現員 表 」。リンク先 の40コマめ。 - ^ 『
鶏知 重砲 兵 連隊 歴史 』。「創立 第 43年 昭和 16年 」 アジア歴史 資料 センター Ref.C14111013100 、128頁 。 - ^ 『
鶏知 重砲 兵 連隊 歴史 』。「創立 第 43年 昭和 16年 」 アジア歴史 資料 センター Ref.C14111013100 、146 - 147頁 。リンク先 の19コマめ以降 。 - ^ 『
鶏知 重砲 兵 連隊 歴史 』、「創立 第 44年 昭和 17年 」 アジア歴史 資料 センター Ref.C14111013200 、174頁 。リンク先 の22コマめ。 - ^ 『
鶏知 重砲 兵 連隊 歴史 』。「創立 第 46年 昭和 19年 」 アジア歴史 資料 センター Ref.C14111013400 、214頁 から。リンク先 の8コマめ以降 。 - ^ 『
官報 』第 4922号 、明治 32年 11月27日 。 - ^ 『
官報 』第 5036号 、明治 33年 4月 19日 。 - ^ 『
官報 』第 2692号 、大正 10年 7月 21日 。 - ^ 『
官報 』第 3013号 、大正 11年 8月 16日 。 - ^ 『
官報 』第 1683号 、昭和 7年 8月 9日 。
参考 文献
[- 『
鶏知 重砲 兵 連隊 歴史 』。「鶏知 重砲 兵 連隊 歴史 大正 7.6.12~昭和 20.10.4」 アジア歴史 資料 センター Ref.C14111010500 。 陸軍 省 『陸 支 受大日記 』第 72号 (昭和 14年 )。[1]を閲覧 。浄法寺 朝美 『日本 築城 史 :近代 の沿岸 築城 と要塞 』原 書房 、1971年 12月1日 。NDLJP:12283210。原 剛 『明治 期 国土 防衛 史 』錦 正 社 、2002年 。歴史 群 像 シリーズ『日本 の要塞 -忘 れられた帝国 の城塞 』学習研究社 、2003年 。外山 操 ・森松 俊夫 編著 『帝国 陸軍 編制 総覧 』芙蓉 書房 出版 、1987年 。