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小倉おぐらみのるおこり

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小倉おぐらみのるおこり
小倉おぐらみのるおこりぞう
時代じだい 江戸えど時代じだい前期ぜんき
生誕せいたん 元和がんわ8ねん2がつ8にち1622ねん3月19にち
死没しぼつ 貞享ていきょう元年がんねん3月18にち1684ねん5月2にち
官位かんい せいけん大納言だいなごん
主君しゅくん れいもと天皇てんのう
氏族しぞく やぶ小倉こくら
父母ちちはは ちちやぶ嗣良養父ようふ小倉おぐらみのるため
兄弟きょうだい やぶ嗣孝中園なかそのじょうじつおこり
つま 小倉おぐらこうむすめ
おおやけれん、熙季[1]中納言ちゅうなごん典侍てんじ[2]
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小倉おぐら みのるおこり(おぐら さねおき)は、江戸えど時代じだい前期ぜんき公卿くぎょう大納言だいなごんやぶ嗣良三男さんなん近衛このえ少将しょうしょう小倉おぐらみのるため養子ようしとなる。官位かんいせいけん大納言だいなごん小倉こくら12だい当主とうしゅ

経歴けいれき

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のべたから3ねん1675ねん)にはせいけん大納言だいなごんとなった。しかしのべたから9ねん1681ねん)、むすめ中納言ちゅうなごん典侍てんじんだれいもと天皇てんのうだいいち皇子おうじ一宮いちのみやすみふか法親王ほうしんのう)の出家しゅっけ反対はんたいして一宮いちのみやかくまひとしたため、勅命ちょくめい違反いはんとしておおやけれんともとも佐渡さどとう流罪るざいとなった(小倉おぐら事件じけん)。

貞享ていきょう元年がんねん1684ねん)、同地どうち薨去こうきょ

系譜けいふ

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  • ちちやぶ嗣良
  • ははしょう
  • 養父ようふ小倉おぐらみのるため
  • つま小倉おぐらこうむすめ
  • 生母せいぼ不明ふめい子女しじょ
    • 男子だんし小倉おぐらこうれん
    • 男子だんし:熙季 - たけふちとも
    • 女子じょし中納言ちゅうなごん典侍てんじ - れいもと天皇てんのう典侍てんじ

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ たけふちとも
  2. ^ れいもと天皇てんのう典侍てんじ

関連かんれん項目こうもく

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先代せんだい
小倉おぐらみのるため
小倉こくら当主とうしゅ
12だい
次代じだい
小倉おぐらこうれん