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小野おのひさごろう

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小野おの ひさごろう(おの ひさごろう、1867ねん12月18にち慶応けいおう3ねん11月23にち[1] - 1921ねん大正たいしょう10ねん10月19にち[1][2])は、日本にっぽん薬学やくがくしゃしたがえよんくんよんとう[3]薬学やくがく博士はかせ[3][4]富山とやま薬学やくがく専門せんもん学校がっこう校長こうちょう[3][5]愛知あいちやく学校がっこう校長こうちょう[1]ぞくせき愛知あいちけん平民へいみん[4]

経歴けいれき[編集へんしゅう]

江戸えど出身しゅっしん[1]北海道ほっかいどう平民へいみん小野新おのしんすすむなん[4][5]1893ねん7がつ帝国ていこく大学だいがく医科いか大学だいがく薬学やくがく卒業そつぎょうして薬学やくがく称号しょうごう[6]1898ねん愛知あいち医学いがく専門せんもん学校がっこう教諭きょうゆ[7]愛知あいち病院びょういん薬剤やくざいちょう[7]1908ねん愛知あいち薬学やくがく校長こうちょう[7]1915ねん7がつ薬学やくがく博士はかせ学位がくい授与じゅよされた[3][5]同年どうねん9がつ富山とやまけん技師ぎしおよび富山とやま県立けんりつ薬学やくがく専門せんもんがく校長こうちょうけん教授きょうじゅ[5][7]。1921ねん10がつ19にち死去しきょ[1][2]享年きょうねん55[2]

人物じんぶつ[編集へんしゅう]

人柄ひとがら温厚おんこう篤実とくじつ気宇きう闊達かったつひょうされた[7]部下ぶか大切たいせつにし、前日ぜんじつにもふたたこうつとむくことをねがうほど、仕事しごと忠実ちゅうじつであった[7]

富山とやま総曲輪そうがわ居住きょじゅうした[4][5]遺族いぞくたく福島ふくしまけん伊達だてぐん保原ほばらまち城ノ内しろのうちげん伊達だて[2]

家族かぞく親族しんぞく[編集へんしゅう]

小野おの
親戚しんせき

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d e 小野おの ひさごろうとはコトバンク。2016ねん11月7にち閲覧えつらん
  2. ^ a b c d e くすりぎょう年鑑ねんかん 昭和しょうわ14年度ねんど340ぺーじ国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)。2016ねん11月7にち閲覧えつらん
  3. ^ a b c d くすりぎょう年鑑ねんかん 昭和しょうわ10ねん226ぺーじ国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)。2016ねん11月7にち閲覧えつらん
  4. ^ a b c d e f g 人事じんじ興信録こうしんろく だい6はんを22ぺーじ国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)。2020ねん11がつ10日とおか閲覧えつらん
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n 人事じんじ興信録こうしんろく だい5はんを24ぺーじ国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)。2016ねん11月7にち閲覧えつらん
  6. ^ 東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく一覧いちらん 明治めいじ27-28ねん418ぺーじ国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)。2016ねん11月7にち閲覧えつらん
  7. ^ a b c d e f 藥學やくがく博士はかせ小野おのひさごろうくん略歴りゃくれき」『藥學やくがく雜誌ざっしだい1921かんだい477ごう日本にっぽんやく学会がっかい、1921ねん、App5、doi:10.1248/yakushi1881.1921.477_App5ISSN 0031-6903NAID 130007479063 

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく一覧いちらん 明治めいじ27-28ねん東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく、1886-1912ねん
  • 人事じんじ興信所こうしんじょへん人事じんじ興信録こうしんろく だい5はん人事じんじ興信所こうしんじょ、1918ねん
  • 人事じんじ興信所こうしんじょへん人事じんじ興信録こうしんろく だい6はん人事じんじ興信所こうしんじょ、1921ねん
  • 薬石やくせき日報にっぽうしゃ編纂へんさんくすりぎょう年鑑ねんかん 昭和しょうわ10ねん薬石やくせき日報にっぽうしゃ、1935ねん
  • 薬石やくせき日報にっぽうしゃへんくすりぎょう年鑑ねんかん 昭和しょうわ14年度ねんど薬石やくせき日報にっぽうしゃ、1938ねん