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小鹿こじかはんけい

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小鹿こじか はんけい(おしか のりよし、生年せいねんしょう - ちょうとおる元年がんねん11月1にち1487ねん11月24にち))は室町むろまち時代ときよ後期こうき武将ぶしょう小鹿こじかはんよりゆき小鹿こじかはんみつるおとうとであり、駿河するが今川いまがわ6だい当主とうしゅ今川いまがわ義忠よしただ従兄弟いとこにあたる。幼名ようみょうまごろう。ただし、「まごろうはんまんおとうとであるぼうで、ぼう安房あわもり名乗なのっていた可能かのうせいはあるものの実名じつめい事績じせき不明ふめい」とする学説がくせつがある[1][2]

生涯しょうがい[編集へんしゅう]

遠江とおとうみこくしおかいざかたたかにおける今川いまがわ義忠よしただ戦死せんしにより、あにはんまん家督かとく代行だいこうすると、あにわりゆうぐん小鹿おしかむら現在げんざい静岡しずおか駿河するが小鹿おしか)をおさめたという。しかし、義忠よしただ遺児いじおや元服げんぷくしてもはんまん家督かとく返還へんかんしようとしなかったため、伊勢いせ盛時せいじ北条早雲ほうじょうそううん)に襲撃しゅうげきされ、はんけいあにともども駿府すんぷ今川いまがわかん自害じがいした。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 大塚おおつかいさお今川いまがわ義忠よしただ討死うちじに竜王りゅうおうまる自立じりつ」『今川いまがわ駿河するが遠江とおとうみ中世ちゅうせい』(岩田いわた書院しょいん、2008ねん
  2. ^ 黒田くろだ基樹もとき今川いまがわおやしん研究けんきゅう」『シリーズ・中世ちゅうせい関東かんとう武士ぶし研究けんきゅう だいろくかん 今川いまがわおや』(えびすひかりさち出版しゅっぱん、2019ねん4がつISBN 978-4-86403-318-3 P22-25.